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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【二章 再会の夏、新緑の芽吹く季節に。】
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声なきもの

 新垣家で花火をした翌日。

 上月日和は一人、臨海公園まで足を運んでいた。


 昨夜、日向の部屋で自分を支配した感情が渦巻いて、一人で部屋に居ても上手く消化出来ず、しかしこんな時に限って部活が無い。


(こんな気持ちのまま、コートに入ったって……)


 身体を思いっきり動かしたかったが、今はラケットを持てるか自信が無かった。


(あれから、二年経って……もう自分の事ばかり考えるのは止めようって……日向先輩がそう決めたなら……それでいいって)


 そう思っていたのに、抑えられなかった。

 ほんの一瞬で、あのトロフィーを見て、少しでも日向が日和との想い出を大事に想ってくれてると感じただけで、自分の中で感情が大きく振れてしまった。


「傍に居るのに……遠いな……」


 思わず声が漏れる。

 でも構わない、周りには誰も居ない。聞かれる事も無い。

 その事に安心出来て、ほんの少し、寂しい。


 海沿いを走る歩行者用のアスファルトを歩く。

 気温が高いけれど、生憎と今は少しだけ太陽に雲が掛かっている。

 そよ風が気持ち良くて、それだけで歩いていると、ふと遠くから音楽が聴こえてくる気がした。


 知らずなかなかの距離を歩いていたらしい。既に駅前の近くまで来てしまっていたのだ。

 音のする方向を見ると幾人か人垣が出来ていて、音はその中から聴こえてくる。


 楽器には明るくない日和だが、それがギターの音である事は分かる。

 優しい音色で、どこか素朴なカントリーミュージックが耳に心地好く、気が付けばそちらへ足を向けていた。


 奏者を囲む人達は皆誰もが演奏に聞き入り、前列には子供が座りこんだりと野外の音楽会みたいな様相を呈している。

 その人垣の中心でギターを奏でる人物に日和の目が止まる。


「あれって……昨日の?」


 昨夜、花火大会で出会った女性……確か、初島霧子と名乗っていた。そう日和が記憶を探っていると、演奏が一度終わる。


 奏でられる音色が止むと、人々から拍手と歓声が上がり、霧子は周囲に笑顔で応えると目の前に居た男の子へ話し掛けている。


「次、何か聴きたいものはある?」


 そう問い掛けられた男の子は目をぱちくりとさせ、一度周りを見渡してから、遠慮がちに声を出した。


「あ……んと、いえ……」


 男の子は、少し萎縮してしまったのか、それとも内気な性格なのか黙ってしまう。

 その様子を見た霧子は微笑みながらギターに手を掛けた。


「じゃ、これにしてみよっか、分かるかな?」


 そうして流れてきた音楽は、子供達に人気のアニメソングだった。

 ギターの柔らかい音と、ボディを叩いてリズムを取る技術は見事なもので、あまり曲を聴いた事がない日和でもメロディ思い出せる程だった。


「……あ、これ!」


 覚えのある音楽なのか、男の子の顔がパッと明るくなる。

 笑顔になった男の子へウインクして、霧子は音楽を奏で続けている。


 その横顔を見ていると、何故か日向の事が頭に浮かんだ。

 男の子を優しく気遣う霧子の表情は、蕾と接する時の日向に似ていて、見てて心を温かくさせてくれる。

 だけど今は、日向の事を考えるのが少しだけ辛かった。



 やがて演奏が終わると、周囲から聴こえる拍手の中で霧子がギターをケースに仕舞っていく。

 その姿を見て、演奏を惜しむように観客も一人、また一人と立ち去って行った。

 先程の男の子もまた、霧子に手を振って母親と共に去っていく。


 霧子は笑顔で手を振りながら、その背中を見送りギターケースを担ごうとして、遠目に佇む日和に気が付いた。


「あれ、どこかで?」


 帽子を被りながら日和を見て首を傾げると「あー! 昨日神社に居た子か」と気が付いた。


「あ……す、すみません。じゃない、こんにちは……あの、演奏上手でした、とても!」


 なんだか覗き見ていたのを見つかってしまった様なバツの悪さに日和が慌てる。


「ありがと。ノリノリで子供のアニソン演奏してるの見られるとか、この歳になるとちょっと恥ずかしいね」


「へへ……」と困った様に笑う顔は、年上の女性というより少年の様にも見える。


