その背中から語られるもの
自分の用件を済ませ、次は母から貰ったメモの買い物を済ませようと日向は商店街のスーパーに赴いた。
ひんやりとした冷房が少し汗ばんだ身体を冷やしてくれる。
どこから周ろうか考えて、ポケットから母のメモを取り出し、内容を確認していく。
「米5kg……鮮魚系と、根菜類、玉ねぎ……常備菜か。牛乳、後は適当に炭酸……ナンプラー。ナンプラー?!」
最後の最後に爆弾が置いてあったが、あの母は一体何を作ろうとしているのだろうか。そう思い一つの仮説に行き当たった。
「まさか俺達がガパオライス作ったから興味を持ったのか……」
割と負けず嫌いな母の事ならあり得ると思ったが、特にかさばる物でもないし、最近はエスニック系のものなんかも結構置かれているから、特に問題無いと判断する。
けれど米があるので、持ち運ぶには少々手間が掛かる。
配送サービス使ってもいいよ、とメモの隅に書かれているが、こんな事で配送料を取られるのも少々抵抗がある。
体力作りには丁度いいだろうと、米は自力で持ち帰ろうと考えた。
ともあれ、一先ず一周して指定品を回収しようと、日向はカートにカゴを載せて歩き出す。
こういう時に今まで培った主婦スキルは役立つもので、スーパーの中のどこに何があるかが大体頭の中にマッピングされている。
手早く鮮魚コーナーまで辿り着き、鯖フィレを人数分……それと、肉類を少々買い足しておく。
平日はいつも通り自分が夕飯を作る事も多くなるので、母のメモ通りではなく自分が調理する際に必要なものもイメージして買わなければいけない。
そうして肉類のコーナーから飲料系コーナーへ入ろうとした時、曲がり角でカートが誰かとぶつかりそうになる。
「あっ……」
「あ、ごめんなさい! 気を付けます!……って」
不意にカートを止めて相手に謝罪しようと顔を見ると、相手が悠里だった事に気付いて驚く。
「日向君!」
悠里もまた、日向との思いがけずの遭遇に驚いた顔を見せた。
いつかの巻き戻しの様な状況に、日向は悠里に悪いと思いつつも、つい破顔してしまう。
「俺の扱うカートはどれだけ悠里にぶつかりたがるんだろうなぁ……」
「ふふ、本当だよ。あんまり何度もぶつかられると、私だって傷物になっちゃうんだから、女の子の肌を傷付けたら高いよー?」
そう言われて、日向は慌ててカートの下部先端部分がぶつかりそうな箇所を観察する。
悠里の装いはキュロットスカートと薄手のカーディガンなので、膝辺りは露出してしまっている。
衝撃は然程無かったけれど、足に傷でも出来ていたらどうしようと思っていると。
「ちょ、ちょっと日向君……大丈夫だよ……あんまりそうやって見ると恥ずかしいよ……」
言いながらショルダーバッグを前にやり、身体を隠す様にして顔を赤くする悠里に、日向はもう一度慌ててしまう。
「あ、ごめん……痣が出来てたらどうしようと思って……!」
「ふふ……うん、平気平気……心配してくれてありがとう」
日向の慌てぶりに、逆に冷静になれた悠里が微笑んで日向に向かい合う。
そしてふと傍らを見て、いつもと違う違和感に気付いた様だった。
「今日は一人なんだ、蕾ちゃんとは一緒じゃないの?」
使用しているカートも子供用のものではなく、一般的なカートを押している日向に悠里が問い掛ける。
この場合、一般的な高校生男子が夏休みの昼前からスーパーで生鮮食品を買う、という光景こそが少し異様なのだが、既に日向相手にはその違和感が存在しない。
「親父に取られた」
「取られたって」
日向の言い方に悠里が笑う。
そうしてどちらからともなく、何となしに二人で連れ添って店内を歩き始めた。
「悠里は、どうしたの?」
飲料用の棚からペットボトルを一本カゴに入れながら、日向は隣を歩く悠里へ声を掛ける。
「私は甘いもの買おうと思って、家で夏期講習の課題してたら煮詰まっちゃって。ここしか売ってないんだよねぇ……私が好きなチョコバー……」
