日向君の弁当争奪戦争。
悠里が新垣家に訪れて数日、日向の日常には僅かにだが変化が訪れていた。
「おはよう、新垣君」
「芹沢さん、おはよう」
変化というには余りにも些細な事だが、日向は悠里と挨拶を交わす間柄になった。
本当にそれだけの事だったが、日向の友人である雅には、その変化に多大な興味を抱くのに十分だったようで。
「日向、お前ってやっぱり芹沢と何かあった?」
「……ん?何かおかしいかな」
一瞬、別に隠し事をする必要も無いのだし雅になら話してもいいかと思った日向だったが、男子の家に訪れたという外聞が悠里にとってどう転ぶか分からないので、お茶を濁す。
「いや、お前が女子と会話するのが珍しいだけで、おかしい事って程でも無いんだが……」
「なんか、気になったかな」
うーん、と違和感の正体を探ろうとする雅に、日向は首を傾げて先を促す。
やがて何か思いついたのか、あぁ、と納得するように顔を上げて雅が語り出す。
「お前が変っていうより、芹沢が変なのか。彼女って割とモテるからさ、結構男子からも告白された事あるって聞くぜ。その芹沢が男子生徒の中でも影の薄いお前に、こうも頻繁に挨拶するのがおかしいんだ」
「今、さり気なく俺の印象を落としたね」
「悪い悪い。ほら、お前この前、授業中に何か芹沢と手紙みたいなのをやり取りしただろ。思えばあの後からなんだよなぁ」
成程、あれを見た後にその違和感に突き当たるのは、流石親友と呼ぶべきだろうかと日向は感心する。
雅は軽薄そうな外見と性格で一見騙されそうになるが、意外と冷静かつ慎重な一面を持つ。
その雅が、口調は淡々としながらも一つ一つ状況分析を並べていく。
「あぁいや、誤解するんじゃないぞ。そんな挨拶一つ二つ増えたぐらいで、もしかして二人がー!なんて野暮ったい想像するほどバカじゃねーよ。そうじゃなくてさ、日向」
雅は日向の生活をよく知っている数少ない友人の一人だ。だからこそ、こうして踏み込んで来てくれるのだろう。
日向に質問しながら向ける視線には、好奇心が半分含まれていたが、もう半分は心配するものだった。
だから日向も、ここだけは誤魔化しを入れずに答える必要があった。
「分かってるよ雅、ありがとう。大丈夫、変な事にはなっていないから。ただちょっと、何があったかっていうのは俺だけの問題じゃないし、それを雅に話しても良いのか、判断出来る程には仲良くは無いんだよ……」
「って事は、何かあった事は確実なんだな。分かった、とりあえずまぁ、それが分かればいいや」
雅はそれだけを言うと、それ以上は追及する事無く授業の準備を始めた。
昼休みになり、日向が弁当を突いていると、後方から何か視線を感じたように思い軽く振り向いてみた。
「……………」
視線の先には、友人の唯と一緒に弁当を広げている悠里が居た。何故か日向を凝視している。
正確には、日向の弁当を凝視していた。
悠里の席は唯の斜め左後方なので、席が近い二人はいつも一緒にお昼を食べているらしい。
いつも気にしていなかったが、案外と近い位置で昼休みを過ごしていたのだな、と今更ながらに気付く。
「どったの、悠里。新垣君の弁当が食べたいの?」
悠里の視線を追った唯が、一度日向の方を見て、手元にある日向の弁当を見て、悠里に問いかけた。
視線を向けた瞬間に名前を呼ばれる事になり、日向は何となく視線を逸らせずに首を傾げるしかなかったのだが……。
「えっ!? い、いや、そういう訳じゃないよ!新垣君、立派なお弁当だなーと思って、あれも自分で作ってるのかな、ってちょっと気になっただけで……」
慌てて弁解するも、その言葉のチョイスは少し危なっかしいな、と日向が思うと同時に――
「……あれも?」
唯もその言葉に違和感を覚えたのか、ピンポイントで悠里へ聞き返す。
「ねぇ悠里……。今のだと、前に新垣君の作る物を食べたみたいに聞こえるんだけど……?」
ぽかーんとした顔で悠里へ声を掛ける唯に、悠里は更に慌てたようになり
「ち、違う違う! えーっとほら、今ってテレビでよく料理出来る男性の特集って入るじゃない?!あのオリーブオイルを大量に掛ける俳優さんとか! だ、だから男の人で料理する人が増えたのかなって思ってて、それでつい今みたいに新垣君も自分で料理するのかなーって思っちゃっただけで!!」
深い意味は無いんだよ、と手を胸の前で振り、それっぽい理由を並べていく。
唯はその弁明に半ば納得したような表情になり
「あー、なるなる。最近多いもんねー確かに。ウチもお兄ちゃんが大学生になって一人暮らし始めた時とか、やったら料理に凝り出したもんなー。男の人って凝り性だからさー、無駄にやりたがる人多いんだよー。この前も『包丁は鋼じゃないとな、ステンレスは軽くて使い物にならん』みたいな事を言いだしてさー」
うんうんと頷きながら身内の愚痴を言いだした唯に、悠里はホッとしたような顔をした後、ちらりと一瞬だけ日向に困ったような笑いと目線を向けて『やっちゃった』と声には出さず口だけを動かした。
