夏休みキャンプ編5 水辺の妖精達
昼食を摂り、満腹になった日向達は暑い日差しを避けるように川辺へ移動した。
木々の間の小道を抜けると、水が流れる音が大きくなり、やがて視界には清流が広がる。
「綺麗ー! それに、涼しいですねここ、うわー……!」
日和が歓喜の声を上げて、砂利の上をゆっくりと歩く。
その後ろを悠里と唯も続き、水辺に屈んで手を差し込む。
「冷たい! 気持ちいいー! ここ、水深もあまり無いし、水着とか無くても全然平気そうだね!」
川の中に入れた手をじゃぶじゃぶと掻き混ぜるように回しながら悠里が笑顔を咲かせると、唯も一緒になって手を川へ突っ込んだ。
「釣竿あれば、岩魚とか釣れるのかなぁ……」
水の中を観察するように、じーっと目を凝らすが、水面は陽光が反射しており魚影は見えない。
気が付くと蕾がうずうずと日向の手を離したがっているのが目に見えたので、そっと手を離してから屈んで目線を合わせた。
「蕾、水辺は滑ったり、急に深くなる所があるから、兄ちゃんの傍から離れる時でも必ず誰かの近くに居る事。いいね?」
「はーい!」
「替えの服はあるけど、あまりじゃぶじゃぶ濡れると風邪引くからな。あと、トイレが近くなったらすぐに言う事、いいね?」
「はーい!」
二度三度と念を押すと、蕾がさーっと川辺の悠里の元へと走る。
その姿をしっかりと観察しながら、日向も後ろから川辺へ歩いて寄って行く。
「蕾ちゃん、ほらほら、ここ……カニさんがいるよ……あ、指出すと挟まれちゃうからね、そっと見守ろうね」
「かにー……」
悠里が石の間を歩く蟹を見つけて蕾に見せている。日向が後ろから覗きこむと、悠里は「ほら、これ」と指を挿して蟹の居場所を教えてくれた。
「これ食べられるかなぁ」
「唯ったらさっきからそればっかり……」
一緒に覗き込んだ唯が、蟹を見て神妙な顔で呟く。
そうしていると、前方からバシャバシャと音が聴こえたので目線を向けると、靴を脱いだ日和が足首まで川に浸かる姿があった。
「足、冷たくて気持ちいいです、この辺りなら深くなってる場所もありませんよ!」
こちらに呼びかけながら、手元で水をぱしゃりと持ち上げて、飛沫を上げた。
ハーフパンツから覗く、健康的に日焼けした素足が器用に川の中を移動する。
「いいねー、日和ちゃん! その脚…水辺、いいねいいね、悩殺ものだね……あーたしもいこー!」
「つ、つぼみも……」
唯が日和を囃し立てながら靴を脱ぎ、蕾も興味を惹かれたのか靴を脱ごうとするが、焦ってしまって覚束ない状態になり、横から悠里が肩を貸しながら手伝いだす。
「一緒に入ろっか、手を繋いでいけば平気だよね?」
「うん、俺も一応傍に居るから、大丈夫だよ。悠里こそ足を滑らせないように気を付けて」
「大丈夫だよー、私そんなにどんくさくないよー!」
悠里も靴を脱ぎながら日向を見上げて抗議するが、この光景の前では微笑ましさしか出てこない。
そして二人連れ立って川の中に入り、声を上げて笑い出す。
「つめたーい!」
「本当だ、冷たい! 結構川底が滑るね、蕾ちゃん手を離さないでね!」
「うん!」
二人はしっかりと手を繋ぎながら、一歩一歩と川の中を歩く。
水が流れる音と、足元から伝わる冷気で身体の火照りが鎮められていくのを心地良く感じていると、次は雅が傍に寄ってきた。手に平たい石を持っている。
「日向、あれやるか、あれ」
小石を掌で弄びながら、雅がニッと挑戦的に笑う。
小石と川、という事は『あれ』とは水切石の事だろうと察して、日向は笑い返して頷いた。
「いいよ、勿論……何か賭けるね?」
「流石、分かってんな。風呂上がりのアイスでいいか、あんまり高いのも何だし」
「何回で行く?」
「二投だ、二投でお前の財布からアイス代を抜く…」
二人で川辺の人が居ない方向を向く。
日向は足元に転がる石を検分し、なるべく平たく軽いものを選んで手に取った。
いざ投げる、と言った時に背後から日和と唯の声が聞こえてきた。
「じゃ、あたし新垣君で」
「……私は、成瀬先輩で」
「おや、日和ちゃんが新垣君選ばないなんて珍しいね?」
「日向先輩の事は応援しておりますが、こういった遊びに関しては成瀬先輩の方が強いんです、人生遊んでますから」
外野から聞こえてくる声に、雅が精神的なダメージを負ったのか、投げようとした手を下げて一度空を仰いだ。
