チョコレート・ミステリーパーティ
そして来たる二月十四日、奇しくも今年のバレンタインは土曜日で、私達は唯の家に集められた。
「……でけぇ」
「良い家だなぁ」
「でっかいねぇ」
「さすがの意外性ですね……」
立派な家の門を目の当たりにして、各々から感嘆とした声が上がる。私は何度も来ているので慣れてしまったけれど、唯の家である恵那家はこの辺りの住宅街では比較的大きな家だ。豪邸という程ではないが、欧州風のデザインを取り入れた家と広々とした敷地は、周りの家よりもランクが一つ上なんだと分かる。
敷地内に入って私が玄関のチャイムを鳴らすと、インターフォンから唯の『はーい、ちょっち待っててねぇ』という呑気な声が聴こえた直後、玄関のロックが外れる音がした。程無くしてドアが開き、私服姿の唯が姿を現す。
「いらっしゃーい、ほらほら、寒いから入って入って」
「うん、お邪魔します」
私が先頭を切って玄関に入ると、後ろから日向君達も順番に中へと入る。全員が入っても余裕がある玄関からは、奥のリビングに続くドアと、吹き抜けになった二階までの階段が見える。
「とりあえず言われたものを用意してきたけど……」
「あ、うんうん、ありがと。飲み物とか冷蔵庫に入れておく物は入れておいてー」
私達が唯から言われたのは、今日の土曜日正午過ぎに唯の家に来る事。
そして、その際に『生のままでも食べられる食材を買ってくる事、果物とか推奨』という一言が添えられていた。
果物が推奨という事は、今日のイベントは割と普通に全員でフルーツタルトみたいなお菓子を作って楽しみましょう……という至極平和な事ぐらいしか予想が付かない。いや、バレンタインなんだから平和で普通なのだけれど、唯の発案という時点で『その程度では終わらないだろう』という予感が誰の胸の中にも芽生えた事だろう。そしてその予感は、リビングに足を踏み入れた時点で間違いではなかったと確信に至った。
「……うわぁ」
「なんだぁ、こりゃあ……」
私と成瀬君の声が重なった。遅れて入ってきた日向君と蕾ちゃん、日和ちゃんも足を踏み入れた途端に呆気に取られたように押し黙る。
唯の家のリビングは、広々としたシンプルモダンの安らげるような場所だった。だった、というのは、私の目の前にある恵那家のリビングが、いつものそれとは異なる雰囲気になってたからだ。
「やぁ皆、久し振り。今日は楽しんでいってね」
お庭へも出られる開放的なリビングには、何故かエプロンを付けた唯のお父さん……純基おじさんが居て、そのリビング中央にあるテーブルの上に鎮座する、銀色の物体をあれこれと組み立てていた。
「あれ、なにー?」
「うーん……多分だけど、これってアレだよね……ホテルとかにある」
「そうですね、私も実物は一度しか見た事ないし、稼働している所しか知りませんけど……」
蕾ちゃんの疑問に、隣に居る日向君と日和ちゃんが確認するように頷き合う。
皆の驚いた反応が嬉しかったのか、純基おじさんが満面の笑みで腰に手を当てて揚々と喋りだした。
「そ、チョコレートファウンテン! いやぁ、こういうの一度やってみたかったんだぁ」
「どうしたんですか、これ?」
「知人にこの手の会社に勤めてるのが居てね、格安でレンタルさせて貰ったんだ。個人用だと元々そんなに安くないんだけど、小さいと迫力が無いからね」
確かに、チョコレートファウンテンの機械は小さいものであれば、ちょっとした卓上クリスマスツリー程の大きさの物もあるかもしれない。
しかし今、私達の目の前にある機械はそれよりも大きい……蕾ちゃんと同じぐらいの高さだと思う。
ダイニングのローテーブルに置かれると、私達の目線とあまり変わらないぐらいに背が高い。
「いやぁ、最初は皆でお菓子作りでもいいかなぁって思ってたんだけど、あれこれ考えてたらパパに事情を訊かれちゃって、話したらこうなっちゃったわ」
話しただけで、お菓子作りがチョコレートファウンテンになる……バレンタインという点で見ればチョコレートそのものに近付いたので正解とも言えるんだろうけれど、より遠ざかっている気がするのは何故だろう?
