宴の終わり①
誕生日会も後半戦となり、序盤からあらかた騒いだ日向達は、今はもう疲れを隠す事無くそれぞれがテーブルを囲んで静かに座っている。
テーブル中央には切り分けられたバースデーケーキと、湯気が出なくなって久しいマグカップが置かれていた。既に満腹感を通り越して充足感に浸る雰囲気は静かなものの嫌な空気ではない。
日和と明吏が帰宅してからはゲーム機を起動し、全員で交代しながらゲームをして遊び、馬鹿みたいにはしゃいだ。
案の定というか、予想通りというか、新垣家には国民的キャラクターが主役のテニスゲームもあり、勝ち抜き式でプレイしようと誰かが言い出し。
あろう事か、始まる前までは本命だと思われていた日向がゲーム初心者の悠里にあっさりと敗北し、ゲームド下手くその烙印を押され、失意の底に沈んで部屋の隅で体育座りをして放心したり。
そんな兄の汚名を返上すべく立ち上がった蕾と、いじける日向をここぞとばかりに弄る雅に憤慨した日和が、揃って雅を叩きのめすという一幕があった。
続いて開催されたボードゲームでは、日向と唯が夫婦関係となった辺りで場が異様に冷たい雰囲気に包まれ、雅は声を嗄らすまで場の雰囲気を和ませようとカラ元気を吐き出し。
そうして騒ぐだけ騒いだ後、誰ともなしにテーブルを囲んで座り直し、今に至る。
「うっわ、もうこんな時間なんだ。過ぎるのが早いねぇ」
「あぁ、本当だ。あっという間だったね」
唯がリビングの時計を見て驚いた声をあげると、日向も同じく時計を見上げて頷く。少し前にようやく蕾から解放されてソファーへともたれ掛かっていた雅もまた同じようにすると、はふっと息を吐いた。
「だな。そろそろ片付けるか……大分散らかしたから、おじさん見ると腰を抜かしそうだ」
「あと片付けならこっちでやるから、皆は準備してても大丈夫だよ」
「何言ってんだ、自分達が散らかした分ぐらいは自分達でやるっての」
「そっか……ありがとう」
冬季休暇という長い休みの中で学生達は余裕があると言っても、これから蕾は入浴等をして九時には就寝しなければいけない。雅の申し出を、日向はありがたく受け取る事にした。
しかし一人、当の蕾はその兄達が行う会話に不満のようで。
「えー、まだだいじょうぶだよー! おとうさん、まだかえってきてないもん! おとうさんかえってくるまでだいじょうぶだもん!」
「蕾ちゃん、その言い方だとおじさんが帰ってきちゃいけないみたいに聞こえるから、絶対におじさんの前では言うんじゃないぞ」
「むー……ほんとうにかえっちゃう?」
しおらしくなった蕾が甘えたような声を出すと、雅は弱り切った顔で日向へと助けを求めた。
「なるほど、こういう顔をされると何でも言う事聞いちゃうようになるのか」
笑いながらも雅は蕾の両脇へと手を差し込み、その小さな体躯をゆっくりと持ち上げた。
目線が高くなった事が面白いのか、蕾が両足をバタバタとさせながら笑う。
「蕾ちゃんも六歳か。重たくなったよなぁ」
「あんた、女の子に向ける言葉として最低なものをセレクトする才能だけはあるわよね。あとそれセクハラだから」
「六歳児にはセーフだろ!? これでもなぁ、お前等よりは蕾ちゃんの事を長く見てきているんだぞ、親戚の子供を見る感覚だろうが」
「親戚って意味じゃ、あんたより日和ちゃんの方がずっとその立場に近いっての!」
「こらー! けんかはやめなさーい!」
抱えられた蕾が、雅の頭から二人に向かって一喝する。一番年下の女児に叱られた二人がしゅんと肩を落とすと、それを傍で眺めていた日和がくすくすと口元に手を添えて笑った。
「まぁでも、私も最近までは全然つっつに構ってあげられなかったから、成瀬先輩の方が確かに親戚のおじさんっぽい感じはありますよね」
「でもつぼみ、ひよりちゃんのほうがいい……」
「あはは、ありがとう。こっち来る?」
「いーくー!」
雅の隣で日和が蕾へと両腕を伸ばすと、蕾が雅の手から日和へと受け渡される。
