唯からの召集再び。
会計を済ませて店から出ると、冷房の効いた店内とは違い、陽に晒されたコンクリートから立ち昇る熱気が日向達を包んでくる。
「まだまだ今日は暑いですね……練習中も酷かったですもん」
日和が日差しを手で遮りながら言った。
確かに、この熱波の中で身体を動かすというのは、なかなか辛いだろうと思う。
「熱中症、気を付けてね。喉が渇いてからじゃなくて、定期的に水分を摂って、それから……」
「コートから出たら、なるべく建物か日陰に入る事、身体を冷やした後は、一度軽くアップするように再開する事。スポーツドリンクを飲んだら軽く水も飲む……でしょ?」
日向の言いたい事を遮り、その先を日和が言ってしまう。
「……記憶力いいね」
「日向先輩が、いつも言ってた事ですよ。ほんとこういう管理についてはコーチよりも厳しいですよね、つっつのお世話する時もそんな感じなんじゃないですか?」
「やれる手段はやっておかないとね、備えあれば何とやら、で」
そうして二人で連れ立って商店街を歩きながら周囲を見ていると、いつもより学生と思しき年齢の人が多い事に気付く。
「夏休みだからか、皆外に出て来てるね。駅前とかは凄い事になってそうだ」
「そうですね……日向先輩は、去年はどうやって過ごしてたんですか?」
日和からそう言われて、日向は去年の事を思い出していた。
とは言っても、記憶にあるのはほとんどが蕾と過ごした時間の事だ。
「蕾とプールに行って、家の庭でバーベキューしたり、蕾と買い物に出掛けたり……あ、後は、まだ家事があんまり上手く出来て無かったから、ひたすら料理の勉強してた」
「家庭に寄り過ぎてません?!」
日和から驚愕の視線を向けられるが、普段やってる事が夏休みだからといって、特に変わる事は無かった。
「まぁそうなんだけどね、学生は夏休みだけど、働いてる人はそうじゃないでしょ? 俺が休んでも父さん達は休めないからさ。むしろのんびりやれて楽しかったぐらいだよ」
「日向先輩が楽しかったなら、いいんでしょうけど……なら、一昨年の夏休みは……あ」
日和の声が途中で止まる。
一昨年の夏は、日和も知っている筈だから。少しだけバツの悪そうな顔をして、日和は黙ってしまった。
「うん、一昨年は全国だったからね。あれは強烈に覚えてるよ、凄い緊張したし、あんな大きい大会で試合するのは始めてだったから」
日和が変に気を遣わないよう、日向はさっぱりと言い切る。
「……惜しかったですよね。その……上手く言えませんが、あんなに頑張ってた先輩が、こんな怪我で終わっちゃうなんて、って。……凄く悔しくて……私」
当時の事を思い出したのか、日和が悔しそうに口を歪める。
「頑張ってるのは、皆同じだったよ。むしろ俺なんて、あの中じゃ頑張って無いぐらいかもしれない。試合だって全力でやった、全力でやって敗けた。あの結果で後悔はしてないよ」
落ち込んでしまった日和を励ますように、日向が笑い掛けると日和もまた、笑って返してくれる。
「なんで私が気を遣われてるんでしょうね、この場合は落ち込む日向先輩を私が励ます方が自然なのに」
「日和はすぐにメンタル崩れるからなぁ、何度俺が話を聞いてやった事か……」
大仰に溜息を吐く日向に、日和が「もー……」と言いながら肩をぶつけてくる。
小柄な日和の体格では体当たりされても全然衝撃が無くて、日向は素知らぬ顔で歩き続けた。
やがて商店街を抜け、日和の家に通じる道に分かれる交差点へと差し掛かる。
「それじゃ、日向先輩、私はここで。つっつにも、また遊ぼうねって」
「うん、気を付けて」
振り返って小さく手を振る日和の背中を見送り、日向も自宅へと足を向けた。
帰宅して暫くすると、家のチャイムが鳴り、蕾が祖父母に連れられて帰ってきた。
「おにーちゃん、ただいまー!」
先程まで静かだった家の中が一気に明るい声で満たされる。
玄関へ出迎えた日向に、蕾が飛び込んでくる。
祖母が着せたのか、子供用の浴衣を着て行ったようだ。白と水色に金魚の模様が入った浴衣は爽やかで、蕾によく似合っている。
「おかえり、これはまた凄いお土産だな……」
