夜空の華:前編
そして花火大会当日、朝方にうっすらと目が醒めた日向は、廊下を駆け廻る足音に気が付いて完全に目を醒ました。ベッドの上で身体を起こし、臨戦態勢を取る。その次の瞬間、ドアが開け放たれた。
「おにーちゃん! あーさー!………おー」
ベッドで上半身を起こしている日向を見て、蕾が声を上げる。重心が前のめりになっているのを見ると、例の如く突撃してくるつもりだったのだろう。
「おはよう、ちゃんと起きてるよ」
まだ若干の眠気を堪えて日向が答えると、一度足を止めた蕾が再度加速して日向に突っ込んでくる。
「きょうは、はなびだよー! もうおきようよー、じゅんびしないと……」
「うおっと……!夜、夜だから、まだまだ時間あるから………」
その突撃を柔らかく受け止めながら、高揚する蕾を宥める。
時刻はまだ午前七時過ぎ、夜に大輪の華が上がるまでは、まだまだ時間がある。
午前中と午後と、一日を通して特に変わった事は無かったが、強いて言えば蕾がずっとそわそわしていた事だろうか。
両親を見送り、家の掃除と庭の手入れをし、蕾の昼寝に合わせて参考書を開いて自習する。
休日の父親と学生を足して割ったような日常が日向の現在だ。
日向と蕾は早目の夕飯を終えてから、悠里の来訪を待つ。
蕾はそわそわと部屋の中を歩いたり玩具を出しては仕舞ったりを繰り返している。
「もうすぐ来るだろうから、大人しく座ってたら?」
その姿を見て困った様に笑いながら日向が言うと素直に座ってくれるが、五分しない内に立ち上がってしまう。
時計の針が午後六時を指す直前、家のベルが鳴り響く。
「あ、きた! きたよね?!」
蕾が素早く反応し、玄関まで走って行ってしまう。まるで昨日の焼き直し映像みたいだなと、日向は思い出して笑いながらその後を追う。
玄関に着くと、蕾は今か今かと待ち構えるように、上半身だけ前に出してドア向こうの人物を見つめている。
「今開けます」
日向がドアの向こうに居る人物へ声を掛けながらドアを少し開くと、途端にドアは向こう側へ一気に開け放たれた。
「あたしが来た!」
放たれたドアの向こうに立っていたのは浴衣を着た唯だった。背後には悠里の姿も見える。
「………新聞の勧誘ですか? ウチ、もうこれ以上必要無いんですけど」
「今ならこの可愛い唯ちゃんと一緒に歩く権利が付いてきますよ?」
「間に合ってます」
二人でそんなやり取りをしていると、唯の背後に居た悠里が大仰に溜息を吐く。
「バカな事言い合ってないで、早く中に入れてよ。着付けして、少し歩いたらもう時間なんだから……」
唯の肩に手を添えてそう言うと、日向の奥に居る蕾を見つけて微笑んだ。
「蕾ちゃん、着付けに来たよ!」
「うん!」
そう行って勝手知ったる、と言った風に中へ入り、蕾とリビングへ消えてしまう。
「………なんか悠里が新垣家に馴染み過ぎてる気がするんだけど、気のせい?」
気のせいだとすぐに言えない日向がそこに居た。
着付け自体はスムーズに終わり、現在時刻は午後六時十五分。歩けば集合場所には丁度いい時間だ。
玄関を出ると、悠里達と同じ浴衣になった蕾が、楽しそうに動き回る。
周りには同じように浴衣の人達や、家族連れで歩く人が何組か居る。恐らく目的は同じだろう。
「そういえば、なんで集合場所が神社なの? 河川敷が一般開放でしょ?」
歩きながら日向が唯へ問い掛けると、唯は得意そうな顔をして答えた。
「河川敷は他所からの観光客とか、地元じゃない人も多いでしょ。少しだけ打ち上げ場所から遠くなるけど、神社からはしっかり見えるし、何より人が少ないの。ここらに居る人達だけの隠れた花火名所って所ね」
