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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【四章 結実の冬、足跡を残して。】
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クリスマス延長戦と蕾の誕生日②

「そんな事って……でも、私……」

「あのね、日和ちゃん」


 日和の頬に、明吏はそっと手を添えると、ゆっくりと聞かせるようにして続けた。


「そんな事はね、普通なの。年頃の女の子が男の子の家に近寄らなくなるとか、何か諍いが起きて疎遠になるとか。そういう事は、貴方達の年齢なら普通にある事なのよ。むしろ、あの時まであなたはずっと日向の傍に居てくれた。さっきも言ったでしょう? あなたがウチに来るようになってから、私達夫婦は日向の事をもっとよく知る事が出来たの。そんなあなたを、少しの間、帰ってこなかったからって邪険に扱うなんて事は、しないのよ」


 むにむにと明吏が日和の頬を、我が子にするように気易く揉んでみせた。

 その度に顔の輪郭が変な感じになって、日和は恥ずかしいけど拒んでいいものか分からず、されるがままの状態になりながら明吏の言葉に耳を傾けている。


「日和ちゃんが戻ってきて嬉しい。それと、これまで日向の傍に居てくれてありがとう……私達からあなたに言えるのはそれだけで、日和ちゃんが言うように、今更なんだー! なんて、言う筈がないじゃない?」


 そう言い終えると、明吏は日和の頬に置いた手を、そっと日和の頭に乗せた。


「そっか、ずっと不安だったのね。ごめんなさいね……もっと早く、言ってあげたら良かったね」


 最初にこの家を再訪問した時から、日和の心にはずっと何か引っ掛かるものがあったのだろう。

 いくら自分達が歓迎しているとは言え、こうしてお互いに言葉を尽くさなければ全てが伝わる事は無かったのかもしれない。明吏が後悔を含んだ表情で日和の頭を撫でていると、日和はふるふると首を横に振った。


「違う……違くて……私が、気付いてないだけだったんです。知らないまま、気付かないまま、自分が良ければそれでいいみたいに、何度も先輩の家に行って……何食わぬ顔で、過ごしていて……」


 頭に乗せられた明吏の手を掴み、もう一度日和自身がそれを頬に引き寄せた。


「アルバム、私は途中から居なくて……あの時、ちゃんと間違えていなければ、きっと私はあのままアルバムの中に居る事が出来たんだって、思うんです。そうすれば、先輩がテニスを辞める必要も、色んな事を諦める必要も無かった。私には何が出来たのか分からないけれど、それでも今よりはもっと先輩は自由だった筈なんです……」

「日和ちゃん……」


 あのアルバムを開いた後から日和の様子がおかしかったのは、そういう事だったのかと明吏の顔に理解の色が広がる。

 明吏は再び日和と手を繋ぐようにした後、ゆっくりと家の方に足を進め始めた。


「遅くなり過ぎると、皆が心配しちゃうもんね」


 それだけを口にして歩き始めた明吏が再び口を開いたのは、一分程経ってからだった。


「そういう今があったのなら、それはそれできっと幸せだったんだろうな、と私も思うわ」

「…………?」

「でもね、日和ちゃん。最初に言っておくと、私は今のこの状況も悪くないなぁーなんて、無責任にもそう思っちゃってるのよ」


 ふふ、と面白そうに口元に手を当て、笑いながら明吏は続けた。


「だって、あんなに沢山の日向の友達が蕾の事までお祝いしてくれているんだもの。今日だけじゃない、学校祭の時にはもっと沢山のお友達が歓迎してくれていたでしょう? 私、あれは本当に驚いたのよ」

「あ……」


 その光景は日和も覚えている。日向のクラスでは、蕾もクラスの一員として受け入れられていた。

 日和のクラスにも幼い兄弟を持つ同級生は居るのだが、あんなに大っぴらな歓迎ムードではなく、普通の家族枠扱いだった。


「そういう結果って、きっと貴方達が色んな選択をした先にあるからこそ見えた結果なの。もしかしたら違う結果だったかもしれないし、もっと凄い結果があったかもしれない。でもそんな事はね、いいのよ。今が良いと思えるなら、それでいいの」


 曲がり角を過ぎて住宅街に入り、遠目に新垣家の門が見えてくる。気付けば雪がちらちらと降り始め、アスファルトの上を僅かに雪化粧している。

 先程まで僅かに見えていた晴天は鳴りを潜め、今は灰色の空が広がっており、明吏はそれを仰ぎ見るように顔を上げた。


「親ってね、そんなに万能じゃないのよ。子供の頃、私は自分の両親はきっとなんでも出来ると思っていたし、私が母親になった時にも、まだそう思っていたの。でも親になって初めて、万能なんかじゃないって気付いたのよ。出来る事には限りがあって、色んな責任があって……」


 情けないわよね、と明吏は視線を戻すと日和に寂しそうな笑いを見せた。


「でもね、それは私達の課題なの。日和ちゃん、私達はあなたを本当に娘のように思っているわ。でもね、それでも貴女は上月の家の娘なの。ウチの問題を、そこまで抱え込む必要は無いのよ」


 決して日和を蚊帳の外に置いている訳ではない。けれども、日和が余計な荷物を背負い込む事の無いようにと、明吏は優しく言い聞かせ、空いている手で日和を抱き寄せた。


「もう一度言うわね、日和ちゃん。ずっと……ずっと、日向の傍に居てくれてありがとう。あの時は何も言えずにお別れになっちゃったから、今此処でちゃんと伝えておくわね。それで、これからもあの子と仲良くしてくれて、私達の事を第二の家族と思ってくれたら、そんなに嬉しい事は無いわ」