蕾の手の中には、水ヨーヨーにキャラクター団扇、何かで貰ったのかレジ袋に駄菓子……他に祖父母の手にはフランクフルトや小さいフレンチドッグ、綿菓子がある。
「うん! くじとか、あとねー、ひもひっぱるやつ!」
「あー、あの何処に繋がってるか分からない紐かぁ、俺もよくやったなぁ」
テンション高く話し掛けてくる蕾の頭を撫でながら、今日の成果を一つ一つ確認していると祖父が手に持った物を日向に渡してきた。
「蕾が元気でなぁ、久し振りにいい運動になるぐらい歩かされたよ」
「爺ちゃんありがとう、婆ちゃんも。大変だったでしょ、休んでく?」
今日の事を笑いながら話す祖父を気遣って日向はそう提案するが、祖母が首を振る。
「いいのよ、爺ちゃんも蕾ちゃんと遊べて楽しかったんだから。一緒にはしゃいじゃって……これ以上一緒に居させると、この爺様は家に帰らないとか言い出しそうだから、このまま引っ張って帰るわね」
祖母がおっとりとした口調だが、なかなか激しい事を言い出す。祖父は肩をシュンと落して残念そうな顔で日向を見た。
「分かった、俺も蕾を風呂に入れないとかな。大分汗掻いたでしょ、これ……」
祖父の視線を一旦放置しながら祖母にそう返すと、祖母はそのまま後ろ手に玄関のドアを開けた。
「さて、それじゃ私達は帰るわね。蕾ちゃん、またね」
「またねー」
そうして後ろ髪を引かれる目でこちらを見ていた祖父を文字通り引き摺るようにして、祖母がドアの外に出て行った。
「いざとなると強いな婆ちゃん……母さんそっくりなんだよなぁ、家系かなぁ……」
「んー?」
日向の言葉に反応する蕾を見て、日向はやがて蕾もあんな風に強い女性になってしまうのだろうか、と考えた。
それこそ日和に言われた、女心が分からないままだとどうなるか……。
「蕾はいつまでも兄ちゃんに優しくしてくれよな……」
「……つぼみ、やさしくない?」
小首を傾げて日向を見上げる蕾の頭を撫でて、そのままお風呂のお湯を張りに行った。
お風呂にお湯を張りながら、夕飯の支度を済ませているとスマートフォンから通知が鳴る。
エプロンで手の水気を拭き取って、画面を表示させた。
送信者:恵那 唯
『いいもの見たい?』
「……………………いやぁ」
表示されたメッセージに、思わず身が引いてしまう。
今までの実績から、この流れの唯に対して危険信号以外を抱けない日向は、どう返事をしたものかと迷いに迷って、恐る恐る返信をする。
送信者:新垣 日向
『嫌な予感しかしないんだけど』
送信者:恵那 唯
『あー! そういう事言う! 言っちゃう? あーらら、いいの? ほんとにいいの?』
「恵那さんは本当に高校生なんだろうか……」
発言が既に小学生のレベルになっちゃってるのを見て頭が痛くなる。
送信者:新垣 日向
『分かった、凄く気になる。気になるので見せて下さい』
送信者:恵那 唯
『むっほほ、正直者の新垣君は可愛いのー。いいよいいよ、それじゃ見せちゃうよー!』
怪しい言葉遣いの発言が届いた直後、画像が添付されてくる。
「………おぉ」
そこには、浴衣を着て恥ずかしそうに顔を僅かに伏せる悠里と、同じく浴衣を着て片手でピースサインを出す唯の姿があった。
送信者:恵那 唯
『どうよどうよ! 悠里の浴衣姿と、あたしの浴衣姿だよん! あ、ちなみに私の方が浴衣着辛かったんだよ、なんでか分かる? それはね、胸』
不自然な所で発言が切れるのはわざとだろうか?
浴衣姿は思わず見惚れてしまったが、その後に来る発言が全ての感動を置き去りにしてしまっている。
送信者:恵那 唯
『なんでもないですわすれてごめん』
先の発言の後に何があったのだろうか、切羽詰った様な発言が届く。
送信者:新垣 日向
『うん、いや深くは聞かないけど。浴衣、似合ってるね。ちなみになんで着てるの?』
メッセージを送りながら、日向はカレンダーを見る。特に何かあった覚えは……と思って、ようやく思い至る。
それと同時に、唯からのメッセージも届いた。
送信者:恵那 唯
『明後日の七時! 花火を見に集合するのじゃー!』
その指令を受けた日向が真っ先に見たのは、着替え終わって脱がれている蕾の浴衣だった。
「………洗濯して、乾くかな……!」
夏休み、熱中症が流行っているようなので、くれぐれも皆様ご自愛下さいね……