夏休みキャンプ編2 日向の魔女『初島霧子』
夏休みが始まり三日目。日向達は、週末に予定されているキャンプに向かう為に必要な物を買い揃える為、駅前のモールへ集合していた。
当日顔合わせするよりも今の内に、という理由で日和も参加している。
「雅も良かったね、部活が午前中に終わって。荷物持ちが俺だけだとキツかったかもしれない」
「荷物持ち要員として『良かったね』と言われるのが、果たして俺にとっては幸運なのか…」
照りつける日差しから隠れるようにモールの入り口に入り、日向は頭に帽子を乗せた蕾、そして先に合流した雅と一緒に他の三人を待っていた。
「すずしー……」
モール入口にある風除室は外気が入り込む為に、モール内とは比較にならないが、それでも十分に涼しい。
「お腹出さないようにな」
汗が揮発し、体温が下がり過ぎるのを懸念して、日向は蕾のシャツの裾をズボンの中へと潜らせる。
今日蕾が履いているのは青系のハーフパンツで、日向に紐を引っ張られる度に、蕾が「おー、おー!」と前後に揺すられて楽しげな声を上げる。
遊んでる訳ではなく、シャツを入れるしっかり入れる為には結構引っ張らなくてはいけないのだ。
「お、来たみたいだ、日和ちゃん。すげー走ってる、律儀だなぁ」
そうこうしていると、雅が気付いたように声を上げる。
釣られてそちらを見ると、先にやって来たのは日和のようだった。
「ごめんなさい、ちょっと遅れちゃいました!」
少し息を切らせて挨拶をすると、すっと息を整えた。流石は体育会系、この程度は物ともしない。
そして足元で自分を見上げる蕾へと視線を向けると、膝を折って視線を合わせる。
「つっつ、こんにちは、今日は一杯色んな物を買おうね」
「……うん」
記憶にあるけど、うろ覚えでどう反応していいのか分からない相手に、蕾は恥ずかしそうに俯きながらもじもじと答える。
少しだけ他人行儀な蕾に、日和は若干の寂しさを覚えるが、片手を伸ばすと蕾の頬に触れて笑顔を向ける。
日和の、関係をやり直すというのは日向相手だけじゃなくて、取り巻く環境そのものなのだろう。
二人のやり取りを見ながら、日向はそう思い口を挟む事無く見守った。
続いて、悠里と唯が揃って姿を現す。
こちらは二人とも息を切らせて、膝に手を衝いている。
「ごめんなさい……! もう、待ち合わせの時間……間違えちゃってて……」
肩を大きく上下に揺らしながら、悠里が答える。
二人が少し遅れる事は、先程メッセージで貰っていたので然程気にする事は無かったのだが、悠里はしきりに頭を下げていた。
その遅れた理由についても聞いていたので、悠里が謝る必要は全く無いのだ。
「おー! 噂の後輩ちゃんだ! あたし恵那唯、宜しくねー!」
遅刻の元凶たる唯は、どこ吹く風で日和へ寄って行く。悠里と違って息が既に整っている、体育会系と帰宅部の差が露骨に出ていた。
一方で挨拶された日和は、両足を揃えて手を膝に置き、礼儀正しく背筋を折る。
「上月日和です、この度は余所者の私を快く誘って下さり、先輩方には本当に感謝しております。至らない所があると思いますが、宜しくお願い致します」
その仕草を見て、唯は一瞬仰け反ると日和の背後に回って両肩に手を置いた。
「堅い、堅いよ! カッチンカッチンじゃん! あたしらなんてただの小娘なんだから、そんな畏まらなくてもいいよ!」
そのままバンバンと肩を叩くと、日和は「は、はい! ありがとう御座います!」とあたふたしながら返事をする。
「私は芹沢悠里、前に一度ちょっとだけ会ったよね? キャンプ、楽しもうね!」
次に悠里が一歩前に出て、日和に自己紹介をすると日和の手を取って上下に振った。
そこに蕾が割り込んで行き、二人の手の上に自分の掌も乗せようとジャンプする。
「はい、宜しくお願いします、芹沢先輩! ふふ、つっつも自己紹介したいの?」
「あらがきつぼみです、このたびはよろしくおねがいしまーす!」
蕾の気が抜けそうな挨拶を聞いて、その場に居る全員が顔を綻ばせた。
そうして中に入ると、自然と前方を歩く女子四人と、後方を歩く男子二人に別れる。