「明吏おばさん……私……」


 明吏の胸元に顔を押し付けるようにして、日和が声を絞り出そうとして、声が詰まる。

 言い出せない日和の後頭部を、明吏はゆっくりと撫でた。


「ずっと、日向の事を好いていてくれたんでしょう。……果報者よね、あの子も」

「うー……」


 ずばりと心の中を言い当てられても、日和は唸るだけで動揺はしなかった。

 きっと明吏にはとうにバレているのだと思っていたから、そんな事を言われても今更だったのだ。


「貴方達はまだまだ若くて、これからもっと沢山の事が人生に折り重なっていくの。失敗して、喧嘩して、時間が経って振り返って。そうやって一つ一つ、大人になっていくのよ。私達大人に出来る事は、それを近くで、遠くで、見守る事だけ。だから私達は、これから貴方達がどんな未来を歩いて行くのかを、楽しみに楽しみにしているわ」


 そう言った明吏は、胸元から日和の顔をそっと離すと、くるりと体勢を変えて日和を前に押しやった。


「さ、帰りましょう。まだまだこのぐらいじゃ、ウチの娘は満足してくれないんだから、大変よ?」

「……はい!」


 明確に何か答えを貰った訳でもなく、未来の事が分かった訳でもない。

 それでもこの時確かに、日和は過去のしこりが静かに溶けていくのを感じていた。


「それにしたって、本当に貴方達って悩み方もそっくりよね」

「な、なんですか……?」

「いーえ。似た者同士、仲良くやればいいだけよね、って話よ。……それにしても、我が子ながら、なかなか女の子から人気あるじゃない……」


 戸惑う日和を他所に、明吏は独り言のようにぶつぶつと小声で歓心したように呟く。

「まさか三人から好かれるなんてね」という微かな声は、近くを走る車の音で幸いにして日和に届く事は無かった。


 ◆


「あ、かえってきた! おっかえりー!」


 日和が玄関に入り靴を脱いだ途端、背後から軽い衝撃を受けて振り返ると、出迎えてくれたらしい蕾が日和の腰元に抱き着いた。

 驚いた日和が目をぱちくりさせていると、そのままぐいぐいと手を引っ張られる。


「いまね、みんなでしんけんすいじゃんくやるの! ひよりちゃんもいっしょにやろー!」

「ちょ、ちょっと待ってね! 荷物を置きに行かないと……」


 片手に買い物袋を携えたままの日和が蕾を宥めると、それをひょいと誰かに取られる。


「これは私が持っていくから、日和ちゃんは蕾の相手をお願いね」

「あ……すみません……」

「いいのいいの、こちらこそ買い物に付き合ってくれてありがとうね」


 軽くウィンクして去り際、明吏は一瞬だけ人差し指を口元に当てた。

 先程までの事は、二人だけの秘密にしておく、という合図だろう。日和が頷いて応えると、明吏はそのまま台所へと去って行ってしまった。


「ひよりちゃん、ただいまはー?」

「え、え?!」

「かえってきたら、ちゃんとただいま、いわないとだめでしょ?」


 僅かに頬を膨らませる蕾に、日和は呆気に取られた後に軽く噴き出した。


「つ、つっつ……それ、日向君の真似してるんでしょ?」

「ま、まねじゃないもん! いいから、ちゃんとあいさつしなさーい!」

「うん……ごめんね。ただいま……」

「おかえりなさい!」


 にこりと笑う蕾の顔に、救われる思いがした。

 一度は手放して、もう一度触れて、その尊さに触れて。そうして、自分の行いを悔いて、また手放そうとした。

 けれども、この家の人はこうして受け入れてくれる、自分を必要なのだと言ってくれる。

 おかえり、と言ってくれる。


「本当に……私って、一度無くさないと気付かない事が多過ぎるよね」


 馬鹿だなぁ、と自分でも思うけれど、それでいいのだと明吏は言ってくれた。

 何度も何度も迷って悩んで勝手に傷付いて、こうしていつの間にか傷は治って塞がっている。


「ねぇねぇ、ひよりちゃん、しんけんすいじゃくやろうよ!」

「神経衰弱、ね。うん、皆の所に行こっか」


 日和は、今度こそ自分の手で蕾の手を握った。

 温かい会話が溢れるあのリビングへ向けて足を運ぶ。それでも、多分これからも自分は何度も迷う事があるだろう、迷わずに進める程に日和は自分を強い人間とは思っていない。


 だから、少しずつ強くなろう。

 大好きな人達の傍に、ずっと居られるような自分に。そう、思えた。

余談。

日和の弱さや過去との向き合い方は、本来は日向との再会で一度は終わっている筈でした。

再会する為に気持ちを奮い立たせ、再会してからも、自分の中にある日向への理想に自身で打ちのめされ、叶い、日向の体験を追憶し、やがて自分が一度は捨ててしまった日向『以外』のものの大切さをもう一度知る必要がありました。

これはひとえに、日和という存在が日向との対面の他に、日向を通した新垣家との関係にあるものを清算する為に必要な儀式だったのかなと思っておりましたが、問題はそれを『誰が』処理してくれるのか、という事でした。


日向の時は父親である仁がその役割を果たしたので、日和という新垣家におけるある種の長女的な彼女には、明吏という母親役がそれを務めるべきだと思いました。

ですが文中で明吏が言う通り、日和と新垣家は本当の家族ではありません。ありませんので、本来は日和が責任を負うべき事など何一つない、けどそこを直接的に伝え過ぎると明吏は日和を拒絶したように捉えられてしまうのでは、と懸念していますので、なんかあんな少し迂遠な言い方になっていますね……書いてて、これ伝わり辛そう、って思ってました(笑)


あと最近、日向が物語の外に置かれてそうな気がしてならない。頑張れ。

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