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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【四章 結実の冬、足跡を残して。】
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クリスマス延長戦と蕾の誕生日①

 それから二日後、新垣家ではせっせと台所で料理に勤しむ明吏の姿と、それを邪魔する事無く手伝う日向の姿があった。

 娘の誕生日、それも今年は長男である日向が数年振りに家に誰かを招いての誕生会兼遅めのクリスマス会だ。明吏も有給を取り、今日は朝から仕込みに精を出している。

 仁に関しては年末の繁忙期とあって、明日の仕事納めまではどう足掻いても仕事を抜けられない状態なので平時通りに会社へ向かった。玄関で見送る際、日向を振り返る仁の顔は幽鬼のようで「こんなに気の重い出勤は久し振りだ」とぼやいているのが印象的だった。学生達と一緒に蕾の誕生日を祝いたかったらしい。


「日向、味を見て頂戴」

「はいはい……うん、いいと思うけど、運動部員が三人居るからもうちょっと具を増やしてもいいかもね」

「大鍋でも買っておけば良かったわねぇ、鍋から溢れちゃいそう」


 明吏から渡された小皿にはビーフシチューが少量乗せられており、日向がその味と鍋の中を確かめながら気付いた事を口にすると、明吏は久し振りの大人数相手の料理を楽しんでいる顔で答える。


 日向と明吏が台所仕事をしていると、リビングの方からは男女の声。雅達が飾り付けの最終段階に入っている所だった。


「もっとLEDライトでバーンと飾った方がいいんじゃないの、バーンと」

「そんな派手にしたら誕生会っていうより祭りだろ」

「えー、パーティだからいっそ思いっきり光った方がいいと思うんだけどなぁ……」


 椅子に昇り天井に飾り付けを取り付けていた雅へ唯が何やら抗議し、日和はそれを横目に一人せっせとテーブルを拭き、窓を拭いていた。


「まだクリスマスツリーが飾ってあるの、この家だけかもしれませんね……あ、成瀬先輩。そこもう一本飾りを増やしましょう、台所カウンター側の角がちょっと寂しいです」


 ドアを開けて目に飛び込んでくる時の光景をシミュレートする為、日和がドアの前に立って手の指でファインダーを作りながら指示を飛ばす。クリスマスツリーと、その上に飾られたハッピーバースデイの文字が同時に視界に入ると一体何の催しなのかと混乱しそうになるが、賑やかなのは一目で分かる。日和の指示通りに修正した雅の飾り付けを日和がOKとサインを送れば、大方の飾り付けは終了となった。


「そろそろ悠里に連絡入れておく?」

「うん、十五後ぐらいなら丁度いいと思うから、それで」

「おっけー、驚いてくれるといいねぇ」


 スマートフォンを見せながら日向に指示を仰いだ唯が素早く手元を動かすと、最後にトンと画面を叩いてから日向に向けて親指を立てた。悠里に向けてメッセージを送った事を確認すると、日向が頷いてみせる。その隣では日和と雅が、まるで試合に臨むプレイヤーのように気合に満ちた表情を浮かべている。

 各々がそれぞれ思う所はあるものの、今日この日だけは全員の気持ちは一つに纏まっている。即ち『蕾の誕生日を全力で祝う』である。


 本来はサプライズにしても良かったのだが、本人の誕生日当日に一同が集まってパーティをするであれば、例えそれがちょっと遅いクリスマス会と言っても、薄々何処かで気付くものである。

 むしろ、クリスマス会と言い張る事で蕾が『自分の誕生日は忘れられている』と寂し気に顔を俯かせるのが見ていられないという理由で、本人にもクリスマス会兼誕生会という事は既に伝えてあり、せめて会場は完成後に見て欲しいという事で今は悠里と二人で予約したケーキを受け取りに行っている所だった。



 唯が悠里へと連絡をつけてからおよそ十五分後、唯のスマートフォンに『家の前に着いたよ!』というメッセージが入り、日向達は顔を見合わせて頷いた。

 玄関が開く音がして、廊下をたたたっと走る子供の足音が聴こえる。


「ゆうりちゃん、はやくはやく!」


 ドア向こうから蕾が悠里を急かす声が聴こえてきて、ドア手前に二人ずつで通路を作るようにして控えている日向達は、笑いを堪えながら手に持ったクラッカーを掲げた。

 ガチャ、とドアノブが引き下げられ、ゆっくりとドアが開き蕾がその隙間から顔を出す。同時、台所に居た明吏を含めた五人分のクラッカーがパン! と一斉に鳴り響いた。


「誕生日おめでとう、蕾」

「おめっとー!」「蕾ちゃん、おめでとう!」「おめでとう、つっつ!」


 日向の声を筆頭に、三人がそれぞれに蕾へお祝いの言葉を掛ける。降り注ぐクラッカーからのリボンに目を奪われていた蕾は、その声に顔をパァッと輝かせ、両手を万歳するようにして歓声を上げた。


