公園デート編・4
買い物が終わり、モールから外に出た三人を出迎えたのは初夏の強い日差しだった。
日向は蕾に帽子を被せ、悠里も自分の麦わら帽子を被る。
「おっそとー!こうえん!」
蕾が一目散に駅裏にある公園へと走り出す。
「ちょっと蕾ちゃん、転んじゃうから待って待って!」
その後を追って悠里も駆け出したが、ワンピースとミュールでは走り辛いのか、小走り程度の速度だ。
蕾もそれ以上は先へ進まず、ちゃんと立ち止まり悠里を待ち、追い付いてきた彼女と手を繋ぐ。
一瞬駆け出そうか迷った日向は、両手に抱えた紙袋の存在を思い出して歩調を早める程度に留めた。
陽射しは強いが、海風が心地よい。
公園にはソフトクリームの移動販売車も来ており、周りには家族連れが多い。
「ゆーりちゃん、これやろーー!」
そう言って蕾が指差したのはターザンロープに座れるタイヤパーツが乗せてある遊具だ。
少し高い場所から飛び乗り、低い位置へと滑車の力で進む。
広い台座もあるので、二人一緒でも平気そうだった。
「おお、これはまた……いきなりアクティブなものが来たね……。でもいいよ、やろっか!」
悠里は少し自分の恰好を気にしたが、今更だと覚悟を決めて遊具へ向かう。
日向も近くのベンチへ荷物を置き、二人の傍へ向かった。
「そーれー!」
「うりゃりゃりゃー!」
悠里と蕾が、ターザンロープを開始地点まで持っていく。
途中から傾斜がついて高くなるので、悠里が最後まで引っ張り上げた。
「日向君、お願い!」
「はいはい、二人とも気を付けてね。」
ロープが勝手に進まないよう、日向が抑えている間に悠里と蕾はタイヤに乗り込む。
流石に五歳児とは体重差がある為、悠里側へ荷重が偏ってしまうのだが、上手く体勢を整えて悠里が蕾を抱え込む形で落ち着く。
「それじゃ、放すよ。………はいっ!」
日向が合図と共に手を放すと、二人は「きゃー!」だの「ひゃー!」と笑い声とも取れる声を発しながらゴールへと直進して行った。
それからおよそ一時間、公園の遊具を三人は回り続けた。
蕾の服は砂埃で所々汚れており、悠里もワンピースとミュールに少し土が付いている。
荷物番をする事が多かった日向ですら、同じ様に汚れていた。
公園内にある水道で手と足を洗い、陽射しと駆け抜ける風で肌を乾かす。
「きもちーねー。」
蕾が、手足を芝生に投げ出しながらにへら、と笑って見せた。
……そして、帰り際の時間になる。
夕焼けの中を歩く日向の背中には、すっかり疲れて眠ってしまう蕾が居る。
その隣で、蕾の寝顔を覗きこみながら悠里も並んで歩く。
「すっかり寝ちゃったね。」
「凄いはしゃぎっぷりだったからね、昼寝もしてないし、これは家に着いても起きるかどうか。」
悠里と二人、顔を合わせて笑い合う。
「今日はありがとうね、急に呼び出したのに来てくれて。」
道の先を見据えながら、悠里がぽそりと呟いた。
日向は口元を緩めながら、頷いてみせた。
「こっちこそ、誘ってくれて楽しかったよ、ありがとう。」
その返答に悠里も満足気に頷き、少しの間二人は無言で歩いた。
不意に、悠里が日向を見上げる。
「日向君はさ、なんで、蕾ちゃんにそこまで一生懸命なの?」
そして気になっていた質問を、日向へぶつけてみた。
日向は質問を受けると、一瞬悠里と目を合わせてから「んー……。」と考えるように視線を上へ向ける。
「家族だから。ってのは、多分そういう事を訊いてる訳じゃないよね。」
「うん。家族でも、あんまりお互いに干渉しない、って兄妹も多いじゃない?」
「ああうん、確かに。まあ一番は、俺がそうしてあげたいから、かな。」
言ってから、日向は少し息を吐く。
それはどこか、後悔を含んだ表情だった。
「中学の頃はさ、俺も部活やってて、家にはほとんど遅くに帰って来る生活だったんだ。遅くまで部活して、その後に友達と話して帰って来る、そういう生活。」
悠里は黙ってその話に頷く。
「蕾はまだ二歳で、言葉もたどたどしくてさ。俗に言うイヤイヤ期って言うのかな、もう荒れ放題でさ。」
当時を思い出して日向が笑う。
言葉では簡単だが、二歳児のイヤイヤ期は通称魔の二歳児~三歳児とも言われる期間だ。