流石に雅のように腕の力だけで支える事は出来ないのか、日和は蕾を抱きかかえるようにすると、むっ……と顔を顰めた。
「ひよりちゃん、だいじょうぶー? つぼみ、おもいー?」
「だ、大丈夫……私だって……運動部……だから……」
蕾がずり落ちないように必死に抱え直す日和と、それを見守る唯と雅の二人。そのやり取りを微笑ましく眺めながら、日向はふとこんな中でも静かな人物が一人居る事に違和感を覚えて後ろを振り返った。
そこでは、同じように目を細めて蕾達のやり取りを見ながらも、汚れた食器や食べ掛けのものを明吏と一緒に片付ける悠里の姿がある。
「悠里、いいよ。片付けはこっちでもやれるからさ、皆とゆっくりしていてよ」
「あ、うん。大丈夫、平気だよ。……ね、日向君。日和ちゃん、なんか元気になったね」
悠里の言葉に釣られて日和を見る。確かに、先程まで……もとい、ここ数日はどこか物憂げな雰囲気を纏っていた日和の雰囲気が、随分と柔らかくなっていた。
恐らく、明吏と出掛けて、その際に何かしら言葉を交わしたのだろうと予想はついていたのだが、詳細までは日向にも分からない。
けれども、ずっと日和を我が子のように可愛がっていた明吏だからこそ、日和には何かしら思う事もあり、掛けられる言葉もあったのだろう。
その予想は悠里もしていたようで、ちらりと横目で台所へと視線を向けると、口元を緩めて日和達を穏やかな瞳で見守る明吏の姿があった。
「明吏おばさんにとっても、日和ちゃんが蕾ちゃんと一緒に居る光景っていうのは、きっとかけがえのないもの……なんだよね」
その言葉は日向に向けられているようで、独り言のようでもあった。
全員が帰り支度を済ませると、日向は蕾と共に玄関先へと友人達を見送りに出る。
その傍ら、リビングからエプロン姿でやってきた明吏も交じり、濡れた指先をエプロンで拭いながら息子の同級生達を見渡した。
「本当に、ありがとう。お陰様で今年は家族だけでお祝いするよりも、よっぽど賑やかなクリスマスになったわ」
「おいおい、おばさん、いいってそんな。むしろ俺達が押し掛けた形なんだし、美味い飯も食わせて貰ったんだし」
御礼と共にしっかりと頭を下げる明吏に対し、雅が慌てたように手を振る。見れば雅だけではなく、悠里達も慌てた表情になっていたので、日向は困ったような顔で『好きにさせてあげて』と友人達へアイコンタクトを送った。
「恵那さんと悠里は一緒に帰宅して、日和は途中まで雅と一緒だったっけ……平気?」
「大丈夫ですよ。いつも通り、成瀬先輩が紳士で居てくれるなら、ですけどね?」
「なら大丈夫そうだ。雅はこう見えて根が真面目だからね。こう見えても」
「褒めてんのか持ち上げてんのか、どっちなんだよそりゃ……」
日向と日和のやり取りを横で聞いていた雅が肩を落とすと、日和がくすくすと笑いを堪え切れないといった面持ちで口元を隠す。
一通り別れの挨拶も済んだ所で「じゃあそろそろ行くわ」と雅が率先して玄関のドアを開け放ち、悠里達もその後を追うようにして続いた、その時だった。
「は、はつもうで!」
蕾が最後尾の悠里のコートの、その裾を目一杯に手を伸ばして掴む。
玄関の段差から落ちそうになる蕾を日向が慌てて支えるのと、悠里が驚いて振り返るのは同時だった。
「はつもうで……だめ?」
懇願のような響きは、精一杯の我儘だ。以前のように泣き喚いて引き留める事はしないまでも、しっかりと次の約束だけは取り付けるらしい。
いじらしいその言葉に、日向達は一瞬言葉を失ったものの、すぐに顔を見合わせて軽く噴き出した。
目線で『どうする?』と答えを求めると、日和、唯、雅は順に頷く。ひょっとしたら元よりそのつもりだったのかもしれないが、此処で予定を決めてしまえるのならば話が早かった。
だから、日向は当たり前のように最後に悠里へと視線を向けて、合意を得ようとして。