「なるほど……神社で見るのは初めてだなぁ」
そうして歩く事五分、そろそろ神社へ続く石階段が見えてくる、という所で横道から歩いてくる日和を見つけた。彼女もまた浴衣を着ていたので、見慣れぬ姿に一瞬だけ見落としそうになる。
日和もまた、日向達を見つけて顔を綻ばせながら小走りにやって来てそれぞれと挨拶を交わす。
「皆さん、今晩は! 恵那先輩、今日はお誘い頂いてありがとう御座います!」
「うんうん、花火は大勢で見た方が楽しいしね。日向君も浴衣組が増えると嬉しいだろうし……」
横目でちらりと唯が日向を見るが、その視線に乗ってはいけないと日向は決して唯の方を見ない。
それでも唯はめげずに日向を肘で小突く。
「で、どうよどうよ、この浴衣集団……男子生徒にとっては夢のような光景でしょ? 新垣君、これ誰かに見られたら刺されるんじゃない?」
言われて気付くと、日向以外は全て女性でしかも浴衣姿だ。
完全に女子を侍らせる何者かか、それでなくても女子に虫除けに使われる一般学生Aの状態だった。
そうなれば今の日向が取るべき行動は一つ、ただ蕾の傍でひたすら存在感を消して影に徹する事だ。
もう少しすれば、優秀なスケープゴートがやってくる。
「うん、皆良く似合ってるよ、ほんと。俺なんかが傍付きで御免って謝りたいぐらいだ」
それは日向の本心からの賛辞だったが、唯はちょっとだけ不満そうだった。
「なんか感動薄くない!? もうちょっとこう、お前ら皆俺の嫁だ! お前達は俺の翼だ! ぐらいの事は言わないの?」
「言わないよ……何処の国の人さ……」
どう考えても正解ではないその言葉を、日向は肩を落しながら聞き流した。
「あ、つっつも浴衣だよね、可愛いー! 皆お揃いだね! いえーい!」
「いえーい! ひよりちゃんも、かわいい!」
日和が屈んで蕾と両手のハイタッチを交わす。
この二人も随分と馴染んだというか、再会した時にあった少したどたどしい感じが消えている。
「さ、それじゃ上まで行きましょう! 花火までは時間があるけど、いい場所確保しなくっちゃね!」
そうこうしていると、悠里が石階段を指差しながら言うので、全員で階段を登り始める。
それぞれ足取りは軽く、蕾も女子達に見守られながら一段一段とゆっくり登る。
最後の段を乗り越えると、見晴らしのいい景色が背後に広がり、薄暗くなってきた街が一望出来る。
確かに、ここならば問題無く花火も見られそうだ。
「ここ、滅多に来る事無かったけど……こんな景色だったんだ」
日向がぼんやりと呟くと、唯が「でしょ? やるでしょ?」と笑う。
「あ、成瀬先輩居ましたよ、早く合流してあげましょう。寂しくて死んでしまいます」
日和が神社の方を向きながら言うのでそちらに目を向けると、膝を折って屈んでいる雅が日向達に手を振っているのが見て取れる。
その姿に誰よりも安心したのは日向で、これでようやく男子率が上がって肩身の狭さが半減すると思うと、親友への感謝を覚えずには居られなかった。
「おー、これは……壮観だなぁ。去年に野郎共だけで花火見て絶望してた自分に言ってやりたいよ、来年は良い事あるぞって。皆このまま俺のお嫁に来る?」
しみじみと何かを思い出す様にして呟いた後、おもむろにそう切り出す雅を、悠里と日和は冷ややかな視線で見ていた。
「成瀬先輩、寝言を言うにはまだ早いですよ。それとも花火と一緒に散るつもりですか?」
「死亡フラグみたいに言わないで……」
日和の辛辣な一言に雅が現実へ引き戻される。
一方の唯は、日向の方を見て口元をにやっとさせた。
「どうよ新垣君、これが正常な男子の反応よ……?」
「うーん……雅だから許される発言って気がしないでもない」