幼少期で一番手の掛かると言われる時期で、自我が強くなり始める頃に見られ、気分の上下が激しくなる。
「それで、その頃は母さんがまだ育休でさ、基本は母さんが家で蕾を観てたんだけど。休日に偶々足りないものがあって、買い物に出掛けたんだ。ほんの三十分だけ、俺が見てる事になって。」
背中の蕾を一度背負い直す。重さを確かめるように、しっかりと。
「でも母さんが居なくなった途端に蕾、機嫌悪くなって。物を投げたり、お菓子あげても食べなくて。……俺も頭に来ちゃって、もういい!って。部屋に戻ってさ。気付いたら、寝ちゃってて。寝てたのは十分ぐらいだったんだけど、一瞬さっと身体が冷えて、蕾はどうしたろう?って。」
「うん。」
「リビングに戻ったら、蕾が倒れるように床に寝てて、どうしたんだろう、って思って抱き上げたら凄い熱で、身体が湿疹だらけで……。後から母さんに聞いたら、子供の内は突発的に熱が出る事があるって。突発性湿疹っていうんだけど、俺は何も知らないからさ、ほんと動転しちゃって。」
「うん……。」
「それ自体はほんとよくある症状らしくて、夜の内に蕾は元気に走り回ってさ。でも、その時の光景が頭から離れなくて。もしあれが別の病気だったら、病気じゃなくてもどこかに頭を打ったりしていたら。……ほんの十分、もしかしたらそれより短い時間でも、簡単に危ない事になっちゃう。それが子供なんだな、って思った。」
何も知識が無い日向がそうだったように、悠里も同じような状況になったらどうするだろうか?
癇癪を起した子供相手に、いつも通り笑顔で居られるだろうか?
知らない症状を前に、冷静な判断が出来るだろうか?
多分、出来ない。
そうしようと努力はするだろうが、出来ると断言する事は決して出来ない。
悠里が葛藤する中、日向は続けた。
「それから、蕾をちゃんと見るようになって。最初は怖さから、でも段々と蕾が成長していくにつれて、俺にも懐いてくれるようになって。そうしたらもう可愛くてさ。蕾は素直だったのか、三歳になる頃には大分落ち着いてきて、言葉も分かるようになったら大人しくていい子になってくれて。気付いたら、もう親代わりみたいに色々やるようになっちゃってたよ。」
困ったように笑う日向の顔には、もう悲壮感は何も無かった。
「お蔭で、父さんと母さんには自分達の仕事を取らないでー!って言われるけどね、まぁ俺としては、俺がやれる事は俺がやって父さん母さんには蕾の学費をしっかりと稼いできて貰いたい。」
ちょっとしんみりとした空気を誤魔化すかのように、間の抜けた言葉遣いだった。
不意に、悠里が足を止めた。
日向も釣られて足を止める。
俯いた悠里が顔を上げる。
自分達と変わらない年齢、変わらない環境。何一つ違う事なんてない。
だけど、同じように思える人間は果たして何人いるのだろうか?
日向が正しいとは限らない、日向もまた両親の子供なのだ。日向の青春は別の形で存在したかもしれない。
それを蹴ってまで、家族の為に何かをしようというのが、絶対的な正解とは限らない。
それでも、尊い選択だった事に変わりは無い。
悠里は胸が切なくなるのを感じる。
大人びて、自分の事を後回しにし過ぎる、この気遣いの名人に何か言ってやらないと気が済まない。
でも、そのどれもが言葉にならない。
だから、そっと日向の頬に手を伸ばした。
「私が……。」
突然の行動に、日向は動けなくなる。
(私が、日向君のやりたかった事や、蕾ちゃんを優先して出来なかった事を、させてあげる。)
そう思っても、口に出てこない。
そっと悠里は手を放して、困ったように笑う。
それから、ちょっとだけ勇気を出して声を振り絞った。
「悠里。」
「え?」
「いつまでも芹沢さんって、他人行儀過ぎるなー。」
「えぇ?!いや、でも。」
悠里は日向の困った顔を見て、プッと笑いを吹き出す。
「芹沢さんって呼んでも、無視するからね。」
くるりと日向に背を向けて、先に歩き出す。
背後から、少しだけ溜息の音と、足音が聞こ始めた。
「分かった、悠里。これでいいかな。」
ちょっとぶっきらぼうで、照れ隠しが入った声。
思わず緩んでしまう口角に、夕陽で顔色が分からなくて良かったと思った。
信じられないと思いますが、ここ本当に、ただ帰るだけのシーンだった筈なんです。