子守り男子とお菓子のクラスメイト。
※10/24 改稿致しました。
翌日、教室に入ると日向は自分の席に向かい、午前中の授業科目を復習する。
(昨日は結局、蕾を寝かし付ける時に一緒に寝入っちゃったからなぁ、失敗した)
蕾と一緒に布団に入ると、幼児特有の高い体温にあてられてつい眠気を催してしまうのだ。
帰宅した両親に起こされたのが既に午後の十一時頃で、もう起きても仕方がないのでそのまま寝てしまったのだ。
だが、そういう生活を仕方ないと思っているだけでは成績が落ちてしまう。
勉強は学校と、蕾が寝た後にしか行わない。その代わり授業中は全集中力を以って挑む。
それが日向流の学習術だった。
程なくして、教室に続々と生徒達が入って賑やかになってくる中で、悠里が登校してくるのが見えた。
悠里はちらっと日向の方へ視線を向けると、小さく手を振る。
口元で「昨日はごめんね」と言ってるのが見えたが、それが果たして教室での出来事なのか、帰り道の出来事なのかは判断出来なかった。
「……日向。お前、芹沢と何かあったの?」
その光景を見ていた日向の数少ない友人の成瀬雅が、隣の席から声を掛けてくる。
「今、芹沢から謝られてなかったか?」
「あぁ、昨日ちょっとぶつかったのと……帰りにね、蕾とハトヤに行ってたんだ。そこで偶然ばったり会って、それだけだよ?」
(そういえば、昨日のお菓子の件はどうすればいいんだろう……)
妹の我儘に悠里をこれ以上付き合わせるのも申し訳無いし、蕾には同じ物を買って行き、お茶を濁そうか、なんて考えに耽っている日向を横目に見ながら、雅は「ふーん?」と首を傾げていた。
授業中、日向は背中をつつかれる感触を覚え、首だけを微かに回して背後を確認すると、後ろの席に座るポニーテールの女子生徒……恵那唯がこちらに折り畳まれた紙片を差し出している。
この女子は昨日、悠里とじゃれ合っていた子で女子の中では一際悠里と仲が良い。
悠里とは対照的な性格で、いつも声を出して笑ったり、先日の様にはしゃぎ回る事が多く、日向は女子の間でのムードメーカー、と言った印象を持っていたが、勿論彼女とも今までほとんど交流らしい交流は持った事が無い。
なんだろう、と日向が思っていると、唯は「んっ」と微かに声を発しながら目線を斜め後方へと向ける。
同じようにそちらを見ると、悠里がにこやかにこちらを見ており、頷いた。
紙片を受け取り、開いてみる。
《今日の4時半頃に、商店街傍の公園で》
とだけ書かれていた。
(ええぇ、まさか本気で蕾とお菓子食べるつもりなのか…!?)
改めて悠里に視線を向けると、悠里は日向に向けて力強い眼差しを向けたまま、『うんっ!』と強く頷いた。
(芹沢さん、本気だったんだ……)
驚きのあまり、動きを止めてしまう日向だったが、元はこちらが我が儘を言ってしまった結果だ。
誘ってくれてるのを無下に断るのも悪いと思い直し、日向はお礼も込めて悠里へ手を合わせた。
「へぇ……本当に新垣君宛てだったんだ」
教師に見つかる前に前を向こうとした日向の耳に、驚嘆の言葉が届く。相槌を打とうとしたのだが、丁度黒板と向き合っていた教師がチョークを置いて振り返る所だったので、そのまま前を向いて座り直した。
隣では一連のやり取りを見ていた雅が口をポカンと開けていたが、その後、彼からその事について深くは言及してはこなかった。
放課後になり、日向はいつも通り素早く荷物を纏め教室を出て祖父母の家に向かう。
教室から出る時に悠里が友人達と話してる姿が見えたが、声を掛けるのも余計な憶測を周囲に与えてしまうので、そのまま出てきた。
「ただいま。蕾ー、兄ちゃん帰ってきたよー!」
「おにいちゃん! おかえり!」
祖父母宅に着くと、蕾が毎度の事ながら突撃してくる。
ふわりと抱き上げ、足りなくなった蕾成分を堪能していると、蕾はソワソワと落ち着きがなく。
「おにいちゃん! きょう! おねえちゃんとおかし! たべるんだよね!」
ああ、それでソワソワしていたのかと日向はつい苦笑いしてしまう。
時計を見ると4時丁度だから、先に公園で遊ばせておくのもいいかもしれない。