「…………うん、行こうか、初詣!」
僅かな、本当に僅かな間、悠里が固まった笑顔でいた事に、違和感を覚えた。
「ゆう……」
り、と言葉を続けようとした所で、悠里がさっと屈んで蕾の頭に手を置く。
「蕾ちゃん、初詣までに風邪引いちゃ駄目だよー? 暖かくして、沢山寝て、夜更かしし過ぎないようにするんだよ?」
「うん、だいじょうぶよー! つぼみ、いつもねるのはやいもん!」
「そっかそっかぁ、偉いなー蕾ちゃんは!」
手袋を嵌めたその手で、小さな頭を二度三度撫でる。その動作はこれまでに何度も見た通りで、全くもっていつも通りではあった。
いつも通り過ぎて、それが却って先程見せた一瞬の逡巡で、蕾に与えた不安を払拭するかのように思えてしまったのも、気のせいなのだと思う事にした。
「それじゃあ、今度こそ帰るね。またね、日向君」
「じゃあねー、お邪魔しましたー!」
「またな、日向。蕾ちゃん、おばさんも」
「お邪魔しました。それでは、また新年に……」
悠里の言葉を皮切りに、再度雅が新垣家の玄関ドアを開けて四人が順番に外へと出て行く。僅かに入り込む冬の風が暖房によって温かくなった家の中の空気と交じり合い、ぼうっとした頭を少しだけ冷ましてくれた。
ガチャン、とドアが完全に閉まると明吏はパタパタとリビングへと引っ込み、隣の蕾がくいくいと日向の手を引っ張ってくる。
「……かえっちゃったねー」
「うん。……お風呂、入ろうか」
悠里達が帰宅した事で興奮が解けたのか、先程とは打って変わって蕾が静かに頷く。
あれだけ騒いだのだ、体力も消耗して、今日はいつもより早めに寝床についてくれるだろうと、日向は蕾の手を引きながら浴槽にお湯を張る為に浴室へと向かうのだった。
◆
蕾を風呂に入れてから寝かしつけ、リビングに戻ると既に時刻は夜の九時を回っていた。
仁は年末の業務で忙しいらしく、まだ帰宅していない。この様子だと十時は過ぎてしまうだろうという事で、明吏は仁の夕飯用に残しておいたパーティの料理を一旦冷蔵庫へと仕舞うと、ダイニングテーブルに座る日向の向かいへと腰を掛けた。
「母さん、お疲れ様。今日はありがとう、助かったよ」
「はいよ、この借りは高く付くよ。って……冗談よ。娘の誕生日を祝って貰ったんだもの、このぐらいは母親として当然でしょう。日向、コーヒーは?」
「あ、俺がやるからいいよ」
「あらそう? それじゃ、お任せしちゃおうかな」
「お好みは?」
「インスタントでいいわよー、濃さは……濃い目!」
宜しくー、と手を振る明吏に頷くと、日向は洗い終わった食器が置かれている、水切り籠の中から丁寧にマグカップを二つ取り出した。
まだ僅かに濡れているそれを乾いた布巾で拭い、手際よく二人分のコーヒーを淹れる。ふわりと香りが鼻腔を掠める中、ふと気になった事を明吏に訊いてみる事にした。
「母さん、日和と何か話したの?」
「うん? んー、まぁね。ちょいちょいっと、若者の悩み事をねー」
「そっか。母さんと出掛けるまで、日和が微妙に暗い顔していたから、気になって」
マグカップを両手に持ち、一つを明吏の前に、もう一つを対面に置くと自分の席に座る。
お互いに一口ずつコーヒーを啜った所で、明吏が再び口を開いた。
「日和ちゃんね、ずっと気にしてたんだって。ウチに来なくなってからの事とか、あんたの事とか」
マグカップから出る湯気を眺めながら、明吏の言葉だけがリビングに響く。
もう一口、コーヒーを啜り、今度は日向が言った。
「……以前に、その辺りの事は話した事があって、もう吹っ切れた……と思っていたんだけど」
「吹っ切れたんだと思うよ。吹っ切れて、でもまたぶつかっちゃったのよ。きっとね、あの子は大人になったんだと思う。大人になって、ちょっとだけ視線が高くなって……高くなったら、今まで見えない事が見えてしまって、考えこんじゃったのね」
