修学旅行編⑫:スノウ・ドロップ
謎のスピードアップによって、30日付の投稿二つ目です。
きっと、こういうタイミングなんだろうな、と悠里には予感があった。
何の心の準備もしていなくて。
唐突に、ただ伝えたいと思った時に伝える事になってしまうのだと、そんな予感が。
「……悠里? 手、寒いの?」
自分の頬に添えられた手を見て、日向がまだ何も気付いていない表情を浮かべる。
背後に広がる夜景、人気が段々と乏しくなって、周りにはもう他のクラスメイトは居ない状況。
きっと、残っている生徒は自分達だけだろう。
狙った訳ではないものの、随分とおあつらえ向きなシチュエーションになったものだと、悠里は心の中で笑ってしまいそうになった。
手を伸ばしているせいで、先程よりも日向の顔が近い。
何も言わずにただ両手を添えているだけの悠里に、日向も徐々にその様子がいつもと違う事に気が付いたのか、じっと悠里の事を見据えている。
きっと平常時なら、こんな至近距離で顔を見ればすぐに羞恥で逃げ出してしまうだろう。
だけど、今は逆に日向の存在が近くにあるという事実だけで、悠里は落ち着く事が出来た。
いつも変わらぬように凪いでいる日向は、内面では大きく成長を遂げようとしている。
焦っているつもりは無かった、応援してあげよう、なんて偉そうに言うつもりもなかった。
ただ、自分に出来る事は、たった一つ。
悠里の口から、すう……っと冬の空気が吸い込まれる。
そして、次に吐き出された吐息には、熱が籠められていた。
「私ね、日向君のそういう所、好き」
それは、肯定だった。
「日向君が、蕾ちゃんの事を考える時の、話す時の声が好きで、表情が好きで……周りの人を気遣う時の、ちょっと背伸びした所も好き」
唐突な悠里の言葉に、日向はぴたりと動きを止め、目を見開いている。
「色んな事に気付く事が出来るのに、肝心な所に気が付いてくれない所は……ちょっとだけ嫌い」
頼って欲しい時や、弱音を吐いて欲しい時にも、頼られる自分でありたいと悠里は思っていた。
日向には日向の理由があるのだとしても、それが分かっていても尚、置いていかれるのは心が苦しかった。
「でも、そういう所も全部含めて、やっぱり何度でも好きに傾くよ」
ドラマのような衝動的な恋愛ではなく、陽だまりでうたた寝をする時のように、これは穏やかな恋だった。
気が付けば身体をすっぽり包み込んでいて、あるのが当たり前になっていて。
曇り空になれば、心配で空を見上げてしまうような、そんな感情だった。
口に出してしまえば、もう同じ距離ではいられないと分かっていたから、躊躇っていた部分も勿論ある。
けれど、だけど、それでも。
「だから、日向君がずっと変わり続けるなら、私はきっと、そんな日向君もずっと好きなままだよ」
日向が前を向いて歩く姿を見て、自分も前に足を進める事が出来ないというのであれば。そんなものは、きっと紛い物だ。
「本当は、ずっと、ずうぅ……っと、言いたかったんだけど。きっと、ね。怖くて……でもなんでだろう、今は怖くない」
呆然とする日向から目を背けず、悠里は微笑んだ。
「本当、なんでだろうね。受け止めて欲しい、じゃなくて……伝えたい、って思ったからかな。日向君が、私をどう思うのか、そんなんじゃなくて……私が、日向君をどう思っているのか。それをね、知って欲しかった」
この先にどんな事があろうとも、新垣日向という存在を肯定する人間が一人でも此処に存在すると。
それを知っておいて欲しかったのだと、言葉にしながら悠里は初めて気付く事が出来た。
「不思議……こういうのを言うのは、もっと勇気が必要なんだと思ってた。けど言っちゃった私の方が、なんだか勇気を貰ってる気がするよ」
「あ……の、悠里……?」
パクパクと口を開く日向の頬を、悠里はぐにぐにと軽く揉む。
日向の口元が色んな方向に曲がり、その顔がおかしくて悠里がまた笑う。
「ふふ、ふふふ……あー、言っちゃっ……た」
そうして、ぱっと手を離すと、半歩だけ後ろに下がる。
僅かに上気したような顔は、どこか晴れ晴れとしていた。
「ね、戻ろう? 皆の所に」
「あ……うん。……あのっ」
ようやく思考が戻って来たであろう日向に、悠里は笑いながら首を傾げる。
「バスに乗り遅れたら、二人で歩いて帰る事になるよ? ……私は、それでもいいけど。風邪引いたら、日向君がずっと看病してくれる?」
本当に、どちらでもいいのだと言う風に、悠里は口元を綻ばせた。
もしもそうなった場合、日向は勿論全力で責任を取るべく看病してくれるだろう。
でも、こう言えば新垣日向という人間は、誰かをそんな状況に追いやる事を良しとしない。
そんな悠里の打算は見事に的中し、日向は一瞬だけ天を仰いだ後に頷いた。
「……戻ろうか、悠里」
「ふふ、うんっ」
返事をすると共に、悠里が再び一歩を前に出して、日向の隣へと並ぶ。
そして、どうせここまでやってしまったのだ、と半ば勢いで日向の右腕にしがみついた。