「海外に行って試合する代表選手の気持ちが分かる気がする……」
「弱った部分を見せると、更にブーイングが加速するから、心を強く持つのがいい」
日向が雅に喝を入れる。
そして更に背後から悠里と蕾も声を掛けてきた。
「なになに? 皆何してるの?」
「日向先輩と、成瀬先輩が石投げ勝負するらしくて、勝利者を当てたら敗者からアイスが貰えるらしいです」
「え、なにそれいいな! じゃあ私は日向君!」
一瞬で勝負の罰則が変わっている事に日向が戦慄した。
雅と顔を合わせると、雅も諦めたかのように首を横に振る。
日向も仕方なく、どちらが勝っても負けても男らしくアイス代ぐらいは支払おう、と思っていた所で。
「おにーちゃん! おにーちゃんがかつよー!」
「一撃で沈めてやる、来いよ雅……!」
天使の一声で全身に闘志を漲らせて、雅を見据えた。
陽が段々と落ちて、夕暮れに近い時間になったので日向達は川から引き上げてテントへと戻る事にした。ここからキャンプのメインとも言える夕飯となる。
拠点では純基が火の番をしながら、優雅に長めの椅子で寛いでいる。
手には発泡酒らしきものと、車からはリラクゼーション系のインストゥルメンタルが流れる徹底ぶりだった。
「ちょーっとパパ! なんでお酒呑んでるのさ! 後で温泉行けないじゃない!」
憤慨といった面持ちで唯が純基へ詰め寄ると、純基は慌てたように缶の銘柄を指で挿した。
「ちょ、ちょっと待ってよ、これこれ、ノンアルコールだよノンアルコール!」
「あ、ほんとだ、ちょっと紛らわしいからやめてよーもー……」
恵那家親子のやり取りを見ながら、日向は食材の入ったクーラーボックスを開けて中身を確認する。
「それじゃ、食事の準備を開始しようか。雅は火の方をお願い出来る? 俺は食材切ってきちゃうよ」
「ん、分かった。……今思えば、火を熾すのが早過ぎたんじゃないか?」
昼の間に既に熾されていたコンロの火を見て雅が呟くと、純基が「雰囲気だよ、雰囲気…」と目を閉じながら呟くので、微妙な顔で何も言わずに軍手を嵌めていた。
カレーの具材と、焼いて食べる用の素材を確認して、それぞれをテーブルに置いていく。
幾つかの野菜をボウルに入れて、日向は炊事場へ向かう。
炊事場で黙々と野菜を切っていると、背後から影が射すのが見えた。
やってきたのは日和で、興味津々といった様子で日向の手元を見ている。
「日和、どうした? お腹空いて待てなくなった?」
「違いますよ、そんなに食い意地張ってませんもん。……日向先輩が料理する姿って、新鮮だなーと思って……」
確かに、日向が料理を作るようになったのは丁度、日和と疎遠になって以降の事だ。
あの後から、蕾の世話をしていく内に炊事の必要性が出てきたので、母に習ったり自習したりと試行錯誤を繰り返した。
「そんな面白いものでもないでしょ、物珍しくはあるかもしれないけど」
日向が笑うと、日和は首を横に振ってそれを否定した。
「そんな事、無いよ。……ひなた君が、今までどんな事してきたのか、知りたいもん」
背後から掛けられる声の色が、変わった。
振り返ると、日和の細められた目が、日向を捉えている。
寂しそうで、甘えているようで、この顔はそう……ファミレスで最初に日和と再会したあの日見たものに、少しだけ似ていた。
「……包丁、危ないよ。ちゃんと前見ないと」
くすりと笑う日和に、日向は前を向き直しながら、口を開く。
「なら、日和がちゃんと美味しいって言えるように、頑張って作らないとな」
日向がそう言って包丁でゆっくりと野菜を切っていると、背中にコツンと軽い衝撃を感じた。
微かに掌の感触が、その僅か下に添えられるのも感じられる。
もう一度振り返ると、日和がその額を日向の背中にくっつけている。
「うん、美味しいもの食べさせてね。そしたら、もっともっと元気になれるから」
先程よりも近く、背中に響くように声が聞こえる。
言い終えると同時に、日和はその顔をそっと離した。
「先に戻ってるね、日向先輩」
走り去る日和の背中を見ながら、日向は彼女の髪の毛が吸った太陽の熱の、その一端が背中に残るのを感じていた。
日向と日和の距離は、とても難しいですが、好きです(告白)
でも書こうとすると、繊細過ぎて私の技術が追い付かないので、そういう意味では嫌いです(告白)