こん、とマグカップの縁を突いた明吏が日向に視線を戻す。日和の事を話しているようで、それは日向の事にも当て嵌まるのだろう。日向を見る明吏の表情は嬉しそうでいて、寂しそうでもあった。
「もっと話をしてあげなさい。日和ちゃんがちゃんと安心出来るぐらいに。ただでさえ、あんた達は二年も擦れ違ってたんだから、まだまだ何処かに壁があるのよ」
「いや、まぁ、そうなんだろうけど……分かった」
「ふふ、それにしても、日和ちゃんは前も可愛かったけれど、高校生になったら更に可愛くなったわねぇ。日向、あんたあの三人の内、誰が好きなの?」
「ぶっ!」
唐突に差し込まれた質問に、日向が危うくコーヒーを噴き出しそうになる。
じろりと正面を見ると、楽しそうにニヤニヤと笑う明吏の顔があって、まるで好奇心旺盛の猫みたいな状態だった。まさか母親がここまで堂々と子供達の恋愛事情に首を突っ込んでくるとは思っていなかったので、取り繕う暇も無い。
「……いや、三人て。恵那さんとは別に……」
「あら、悠里ちゃんと日和ちゃんは否定しないのね? 割と脈ありだった? むしろ向こうからアプローチされたの?」
「そ、そういう意味では無くてですね……」
「まぁ日和ちゃんは、もう昔っからあんたの事が大好きーって感じだったから分かり易いけど。私としては誰でもいいわよ、皆揃って本当にいい子だし、全員可愛いし……」
「だからですね、そういう話は俺の居ない所でやって欲しいと……」
子供を二人産んでも母親もまた女性、恋愛話になるとかくも饒舌になるのかと思い、いやこれはむしろ暴走する予兆ではと、日向が必死に話の矛先を変えようとしているが、明吏は一切気にしない。
これはある程度、本人が満足するまで付き合わねばならないのかと辟易しながら日向は口を開いた。
「そりゃあ、嫌われてはいないと思っているけど。んん……」
「何よ、歯切れが悪いわね。あんな可愛い子達に囲まれて、あんたハーレムでも築くつもりなの? どこのラブコメ漫画主人公よ。男ならバシッと決めなさい、バシッと」
「いや、母親からそういう話をされても困るし、むしろそこは『節度を守って』とか『他所の娘さんに変な気を起こすんじゃないわよ』みたいに大人として窘める場面では?」
わざわざ妹の為に今日足を運んできてくれた子達相手に何て事を、と日向が戦慄していると、明吏は眉を寄せて残念な物を見る目で日向を見た。
「何言ってんの。日向の場合、節度を守って変な気を起こさないように気遣ってぐらい当たり前にやるでしょ。むしろ守り過ぎて何も進展しないまでがあんたでしょ。普通にしてたらあんたの周りの女の子は、あんたと距離を詰めるのがどんだけ大変なのか分かりなさい、新世紀の人型人造兵器じゃあるまいし、その周囲に張ってるバリアみたいなものを弱めなさいって言ってんのよ」
「べ、別にそこまで言わなくても……」
一方的に捲し立てられ、しかも割と反論し辛い所を的確に突いてくるあたりは流石は母親といった所だったが、日向が困ったような顔をしてから誤魔化すようにコーヒーを飲む姿を見て、明吏は溜息を吐いて席に座り直した。
「それに……」
「うん……?」
「あんたはね、私達が思った以上に良い子に育ってくれたの。私達が、想定した以上に、想像した以上の事をやってくれて、こっちが情けなくなるぐらい。だから、そんなあんたを慕ってくれる子が居たなら……あんたの、そういう良い所を受け止めてくれる子達が居たなら、その子達が悪い子な訳ないじゃない」
「うちの両親が割と親馬鹿だった件」
予想外に持ち上げられ、思わず軽口が飛び出す。面と向かってここまで言われるとは思っていなかったので、面映ゆい気持ちを抑えられず、日向は誤魔化すように目を逸らす。
「蕾の様子を見てくるよ」
「はいはい、風邪引かせないようにしてあげてね」
逃げるように席を立つ日向を止めるでもなく、明吏はその後ろ姿を見送った。
御無沙汰しておりました。
考え過ぎても書けないので、流れに任せて書こうと思います。