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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【四章 結実の冬、足跡を残して。】
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明日の事

 それからの事は、あまり覚えていない。

 私は皆に合わせるように笑い、美味しそうにチョコレートフォンデュを食べて、いつも通りに蕾ちゃんを可愛がって、そうして気付けば時刻は既に五時近くになっていた。


「片付けは僕がやっておくから、皆は気にしなくていいよ」


 そう言って笑う純基さんに申し訳無くて、私達は自分達の食べた食材やお皿だけは片付けて、それから唯の家を出た。


「今日はありがとう御座いました、とても楽しかったです。何から何までお世話になって、すみません」


 日向君が一歩前に出て頭を下げるのを見て、私達も一緒に頭を下げた。

 それから、家の場所の関係で日向君達と私、成瀬君と日和ちゃんの二手に分かれて帰路につこうと歩き出す。

 楽しかったね、と蕾ちゃんが笑顔で日向君の手をぶんぶんと振り回すのが微笑ましかったけれど、この時も私はまだどこか虚ろな感情のままで、ぼんやりと二人の後ろを付いて歩くだけだった。


「……悠里?」


 呼び掛けられてハッとなり、慌てて前を向くと日向君が少し心配そうに私の顔を覗き込んでいる。


「どうしたの、具合悪くなった?」

「あ、ううん! 甘いものを食べ過ぎたから、少し胸焼けがしただけだよ、平気」

「そう、休みたくなったら言ってね」

「うん、ありがとう、大丈夫。暗くなる前に帰らないとね」


 普段通りのやり取りに、自分の言葉がどこか上滑りしているのを感じる。

 自分の口から出ている言葉なのに、自分の意思で話してはいない、そんな感覚。でもそんなものが唯に対して通用する筈が無くて、やがて進む足をどちらからともなく止めた。


「悠里、ちょっと」

「……?」

「こっち、座る所あるから」


 唯の指差す方にあったのは公園で、時間的にもう近所の子供達も帰ったのだろう、遊具で遊んでいる子供は誰も居なかった。

 先導されるまま、私は唯について歩き、二人でブランコに座った。


「それで?」

「うん……?」

「とぼけてるんじゃないって、何があったのよ?」

「何って……何だろう、何でもないといえば、何でもないよ」

「悠里」


 少しだけ強い語気で言われる。


「そういうの溜め込むの、毒だよ。まぁ、人には言えない悩みってのはあるから、絶対に言えとは言わないけどね」

「うん、うん……」


 唯はいつも、こうやってギリギリの所で待ってくれる。

 私が助けを求めれば絶対に手が届く距離、だけど自分から手を伸ばさない限りは届かない距離。


「まぁー、悠里がこんな風になるのって、大体は新垣君の事なんだろうけどさ」

「うん……って、えっ!?」

「え? じゃないわよ、驚く程の事じゃねーわよ」

「いや、でも、そんな事は」「違うの?」「………………違わないです」


 僅かな抵抗は即座に撤去される。それから、視線で促された、話してみなさいと。


「あの、でも本当に、なんていうか……つまんない事だよ?」

「つまんなかったらつまんないって言うからいいってば」

「そ、それはなんか嫌だな!」


 言うのもそれなりに勇気が要るのだから、一蹴されたらそれはそれで……と反応すると、我ながら自分の事が面倒臭い人だなって思えて、唯も同じ事を思ったみたいで、二人で噴き出すように笑った。

