蕾とウェディングドレス
やがて三十分程が経過すると、蕾はようやく瞼を開いた。
ゆっくりと部屋を見渡す動作をすると日向の姿を捉えたのか、視線を日向の辺りに固定したままスッと立ち上がり、そのままソファーに座る日向の腕へとダイブした。
「おはよう、よく寝てたね」
「んー……」
寝起きでぼーっとしているのか、蕾が頭を擦り付ける様にして日向に甘えだす。
大体起き抜けはこういう状況が多いので、日向もまた蕾の好きにさせる事にした。
既に祖父は起き上がって和室でゴルフクラブを磨いているし、祖母は台所で蕾の冬物にと毛糸を使って何か編み物をしている。
そして起き上がって日向にしがみ付く蕾は、安心してしまったのか再び目を閉じて寝息を立てようとしたので、日向が慌ててその背中を叩く。
「蕾、蕾。これ以上お昼寝したら夜に眠れなくなるよ」
軽く揺すってみても、蕾が起きる気配がない。
穏やかな寝顔は見てて癒されるので、このまま寝かせてあげたい思いもあるけれど、寝る時は平気で後一時間も寝てしまうので、そこまで寝られると本格的に夜が遅くなる。今夜は両親と今後の事について少し話をしたい、と思っていた日向には少々都合が悪い。
(仕方ない……こういう場合は、あんまりやりたくないけど……)
はぁ、と一度溜息を吐いて、蕾の耳元に口を寄せる。
寝ていても興味のある事には耳聡いのが子供の特徴なのだ。
「蕾……今から兄ちゃんと買い物に行くんだけど、その前に遊心堂でお菓子と、カードが出てくるゲームやってくるか?」
ぼそり、と呟いただけなのだが、その言葉の威力は絶大だった。
「いくー!」
「うおぉ……!」
ガバッと身体を起こした蕾が、一体さっきまで本当に半分寝ていたのだろうかと疑いたくなる速度で頭を起こす。
その素早さに、日向は一瞬蕾の後頭部に顔面を強打されそうになり、慌てて顔を逸らした。
「行きたい?」
「いーきーたーいー!」
ぴょんぴょんと日向の膝の上で飛び跳ねる蕾に、日向は苦笑いしながら手元の鞄を引き寄せた。
「それじゃ、用意して行かないとな。先ずは寝てた場所のマットを畳むのと、靴下を履くところから! スタート!」
「はーいー!」
日向の号令を合図に、蕾が素早くマットレスに駆け寄る。
「おおーりゃー!」
マットレスの端を掴み、折り目に沿ってしっかりと畳みは終わると、すぐに近くに置かれていた靴下を手に取ってソファーに座った。
「なんだ、蕾は起きたのか……どうした?」
突然の蕾の行動に、和室から出てきた祖父が日向に訝しげな視線を送るのを、日向は苦笑いで返す。
「いや、起きたんだけど、もう一度寝そうだったから……ちょっと物で誘惑してみたら、エンジン掛かった」
日向の答えに祖父は笑いながら蕾の元へと歩み寄り、靴下履きを手伝うように手を添える。
「蕾もすっかり兄ちゃんの手綱を持っちまったなぁ。女は簡単に男の言う事聞いちゃいかん、ちゃんと貢がせないとなぁ」
笑ながら蕾に言う祖父の背中を、日向は微妙な表情で見ていた。
支度を終えた二人は玄関先で父母に別れを告げ、外に出る。
午後の一時はとうに過ぎており、ここから商店街へ抜けて遊心堂という子供の玩具、駄菓子、少しのゲームスペースを備えたお店に行き、帰り掛けには夕飯の材料を用意して帰宅すればいい時間だろうと考える。
「みらーぷりーみらーぷりー。……おにーちゃん、なんできょうはみらぷりやっていいのー?」
ご機嫌な蕾が手を引っ張って日向に呼び掛ける。
何故、と言われると蕾を起こす為だったのだが、確かに今日に限ってお菓子だけじゃなくゲームも付いてくる、なんて確かに日向にしては珍しい事だった。
決して我慢だけを強いる教育はしていないが、あまり我侭に育たない様、娯楽等に関しては基本的に日向か両親の同意が前提にある。
何かお手伝いをした御褒美とか休日であれば珍しくも無いのだが、今日はそのどちらでもない事に疑問を持ったのだろう。
日向は不意に、今日の出来事を思い出す。もしかして自分は、蕾に罪悪感を感じて、その為にこうして蕾を甘やかしているのではないか。
そんな思いが脳裏を過る。だからこそ、日向は蕾に正直に打ち明けた。
「ん……兄ちゃんな、もう少し後の話なんだけど、ちょっと帰りが遅くなるかもしれないんだ」
「えー……?」
不安そうに手を握り返される。日向はその手をしっかりと、蕾が安心出来るよう包み込んだ。
「悠里ちゃん達とな、学校で大きいお祭りがあって……それの準備をするんだ。それで、皆と一緒に一杯色んな事をしなくちゃいけないから……」
だから、蕾と一緒に居る時間が一時的にでも減ってしまうかもしれない。
そう言おうとした日向より先に、蕾が口を開いた。
「そっかー! ともだちといっしょにーだねー! よかったねー!」
先程の不安そうな表情ではなく、いつもの笑顔で蕾は日向に応えてくれた。
「おにーちゃん、いっつもつぼみといっしょだもん。がっこう、たのしくないのかなーっておもってたー。よかったねー!」
その言葉は不覚にも、日向の胸を一瞬だけ詰まらせた。
悠里が言っていた、自分が楽しく無ければ蕾も学校を楽しい場所と思えない、その言葉は真実だった。