「やったー! すごーい! おうちが、おうちじゃないみたい!」


 日向達の合間を潜り抜け、蕾が飾り付けられたリビングを見回す。天井から壁、テレビから棚に至るまで、ほぼ手を付けてない部分は無いぐらいに飾りが盛られた部屋の中と、テーブルには彩り豊かなサラダから手巻き寿司、揚げ物が各種、箸休めのフルーツが置かれている。

 肉料理を作っている際に日向がパッケージを見ると、国産黒牛というラベルが貼り付けられているのを見つけ、日向がその奮発具合に顔を引き攣らせた。明吏が「これは半分、お父さんのお小遣いから差し引いてるからいいの」と事も無げに言い放ったのが印象的で、日向は心の中で不在の父親へ感謝と憐れみの念を送っておいた。父親の小遣いは国産のお高い牛肉へと姿を変え、子供達の笑顔になってくれるだろう。


「蕾はこっちの席に座って」

「おたんじょうびせきだ!」


 日向に促されるまま蕾がリビングテーブルの上座へと座ると、日向達もそれぞれ配置に着く。

 蕾を囲む左右には日向と悠里が、日向の隣には雅が、悠里の隣には唯と日和が並んで座る。全員が席に座ると明吏が用意してくれたグラスにそれぞれがドリンクを注ぎ、日向がこほんと咳払いをした。


「えー、本日は遅めのクリスマス会兼、我が家の妹である蕾の誕生日をお祝いに参列して頂き……」

「その天然なのか狙ってやってるのか分からない長ったらしい挨拶は止めろ! もっと普通にやれよ」

「そーだそーだ、長い挨拶なんて校長先生だけでいいんだよ!」


 開始の挨拶を日向が行うと、雅と唯から抗議の声が上がる。ここはこの会のホストらしくバシッと決めようと思った日向が心なしかしょんぼりとした顔をすると、正面に座る悠里が口に手を当てて笑った。


「そういう挨拶もいいけど、多分それよりも皆、お腹空いてるんだと思うよ。でもそうね、せめて蕾ちゃんから一言貰うぐらいは待てるんじゃないかな?」

「あ、つぼみ、ごあいさつするよ!」

「という訳なので、お兄ちゃんの挨拶はここまで。主賓の挨拶で初めてみましょ」


 悠里の提案に蕾が臆する事無く諸手を挙げたので、日向はしょうがないと苦笑いしつつ蕾を促した。

 一斉に皆の視線を向けられた蕾は、それでもにこにこと笑顔を絶やさずに立ち上がり、ぺこりと一礼をする。


「きょうは、つぼみのたんじょうびをおいわいしてくれて、ありがとうございます。あとは、さんたさんがちゃんとかえれるように、みんなできをつけてねーっていえたらいいなー」

「あー、そうだな。サンタクロースってどこ住みだっけ、とりあえず北国だよな。冬場の運転は危ないだろうし、気を付けて帰って欲しいもんだ」

「サンタクロースも保険とか入ってるのかな、自賠責?」


 蕾の可愛らしい挨拶を受け、雅と唯が見当違いな心配をする。頭にハテナマークを付けた蕾が首を傾げるのを横目に、日向と悠里はそれぞれ隣に座る親友に肘鉄を入れた。


「子供の夢を現実に引き摺り下ろさないの」

「しゅみません……」


 唯が身を捩りながら悠里に涙目の謝罪をしていると、台所でその様子を見ていた明吏がクスクスと笑う声が聴こえた。悠里が恥ずかしそうに明吏へペコリと頭を下げると、目を細めて唯を睨む。