「蕾、お姉ちゃんもう少ししたら公園に来てくれるみたいだから、先にそっちで遊んでるか?」
「はーい、ブランコしよーブランコ! おにーちゃん、おしてねー!」
間髪入れずに返事をして、やったーと両手を挙げる蕾。
日向はそのまま祖父母に公園で遊んで帰る旨を伝え、祖父母宅を出た。
公園に着いてから悠里が到着するまでの間、日向が蕾をブランコに乗せ背中を押してやっていると、やがて入口に悠里の姿が見えた。
「おねえちゃんだ!」
目敏く悠里の姿を見つけた蕾が、ブランコから飛び降りようとしたので、日向は慌ててブランコのスピードを抑えつけ、ゆっくりと降ろす。
蕾は一目散に悠里の元へ駆け出し、そのまま足にしがみ付いた。
「おねーちゃーん!! こんにちは!」
「うっ……、つ、蕾ちゃん、こんにちは……いきなり破壊力高いね……」
悠里は左の膝あたりを蕾にホールドされ、昨日と同じ満面の笑顔を向けられて悶えそうになる。
「芹沢さん、御免ね。わざわざ来て貰って……」
後ろから歩いて追ってきた日向が、悠里へ申し訳なさそうな顔をする。
「いいのよ、むしろ私が蕾ちゃんと一緒に遊びたかったんだから。蕾ちゃん、はいこれ。お姉ちゃんお菓子持って来たから、約束通り一緒に食べよっか! でも家に帰ったらお夕飯もあるから、ちゃんとお腹一杯になる前には止めようね?」
悠里は右手に持った買い物袋を持ち上げてみる。
ガサガサと音が鳴り、中から目的の品の外装が微かに透けていた。
「おかし! たべよ! たべよ!」
テンションが更に高くなった蕾は、悠里の手を引いてベンチへと移動していく。
そして二人並んで座ると、悠里は手元の袋からお菓子を取り出す。
一方で日向は、悠里からお菓子を貰おうと必死に手を伸ばす蕾の小さな手を取り上げる。
そして、カバンの中からウェットティッシュを出し、蕾の手を拭いてやった。
その様子を傍で見ていた悠里は「へぇ……」っと感心したような声を出す。
「新垣君、ウェットティッシュなんて常備してるんだ? 男子では珍しいというか…」
「あぁ、こういう出先で必要になるんだよ。子供は割と色んな所触るからさ、水場があるとも限らないから、消毒用にね」
「あ、蕾ちゃん用なのね、あはは……」
質問の答えとしてはやや斜め上の返答に、悠里は面食らったようになる。
「いいお兄ちゃんしてるんだね。なんか、学校の時よりも活き活きしてるっていうか」
「はは、確かに、学校だと俺は印象薄いからなぁ。部活も入ってないし、友達と遊びに出る事もほとんど無いし…」
そう呟く日向の表情は、寂しい言葉とは裏腹に後悔しているものではなかった。
だからなのか、悠里は気負い過ぎる事もなくすっと尋ねる事が出来た。
「新垣君が学校であまり皆と一緒に居ないのは、蕾ちゃんのお世話するからなの?」
「うん、まぁそうかな。ウチは両親が共働きでさ、祖父母の家が近くにあるから幼稚園の迎えとかは大丈夫なんだけど、出来るだけ早く帰ってやりたくて」
蕾の頭を撫でると、西日が当たって温かくなっていた。
その温かさが、日向の中にも伝わってくるようで、気持ちが穏やかになる。
「羨ましいな、私は一人っ子だから、新垣君みたいなお兄ちゃんが居たら毎日楽しいかも」
「どうだろうね、口煩い兄だから、割と邪魔になっちゃうかもよ」
日向が笑いながらそう言うと、蕾は日向の腰に抱き着きながら
「じゃまじゃなーい! つぼみ、おにいちゃんすきー!」
と叫ぶ。
日向はその言葉に顔を綻ばせながら、もう一度蕾の頭を撫でる。
その光景を眩しそうに見ながら、悠里も笑顔を向けていた。
その後、悠里は蕾と約束通りお菓子を一緒に食べて、公園の遊具で少し遊び、気付けば五時を回っていたので帰宅する時間となったのだが。
「いやー! かえらない! おねえちゃんといる!」
蕾が悠里にしがみ付いて離れなくなってしまった。
いつもは聞き分けがいいのだが、どうして今日に限っては駄々を捏ねるのか分からず、日向は途方に暮れてしまうが、いつまでもこうしている訳にもいかない。
