成瀬雅の受難。
そんな感じで、ふうっと二人で息を吐く。
かなり大きな波を超えたというか、昼間なのにやってる事が完全にドラマだった。
同じ事を思ったのか、日向と日和は顔を見合わせてプッと笑い合った。
「なにやってんだろうねぇ」
「ほんとですねー……」
夏場の、正午にもなろうかと言う時間に、高校生が二人揃ってトレンディドラマのような事をしている。
振り返ると恥ずかしい以外何者でもない。
そして何より、会話が続かないのだ。
最近の話が出来ない程に空白の期間が長く、そして下手に掘り返すとお互いに地雷を踏み抜きかねない状態で、お互いに刃を首に突きつけあってるようなものだ。
どうしようか、と日向が思っていると、日和が突然声を出した。
「まぁこうして、ですね。顔を見合わせてる訳ですけど、今までが今までですし」
「うん?」
日和がスマートフォンを操作しながら少し気まずそうに呟く。
「それで、多分、こうなるんだろうなぁ、って思って、ですね」
「うんうん?」
パタン、とスマートフォンを鞄の中に仕舞い、顔を上げる。
申し訳無さそうな顔で、日和が頭を下げる。
「助っ人を、呼んでしまいました」
「んんん?」
フラペチーノのストローを吸いながら、日向はどうしたものかと反応に困る。
そうしていると、誰かが隣の席に座ったのが見えた。
何気なく視線をやった日向の顔が固まる。
そこには、私服を着た雅が座っていた。
「え、雅? どうしたの、ここに」
「うん、先ずはね、それを俺が訊きたいの」
驚いた日向が顔を日和に向けると、日和は非常に気まずそうな顔で日向を見ていた。
その二人の様子を見た雅が、「はぁぁぁぁあ……」と大きな溜息を吐いて、代りに口を開く。
「いや、今朝さ。いきなりね? 俺のスマホに日和ちゃんから『今日ひなたせんぱいとお話するんですぅー、でもでも何話せばいいか分からないじゃないですかぁー、気まずくなったらいやなんで、成瀬先輩もきてくださいよぉー』とかってメッセージ入ってるじゃん、この時点でさ、俺もう寝直そうかと思ったんだけどさ」
凄く嫌そうな顔で雅が続ける。
「そうしたらどうよ、もうなんか返事するまで延々と変なスタンプ打ち込まれんの。藁人形持った女の子のスタンプ。一辺死にたくなったわ。それで仕方ないからとりあえず時間だけ聞いてさ、問題無いようなら帰ろうと思って、来てたのさっきから。居たのそこに。一人で……」
そう言って雅が指差したのは、日向の丁度後ろ側……日向からは見えないが、日和からは見える場所だ。
死角過ぎて、目の前に居る日和から目が離せなかった日向には絶対に気付かれない場所を選ぶ手管に恐れ入る。
「んで、聞いてたらさ、ド修羅場みたいな感じになってるじゃん……何で俺は親友と後輩の痴話喧嘩の仲直り的なもんを休日に見せられてるんだ、って死にたくなったよ。まあでも、親友の為だ、ここは見守ってやろうと思って、こうして待ってた訳なんだけどさ。それで、改めて聞くんだけどね」
大きく息を吐いて、げんなりした顔で雅が二人を交互に見る。
「俺、今ここに必要なのこれ?」
「必要です」
「必要だね」
「むしろ今、この場所で必要にならなくて、いつ成瀬先輩に価値が出ると思ってるんですかね」
「今までで一番、雅が頼もしいと感じた」
雅の言葉に二人が揃って頷く。
日向と日和の関係性を知っており、かつどちらとも円満に会話が出来る人物。
そして雅は日和へ恋愛的な感情を抱いていない分、拗れる事も無い。
完璧な助っ人の采配に、日向は日和へ賞賛を送りたくなった。
「まぁ、いいけどさ……どうせ今日部活も無いし、ここ涼しいし……」
背中を丸くして座り直す雅に、日向は心の中で合掌する。
手に持ったカフェラテを振り、中の氷を溶かしながら雅が日和の方を向いた。
「それで、俺は一体どうしたらいいのこれ……?」
当然の疑問だが、今は雅に頼るしかない。
何を切り出すか迷っていたら、日和が先に口火を開いた。
「私、今まで日向先輩がどう過ごしてきたのか、興味あります!」
そう来るだろうなとは薄々思っていたが、正面から言われると、日向はどう答えていいのか分からない。
「だそうだけど、雅」
「俺なの?この流れで俺なの?解説役なの?」
勘弁してくれ、と雅が肘を衝いて窓の外を見る。
ややあって、溜息を吐きながらも少しずつ語り始めた。
「まぁ、一番傍で見て来たのは俺だからさ。じゃあ話すけど」
「なんですかそれ?俺が一番日向先輩を理解してるって言いたいんですか?ちゃんちゃらおかしいんですけど」
「帰っていい?」
日和の剣呑な瞳が雅を貫くと、雅は咄嗟に日向へ悲しみに満ちた瞳を向けてきた。
まぁまぁ、と日向が宥めると日和は「すみません、取り乱しました」と手元のドリンクに口を付けた。
「日向かぁ、蕾ちゃんの教育してた、ってのが一番だよな」
「まぁ、そうだね。俺もこの二年、そのぐらいしか記憶が無い」
二人が揃って頷くと、日和も「そうなんだろうなとは思ってたけど、それしかないって……」と苦笑いで呟いた。
「だってこいつ、学校終わったらすぐ帰るし。休日には蕾ちゃんと遊んでるか、勉強するか、家事するかだし。高校生らしい事なーんにもしてないよな」
「うん、そうだね。大体蕾の事ばかり考えて過ごして来た気がする」
思わず自嘲してしまうぐらい、それしか思い出が無かった。
気が付けば高校生活も二年目に入り、こうして友人達と喫茶店で話すぐらいの年齢になってしまったのだ。
