勉強会Ⅱ
唯を除く三人は、虚脱感に身を委ねながらこの後について相談を始めた。
つまる所、そんなに切羽詰ってない状態で、この四人が首を揃えて勉強をする必要が無くなってしまったのだ。
「とりあえず……夕飯の準備しようか。そろそろ五時だし、遅くなり過ぎると困るからね」
「そうね、夕飯は日向君と唯が作る予定だっけ。それじゃ私、蕾ちゃんと遊んでるね」
手伝いがあれば呼んでね、と付け加えられた言葉に日向が頷いて立ち上がり、台所へと向かう。
雅もテーブルを片付け、一度トイレに立ち上がってリビングから退出する。
残った悠里と唯も道具を片付け始めた。
「まったくもう……勉強会、する必要そんなに無かったじゃない」
苦笑いで呟いた悠里に、唯は少しだけ真剣な目をした。
「必要無くないよ」
予想外に優しい声に、悠里は唯を見た。
デジャヴだろうか、以前にもこういう唯を見た気がする。確か、勉強会の事を教室で提案した時……。
それだけではない、時折この恵那唯という子は、驚く程に大人びた印象を抱かせる時がある。
「だって、楽しいよ。勉強会」
すっと細められた目は、慈愛に満ちているような、凪いだ海のように静けさを感じさせる。
「悠里が、言ってたじゃん。新垣君に楽しい学校生活を送って欲しい、って」
唯の言葉に悠里は「あっ…」と声を漏らす。
そうだ、公園から帰ってきたあの夜、確かに悠里は、唯へ伝えていた。
『日向君に、もっと楽しい学校生活を送って欲しい。勿論、蕾ちゃんの事も疎かにしないで、ね』
と。
「だから、今日も楽しいじゃん。これでいいんだよ、これが勉強会だよ」
そして先程までの大人びた表情を一転させ、白い歯を出して無邪気に笑う。
ただ、自分の為に、自分の願いを叶えてくれる為に。
大立ち回りのような事を教室で行って、日向と雅の言質を取って。
今日もまた、物凄く好き勝手にやっているように見せかけて、唯だけはただ一人。
三人には見えない目標に向かって、進んでいたのだ。
悠里の高校生活において、この恵那唯という子が、一番の親友で居てくれた事が、どれだけの幸運だったのか。
「唯……」
心が温かさで満たされる。
この親友が、こんなにも自分の為に色々としてくれたのだ。
「さって、あたしは師匠の手解きでも受けてくるかなー! ちょーっと新垣君借りるけど、嫉妬しないでねん?」
うひひ、と笑って台所に消える唯を、悠里は困った笑い顔で見送った。
そして現在、新垣家勉強会後半戦は二組に分かれて展開されている。
一組は日向・唯の炊事当番ペア。
もう一組は悠里・雅・蕾の五歳児担当ペア。
リビングからは三人がウノで遊ぶ声が聞こえてくる。
「どろーつー!」
「くっ……!」
「はい、私これね」
「どろーつー!」
「うっ……!」
「スキップ二枚出し! 次、蕾ちゃんね」
「どろーふぉー、あかー」
「…………はい……」
リビングから聞こえてくる一部苦悶の声をBGMにしながら、日向は唯と二人で食材をカットする。
「スキップって二枚連続で出せるんだっけ?」
唯の場違いな言葉に、日向は「んー」と考える。
「ウチでやる時は、そういうルールにしてるけど、ローカルルールかもね。ウノの公式ルールってあんまり周知されてないイメージあるよね」
「そうだねぇ、大富豪と同じで学校とかによって全然違うし。あ、これどうするんだっけ?」
手に持った生バジルをひらひらと振りながら唯は日向へと問い掛ける。
「それは細かくちぎって、何枚かはそのままで、添える用に使うらしい。……レシピによって全然違うから、割とアバウトでもいいんじゃないかな」
「にんにくも唐辛子も入れられないからねぇ、勉強会オリジナルテイストで行きますか」
そうして平和なまま調理と遊びの時間を終えて、夕飯がテーブルに並べられる。
「じゃーん! 日向&唯ペアによる、ガパオライスと余り物サラダだ!」
唯がエプロンを付けたまま、腰に手を当てて得意気に胸を張る。
その横で日向もエプロンを外し、畳みながら席に座る。
「割とマトモなのが出てきた……」
ぼそりと雅が呟くが、日向も同感だった。
唯との調理は思ったよりも余程スムーズで、日向がやろうとしている事を唯が先に片付けておいてくれたり、分からない箇所でも一度言えば後は軽い助言程度で難なくこなしてしまった。