そして何より、この小さい妹は、この子なりに日向の身を案じていたのだ。
「………蕾」
「んー?」
日向の手をぶんぶんと振りながら歩く蕾の隣で、日向は少しだけ蕾と逆方向に顔を向けた。
じわっと一瞬だけ滲んだ視界がクリアになるまで、そう時間は掛からない。
ぼやけた景色を見ながら、日向はもう一度自分の心に問い掛ける。蕾に返す答えはもう一つあった。
「兄ちゃん、ちょっと寂しいんだと思う。皆と一緒に居るのは楽しいし、やりたい事もあるんだけどね。蕾と一緒の時間が減るのが、ちょっとだけ寂しいんだ。だから、今日みたいに蕾と遊べる時間は、前よりももうちょっとだけ沢山遊ぼうと思ったんだよ」
その言葉が伝わったのかは分からない、けれど腕に感じる重みが増した事実が、日向に自信を与えてくれる。
「んふー。おにーちゃん、つぼみのことだいすきだもんねー!」
自信に満ちた蕾の言葉にも思わず笑みが零れる。だけどその言葉に反論なんてしない。
「そうだなぁ、だから蕾が来ても楽しく出来るように、兄ちゃん頑張るからな」
「つぼみもおまつり、がっこういっていいのー!?」
「うん、土日でやるから皆来れるんだ。去年は……そういえば、蕾は母さん達と出掛けてたのか」
ほとんど記憶にない去年の学校祭を思い出すと、本当に何も無い一年だったと思える。
僅かに記憶にあるのは、クラスの出し物で冷凍のポテトをレンジで温めて出す、その荷物運びをしていたぐらいだった。
そして案内のプリントすら両親に渡していない始末だったので、結局その日は両親が別の用事を入れてしまい、蕾がそれに付いて行く事になった。
学校祭の予定を直前で聞いた両親は日向に呆れていたが、予定の変更が利かずそのまま外出してしまった経緯がある。
「今年は、ちゃんと父さんと母さんにも来て貰わないとだなぁ。爺ちゃんと婆ちゃんもだけど」
一人呟く日向の隣で、蕾が「おー!」と手を挙げた。
目的の場所に着いた二人は、そのまま子供達が群がる箱体のゲームへ近付いて行き、蕾が子供達の列最後尾に並んだ。
百円玉を蕾に握らせ、日向は近くにあるベンチに腰を掛けてその姿を見守る。
順番にクリアーしていく子供達が手に持ったキラキラしたカードを見て、蕾がうずうずと身体を左右に振るのが見えて、思わず笑ってしまう。
やがて蕾の番になると、日向は一度立ち上がり傍に寄る。操作がまだ万全ではないので、蕾一人では詰んでしまったり変な場所を押してしまう事があるのだ。
「えっと……一人用、IDカードはナシ……と」
日向が蕾用の設定にタッチパネルを押すと、画面にアイドルみたいな女の子と、ちょっとした説明が表示される。
ゲームシステム自体は簡単で、リズムに合わせてボタンを押すだけだ。
一応、プレイアブルキャラクターの女の子を自分用にカスタマイズ出来るのがゲームとしての醍醐味なのだが、蕾は何故かカードを取るだけで満足してしまい、カスタマイズまでは手を伸ばさない。
曰く「あのままでもかわいいよー?」なのだ。ある意味玄人芸とも言えるプレイスタイルだったが、本人が満足出来るのならそれでいいと日向は考えている。
「はいはいはーい! あいあーい!」
呑気な掛け声と共に画面の音符マークが弾け、それを見た蕾が更に笑顔で歌いだす。
この顔が見れて百円ならば、まぁもう少し頻度を上げてもいいかもしれない、なんて事も思ってしまう。
(こうして敷居を下げて行くと、いずれモールに行った時なんかに毎回百円をせびられる様になっちゃうんだよな、きっと……)
世の中のお父さんお母さんの心を代弁した日向が物思いに耽っていると、やがてゲームは終了して最後にカードの払い出しとなる。
「おわったー! かーど、かーどー!」
蕾が屈んでカードの排出口に顔を近付け、今か今かと待っている。
ウウゥンという機械音と共に、にょっきりと出てきたカードを蕾が取り出すと、周囲の子達が騒ぎ出した。
「うわー! ドレスだー!」
「いいなーレアだ!」「なになに?」「ウェディングドレスだー! 初めて見たかもー!」
一人、小学生の低学年と思われる女の子が声を挙げると、周囲の子達も騒ぎ出す。
中心に居る蕾も、気に入ったカードが出たのか目をカードに釘付けにして、ほくほくした顔で日向へ見える様に掲げてみせた。
「きれいなふくでたー!」
蕾の提示したカードには、子供達が言っていた様に『ウェディングドレス・ヴェールセット』というタイトルが付いている。
「凄いの出たみたいだ、良かったね」
正直、日向には価値が分からないけれど、子供達の反応を見るに希少なものなのだろう。
蕾はその価値よりも、単純に絵柄が気に入った様で大事そうに抱えている。
「つぼみ、このふくきてみたいー!」
そうして父親が聞いたら家具の一つでも壊しそうな不穏な言葉を放ったので、家に帰ってもその台詞だけは言わないように蕾へと厳命したのだった。
久し振り、本当に久し振りに二人だけの話……かも。
この二人を書いてると、なんだか安心出来るというか、初心に還れる気がします。
最後のゲームはよくある箱体アイドルものがモチーフですが、私はやった事が無いので細部は分かりません……!
そして久々の一日二話投稿でした。やればできるじゃん……