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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【二章 再会の夏、新緑の芽吹く季節に。】
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想い出のトロフィー

 新垣家の庭に水が入ったバケツが用意され、家の中には蚊取り線香が焚かれる。

 日向達はリビングと庭を繋ぐ足場にそれぞれ腰を降ろし、花火の準備を進めた。


「よしよし……やっぱり線香花火ってのは最後だよね。結構数買ったから、最初はこいつの二刀流からいこうかね……」


 唯が花火パックの中を吟味しつつ、二本の手持ち花火を一本ずつ両手に持つ。


「唯……蕾ちゃんの前で変な真似しないでよ、危ない遊び方覚えたら困るでしょ」


 目を細くして悠里が唯を軽く睨むが、唯はどこ吹く風で蝋燭の炎へとその先端を近付ける。


「いいからいいから……こういうのはね、派手にどーんとやる方が面白いんだって……よっしきたー!」


 唯の持つ花火の先端から金色の炎が噴出され、パチパチと音を立てながら眩い光を放つ。

 それと同時に左手の花火からも、今度は濃いピンクの様な火花が出始める。


「浴衣、焼けちゃったら困るからね! ちゃんと安全にやってね!」


 悠里が唯へ再三注意をするが、唯は完全に自分の世界に入って光で絵を描く様に手を動かしていた。


「悠里ってさ、なんか恵那さんのお母さんみたいだよね」

「ちょっと?!」


 日向がぼそりと呟いた言葉に、悠里がカッと目を開いて反論しようと試みる。


「完全に蕾ちゃんのお父さんと化してる日向君に言われるのは大変心外なんだけど……というより、唯のお母さんってのが嫌ね。蕾ちゃんのお母さんならまだいいんだけど」


 はぁ、と溜息を吐きながら悠里が花火パックの中から一本取り出す。

 その言葉を聞いた日和が「おや……」と白い目を悠里に向けた。


「それ、日向先輩となら蕾ちゃんを子供にして夫婦になってもいい、って事ですか?」

「!?」


 日和からの指摘に、悠里が声にならない呻きを上げて後ずさりする。


「日和ちゃん、今一瞬あなたの後ろに虎が見えたんだけど……」

「……き、気のせいじゃないですかね」


 日和も目線を逸らしながら花火を取りに行く。


竜虎相搏(りゅうこあいう)つ……」

「雅……あんまり言うと後でごっそり殴られるよ、日和に」


 雅が呟く言葉を、日向が複雑な表情で聞きながら蕾の様子を確認しに行く。


「おにーちゃん、きがえたー」


 リビングから出てきた蕾は、先程までの浴衣ではなく私服のハーフパンツと半袖パーカーという、いつものスタイルになっている。

 流石に浴衣のままでは危ないし、悠里から借りたものを焦がしたりする訳には行かないと明吏が着替えさせたのだ。


「よし、じゃあこっちおいで。火を使うからちゃんと言う事守るんだよ」

「はーい!」


 そうして蕾もまた、花火の入ったパッケージを楽しそうに見つめて中から花火を取り出す。


「こーれ!」


 取り出したのは一本のピンクと白模様の花火で、先程唯が持っていたのと同じ物だ。

 それを日向の元に持って行き、ピッと目の前に突き出した。少し顔が得意気なのは気が逸っているからだろうか。

 日向は蕾の手に自分の手を添えながら、そっと蝋燭に近付ける。


「……つーいた!」


 シュゥ…という火薬の点火音と共に、淡い色の光が放たれる。


「……おにいちゃん、これくさいよー!」


 火薬のツンとした臭いを嗅いだのだろう、そんな事でも蕾は楽しそうに笑う。

 夜の普段は寝ている時間に、家族以外の人とこうして遊ぶ……キャンプの時は早く寝てしまったが、今日はしっかり起きられているのも嬉しさの一つなのだろう。


 そうして暫く、それぞれが花火を楽しむ時間になる。

 物干しに吊るして回転する花火や、何本も細い花火が連結されたナイアガラ花火など、日向も初めて目にする種類が中にはあった。

 そして、花火も残り少なくなり、後僅かな手持ちを消費したらいよいよ線香花火、という時だった。


 唯が何やら花壇奥の草むらを覗き込んでいるのが見えた。


「唯、どうしたの? 何か落した?」


 悠里の声に唯が振り向いて、困ったように眉を下げた。


「え、えへへ……耳に付けてたイヤリング外れちって……動き過ぎたかな」


 そして再び目線を戻して探そうとするが、丁度リビングからの光も届かない草むらは暗闇で探すのに不向きだ。


「恵那さん、ライト要る? この前俺がキャンプ持ってったのあるよ」

「あぁ、あの凶器兼灯りかぁ! いるいる!」


 唯が顔を輝かせて言うと、日和が立ち上がった。


「それじゃ、私持ってきますよ。日向先輩は蕾ちゃんそのまま見ててあげて下さい、先輩の部屋ですよね? 私、場所分かりますから」


 そう提言する日和に、日向は少し迷ったがその申し出を有り難く受け取る事にした。


「分かった、お願い出来るかな。部屋にキャンプ持ってったバッグあって、その小さいポケットにそのまま入れてあるから」

「はい、お任せ下さい!」


 そして日和は、サンダルを脱いでリビングから家の中へ入って行った。




 この階段を昇るのも久し振りだなと思いながら、日和は一段一段を浴衣の裾を踏んでしまわぬ様に慎重に昇って行く。

 階下を上がって左手に見えてくる最初の部屋が、日向の部屋だ。