「もう、おばさまに笑われちゃったじゃない……罰として唯はサラダ山盛りね」

「うわー健康になっちゃう。あ、さてはあたしの胸がこれ以上成長しないように妨害するつもりだね」

「だから男子が居る前でそういう事を言わないの!」


 再び悠里からの肘鉄が唯の脇腹を狙うかという所で、蕾がすっと立ち上がると腰に手を当てて「こらー!」と二人に向けて一喝を飛ばした。


「ふたりとも、けんかはだめでしょー! きょうはおいわいでしょー!」

「つ、蕾ちゃん! 私と唯は喧嘩している訳じゃなくて、躾をしているだけなんだけど……」

「そ、そうそう。じゃれ合いっていうのかな、だから落ち着いて、どうどう……」

「それでもだめなものはだめー! ばつとして、ふたりともサラダからたべてくださーい!」

「えー!? わ、私まで……?!」


 完全に巻き添えを喰らった悠里が困惑しているのを他所に、蕾はせっせとトングを使ってサラダが盛られた皿から悠里と唯の小皿へと野菜を取り分ける。

 危なっかしいその手付きを日向がおろおろと見ていると、二人の更に盛られたサラダを見てある事に気付いた。


「……蕾、怒る振りをしてセロリを大量に除けるのは止めなさい」

「あう……」


 日向の指摘にピシッと固まった蕾を見てそういう理由があったのかと、テーブルを囲む五人の内、日向以外のメンバーは思わず洩れそうになる笑みを堪えるのだった。



 雑談交じりに食事が進み、小一時間が経過した。

 テーブルの上に所狭しと並べられた料理達も、現役運動部員と元運動部が計四名も集まると消費も早く、みるみる内に皿の料理はその嵩を減らす。

 やがてある程度お腹が満たされた所で蕾が雅を引っ張って和室に移動し、雅を四つ這いにさせて背中に乗せ始めていた。日和と唯も和室に同行し、蕾の尻に敷かれている雅を写真で撮っている。楽しそうで何よりだ。

 一方で休憩する為か、リビングテーブルから離れて悠里はソファーへと腰を掛けていた。隣に日向が座ると、ソファーは軽く沈み込んで悠里が「わっ」と声をあげる。


「あ、ごめん。勢い良過ぎた」

「ずっと立ちっぱなしでお疲れだったもんね。ごめんね、料理の手伝いとか出来なくて……」

「いやぁ全然、こっちこそ蕾の面倒を見て貰っちゃって。テンション高いと抑えるの大変だったでしょ?」

「ふふ、うん。ケーキを取りに行ってる間も、ずっとうずうずして、早く帰りたいって考えてるのが丸わかりだったよ。唯から連絡来た時はホッとしたもの」


 ソファーに座りながら、はしゃぐ和室の四人へと目を向ける。近所迷惑にならないギリギリのレベルで騒ぐ蕾を見ていると、存分に楽しんでくれているのがよく分かった。

 悠里と一緒にその光景を眺めていると、以前よりも悠里の気配を強く感じてしまう。気のせいではなくそれは、はっきりと彼女の言葉を受け止めてしまったからだろう。


「…………あの」

「ん?」

「いや……うん、温かいお茶、飲む?」

「あ、貰おうかな」


 短い言葉のやり取り。小樽での出来事についてもう一度悠里と言葉を交わさないといけないのでは、と思っていたものの、この場で話すには合わないと日向は話題を逸らした。何より台所には母親である明吏も居るのだ、こんな所で自分の恋愛事情を話す程、日向の肝は据わっていない。

 食器棚から自分と来客用のマグを取ると、紅茶のティーバッグを入れてお湯を注ぐ。ふんわりとした香りが漂い始めたのを見計らってバッグを取り出すと、ソファーに座る悠里へとマグカップを差し出した。

 ありがとう、とマグカップを受け取った悠里の隣に座り直すと、二人で何口か紅茶を口に含む。ほっとした時間が流れる中、悠里が静かに口を開いた。


「……前も、こんな風にお祝いしていたの?」

「前?」

「うん、私達と知り合う前……日向君が小学生だった頃、とか。日和ちゃんとか、他の友達も家に呼んで、こんな風に騒いでたのかなぁって」

「あぁ……いや、ここまで大人数でやるのは初めてだよ。俺はあまり友達を家に呼ぶタイプじゃなかったし、蕾が小さい頃は尚更ね。日和は何度か来た事があるぐらい……かな」


 思い返してみても、自分の家でこんな風に友達を呼んで節目を祝った事が無い事を日向は改めて認識した。けれど、それは誰かが来るのを嫌って呼ばなかった、という訳ではない。