 以前に日向から聞いた少し不思議な雰囲気の人、というのが分かる気がした。


「今日は一人なんだ?」

「はい……ちょっと散歩したくて」

「そっか。生憎の天気だけど、ここは涼しくていいもんね」


 霧子は笑って首を少し傾けて歩き出した。

 少し歩こう、という意思表示に見えたので、日和もおずおずと足を進めた。


「なんか浮かない顔だけど、どうかしたの?」


 ゆっくりと海を見ながら、霧子が日和に問い掛ける。

 日和は何を言おうか迷って、結局「いえ……」としか返事が出来なかった。


 やがて人が疎らになる場所まで来ると、霧子は足を止め、道沿いの柵に向かって身体を預けた海を眺め始めた。

 その横顔を見て、ふと日和は気になっていた事を聞いてみたくなった。


「あの……日向先輩とは、どうして?」


 聞いておきながら、何とも抽象的過ぎる質問だったと後悔したが、どうして親しいのか、どうして構うのか、そのどれもが……質問として、本質からずれている気がしてしまうのだ。


「どうして、かぁ」


 けれども、霧子はそんな日和の質問を受け止めてくれた様で、目を瞑って考えている。


「初めて目が合った時に一目で気になって、その後の質問に興味を持った……かな」

「え……?」


 その返答に、日和は内心で心臓が跳び跳ねると思った。

 一目で気になった、その言葉の意味する事に。

 しかしその日和の動揺を見て、霧子が笑って続ける。


「あぁ、違う違う。君が思う様な事じゃないよ、安心して。そうだなぁ……日向君の目は、私がよく知ってる人の昔の目にそっくりだったんだよ」

「……えっと、それって……?」


 深く聞いてもいいのか分からず、日和は躊躇いがちに問い掛ける。

 日和から見えた霧子の横顔は、酷く寂しそうに見えた。


「近しい誰かの為に、人よりも早く大人になってしまった人。そして、その事に微塵も後悔なんてしてなくて、いつも私を笑顔で包んでくれた人だよ」


 遠い過去に思いを馳せる様に、霧子は言った。


「……その人と日向先輩が似ているから、構うんですか?」


 日和の質問に、霧子は自嘲気味に笑った。


「そうかもしれないけど、多分君が思う程に綺麗な物じゃないよ。これは私の八つ当たりみたいなものなんだ。私はまだ、その時は幼くて……自分の事だけで精一杯だった。当時その人がどんな事を考えて、どんな思いで私を支えてくれてたのか、考える事なんて出来なくて」


 確かに似ている、と思った。

 霧子と彼女が語る人物は、今の日向と蕾の状況に瓜二つだ。

 そして今の日和の状況と、霧子が語る昔の姿もまた、どこか似ている。


「八つ当たり、っていうのは、どういう事ですか?」

「ふふ、結構グイグイ来るね」

「あ、御免なさい……失礼ですよね……」


 日和が身を縮こまらせて言うと、霧子は笑って、そんな事は無いという風に首を横に振る。

 そして再び口を開くその表情は後悔か、それとも別の感情か、酷く複雑そうな表情だった。


「本当は在った筈の、大人になんてならなくて良かったあの人は、どこに居るんだろう……どうして、誰も見つけてあげる事が出来なかったんだろう、なんで私はあの時……ただ護られるだけの弱い存在だったんだろう、ってずっと思って生きてきた、だから」


 潮風が一瞬強く吹いて、日和の髪が乱される。

 風の音に掻き消されそうになりながらも、最後の言葉は日和の耳に強く響いた。


『今度はちゃんと、見つけてあげたいんだ』と。


「なんで……その人は、誰にも見つけられなかったんですか……」


 霧子の言っている事は日和には難しく、断片的にしか理解が出来ない。

 けれど、寂しいと思えた。誰にも見つけられないのは、寂しい事だと。


「子供が大人になりたいっていうのは、不自然な事かな?」


 霧子が話す口調は、ゆっくりで柔らかく、必死に何かを考える日和へ「焦るな」と聞かせる様にも思えた。


「いえ……不自然、ではないと思います。私も大人になりたいって思ってました。今も……思ってます」


 日和がたどたどしく答える返事に、霧子は「うん」と一つだけ頷いた。



「そうだね、それはとても自然な事なんだ。まぁ中にはね、仕事なんてしたくない! 責任なんて取りたくない、子供のままで居たいって思う大人も居るんだけどね。それでも多くは自然とそう願う時が来る。それは誰かの為に成し遂げたい事がある時や、行動の制限を取っ払いたい時、理由は様々だ。そうして周囲の大人達は、そうした子供達の叫び声を聞いて、そっと後押しをしてくれる。それはちゃんと見つけた何よりの証明だ」