モール内を歩き周り、先ずはキャンプ系の用具を取り揃えるアウトドアショップで、消耗品系の燃料や日用品を取り揃えて行く。
道具は基本的に恵那家のものを使うので、唯がメモを見ながら足りないものを指差していく感じで買い物が進んだ。
「ハンモックがある……」
「こっちは防犯ブザーがあるよ……最近は女子だけでキャンプする事も多いって聞くもんね、私はまだちょっとおっかないなぁ」
日向がハンモックのモデルをしげしげと眺めていると、悠里が防犯グッズ方面を指差した。
キャンプ当日は、男子用と女子用のテントがそれぞれ用意されるらしいので、万が一の為に防犯グッズも必要だろうかと考えてしまう。
男子用テントは女子用と比べて手狭なので、唯の父は車をフラットシートにして寝るらしい。
「まーでも、私達のテントに不埒な人が入って来ても、日向君が助けに来てくれるもんね」
「お、俺?」
突然名指しされ、日向が驚いて悠里の方を振り向く。
「私達のテント、蕾ちゃんも一緒だもん。蕾ちゃんに何かありそうなら、日向君は寝てても助けに来るでしょ?」
そう言って笑われるが、日向はその言葉を聞いて深く考え込んでしまう。
「んー、そうか……そうだよね、蕾もそっちだもんね。……じゃあ、これ一応持っておくか」
日向が手に取った、警棒のような長いフラッシュライトを見て、悠里は慌てて止めに入った。
少し離れた所から見ていた日和が、溜息を吐きながら傍に寄ってきた。
「日向先輩……夜中に心配だからって私達のテントに入って来ないで下さいね。先輩と言えど本気で蹴りますからね」
「わ、分かってる。でも蕾がちゃんと寝たかは知らせてくれよ、ほんと。あ、でも寝かせるの大変なんだよ、特にはしゃいでる時……やっぱり俺が寝かせてから、後でそっちに」
「い・い・か・ら! どうしても、ってなったらちゃんと連絡するから、今からそんな心配しても仕方無いでしょ?」
悠里に一喝された日向は肩を落として「はい…」とだけ返事をする。
悠里と日和は、顔を合わせてやれやれと笑い合った。
三十分程店内を物色し、あらかた用品の購入は終わる。
後は、当日の食糧でも飲料系など、日持ちし易いものを併設されているスーパーで購入し、唯の家に店の配送サービスで送って貰う事にした。
こうする事で、人数分の飲料水やパウチの食品などは先に車に積む事が出来るので、当日買って荷物を整理するより楽になるのだ。
そうしてスーパー側へ行こうとした所で、蕾が日向の服を引っ張る。
「おしっこ……」
「あぁ、トイレ行こうか、もうちょっと我慢な」
屈んで蕾を片手で抱いた日向は、少し先に進んでいる四人へ声を掛けた。
「ごめん、ちょっと蕾がトイレに行きたいって言うから、行ってくる。先にスーパー行ってていいよ、後で向かうから!」
「はーいよー、じゃああたし達、先行くねー、何かあったら呼んでねー」
手を振る唯達と反対側へ歩き出し、日向はトイレを探す。
案内板にあったトイレは少し遠くて、ここからなら一度外に出て駅のトイレを使う方が早そうだと思い、一度モールを出た。
目的地は然程遠くはなく、多目的用のトイレが空いていたので、そちらに入る。
「蕾、ここなら兄ちゃん、外で待ってられるから、一人で出来るか?」
「うん、だいじょうぶ、へーきー」
男子用を最近になって嫌がるようになった蕾だが、日向が女子トイレに一緒に行く訳にも行かない。
こういう時に別に用意された多目的トイレは非常に助かる。万が一誰か緊急の人が来たらすぐ対応出来るように、日向はトイレの前で蕾を待つ。
「おにーちゃん、おわった、だいじょうぶだった!」
「手も洗ったか?」
「うん!」
用を足し終わった蕾を連れて、日向はトイレを出る。
外に出ると、先程までは気付かなかったが、何処からか楽器の音が聴こえてきた。
ギター音だ。
音の方向へ目を向けると、人垣が出来ており、蕾が興味を引かれたのか日向の手を引っ張る。
「なんだろう、ちょっと見て行こうか?」
「うん!きれいなおとがするね?」