 それが契機になったように、私は自然と口を開いていた。


「お似合いだな、って。そんな風に思ったの」


 唯は、何も言わなかった。そうだね、とも、何が、とも。もしかしたら、唯も同じ事を思っていたのかもしれないけれど。


「一緒に居るのが本当に自然で、お互いの足りない部分がぴたりと嵌ってる感じで、見てるこっちまで安心しちゃうような感じで……」

「妬いた?」

「……そうだったら、もっと割り切れたかも」

「どういう事?」

「羨ましかった」


 そうだ、私は、羨ましかったんだ。

 日向君から向けられる信頼が、当たり前のように寄り添えるその関係が、その全てが。


「出来ると思ったんだぁ……私、やれると思ってた」


 もう日向君に何も捨てさせない、未来を邪魔しない、そんな道を作ってあげる事を。


「自分がしたい事をしてあげる、それで喜んでくれたら、きっと自分も満足出来る……そう、思っていたの」

「それって……」

「日向君の隣に日和ちゃんが居て、その周りに私達が居て、それがずっと続く……そんな未来」


 夜、ベッドに入ってその日の出来事を思い返す度、未来の地図を描いてみる。

 大きくなった蕾ちゃん、大学生になったり社会人になった私達。

 その中心は日向君で、私達の交友はまだ続いていて、皆が自分の人生を生きながら、お互いを支え合える。

 そんな未来にする為には、自分が何をすればいいのか。

 言葉にすればただの誇大妄想みたいな事でも、願うならばそんな未来が欲しいと思った。

 だから、こんな所で躓くなんて思っていなくて、それに対しても私は落ち込んでいる。


「……バカじゃん」


 ぽつぽつと語った私に、唯は溜息交じりにそう、一言だけ。


「あのね、悠里」


 ブランコから立ち上がった唯が私の前に立って、指先を私のおでこの先に突きつけた。


「あたし達はね、まだ子供なの。高校生って言ったって、世間的には親に保護されて、自分の力じゃ住む所だって毎日食べる事だって難しい、そんな子供なの」

「う、うん……」

「まだ自分の道すらも満足に決められないのに、人様の人生のレールを敷いてやろうなんて、大層な事は出来ないんだよ」


 ごもっともです……頭の中ではそう思うのに、ちゃんと言葉で分かったって言えない。


「それ以前に、あんたは元々、人の事を優先し過ぎ。いつも一歩引いて貧乏くじ引いて、根が良い子ちゃんだからそれでも満足しちゃっている。それが私の知ってる悠里。間違ってる?」

「わ、私に言われても分かんないよ……」

「じゃあ教えてあげる、それがあんた。そんなあんたが、今に関して言えば、はっきりと羨ましいとか……ちなみにそれ、普通に妬いてるって言うからね、世間一般では」

「えっ」

「綺麗な言葉で片付けてんじゃないっての。あんたは妬いてんの、日和ちゃんに」


 そうなのだろうか、という思う反面、やっぱりそうなのかと納得してしまう。こういう時の唯の、謎く説得力は目を見張るものがある。

 そこで、唯の視線がふっと柔らかくなった。


「でもね、それは悪い事じゃないんだよ、悠里」

「そう……なの、どうして?」

「どうしてって、そんな良い子ちゃんで自分を納得させるのが人一番上手いあんたが、こんなになるまではっきりと調子を崩してる。それってさ、あんたにとって、これが本当に"どうでも良くない事"だからでしょう?」


 当たり前じゃん、と唯が泣き笑いのような顔で言った。


「あんたの言う、その綺麗な未来は、あたしだって欲しいと思う。きっと全員そうだと思う、そうあって欲しいよ。でもね、でも……全部を思い通りに出来るぐらい、あたし達は強くもないし大きくもない、そういうのが出来るようになるのは、もっと大人になって色々と経験してからで、それが出来るようになった頃には、あたし達は過去に上手くやれなかった事を後悔するんだと思う」

「そんなの、嫌だなぁ……」

「私も自分で言いながら、悲観的過ぎるかもってちょっと反省したわ……」


 唯の場合、悲観的というか達観している感じが凄い。偶に同世代の女の子だって思えない時がある。


「でもそれでも、いいじゃん」

「え?」

「前に新垣のおじさん、うちのパパの話とかしてた事あるじゃん? その時の話とかさ、偶にうちのパパも学生時代の事を話したりするんだけれど……失敗談とか、結構聞くのよ」

「し、失敗談……」


 それはあれだろうか、恵那家に伝わるトラブルメーカーとしての血筋の。


「でも、楽しそうなのよ。中には笑えないような失敗も沢山あると思うんだけどね、それも懐かしそうに、子供の頃の宝物みたいに話すの。それを聞いてると、あぁ、あたしもなんか、そういう大人になりたいなぁって思うのよ」


 分かるような、気がする。

 あの人達は、私達の周りに居る大人達は、勿論素敵な人達ばかりだけれど、私達の見えない失敗も勿論あって。


「でもそうなるには、ぶつかっていくしかないんだよ。あの時こうしていれば良かったとか、そんな事を思い返す事のないように。そうじゃないと、笑って迎えるなんて出来ないのよ」


 全部が全部、笑えるようになった訳じゃないのだろうけれど、それを少しでも多くする為には……きっと。


「だからさ、悠里。手が届かない場所まで手を伸ばすのは、止めようよ。届く場所でいいよ、今届く場所でいいから、その代わり自分の気持ちだけは真っ直ぐいこうよ」


 ぐいっと手を引かれ、立たされた。

 目の前にある唯の目はとても強くて、優しくて、何故だか私は無性に泣き出したくなった。


「誰かの為に何かをしたいなら、先ず自分の為に何かをするべきだとあたしは思う。誰かに誠実でありたいのなら、先ず自分に誠実であるべきだともあたしは思う。大丈夫」


 唯が白い歯を見せて笑った。


「あたし達は、そんなに弱くないよ」

「あぁ……」


 そうなのかもしれない、きっとそうなのだろう。

 私がしていた事、しようとしていた事は、裏を返せば誰の強さも信じていないという事だ。

 前を向いた日向君の事も、彼に寄り添おうとする日和ちゃんの事も、支えてくれる唯や成瀬君、そして蕾ちゃんの事も。

 何かの切欠で簡単に壊れてしまうんじゃないかと思う私の弱い心で、例え道を作ったとしても、そんなのは長くは続かない。


「……悠里?」


 霞んだ視界の中で、唯が心配そうに首を傾げるのが見える。

 気付けば私はぽろぽろと涙を零して、拭う事もせずに顔を伏せていた。

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