 日和には、その言葉に心当たりがあった。

 自分自身も先へ進みたくて、何かを成し遂げたくて、今の学校へ進学した。

 其の時、自分の両親や担任はどうしただろうか? 相談に乗ってくれて、嫌な顔一つせずに学費を出してくれて……それは、日和の叫びが大人達に届いたからだ。後押しをしてくれたからだ。


「でもね、その叫び声は実に様々だ。凄く分かり易いものだったり、逆に分かり辛かったりもする。……そうして時々、全く誰にも見つけられない様なものも、混ざったりする」


 聞きながら日和は、自分の今の感情を見つめ直す。

 あの時、あの部屋で溢れた感情は一体なんだったのか。

 あれは……見つけて欲しかった自分の、叫び声だったのではないか。


(私は……)


 折り合いを付けたと思っていた、最初からやり直せると思っていた。

 でも、自分の中では全然決着なんて付いて無くて。


(私は、見付けて欲しかったんだ、日向先輩に。私が寂しいって、一緒に居たいって思ってる事を)


 自分自身で笑いそうになる。大人になれたと大見得を切って、あんな風に約束までして。

 結局、自分は何も前に進めてはいなかった。子供のまま、大人になったと錯覚していただけだった。


(それでも十分だ、自覚出来ただけでも、今の私には十分なんだ……)


 そうして自分の中を見つめ直せば、ちゃんと居るのが分かる。

 中学二年生の自分。

 日向と別れて、寂しいと泣いている自分……それと、まだ全然お別れなんて出来ていなかった。


(勝手に無かった事にして、勝手に大人になれた気がして、こうして自分の事が分からなくなるぐらい、自分を置き去りにして!)


 馬鹿だな、と思う。そんな事が出来ているなら、初めからこんなに大切な恋なんてしていない。


 気が付けば日和の目からはポロポロとまた涙が出て来て、それでも自然と顔は笑ってくれている。

 これは悲しい涙じゃなくて、勇気の涙だ。今度こそ本当に前に進む為の代償だ。


「私も……私にも、日向先輩の声が聞こえますか?」


 霧子の語る言葉が本当なら、日向もまたどこかで叫んでいるのかもしれない。

 自分がもう一つ強くなれるのなら、それは自分の為だけじゃなくて、日向の為にも強くなりたいと思った。


「手を伸ばし続けてあげるといい、いつか彼が手を伸ばした時に、しっかりと掴み取れる様に」


 出来る、とも出来ない、とも霧子は言わなかった。

 ただ手を伸ばせと、それだけが唯一出来る事だと。


(私に出来る、手を伸ばす事。芹沢先輩でも、成瀬先輩でも、恵那先輩でもない。私にしか出来ない事)


 自分の願い。


 無性に身体を動かしたくなった。あの緑色のコートの中で、今は思いっきり暴れてやりたい気持ちが溢れてくる。


「私、行きますね。なんだか凄く勇気が出ました。……結局、私が悩みを聞いて貰ってしまった様で、申し訳ないんですけど……」


 凛とした声で顔を上げる日和へ、霧子は静かに笑って頷く。


「こんな駄目な大人の言う事なんて、半分は聞き流しててもいいさ。それでも何か得られたものがあったなら、良かったよ」


 日和は霧子へ一礼してから踵を返す。

 雲間から少しだけ太陽が覗いて、道を照らしてくれている。

 段々と早くなる歩調を感じながら、日和はふと後ろを振り返る。


(………道に迷ってたら、不思議な言葉を掛けられて、なんて。なんかお伽噺に出てくる魔法使いみたい)


 くすりと笑って、もう後ろは振り向かなかった。

 女の人だから、魔女かな? なんて思いながら。



 遠ざかる日和の背中を眩しそうに見詰めながら、霧子は一つ大きく息を吐く。


「私の八つ当たりに、巻き込まれた事を恨んでくれていいよ、日向君」


 見つけてあげる事が出来なかった姉の面影を日向に見て、勝手な都合で天岩戸を開こうとする。

 その行為の醜悪さと、身勝手さに心が冷える。

 何故なら、そんな事をしなくても今の姉は幸せそうなのだ。心の底から、幸せそうなのだ。


 多くの大人は、そんな事をしないだろう。褒めて、感心して、そっと見守る事だろう。

 姉の時がそうだった様に、誰もその影にあるものになんて目を配らない。


 だけどもしその影に、誰にも見られる事無く佇むものがあるのなら。

 それは、自分の様な部外者で……そっと、遠くへ持って行ける様な者こそが、その役に相応しい。

御無沙汰しておりました。お盆が終わりましたので更新更新……。

途中何度も書き直して、そのどれもが違う気がして、かなり分かり辛い回になってるかもしれません。


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