「まぁそれでも、最近は割と楽しそうにはやってるけどな」
その言葉に、日和が少しだけ肩をピクッと動かした。
「何か、あったんですか?」
あ、この会話の流れはもしかして、と思って日向が雅を制するように手を挙げようとしたが、それよりも早く雅が続けて言葉を繋ぐ。
「女子と話すようになった」
「その話し方だと、まるで俺が女子と一言も話せない物凄い内気な人間に聴こえるんだけど」
微妙な言い方過ぎて、思わず日向は突っ込んでしまう。
一方で、日和は目を少し見開いて、雅を見る。
「それってもしかして、芹沢さんって人ですか?」
今度はピクッと日向の肩が反応する。
その一瞬を日和は見逃さず、少し目を細めた。
「仲いいんですか?」
「蕾とよく遊んでくれるんだよ。うん、俺もまあ、少し話す事が増えたかな。って、日和は知ってたんだ?」
「先日、ひかりから聞きました。綺麗な方でしたね」
そう言い放つと、場がぴたりと静寂に包まれた。
「………」
「…………」
「……………で」
何とも言えない居心地の悪さに、日向も雅も何となしに背筋を伸ばして黙っていると、日和が再び口を開いた。
「その芹沢さんと、日向先輩はどういう御関係なんですか?」
「いや、俺と彼女は別に――」
「成瀬先輩、どうなんですか?」
「はい」
日向が口を開こうとすると、日和はピシャリと雅の名前を呼ぶ。
条件反射のように雅が返事をした。よく訓練された軍人のようだった。
「関係は良好ですが、今のところ、男女間の恋愛関係にあるといった事実は御座いません」
「分かりました、いいでしょう」
一瞬で喫茶店が法廷と化してる状態に、日向は動揺を隠せない。
雅と目線を交わしあうが、打開策が見つからず、お互いに牽制し合っていると、日和がプッと噴出した。
「すみません、冗談です。日向先輩が誰と仲良くしたって、私には関係無いですから。ただちょっと、意地悪してみただけです」
ごめんなさい、と舌を出して笑う日和に、二人は揃って身体の力を抜いた。
「日和……この状況下でその冗談はキツい、キツいよ……」
「最悪の自虐ネタを見た気がする……」
手をだらんと垂らしながら息を吐く日向を見て、日和がまた声を上げて笑った。
非常に心臓に悪かったが、これはこれで良い弛緩剤になった。
「なんですか二人して……そんなに私、怖かったですか??」
首を傾げてこちらを覗きこむ姿は可憐だが、先程のプレッシャーは試合中の日和を彷彿とさせた。
二人の反応が満足だったのか、日和は鼻から深く息を吐いてドリンクを啜っている。
「そういえば、俺も聞きたかっただけどさ、日和はなんでこの学校に来たの?」
気持ちを入れ替えて、日向は日和へ疑問をぶつける。
雅から日和の存在を聞いた時に、一番最初に思った事だ。
「んー、なんで、ってなんでです?変ですかね……?」
「いや、変じゃないけど……その、テニスするなら、ウチは不向きじゃない」
日向が口にした理由に、日和は「ああ、なるほど、そういう意味ではそうですね」と頷く。
「質問に質問で返すのは大変失礼なんですが、日向先輩は何故、この学校で私がテニスをしないと思ったんですか?」
聞かれて、答えに詰まる。
確かに日向は、日和はテニスの強い学校に行くものだと思い込んでいた。
だが現実には日和は日向と同じ進学校を目指してきた。
「多分、日向先輩がテニスから遠ざかった理由と、あまり変わらないんですよ」
そう答える日和の目は、日向の記憶には無い大人びたものだった。
「テニス一本で、この先も生きて行ける程、易しい世界ではないです。プロになれば話は別なんでしょうけど……この国でプロ選手として活躍出来るなんて私は夢にも思いませんでした。だからちゃんと先に繋がる場所に行こうって。それでも、テニスは好きだから、辞める選択を取る事もありませんでした。私は、将来を見据えて、ちゃんとここを選んで、そしてテニスを続ける覚悟もしてきたんです」
日和の言葉は、自信に満ちているもので、日向の胸に衝撃となって届いた。
「何かを得る為に、何かを棄てるんじゃなくて、何かを成し遂げる為に、私は夢を置いてきたんです。次に進む為に、その記として置いてきたんです。先輩が、蕾ちゃんとの時間を優先してラケットを置いたように。それは、逃げる事じゃなくて向き合う事なんだって。それが私の出した、二年間の結論です」
ここに来て、ようやく日向は理解した。
自分はどこかで、日和の事を見ているつもりだった。
見ているつもりで、日向が日和を見る目にはいつもテニスというフィルターが掛かっていた。
本当の日和を、今ここで初めて、日向は見つける事が出来た。
「凄いな、日和は……」
感動を含んだ声で、ぽつりと呟く。
その言葉を聞いた日和は、少し得意気に笑って見せた。
そして、悪戯を思いついた子供みたいな無邪気な顔を、日向にそっと近付けると。
「……それとも、日向先輩を追ってきた、って言った方が、ポイント高かったですかね?」
囁くような声で言われてしまい、日向は心音が弾けるかと錯覚した。
「……ほんと凄いよ、日和は」
降参のポーズで頭を下げると、頬を赤くした日和は居住まいを正すように座る。
「ほんと」
雅は、二人を見つめてフッと笑った後、窓の外の爽やかな風景を見つめた。
「俺、要る?」
ずっと日和のターン。
あと、コメディ風な掛け合いにしてみました。
色んなシーンを書くと楽しいです。