「蕾、お姉ちゃんだって家に帰ってご飯食べたりしないといけないんだ。それに、俺達もそろそろ帰らないと、兄ちゃんもご飯支度しないといけないんだよ。あんまり遅くなると食べられなくなって、夜にお腹空いちゃうよ」
日向がそう言うと、蕾はぐっと涙を堪えながら益々悠里にしがみついてしまった。
「新垣君、晩御飯の支度までするんだ!? す、凄いね……万能過ぎてウチに欲しいわ…」
「うん、まぁ……お蔭で家事ばかり上手くなっちゃってさ。ほら、蕾。兄ちゃんと帰るよ」
驚嘆する悠里に苦笑いを浮かべた後、蕾に右手を差し出すが、蕾は悠里の後ろに隠れるように逃げてしまう。
悠里はどうしていいか分からず、蕾の頭を撫でて宥めていた。
「よっ……と」
蕾が視線を外した隙に、日向は蕾の背後に廻りその小さい体を抱え上げてしまう。
「やー! いやー! おねえちゃんもいっしょにたべるの! いーやー!」
「つ、蕾、落ちるから落ちるから、落ち着いて!」
抱え上げられたままじたばたと手足をバタつかせる蕾を落とさないよう、日向はしっかり抱え直す。
それでも腕の中で身体を捩り、日向の顔を押しのけ、どうにか脱出しようとする。
「め、珍しいんだよ、ほんと。蕾がここまで暴れるのって……ごめんね芹沢さん、後は何とかするから、先に帰るね」
「やー! いやー! かえらない! かえらないー!」
暴れる蕾に身体をあちこち殴られ蹴られ、耳元の泣き声に苦笑いしながら日向が悠里に背中を向けた。
悠里はその姿を黙って見送るが、蕾の泣き腫らした目が悠里を捉える。
悠里もまた、蕾と目が合ってしまう。
そして、何となしに蕾がここまで暴れる理由が分かった気がした。
(あ……)
日向と蕾はこのまま家に帰る。そして日向がご飯を作って、二人で食べる。
その後はきっとお風呂に入って、寝てしまうのだろう。
だけど、それまではずっと二人きりだ。
日向の両親が何時に帰宅するかは分からない、けれどそれは早くても蕾が寝る直前なのだろう。
いつもはその状況で問題無かった、でも今日は悠里が居た。
悠里が居たからこそ、寂しさが勝ってしまった。
二人より、三人で居たいと、思ってしまった。
その気持ちは、一人っ子だった悠里にも分かる気がする。
友達と自宅で遊んで、帰ってしまった後の、寂寥感がこみ上げるあの感覚。
悠里の両親も共働きだった。鍵を持たされ、家に帰り、暗くなって来ると電気を付けて両親の帰りを待つ。寂しかったけれど、自分の為に働いてくれる両親に心配させまいと、悠里は常に笑顔を振り捲いていた。いつだったか悠里は自分に兄弟姉妹が居てくれたら、そんな風に思った事もある。 それならきっと、寂しい思いをせずに日々を過ごせるのだろうから。
日向はそんなかつての悠里が望んだ理想通りに、蕾の寂しさをきっと毎日一人で受け止めてあげて、笑顔に変えてあげているのだろう。自分の青春を過ごす時間を、使ってでも。
「新垣君っ!」
悠里の声に、日向が振り返る。
蕾が悠里に手を伸ばす。
他所の家庭の事情に、容易く踏み込むべきではないと思っている。
だけど、こうして知り合う事が出来た、触れ合う事が出来たのだ。
自分にも何か出来る事は無いだろうか、少しでもこの温かい兄妹にあげられるものは無いだろうか。
悠里はその感情だけで、言葉を口にした。
「私も! お、お腹空いたの……! それにほら、男の子ってお肉ばっかり食べるかもしれないし、蕾ちゃんみたいな小さい子に偏った食事をさせちゃいけないから! だ、だから、えーっと……そう、私には二人の食生活を見届ける義務があると思うの!」
その言葉を聞いた日向がポカンと口を開け、蕾の顔が花咲くように笑顔で満ちて行くのが悠里には見えた。
「だから、私も一緒に夕飯食べさせて!」
口走ってしまった事を、訂正する気持ちは無い。
後々になって、本当に酷い言い分だったな、と悠里は頭を抱える事になるのだが、、とりあえずこれで賽は振られたのだ。
こうして物語を書いていると、登場人物が動き出す、っていう言葉が実感出来る気がします。
最後の方は、なんとなーく『悠里ならきっとこうするんだろうな。』って感覚だけで書いてました。