 日向の抱えた気持ちが読めたのか、悠里はふっと顔を緩めて頷いた。


「きっと、日向君は家族と……そして日和ちゃんが居れば、それで満たされてたんだね」

「……それは」


 どうだろう、と照れ隠しをしようとして、言葉を止める。

 悠里の指摘は正しく、あの頃はそれだけで十分だったのだ。温かい家族と、家族のような女の子と、日向の世界はそれだけで確かに満たされていて、外の繋がりが欲しければテニスという共通言語があった。


「うん、そうだったんだと思う。でもそんなだから、母さん達が仕事で家に居られなくなって、日和も来なくなった時に、ちゃんと友達を作る事が出来なかったんだろうなぁ」


 既にある繋がりで満足し、やりたい事だけをやっていれば勝手に知人は増えていった。だからこそ、家の環境が変わりテニスという手段を手放した自分は誰かとの繋がりを作る事を知らず、たった一人であらゆる事に立ち向かう他無かったのだ。


「でも今は、悠里がこうして皆を連れてきてくれたから。あの時の自分が間違っているとまでは思わないけれど……もっと頑張るべきだったな、って思うよ」


 自分一人だけやれる事をやって、それが出来たとして蕾にとってそれは決して最善ではない事を知った。自分の価値観と生活を蕾に押し付け、蕾が大きくなるまで共に閉じられた世界に居る事は、健全な状態とは言い難い。


「そうだねぇ。蕾ちゃんが大きくなった時、昔を振り返って『ひょっとして、うちのお兄ちゃんは所謂ぼっちだったんじゃないの?!』って寂しい感想を抱く事になるものね」

「た、確かにそれは嫌だな……!」


 想像してみる。蕾が友達を家に連れて来る度に、その友達に日向がお菓子やお茶を用意する。最初こそ『蕾ちゃんのお兄ちゃん、優しいね』ぐらいで済まされてしまうかもしれないが、それが何度も続くうちに『蕾ちゃんのお兄ちゃん、いつも家に居るね』みたいに変わり、やがて『蕾ちゃんのお兄ちゃん、いつも家で一人で居るね……?』になるのだ。


 頭の中でデモンストレーションを終えた日向が頭を抱えると、悠里がポンと日向の肩に手を置き。


「良かったね……小学校上がる前の今年が、色んな意味でギリギリだったね……」


 悠里が生温かい言葉をくれたのが、無性に日向の胸には突き刺さった。



「貴方達、面白いものがあるわよ」


 少しの間、姿をくらましていた明吏がにやけ顔で小脇に本のようなものを抱えてリビングに戻って来た時、日向は何か嫌な予感をひしひしと感じて身構えた。


「母さん、それ……まさか……」

「そう、我が家のアルバムよ。こういう時に友達に見せないで、一体いつ楽しむっていうのよ」


 片手に持ち替えたアルバムを掲げるようにして笑う明吏を見て、日向は両手で顔を覆う。いくらなんでも、幼少期の自分の写真を嬉々として友人達に見られて喜ぶ年頃ではない。むしろ真逆で、いっそ封印しておいて欲しいという気持ちの方が強かった。


「わ、いいねいいね、あたし凄い興味ありまーす!」

「俺は見た事あるけど、結構前だからなぁ……どれどれ、どのぐらい成長したか見てやろう」


 けれどそんな日向の気持ちとは裏腹に、同級生達は餌を撒かれたライオンの如く和室から素早くリビングへと舞い戻ってくる。一方、アルバムなんて見ても楽しくないと頬を膨らませた蕾が、ちらちらと何かを気にしてリビングへと顔を向ける日和を相手に遊びの続行をせがんでいる所だった。


「ふふん、話の種になるんじゃないかなって思ってね……ずっと蕾の遊び相手するのも体力使うでしょ? それに蕾の誕生日だもの、蕾のこれまでの成長を振り返るいい機会よねぇ」


 るんるん気分でアルバムを開く明吏だが、その想い出のフィードバッグには間違いなく日向のこれまでも含まれているのだ。勘弁してくれと母親に対して日向は必死に念を送るも、あえなくスルーされる。

 リビングのテーブルにはまだ料理の皿が多数残っているので、ダイニングテーブルの上に明吏はアルバムを置いた。それを覗き込むように雅達が椅子を引いて座ると、明吏は表紙のページを一枚捲る。