そう言われて日向は最初に悠里と出会った時の事を思い出した。
確かあの時も、同じ物を買おうとして此処に来ていた筈だ。
「成程……本当に前と同じ状況だ。蕾に言うと悠里に会いたいって言い出すかもね」
笑いながら話す日向の後ろ姿に、悠里は少しだけ何か変化を感じる。
(なんだろ……日向君の雰囲気が、前よりも柔らかい……ううん、柔らかい、っていうか)
その感覚を上手く言葉で表す事は出来なかったが、前までは感じていた、薄い壁の様なものを今はあまり感じない。
微細な変化ではあるけれど、その違いを感じ取れる程度には時間を共有したからこそ、だろうか。
「日向君……なんかあった?」
「………うん?」
陳列されている棚を見ながら、ちらりと悠里に視線を向けて日向が疑問を返す。
「どこか変かな?」
日向は自分の服装を確認して、汚れや酷い皺でもあったのか、と衣服を検分するが勿論そういう意味ではない。
「うーん……雰囲気? っていうのかな……」
悠里が顎に手を添え、目を細めながら日向をまじまじと見詰める。
先程とは反対に、今度はじっくりと眺められた日向が少し身動ぎをした。
やがて、悠里の言う雰囲気の変化に思う所があったのか「あぁ……」と一つ頷いた。
「あったと言えば、あったかな」
霧子と相対した時間を思い出しながら、日向は苦笑いを浮かべる。
ほんの少し前の出来事なのに、なんだか長い時間を過ごしていた様にも思える。
ずっと眠っていた状態から、叩き起こされたという方が正しいだろうか。
けれど、霧子だけの言葉で日向は今の日向に戻れた訳では無い事も自覚している。
夏に入る前の、ここから始まった日々。
もしくは、ずっとずっと前から想い出を作り続けてくれた周りの人間達が居て、今の日向が居る。
それでもやはり、もう一度自分をここまで連れ出してくれた最初の人は、間違いなく目の前に居る彼女だろう。
自分に素直になろう、そう決めたのだから、言いたい言葉もちゃんと言おう。
「俺が何か変わったとしたら、悠里の責任でもあるかな」
「え……何それ何それ、どういう意味……?」
突然の言葉に、悠里が動揺して軽く混乱している。
その姿が何だか可笑しくて、日向はあえてそれ以上は何も言わずに足を進めた。
「ちょっと日向君ー! 凄い気になるんだけど、どういう意味なのー?!」
服の裾をちょっとだけ掴まれて引っ張られるけれど、一度回答を保留してしまうと今度は余計に恥ずかしくなって言えなくなってしまう。
だから日向は、代わりに別の言葉にして悠里へ告げた。
「明日さ、明後日でもいいんだけど、皆で何処か遊びに行こうよ。カラオケでも、モールでも。勉強会でもいいんだ。蕾も一緒に居させてやりたくて、それでも良かったらなんだけど」
その言葉に、悠里は今度こそ完全に動きが止まった。
何故なら、今まで一度も日向からは『何かをやりたい』という言葉を聞いた事が無かったから。
いつも誰かに合わせる様に、蕾の希望を叶える為に行動していた日向が、自分から自分の望みを口に出した。
ただそれだけの事なのに、悠里の胸が一杯に詰まる。
「日向君……」
当の本人は、たったそれだけを言うのが恥ずかしいのか、少しだけ頭を掻いていつもの人が良さそうで朗らかな、名前の通り太陽の様に暖かい笑顔を浮かべている。
「悠里、ありがとう」
そのお礼が、何に対しての礼だったのかは悠里には分からない。
だけど、その一言を聞いただけで、悠里の動悸が激しく鳴った。
「さ、レジに行こうか。悠里のチョコバーも一緒に会計させてよ、今まで色々お世話になってるし、勉強のお供ぐらいは奢るよ」
そうして背中を向けて、日向がレジに向かう、その後ろで。
悠里は自分の心臓の音が大きく脈打つのを感じていた。
自分の何かが日向に届いたのかもしれない、誰かが繋げてくれたのかもしれない。
嬉しさと戸惑いと、自覚し始めた自分の気持ちを落ち着ける様に、悠里は日向の後を追った。