私達の困惑を他所に、純基おじさんが機材の組み立てを終えたらしく、唯に何事かを指示していた。
「さぁ、皆もほら、楽にして。これから最後の仕上げに入るよ」
促されるまま、私達はコの字型に配置されたソファーや椅子に腰を掛ける。すると、キッチン側に引っ込んでいた唯が手にボウルを持って戻ってきた。
「持ってきたよん、大丈夫だった、全部溶けてる」
「オッケー! それじゃ、チョコレートを全部流しちゃおう。そうだ、どうせなら女の子全員に手伝って貰っていいかな?」
振り向き様に純基おじさんからウィンクを飛ばされ、私と日和ちゃんが慌てて立ち上がった。
何が起きているのか分からない表情で呆けている蕾ちゃんの背中を日向君が軽く突くと、蕾ちゃんも慌てて立ち上がる。
私が笑って頷くと、蕾ちゃんは安心したような表情で私の傍まで来て手を握ってくれた。
「それじゃあ、一人一袋ずつ……この中のチョコレートを、受け皿の部分に流し込んでいこうか。蕾ちゃんはこっちへ、おじさんが一緒にやってあげよう」
「はーい!」
機械を取り囲むようになった私達に、唯が業務用の大きなチョコレートのパウチをくれる。受け取るとグニュグニュと柔らかい感触があり、ほんのりと温かさがあった。
切り込みのある部分から慎重にパウチを開け、中身を機械の指定された場所へと注ぐ。甘い香りが周囲に立ち込めて、先程までの困惑は何処へ行ったのか、期待に胸が膨らんできた。
「よし、それとカカオバターも入れて……っと、これで完成か、いやぁ結構重労働だね、これは!」
「なんか凄い……こんな事になるなんて、思ってもいませんでした」
やり切った顔の純基おじさんとは別に、日和ちゃんが神妙な声で呟く。けれどその口角は少しだけ上がっていて、私と同じように期待感が膨らんでいる事を隠せていない。
それはそうだ、こんな大きな機械で……しかも自分達だけでチョコレートファウンテンができるなんて、女の子にとっては夢のような体験だ。
「これ、なんなのー?」
「見た事ない? テレビとかで偶に映る事があるけれど……」
「んー、わかんないー」
蕾ちゃんの無垢な疑問に、日向君が柔和な笑みで答えている。きっとこの後、蕾ちゃんは驚いた顔を見せてくれるだろう。なにせ、私達でさえ楽しみなのだ。
「さぁ、それじゃあ電源を入れようか……えーっと、どこだスイッチ」
「ここだよ、ちゃんと説明書読んでおいてよ、パパ」
「あいや失敬……さて、今度こそスイッチオン」
気の抜けるような恵那親子のやり取りの後、純基おじさんが機械の下部にあるスイッチを押す。すると、ヴン……とやや重たい動作音の後、本体の芯がくるくると回転を始めた。
「ま、まわってる……」
蕾ちゃんが両手で日向君の服を掴みながら、口を半開きにして呟いた。動いた瞬間に大騒ぎするかと思ったが、正体不明の大きな機械は怖かったらしい。けれど大変可愛らしいので、これもまた良しとします。
「うおー、すげぇ! マジじゃん! ファウンテンし放題じゃん!」
「し放題だよ、出来れば可能な限りお腹に入れて行って欲しいな、後片付けが楽だからね。ほらほら、ピックなんかはあっちに全部用意してあるから、後は勝手に食べ始めちゃって」
純基おじさんに促され、私達は足早にダイニングテーブルへ食器と食材を取りに向かった。
一時はどうなる事かと思ったが、これはこれで最高のバレンタインになるかもしれない。唯に言われた通り、果物をメインに買っておいて良かった。
「ふふ、日和ちゃん、蕾ちゃん、最初は何からにする?」
「えと……無難にイチゴからにしようかと」
「これ、どうするの、どうするの!?」
甘い物と聞けば遠慮はしないのが女子だ。私は日和ちゃん、蕾ちゃんと一緒に果物の物色をしようとしたのだけれど。
「……あれ? ここに置いた筈なんだけど」
先程、ダイニングテーブルの端に置いた、食材が入ったレジ袋が見付からない。唯が冷蔵庫に入れてしまったのかと思っていると。
「あっはっはっはっはー!」と、背後から棒読み過ぎる笑い声が響いてきた。いや、まさか、ここまで順調に事が運んできて、やっぱりかという強い疲労感に襲われる。
皆で一斉に声の方に振り返ると、右手に正方形の箱を抱えた唯が仁王立ちしていた。
「馬鹿ね! あたしが普通に! あんた達に! こんな美味しいイベントをさせる筈がないでしょうが!」
盛り上がる唯とは裏腹に、私達の表情には『ですよね』という言葉が広がった。