「最初の数枚はね、日向のばかりなの。私達夫婦に子供が出来て、お父さんは娘が欲しかったらしいんだけど、私は男の子が欲しかったから嬉しかったなぁ」

「望まれぬ長男だったのね新垣君……!」


 明吏の独白を聞いて唯が面白おかしく芝居染みた台詞を口にすると、明吏は苦笑いしながら首を横に振った。


「それがね、おかしくって。お父さんったら、最初は娘がいいなんて言ってた癖に、いざ男の子が生まれたら舞い上がっちゃって。野球のグッズを買ってみたり、サッカーボールを下見してみたり。もう周りから見ても呆れるぐらいに子煩悩になったのよ。でも結局、日向はお父さんが薦めたスポーツじゃなくて、テニスに行っちゃったんだけどね」

「テニスは薦めたりしなかったんですか?」


 話を聞いていた悠里が明吏に訊ねると、明吏は微笑みながら頷いた。自分達がやった事の無いスポーツだったから、というのが一番大きな理由だったらしい。


「それに、やっぱり小学生だとサッカーや野球の方がやってる子が多いでしょう? きっとね、お父さんは友達が沢山出来るスポーツをやって欲しかったんだと思う。テニスってダブルスこそペアになるけど、それ以外は一人でやる印象が強かったから、最初は心配だったのよ。でもね……」


 明吏がアルバムをまた一枚捲ると、それまでは日向だけだった写真の中に蕾が、そしてもう一人……ある少女の姿が映り込んでくるようになった。


「あ……」


 日和が、それを見て小さく声を洩らす。

 写真の中にはまだ幼さの残る日向と、それよりも更に幼い日和の姿があった。

 まだ二人の間には微妙な距離があり、表情もやや硬い。けれどそんな写真も枚数を重ねるに従って、日和は当初の仏頂面から段々と笑みを見せるようになり、逆に日向はやんちゃそうな表情から年長者としての余裕を見せるようになっていった。


「日和ちゃんが家に来てくれるようになって、私達はようやくテニスをしている日向の事をよく知れるようになったの。最初の日和ちゃんはどこか寂しそうで、張り詰めた風船みたいに雰囲気が尖ってて……そんな日和ちゃんに寄り添っている日向を見て、頼もしくて、誇らしい気持ちにもなった。蕾が産まれてからは日向の事をあまり構ってあげられない事が多かったから、心配だったのよ。勝手よねぇ、親って……」


 愛おしそうに写真を指先でなぞる明吏の言葉には、少しの後悔が含まれていた。


「か、母さん……俺の事はいいから、蕾の成長期を見せるんじゃなかったの?」

「あら、そうだったわね。ほらほら、これが初めて立った時で、これが初めて歩いた時。あ、こっちは日向と一緒に昼寝してる時の写真ね」


 いけないいけない、と明吏が写真に指を添えて一枚ずつ説明し出すと、蕾も興味深そうに日向の隣からひょこっと顔を出した。


「みえーなーいー……おにいちゃん!」

「はいはい」


 バッ、と両手を広げる蕾の脇に手を入れて日向が蕾を抱え上げると、膝の上に座らせる。

 そんな二人のやり取りを見て、明吏は眉を下げて困ったように苦笑いした。


「この写真の時は、まさか日向がこんなに蕾の事を見てくれるようになるなんて思ってもいなかったけど、今となっては私達よりも親らしくなっちゃって、複雑な気分だわ……」


 肩を竦める明吏に、周囲からは同意とも取れる笑いが沸き上がった。

 けれどその中でただ一人、日和だけはアルバムから視線を外さずに、そっと目を伏せた。


 ◆


「あらいけない、お父さんのお酒が切れちゃってる。今の内に買って来ちゃうわね。……日和ちゃん、一緒に来て貰ってもいいかしら?」

「あ、はい!」


 アルバムの閲覧会も終わって談笑している中、明吏が頬に手を当てて困った顔で切り出した。

 一人先程までと同じく、ダイニングテーブルの椅子に座ったままの日和へと明吏が声を掛けると、日向と雅が揃って手を挙げた。


「あ、なら俺が」

「おばさん、俺が行こうか?」

「あんた達が行ってもお酒は売ってくれないでしょう。日向は私の代わりに家に居ないといけないし、雅君はそのまま蕾と遊んでいてあげて?」


 重量物なら男性陣が、と挙手した二人の申し出をやんわりと断りながら、明吏は日和へと「という訳だから、お願い出来る?」と微笑みかけた。日和が頷いて立ち上がると、二人は揃って玄関へと出る。