「うん、なんか想像以上に恵那さんが手馴れてた。家で練習してるんだっけ……かなり助かったよ」
「へへへ、褒められると嬉しいね。あたしも楽しかったし、勉強になったよ。それに何より、初めて……共同作業が出来たね……」
最後のは明らかにわざとやっている言い回しだったけれど、顔に浮かぶ達成感は本物だろう。
そうして各々が食事に手を付け始める。
「うん、美味しい!」
「おいしー!」
悠里と、悠里と日向の間に座った蕾が口を揃えて感想を述べる。
雅もうんうんと頷きながら、かなり大きな一口をスプーンに乗せている、流石の男子運動部だった。
日向は蕾の口に衝いたソースを拭き取ったり、テーブルに落ちている挽肉を拾ってみたりと甲斐甲斐しく蕾の世話を焼く。
悠里もまた、時折蕾と顔を見合わせてはお互いに笑い合い、蕾から差し出されるスプーンに口を開けてみたり、見ている方が微笑んでしまうような食事を続けていた。
「蕾ちゃん蕾ちゃん、唯ねーちゃんにもあーんして、あーん!」
前に乗り出して、蕾に向かって口を開く唯へ、蕾はライスを乗せたスプーンを「あーん!」と言って差し出した。
「いい子だなー蕾ちゃんは……新垣家の素直な遺伝子の為せる事かね……」
もぐもぐと口を動かしながら、唯は感極まったように呟く。
日向は、友人に囲まれての騒がしい食事風景と、終始笑顔でスプーンを口へ運ぶ蕾を見て、満足気に目を閉じた。
そうして一同が食事を終えて、食器を全てシンクへと下げた後、日向と悠里が食器を洗い始める。
今度は悠里に代わり、唯と雅、蕾の三人が和室で遊んでいる。
遠目から見ると、蕾に馬乗り状態で歩かされる雅の姿が目に映った。
「蕾ちゃん、大はしゃぎだね」
日向が洗った食器を、タオルでふき取りながら悠里が呟く。
その視線を追いながら「うん」と日向も一言だけ零した。
「なんか、最初から最後までドタバタだったけど、いい日になったよ」
カチャカチャと、日向の手元で食器が音を立てて泡に埋もれていく。
日向も悠里も、心地よい疲労感に包まれていた。
「日向君、楽しかった?」
少しだけ不安気な悠里の声が、耳に届く。
「そりゃ、勿論。こんな大勢で騒いだのは、久し振りな気がする」
弾んだ声に、悠里は笑顔で頷いた。
そのまま、無言で二人は洗い物を続ける。
隣に並んだ悠里の髪が、日向の二の腕に触れた。
それ程までに傍に寄っていた事に二人とも気付かず、ただ時間を過ごした。
片付けが終わって、時計を見ると七時半を回っている。
そろそろお開きかと思っていた所に、玄関のドアが開く音が聴こえた。
「あれ、父さんか母さん帰ってきたのかな、早いな」
日向がそう言うと同時に、リビングのドアが開いた。
「たーだいまー! 学生達、勉強捗ってるかー? ってあれ、終わってる」
スーツ姿の仁が姿を現すが、リビングの中にはソファーで休む日向と悠里、そして床で以前と同じく神経衰弱を行う雅達三人の姿があった。
「おかえり。もうとっくに終わって、ご飯も食べて、そろそろ帰る頃合いだよ」
日向が答えると同時に、三人は立ち上がって仁へ挨拶をする。
「こんにちはオジさん、お邪魔してまーす」
「ご無沙汰してます、本日はお宅を貸していただいてありがとう御座います」
雅と悠里が交互に挨拶をし、一方の唯は「ん?」と仁の方を見ていた。
仁も二人に片手を挙げて返事をすると、唯を見て「ん?」と目を開いた。
「あっれオジさんだ。あっれ?あー、新垣!」
と手を叩いて勝手に何かを納得している。
「おお、純基の所の!唯ちゃんだっけか、大きくなったなぁ!」
二人で勝手に納得して頷き合うものの、周りは完全に置いてけぼり状態になっていた。
「俺の同級生の娘なんだよ、唯ちゃん。お前とマサと同じで、中学からのだ。酔い潰れたあいつを家に送って行く事があったから、唯ちゃんとはその時に何度か顔を合わせてるんだよ。家に上がって宅呑みした事もあったんだぞ。先週も一緒に呑んでたしな」
足元に寄ってきた蕾を撫でながら、仁はカタカタと笑う。
「あいつはなぁ、昔っから俺達の間のトラブルメーカーでな。恵那純基って言うんだよ、名前が。でもあんまりトラブル起こすもんで、エナジュンキじゃなくて、エマージェンシーって呼ばれてたんだよ。危険物扱いって、笑うだろ」