正直、これが正常だとするなら世の中は絶望と一夫多妻制に溢れてしまうのだが、藪で蛇は突かない。
「蕾ちゃんの浴衣も可愛いなー、やるじゃん! 将来は俺と結婚する?」
「んー、おとなになったらかんがえてあげる」
雅が視線を下に向けて浴衣姿の蕾に破顔する。褒められた蕾も嬉しそうに身を捩る。
「振られちまった……」
「教育が行き届いてるからね、悪い男には捕まらないと思うよ」
日向と雅が笑い合っていると、悠里が少し離れた場所で辺りをきょろきょろと見渡している。
「ここら辺でいいかな? 花火があっち側だから、この辺りで十分見えるよね」
示したのは場所は、神社を背にすると丁度辺りを囲う木々が途切れて、視界が開ける草むらだった。
「お、いいじゃんいいじゃん。じゃあここにシート広げちゃおうか。二枚しか無くて狭いけど、詰めれば座れると思うから……」
唯がバッグからレジャーシートを取り出す。こういう部分にはしっかりと気が利くというか、この場合はちゃっかりと言うべきだろうか。
「ああ、俺は立ってるからいいぞ。三時間も四時間も掛からないなら全く問題ない」
「うん。女子でゆっくり使って。蕾も座らせて貰っていいかな?」
雅に続いて日向も続いてそう告げると、唯は「もっち。幾らなんでも子供立たせてあたしだけ座るなんて事しないって」と言って笑った。
そして女性陣はシートに座り、日向と雅は後ろで並んで立っていると、雅が周囲を見渡しながら日向に声を掛ける。
「結構、ウチのクラスの奴等も居るな。……この光景を見て何を言われるか、今から鼻が高い……いや、頭が痛いな」
雅の声に日向も周囲を見渡すと、確かに見覚えのある顔がちらほら見える。
その中に、こちらをじっと見る視線があるのに気付いた。
「あれは……寺本君だよね、凄い見られてるんだけど」
「ん?」
雅が日向の言葉を聞いて、同じ方向に視線をやると「あー……」と呻いた。
「寺本な、一時期は俺と芹沢が付き合ってるかもって噂あって、血相変えて俺に聞いてきた事があったんだよ。確かにこの光景は穏やかじゃ居られんよなぁ。南無……」
その一件は日向もよく覚えていた。美術の時間、色々と探るように質問をしてきたあの感じ。やはりと言うべきか、悠里に気があるのだろう。
夏休み明けは色々と取材されそうだから、今の内に模範回答を用意しておかなければいけない。
「お……日向、あっち。あそこ見てみろ、凄い美人が居るぞ……」
雅に服を引かれ、何事かと目を向ける。
遠目で見たそこには、一人で賽銭箱へ小銭を投げ入れ、鈴を鳴らし、腰をしっかりと折ってお参りする女性の姿があった。
綺麗な一礼に、敬意を表す姿勢が見て取れる。信心深い人なのだろうか。
振り返った拍子の女性と思わず目が合う。
「あ……」
と口から言葉が漏れる。
『あら』と彼女の口が動いたのを日向は見る。
「なんかこっち見てる、知り合いなのか?」
雅の問い掛けに、日向はなんて答えればいいのか一瞬迷ってしまう。
そうしている間に、女性は…初島霧子が、日向に向けて歩み寄ってきた。
書き終わった瞬間、花火を見るとは一体、と碇司令の様なポーズを取るハメになりました……。
余談ですが、どうやったら良い物を作れるんだろう、書くのに必要な事ってなんだろうと迷った時、電撃大賞の受賞者インタビュー記事を読んでいます。
その中で唯一、上遠野先生だけ相変わらずの上遠野先生なので、興味ある方は是非読んでみて下さい。
どれも心に響いて、読んだ後は凄く書きたい気持ちになります。
※この章を投稿したのが自分のPCで反映されておらず、二度投稿しました。お騒がせしました。