「御免なさいね日和ちゃん、おばさん一人だけだと重くって」

「大丈夫です、私これでも腕力ありますから」


 ぐっ、と握った拳を突き出す日和を見て明吏は嬉しそうに笑い、暫く二人は商店街の酒屋を目指して歩き続けた。

 暫くすると青い暖簾の掛かった酒屋へと辿り着く。軒先には空のビール瓶が詰まったケースが何段も積み重ねられており、年末に向けて忙しいのか外から見える店内はかなり客足が多かった。


「あ、酒屋さんって此処使ってるんですね。私、ここの前を通った事は何度もあったのに、入った事はありませんでした」

「あら、そうなの? お父さん、あんまりお酒呑まない人なんだっけ?」

「そういう訳ではないと思うんですが、おじさんよりは呑みませんね。付き合いで呑んで来たり……うちでは偶にしか晩酌していません」

「そう、羨ましいわねぇ……」


 雑談を交えながら店内を見て回り、明吏は棚に置いてある立派な箱に入った日本酒を二本程手に取った。


「年末年始のお祝いシーズンだから、偶には奮発しないとね」

「おばさん、なんだかんだでおじさんに甘いですよね」

「まぁ……お父さんも頑張ってるからね、このぐらいはね。男の人って、頑張ってるのを表立って褒められると照れる癖に、いつまでも褒められないとヘソを曲げるのよ。子供みたいよね?」

「……おじさんも、おばさんに掛かれば子供扱いなんですね?」

「そうよ、日和ちゃんの家だってきっとそんなもんよー? 相手が娘なら猶更ね、きっと日和ちゃんの前ではカッコ良い所を見せようとしているんだから」

「ふふっ、確かにそうかも……」


 会計を済ませて店を出ると、日和は明吏の手から二つある袋の内、一つを受け取る。

 ずっしりとした重量を両手で感じながら新垣家までの道を歩いていると、不意に明吏が静かな口調で日和へと訊ねてきた。


「ちょっと元気になった?」

「え……?」

「さっきまで、なんか沈んでたみたいだから。アルバムを見てからよね、御免ね。日和ちゃんの小さい時の写真とか、見られるの恥ずかしかった?」

「あ……違うんです、そういう事じゃなくて!」


 そうじゃなくて、と日和は言葉を続けようとしたが、その先を言えずに口籠った。

 逡巡した後に止まってしまった日和の足元を見て明吏は一度振り返ると、日和の傍に寄ってそっと上着の襟元を直した。


「風邪、引いちゃうわよ」


 そう言って空いた手で日和と手を繋ぐと、先導して歩き始める。


「こうして日和ちゃんと二人だけでお出掛けするのって、初めてよねぇ」

「そういえば……そうかもしれませんね……」


 日和が一緒に出掛けるのはいつだって日向が相手で、明吏達は自分達を見送ってくれる保護者だった。


「ねぇ日和ちゃん、馬鹿だなぁって思われちゃうかもしれないけれど、笑わないで聞いてね?」

「なんでしょう……?」

「私ね……また、クリスマスや蕾のお誕生会に、また日和ちゃんがこうして来てくれて……本当に嬉しいのよ。勿論、他のお友達の事もね?」

「……えっと」


 まさか正面切ってそんな風に言われるとは思っておらず、日和は照れたように顔を俯かせる。


「もう……日和ちゃんは、うちに来てくれないんじゃないか、って。私もお父さんも、そう思っていたから……」


 明吏の独白を聞いて、日和はそっと目線だけで明吏の顔を見ようとしたが、前を向く明吏の表情は日和の位置からは覗く事が出来ない。


「……迷惑じゃ、ありませんでしたか」

「迷惑だなんて、そんな事を思う訳がないでしょう?」

「でも、私……おばさん達に何も言わずに、勝手に居なくなって……ずっと連絡もしないで、今更我が物顔で戻って来たんですよ……」

「なぁに、そんな事を気にしていたの?」


 驚いたように明吏が振り返る。そしてすぐに「馬鹿ねぇ」と柔和に笑った。

のんびり執筆モードですみません。

こちら、えらく長くなったので一旦区切ります。(ひょっとしたら最長の九千文字になってた)

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