悠里と二人で秘密を共有し合うような、こそばゆさが心地良いと感じる。
だからなのか、日向は珍しく自分からその会話に加わり、悠里のフォローを入れようと思った。
「この弁当は確かに自分で作ったものだけど、最近は二人の言う通りに男性で料理に手を出す人も多いよね。俺は母親の手伝いから初めて覚えて、朝方は母さんが忙しいから自分で作ってるだけなんだけどね」
「え、それじゃ本当にそれ、新垣君の自作なんだ! すっごい! えー本格的じゃんー! レンチンで作るオカズとかじゃないよね?」
そう話に加わる日向に、唯は意外そうな顔をしながらも笑顔で対応してくれる。
「今日のは偶々ね、でも忙しい時とかは冷凍食品も使うよ。自分で作るよりもそっちの方が安上がりになる時もあるし、唐揚げとかは朝から油を使いたくない時とかに便利だから」
「あぁー確かに! さり気なく冷凍のカラアゲって美味しいんだよね……。へぇー凄いな、あたしも少しぐらいなら料理出来るんだけどさ、ちょこっと切ったり炒めたりするぐらいだもん。へー……」
唯の目が関心と好奇心で半々になっているのが分かる。
その次に続きそうな言葉も、なんとなく日向は理解した。
そして唯が日向の弁当と自分の弁当を見比べて……
「ね、ねぇ新垣君、その玉子焼きと私の玉子焼き、交換しない? あ、これはお母さんの作品だから、美味しくないって事は無いよ! ちょっと新垣君の実力を見てみたくって、へへへ……。」
「いいよ、こんなので良ければどうぞどうぞ……」
案の定、という提案に日向は嫌な顔する事なく笑顔で応じる。
日向としても、他所様の家庭の味というのは興味深い。
「ありがとー! へへ、それじゃー失礼して………」
唯が箸を逆さまにして、日向の弁当に玉子焼きを入れていく。そして日向の玉子焼きを自分の弁当へ一旦収め、持ち直した箸で摘んで口に入れた。
日向も、貰った玉子焼きを口に入れてみる。
唯のお母さんが作った玉子焼きは優しい甘さがした。
「う、うまい……これ、出汁の味かぁ! 出汁巻き玉子とは……! 旨い、旨いよ新垣君……!」
唯が目を見開いて日向に称賛を送ってくる。
家族以外に食べさせるのは先日の悠里が初めてだったので、実質他人としては二人目だったからか、日向もホッと安堵した。
「口に合ったみたいで良かった、ほとんど人に食べさせた事が無いから、自信はそんなに無かったんだけど。この玉子焼きも美味しいね、砂糖と塩と……これ、蜂蜜を使ってるのかな、優しい甘さがする。……うん、これは今度作ってみたい。」
唯のお母さん手製の玉子焼きは甘く、どちらかと言うと塩気を好む故に出汁や醤油の味が前に出る新垣家の味付けとは違い、蕾が欲しがりそうな味付けだった。
今度これを蕾へ作ってあげようと、日向は心に刻み込む。
「うへぇー、材料も分かるんだ……。お母さん、最近健康志向になっちゃってさ。白砂糖は抑えて黒糖と蜂蜜で甘さを出すのにハマってるんだ。だから砂糖は抑えめで、その分ハチミツ使ってるらしーよ」
そうやって唯と二人、弁当談義に夢中になってしまっていると、再び悠里から視線を感じた。
視線を感じた、というより『ムッスー!』と音が聞こえてきそうな感じで、若干唇を尖らせている。
幸い、唯は日向の方を向いているので気付かれる事は無かったが、直接目線が合っている日向は何故か冷や汗を覚えた。
「新垣君、私のお弁当ともオカズ交換しましょ。そうね、私はこの豆腐ハンバーグをあげるから、新垣君のお稲荷さん、頂けるかしら」
一瞬だけチラリと唯を見た悠里が、日向に向かってそう提案してきた。
一見するとただの提案だが、日向には悠里が視線で
『私のお弁当の一番いい部分をあげるから、貴方のお弁当の最も力が入っている所を戴きます。……お稲荷さんは子供の好きなお米料理定番よね? どーせそれも相当力が入ってんでしょ!?』
と訴えてきているように思えてしまった。
その気迫に押されて思わず
「あ、あぁ、いいよ、こんなので良ければどうぞ……」
と先程も唯に向かって同じような事を言ったな、と思いながら品物を交換した。
悠里は交換した稲荷を口に入れながら「うーん、美味しいわね…」と感想を漏らし、先程のように威圧するような気配は収まっていたので、とりあえずこれで悠里の機嫌は直ったか、と安堵していた日向だったが。
「あ、お稲荷さんいいな!あたしも食べたい!新垣君ちょーだい!」
と悠里の方を見て物欲しそうにしていた唯にそう迫られ、勢いに押されるようにして唯の弁当箱に稲荷を一つ載せた後は先程の不機嫌さに一気に戻ってしまっており、日向は謎のプレッシャーの中で昼食を終えたのだった………。
小説を書き始めて思ったのは、表現方法や文法、間の取り方など、作家の方々は実に多彩で表現に富んだ方法を使っているんだなーという事でした。
読書好きな私ですが、自分で書く事で読む時の感性も広げられる、という嬉しい誤算がありますね。