鳴かずば撃たれまい。
一体何を始めるつもりなのか、一瞬で身構えた私達に構わず、唯は手に持った箱をダイニングテーブルの上に乗せた。中からはガラガラと何かがぶつかり合う音がする。
「普通に食べたんじゃあ面白くないからね。ルールは簡単、一人ずつ順番に目隠しをした状態でこの箱の中に手を突っ込むの。中にはゴムボールに今日買ってきた物と、あたしが用意した物の名前が書いてあるから、当人はそれを食べる……それだけよ」
「……待て、お前も用意したって言ったか?」
「そりゃあ用意するでしょ、皆に買ってきて貰っておいて自分だけ何も準備しないなんて、そんな訳にはいかないわよ」
唯の返事を聞いて一瞬で目の光を失った成瀬君に、私も心から同情する。
こんなに素敵な状況で、初めてのチョコレートファウンテンで、今から果物やマシュマロにたっぷりのチョコレートでドレスアップするのに、そんな夢のような状況が一つ間違えれば恐怖の闇鍋会場に変貌するのだ。
「案外、普通に食べるよりは面白いかもしれませんね」
「日和ちゃん、油断しちゃ駄目よ。何が出てきても驚かないようにしておいた方が良いわ」
「は、はい」
日和ちゃんも唯への警戒度は最初に比べて格段に上がったけれど、まだまだ脇が甘い所がある。
特に今日は純基おじさんも一緒なのだ、以前のキャンプでは割と普通だったけれど、慣れてきたら何を始めるか分からないという意味では唯と同じかそれ以上に行動が読めない。
この機材に関しても、友人価格で借りられたとはいえ、数千円で済むとは思えない。そんな万単位のお金を思い付きで出せてしまう財力が唯との大きな違いかもしれない。
「明日、お腹壊さないといいなぁ」
あぁ、窓の向こうに見えるお日様が明るい。綺麗なお家に夢の機材、仲の良い人達に囲まれて……最高のロケーションの筈なのに、嵐の前にしか思えない。
私が本気で我が身の無事、ひいては皆の無事を祈っている時だった。
「へぇ、随分と楽しそうな事をしている」
ピシャリ、とリビングにややハスキーな声が響く。私は声を聞いただけで誰なのか分かったけれど、まだ会った事のない日向君達は見知らぬ第三者の声に驚いた様子だった。
「なんかパパと唯ちゃんが最近コソコソしてると思ったら、私が町内会の会合に出ている間に、こんなイベントを企てていたなんて……ねぇ?」
廊下とリビングを繋ぐドアの位置には、真っ黒いワイシャツとスキニーのシンプルな装いをした女性が立っていた。
私の傍に居た日和ちゃんが小声で「あの……もしかして」と問い掛けてくる。
日和ちゃんも恵子さんが放つ存在感に圧倒されたのか、両手を前に組んでお行儀よく直立不動になっていた。
私は日和ちゃんに頷いてから、その人へと向き直って頭を下げた。
「おばさま、お邪魔しています」
「はいはーい、いらっしゃい悠里ちゃん! 今日も可愛いねぇ、前に来た時よりまた随分と女の子らしくなったなぁ」
恵那家の母、恵子さん。長い黒髪は腰に届く程だが絹のように美しく、シュッとした立ち振る舞いは女性の私から見ても憧れる。これで私達と同い年の娘を産んでいるのだから、本当に信じられない。
美魔女という言葉があるのは知っていたが、私の知る範囲でその名称が当て嵌まるのは恵子さんだ。はっきり言ってテレビに出てる女優さんがそのまま目の前に居ると言っても過言じゃない、そのぐらい存在感が強く、美しい人。
「さて、それで……そこの二人」
「……」
「…………」
恵子さんが出現した瞬間から、唯と純基おじさんは完全に動きを止めてお互いに目線を交わせあっていた。その様子から、このイベントが恵子さんには知らされていなかった事がよく分かる。
十数秒経ってもお互いに説明責任を押し付け合う父娘に、恵子さんの口角が怪しく上がったのが見えた。
パキッ。
「ひいっ!!」
恵子さんが右手を広げたり閉じたりすると、乾いた関節の音が鳴った。ついでに唯からも短い悲鳴が上がる。
「む、娘の友達に素敵な想い出をプレゼントしたいと思っておりました、サー!」
「そう! そうそうそう! 折角だから、盛大にぱーっとやろうかなぁ! ……なんて、パパが」
「ちょっとちょっと唯ちゃん! パパが冗談半分で『これやったら?』みたいな事を言ったら大喜びで賛同してきたのは唯ちゃんでしょう! パパは提案しただけで、決定権は唯ちゃんにあったんだよ!」
「でもそれはパパが『お金は気にするな、パパが何とかするよ』ってキメ顔で言ったからじゃん! あんな事を言われたら甘えたくなるのが娘ってもんでしょうが!」
パンッ! と恵子さんが一本締めのように手を叩いた。反射的に私達も背筋が伸びる。
「成程、宜しい。つまり自分達がホストとなり、ゲストをお迎えした……そこに相違は無いわね?」
「は、はい……」
「それで唯ちゃん、貴女は今から、その催しでお客様に盛り上がって頂きたいと、そういう事よね?」
コクコクコクと唯の首が高速で縦に振られる。冬場だというのに、唯も純基さんも顔から軽く汗が出ていた。
「それじゃあ唯ちゃん」
恵子さんが、唯に向かって右手を伸ばし、指先をクイクイっと二度ほど曲げた。
「それ、ママが中を調べても、ぜーんっぜん問題ないわよねぇ?」
「あ……あ……」
「悪戯好きな唯ちゃんでも、まーさか食べ物に変なものを混ぜて遊ぼうなんて、そんな事は考えてないわよねぇ?」
観念したように唯がじりじりと恵子さんに歩み寄り、両手で箱を差し出した。
あの唯を指先一つで自在に操るこの手腕はいつ見ても惚れ惚れするというか、何故ここまで圧倒的なヒエラルキーの差がある相手を出し抜こう等と考えるのか、私はいつもそれが分からない。
「検閲します」
そしてこの瞬間、私達の不戦勝が決定した。
この状況で新キャラ出すとか正気ですか