「エマージェンシーって! 危険物扱いとか、パパだっさー!」
(大体合ってる)
(概ね合ってるわ…)
(二世代続けて危険物とか遺伝って凄いな)
腹を抱えて笑う仁と唯に、日向達三人は白い目を向けていた。
「それにしても、お前らそうか、同い年だもんな。妙な所で縁があるもんだ。それで皆もう帰るんだろ、女の子も居るから俺が送ってやるよ。マサも乗ってけ」
時間も時間だし、辺りが暗くなっているので仁の提案は渡りに船だった。
本来は雅に送らせようと思っていたのだが、女子二人となると負担がキツくなるので、素直に甘える方がいいだろうと判断する。
「え、いいんですか?私達、迎えを呼ぶ事も出来ますけど……」
流石に遠慮がちに、悠里がそう言うが、仁は首を横に振った。
「ウチに来た客の、しかも女の子を責任持って送らないとあっちゃ親御さんに顔向け出来んよ。それにマサの所も、唯ちゃん所も俺は顔見知りだからな、遠慮しないでいいよ」
笑顔で頷く仁に、悠里は「では、お手数ですがお願いします」と声を掛ける。
そしていよいよ帰宅するという時に、やはり問題になるのは蕾だった。
「蕾ちゃん……」
屈んだ悠里にしがみ付くように、蕾はいやいやと顔を振る。
前回の時もそうだったが、こうなるとまた手が付けられない。
楽しさの反動だろう、しがみ付く手が以前よりも強い。
だが、そこに声を発したのは、仁だった。
蕾の様子を見て、事情を把握した仁は「んー」と何かを考えた後、一同を見渡して。
「蕾、これから兄ちゃん達は夏休み入るだろ? そうしたら、毎日兄ちゃんと居られるし、父さんだって夏休みぐらい貰えるから、一緒に遊べるんだ。だからここでお別れしても、全然寂しくないんだぞ」
そう言って静かに蕾の肩を引こうとして、思いっきり手を振り払われた。
「やーー!!」
日向は心の中で、父親の甘過ぎる対応に溜息を吐いていた。
そんな言葉でどうこう出来るなら、既に場が収まっているのだ。
先にある楽しさよりも、現状の楽しさを優先させる、それが子供の思考回路だ。
よってこの状況で、解決させる最も早い方法はただの一つしかない。
日向は蕾の脇に手を挟むと、そのまま持ち上げて立ち上がる。
そのまま抱き抱えると、父に目線を送った。
「やーだー! いーやー! やー! おねえぢゃん! おねえぢゃんー!」
手足をばたばたと激しく振り回して暴れる蕾を、日向は必死に抱き抱える。
可哀想だが、友人達も帰る時間がある以上、これが一番手っ取り早い。
「こっち大丈夫だから! 今の内にいいよ! 多分、泣くだけ泣いたら後は疲れて寝るだろうから、気にしないで!」
顔と胸元をガシガシと蹴られながら、日向は皆に必死に懇願する。
仁は仕方ないな、と言う風に笑いながら玄関を開けた。
その後に雅、唯が続き、最後に悠里が残る。
泣きじゃくる蕾を、悠里も泣きそうな顔で見つめる。
ここで下手に関わる方が、蕾を抑えてくれている日向には迷惑が掛かるだろう、けど。
それでも、泣いている蕾を放っておけなくて、一歩前に足を踏み出した。
日向達に向かって。
「ちゃんとまた来るから、前に約束したもんね。夏休みいっぱい遊ぼうね、って。…だから、大丈夫だよ」
抱えられて丁度、自分と同じぐらいの高さにある蕾の顔を、日向の身体ごと抱きしめるようにして頬を寄せた。
ふわっとした、悠里の髪から香るシャンプーの微香が感じられた。
蕾ごと抱き締められた日向は、何も言えずにただ悠里を見る。
「ね?」
その悠里の顔を見て、蕾は涙を堪えて頷く。
今はもう暴れておらず、鼻を啜る音だけが聴こえる。
日向と目が合った悠里は、頷いて後ろ手に玄関のドアを開けた。
悠里の姿が見えなくなり、ドタバタの勉強会は、ようやく最後まで騒がしいまま幕を閉じた。
これで10万文字……凄く掛かってしまいましたが、周りを見渡すと200万も300万も、それ以上も書かれてる方が居るので、本当尊敬致します…
自分のメモ帳には、この後に「夏休み」とだけ書かれていますので、夏休みに突入するのでしょう。
あと、明日は少し遠出するので投稿しないと思います。
※ブックマークが三千を超えて驚きました、本当なんか…すみません、ありがとうございます、精進致します。