日向達が到着する頃には人垣は徐々に増えており、蕾の高さでは全く中が見えない為、肩車の状態にしてあげると蕾は「おー」と歓声を上げた。
日向も中心に居る人物へと目を向ける。
20代の……恐らくは後半だろうか、大人びた長い髪の女性が、ギターを片手にゆっくりとした旋律を演奏していた。
少しネックが太く、ポロンポロンと響く弦の音はクラシックギターだろうか。
奏でる音楽に歌は無く、アルペジオで弾かれる弦の優しい和音が耳に心地良い。
女性は、ギターの音色に合わせるように鼻歌でメロディをなぞっている。
周りの人も、感心したような瞳でじっと演奏に聞き入り、蕾もまた騒ぐ事はせずに音楽を愉しんでいた。
包み込まれるような演奏を聴きながら、日向が演奏者の女性を眺めていると、一瞬だけ女性が観客を順番に見渡す。
そして、日向を視界に入れて通り過ぎ去った視線が、再び日向に戻る。
目が合う。
「……?」
――なんだろう、今。自分を見て、嗤ったような……。
日向がそう思う頃には、女性は既に目線を手元に落としており。
やがて、演奏が終わった。
パチパチと拍手が鳴り響く中、観客は彼女のギターケースに小銭を心ばかり入れて、笑顔で立ち去って行く。
「あれ! おかねおかね! りょうきんはらわないと!」
この光景を見ていた蕾が、日向の服を引っ張る。
演奏のお捻りは料金とは違うのだが、今説明する事でもないので、日向は小銭を財布から出して蕾に持たせる。
手を繋いで女性の元へ行き、ギターケースへ蕾が小銭を入れるのを見届ける。
「えんそう、ありがとうございました! じょうずでした!」
蕾の言葉に、女性は微笑んで、そっと蕾の頭を撫でた。
「ありがとう。可愛いねー、何歳かな?」
「あらがきつぼみ、ごさいです!」
恒例となっている蕾の挨拶に、女性は頷いて笑う。
「私は、初島霧子です。歳はー……秘密!ふふっ。……君がこの子のお兄さん?」
そうして日向を見上げてくるが、その視線に先程感じた違和感のようなものは無い。
改めて見る彼女の容貌は、艶やかで深い夜のような黒髪、目元にはカラーコンタクトだろうか、少しブルーの瞳孔が見える。
そして、ちょっと普通じゃないぐらいの美人だった。
「あ、はい。……新垣日向と言います、この子の兄です」
女性はギターケースを片付けると、折りたたみの椅子を持って立ち上がる。
「そっか、なるほど。今日は聴いてくれてありがとう……また会おうね、日向君、蕾ちゃん」
そう言って立ち去る彼女の後姿を見ながら。
何故か、その『また会おうね』という言葉は、別れ際の社交辞令ではなく、予言のようなものに聴こえた。
十分程して、日向はスーパーに到着し、一行に合流した。
「随分掛かってたね、遠かったの?」
買い物カゴを入れたカートを押していた唯が、日向の姿を見つけて声を掛ける。
変わりに答えたのは蕾だった。
「おうたきいてたの!」
「んん? おうた?」
「外で演奏してた人が居るんだよ、それが丁度帰りに見えて、少し寄ってたら遅くなっちゃった」
受け答えをしていると、手にカレールーを持った日和と悠里が並んでやってくる。
「カレーって辛さどうしたらいいかな?」
「超辛」
「辛口」
「中辛」
「からいのやだー」
唯・雅・日向・蕾と順々に違う答えが返って来ると、日和と悠里は顔を合わせて困った表情をする。
「これ、どうしましょうか……」
「うーん……年少優先で、甘く作って……辛口がいい人は香辛料を後乗せにしましょう」
悠里の大胆な提案に、日和もポンと手を打ち成程と頷いた。
そうしてレジで買い物を済ませた後、週末に控えたキャンプに備えて各々は帰路に着く。
日向は帰り際、霧子が演奏していた場所を振り返った。
そこでは一組の親子が夕暮れの日差しを受けながらソフトクリームを食べて笑っていただけだった。
霧子初登場回です。
この霧子というキャラクターだけは、私がある種の想いをこめて、徹頭徹尾に役割を課して登場させました。
今回は登場だけですが、今後何かしてくれる人物です、きっと(恐らく)