 昔は何度も入った事のある部屋は、以前と変わらずに、だけどほんの少しだけ年月を感じさせる佇まいで日和を迎えた。


 ギッ、と取っ手を下げて、少しだけ勇気を出して、ドアを引く。

 部屋の中は外の街灯の光が射し込み、月も明るいので然程眩しくは無かった。


「えっと……あ、バッグ。これだよね」


 キャンプの時に見た、日向の大きなバッグを勉強用デスクの隣に見つけて駆け寄る。

 手前のサブポケットにあるチャックを開くと、中からフラッシュライトが出てきた。


「うん、これで大丈夫そう」


 形状をしっかり確認し、間違いないと判断して立ち上がる。

 すぐに戻るのは何だか勿体ない気がして、部屋の中を軽く見渡す。

 模様替えもしていないのか、そこは日和が知っている空間のままだった。


 簡素な勉強用デスクには、当時は教科書だったけど、今は難しそうな参考書が並べられていて。

 青いカーテンと、今はもう日和もあまり使わなくなった、オーディオ機器。

 日向が集めてる漫画のラインナップ。

 年月を感じさせるものと、感じさせないものと、そのどちらもが此処には共生している。


「ここで、夏休みはスクール行く前に宿題やって……おばさんにお昼ご飯とか食べさせて貰って……」


 想い出を浮かべる様に、部屋の小さな丸テーブルを触る。

 自然と笑顔が零れてしまうのが分かる。ここは、とても温かい場所だった。


 そのまま視線を上げると、ある一点で日和の視線が止まった。

 そこには、日向が以前使っていたラケットバッグと、トロフィーが置かれた棚がある。


「………あれって」


 思わず近寄ってみると、日和にも見覚えのあるトロフィーだった。

 隣のラケットバッグに目をやる。

 使われなくなり久しいバッグは、どこか寂しそうに部屋の片隅に佇んでいる。


 そっとバッグを開けて、中を見ると、二本のテニスラケットが入っている。

 日和のラケットよりも幾分かシャープで、それなのに重い、日向の愛用ラケットだ。


「ガットが……」


 ラケットのガットは、どちらも切られていた。

 ガットを張りっぱなしで長期間放置してしまうと、フレームが歪むと言われている。

 このラケットがその状態で置かれているという事は、使用者が暫くは使わないと宣言するも同然だった。


 ほんの少しだけ寂しい気持ちを覚えながら、日和はラケットをバッグに戻して隣のトロフィーを手に取る。


「え………?」



 そのトロフィーだけは、ラケットバッグと違い………埃が、一つとして付いていなかった。



【第16回 チャレンジジュニア杯 ミックスダブルス部門準優勝 新垣日向・上月日和】



 トロフィーの文字を、目にした瞬間、日和の中にある感情が、溢れてくる。



「あ……え……?」


 目の奥が熱くなり、じわりと涙が溢れてくる。


「なん……で……?」


 もう、ちゃんと自分の中では理解していた筈だったものが、悲鳴を上げるのが分かった。


「ちが……っ………や……」


 水滴が頬を伝う感触が分かる。なんでもないと思っても、心が言う事を聞いてくれない。


「わた……し………ひな……くん……」


 膝が折れて、トロフィーを抱き締めるようにして、座り込んでしまう。


「ひなたくん………ひなた君、日向君……!」


 嗚咽を漏らす様に、その名前を呼ぶけれど、その度に胸が痛くなって、また名前を呼ぶ。


「私……嫌だよ……一人でテニスするのは……やだよお………」


 手と足が震える。急に昂る感情の波に、身体が反応し切れていない。


(日和はバックハンドが上手いから、オープンスペースを作ってあえて狙わせてみよう)

(6-4かぁ、結構追い詰められたけど、まだ俺の方が強いね)

(ひよりちゃん、一緒に走ろうよ。練習前は身体温めた方がいいって、いつもコーチが言ってるよ)

(五年の新垣日向です、宜しくお願いします!)



 幼い日向との思い出、中学になった日向との思い出、一緒に決勝戦へ挑んだ日向との思い出。

 そのどれもが、今の日和を形成するのに大事な要素で、支えだった。

 そして、もっと自分を見て欲しいと思って、気持ちをぶつけて、離れてしまった。


 再会出来た事が嬉しくて、もう離れたくなくて、最初からやり直して欲しいとお願いして。

 もう一度傍に居られる事になって、一緒に遊んだり、出掛ける事も出来て。

 例えもう日向がコートに立つ事は無いとしても、それでも良かった。良いと思ってた。


 それでも日和は、日向との思い出を消したくなくて、自分はコートに立つ事を決めた。


「自分で自分の道を決める為に進んで来たなんて………嘘です」


 あの時、日向と話したあの喫茶店で、日和は自分で自分の為すべき事をするからと、その為に此処を選んだのだと、日向に言った筈だった。


「そんなの……先輩を追って来たに決まってるじゃないですか……」


目から落ちる涙が、床に幾つもの染みを作るけれど、止まってくれない。

街灯と月の光だけが射し込む部屋の中で日和は、どうか誰にも今の言葉を聞かれませんようにと、それだけを願った。

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↓角川スニーカー様より、書籍版が2019年2月1日より発売されます

また、第二巻が令和元年、2019年7月1日より発売となりました、ありがとう御座います。(下記画像クリックで公式ページへとジャンプします)

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