回想録:二つの太陽Ⅰ
日向と日和の出会いは、日向が小学五年生の頃まで遡る。
小学二年生から地元のジュニアテニススクールに通い始めた日向は、地道な努力と真面目な性格が重なり、着実に実力を付けて頭角を現して行った。
スクールでは最早同年代では負け無し、大会では上級生を圧倒するシーンも見受けられる。
順当に実力を付ければ中学での全国区デビューはほぼ確実だろうと思われていた。
そんな日向のスクールに、上月日和が入学してきたのが、日向がスクールへ入学し三年が経っていた頃、親の転勤により引っ越してきたという。
日和もまた、引っ越し前の地域ではテニススクールに通っており、更に関東でも屈指の強豪が揃う地区の出だった。
結論から言うと、日和は前評判を上回る活躍を見せる事になる。
素早いサーブ&ボレーからの速攻と、同年代では珍しいバックハンドを得意とするプレイスタイルは、日向のスクールではもう女子と練習にならない程の実力格差があった。
やがて周囲から孤立し始める彼女に、コーチは止むを得ず男子との練習を組む事にしたのだが、その相手が年齢も近く実力が拮抗する日向だった。
二人は当初こそ会話が少なかったが、練習を重ねる内に日和は日向へ心を開いて行く。
何より、その実直で真っ直ぐな姿勢に憧れた。
「ひなた君、練習しよう! 練習!」
「ひなた君……次の大会、出るの?」
「ひなた君! 日曜日コートに行こう!コーチがA級の人達集めて練習試合するんだって!」
日和は、いつも日向と一緒に居たがった。
年上の、自分よりもテニスが強くて、他の男子みたいに変なからかいをしてこない男の子。
いつも自分と練習してくれて、褒めてくれたり、時には競い合って悔しがったり。
自分に兄が居たらこんな感じなのかな、と思った時もあるけど、何となくそれは嫌だなと思ってみたり。
幼い心でも、小さな恋心を抱くには十分な時間だった。
日向は地元で硬式テニスのある私立中学へ入学し、日和もまた同じ学校を選ぶのは当たり前の流れだったのかもしれない。
日向が現在、両親の共働きを家事と育児の方面から手助けするのは、この時の私立中学への入学が家計に与える大きさを知った、というのもある。
「新しく入部させて頂きました、上月日和です。先輩方、宜しくお願い致します」
中学に上がると、幼さは次第に消えて行き、その美貌と強さで周囲の羨望を集め始めた。
人付き合いも昔よりは上手にこなし、孤立する事は無かったけれど、それでも日和は日向の傍に居たがった。
男子との共同練習の中で、男女混合ダブルス……ミックスダブルスの練習が始まった時の事。
日和と同級生の男子生徒が、パートナーに日和を指名してきた。
男子生徒は、実力的には一年生で上位にある為、女子ではトップクラスの実力がある日和がペア組む事に不自然な事は無かったが、日和はその男子生徒が自分を見る視線の意味に気付いていた。
(どうせなら、日向先輩と組みたかったんだけど……)
少し離れた位置へ目を向けると、日向は二年生の女子学生とペアを組んでいた。
相手をリラックスさせるように向ける笑顔に、女子生徒も肩を揺らして笑っている。
あの隣に自分が居ない事が、悔しかった。
幾つかのコートで試合が開始され、日和のペアは順当に勝ち星を上げて行き、日向のペアもまた同じく連勝で突き進んできた。
そして、二つのペアの組み合わせで試合をする事となる。
「フィッチ」
「スムース」
「ラフだね。んじゃ、こっちがサーブ貰うよ」
日向が回したラケットを回収し、ボールを手にサービスポジションへ移動する。
その背中に、思わず日和は声を掛けた。
「日向先輩、構わず打って来て下さい」
ミックスダブルスのモラルマナーというか、男性が女性側にボールを打つ時には全力ではいかない、というものがある。
これは単純にパワーの差がある為の配慮であるが、日和はそのハンディを取っ払った。
「分かった」
目を瞬かせた日向だったが、日和の言葉に口角を上げて頷く。
日向の手から離れ、高くトスされたボールが、強烈に弾かれる。
狙われたコースはワイド。広角へ放たれた打球が放たれた。
「うおっ……!」
弾速に追いつけないペアの男子が、驚いた声を上げた。
「日向先輩のサーブ、フラットだから……かなり速いの。ブロックでリターンした方がいいかも。二本目はスライスで来るから、ファーストが入る時はブロックする事だけに専念して」
安定性とコントロールがあるドライブやスライスではなく、一本目を速度と威力重視の無回転フラットサービスでエースを取り、フォルトした場合には安定性抜群のセカンドサーブを打つ。
堅実でミスを突き辛い、相変わらずの試合巧者……でも、楽しい。
こうしてまた、日向と向かい会える瞬間が、日和には堪らなく楽しい。
「フッ!」
続けて放たれた日向のファーストサービスを、日和はブロック気味のリターンで返す。
クロスに返す事が出来たその球を、日向が既に先方へ移動して捉えに入る。
日和が返した球は、上手く日向の足元を捉えているが、これは―――
「ライジング!」
焦る日和の声がペアに届く。
球がバウンドした直後、日向の振るったラケットから強烈なドライブで押し出された打球が日和達の間を狙う。
「オッケー!」
ペアの男子が、素早く打球をフォアハンドに捉えている。
日和の掛け声で、前方へ詰める事はせず後方待機を選んだ結果が上手くいったのだ。
だが。
ペアの男子から放たれる打球は、日向の向かって右側、バックハンド側へ吸い込まれる。
上手くクロスに返し、本来ならばエースコースになる筈のその打球は、しかし。
「ダメ、そっちは!」
日和にだけは見える、そこは唯一無二のデッドラインだ。
瞬間、日向が身体を反転させる。
日和のダブルハンドとは違い、リーチの届くシングルハンドでのバック。
左の肩から、前方へ切り下すかのような一閃。
日和の右側を、日向が打つ打球が抜けて行った。
バックハンドのハイボレー。ダウン・ザ・ラインと呼ばれるエースコースへの一撃に、日和は完全に反応出来なかった。
これ以上無いコースへのカウンターだったのに、逆に致命打を叩き込まれる。
ペアの男子は呆然として「嘘だろ……」と零すしか無かった。
(変わらない……ううん、前より、鋭くなってる……?)
堅実なプレイスタイルと、自分の弱点を徹底的に練習で潰し、下手な奇襲を許さない実力。
日和が憧れた、オールラウンドのカバー力。
「日向君、サンキュー!」
日向がペアの女子生徒とハイタッチを交わす。
その光景に、日和は胸が熱くなる。
このままじゃ、私の事を見て貰えない。
ふう、と息を吐くと、日和はお腹の底から声を出した。
「一本!返していくよ!」
この時はまだ、あの後姿をずっと追っていけるものだと。いつか、隣に並べる日が来ると。
そんな風に思っていた。
※ちょっと改稿しました。よくよく見返してみると、日向君がサウスポーじゃないと説明つかない部分がありまして…。
あと、感想で御助言頂いた句読点の使い方など、改善してみました。
英語の試験で、ピリオドを全て忘れて減点されまくった若き日々を思い出しました。