修学旅行編⑪:予感
「よっしゃー次はあの橋の上で写真撮るよ! 運河がちょっと臭いけど。でも写真に臭いは映らないから良し!」
「唯、あんまり失礼な事言わないで! それと騒がしいと他の人達に迷惑でしょう!」
たたたっ、と唯が白い息を吐きながら駆け出し、手袋を嵌めた両手をぶんぶんと振り回すと、その後ろを悠里が保護者のように追い駆ける。
一度調子を取り戻してしまえば、後はもうそこにあるのはいつもと同じ風景だった。
まだ人が多い橋の上を、他の生徒達に混じって悠里と唯が走り、僅かに氷が張っている場所で滑りそうになって二人で抱き合いながら必死に立ち止まる。
そこに沙希や麗美などの女子が入り混じると、後はもう女子達の華やかな歓声で場が満たされた。
テンションが上がり続ける女子達に遅れてやってくるのは男子陣、彼等は彼等で、はしゃぐ女子達を感心したように眺めている。
「本当、はしゃいじゃってまぁ……」
「いいじゃない、折角の修学旅行先なんだから。周りの人達も同じような感じだし、恵那さん達にだけ静かにしろってのも酷な話だよ」
「まぁそれもそうなんだけれどもな」
遠目に女子達を見ながら腕を組む雅と日向が話していると、後ろできょろきょろと周囲を見渡していた壮馬が、軒を連ねる建物の一角を見ながら言った。
「あ、あった……自販機。寒いから温かいものを飲みたいんだけど、皆も要る?」
壮馬の申し出に、日向達は頷く。先程から更に気温が下がっているのか、動いていなければ身体が芯から冷えてしまうような程の大気になっている。
「それじゃ、買って来るよ!」
「あ、待って待って、俺も手伝うよ」
全員の要望を聞くなり自販機へと駆け出した壮馬の後を、日向が慌てて追う。
雅へと一瞬目配せをすると、雅は軽く頷いた。全員で自販機に向かえば先行した女子達とはぐれてしまうので、そっちの方はお願いという日向の意図を正しく読んだらしい。
人混みを抜けた先にある自販機だが、ホットの飲み物は半分程が売り切れとなっていた。
日向が千円札を挿入し、四人分の缶コーヒーを購入する。取り出し口に落ちた缶を壮馬と二人で二つずつ持つと、じんわりとした温かさが掌に伝わってきた。
「……女子の分って買った方がいいかな?」
お互いの手に握られた四つの缶を見ながら壮馬が日向へと尋ねる。
この寒さだ、恐らくは女子達も温かい飲み物を欲しているであろう事は容易に想像がつく。
むしろ、買って行かなかった場合、男子だけが熱を摂取している事に罵詈雑言を浴びせられるかもしれない。
「……買って行こう、要らないって言われたら部屋で飲めばいいし」
再度、自販機に小銭を投入して追加で缶コーヒーを購入する。
好みまでは分からないので、全員微糖とカフェオレを用意する。ココアでもあれば良かったのだが、残念な事にココアは売り切れの赤いランプが点灯していた。
微糖のコーヒーも女子の分を購入した後で赤いランプが点灯し、ホットドリンクは既にお汁粉というニッチなニーズがある代表格とカフェオレを残して全て売り切れてしまったようだった。
「お汁粉が売れている所を俺は見た事がないんだよね……」
日向が顎に手を当てて唸っていると、壮馬が隣で笑った。
「恵那さんあたりに買って行く?」
「……予想外に喜びそうだけど、普通に考えて殴られそうだから止めておこうか」
違いない、と声を殺して笑う壮馬と二人、ポケットをパンパンに膨らませて日向は雅達の元へと戻った。
「あ、来た来た! 新垣君、おーい!」
橋の上に戻ると、唯をはじめとする女子達が雅達と共に出迎えてくれる。
「お待たせ。西口の機転で温かい飲み物買ってきたんだ、はい」
「うおーさんきゅーさんきゅー! 気が利くじゃん西口!」
「ありがとう、西口君、日向君も」
ポケットから缶を取り出して一人ずつ手渡すと、女子達から歓声が上がる。どうやら壮馬の言葉に従って正解だったようで、二人で顔を合わせてほっと安堵する。
「あ、とりあえずお金渡さないと……ちょ、ちょっと待ってね」
モコモコとした手袋を外し、ショルダーバッグから財布を取り出そうとする悠里を日向はやんわりと制した。
「後でも別にいいから、そんな慌てたら落としちゃうよ。……一度、缶をこっちへ」
「う、うん……ありがと」
悠里は財布を仕舞うと、言われた通りに日向へと缶を手渡す。
プルタブを開けるには手袋のままでは難しい。日向は自分の右手に嵌めてある手袋を脇を使って器用に脱ぐと、悠里の缶コーヒーのプルタブを起こし、もう一度渡す。
「手袋、滑るから両手で持った方がいいよ。零さないように気を付けてね」
「わ、分かってるよぅ。あ……温かい……」
悠里が缶コーヒーに口を付け、その熱にほっと頬を緩ませる。
他の友人達もそれぞれが同じように缶に口を付け、暫く全員無言でただ夜景を眺める時間が続いた。
それから他愛ない雑談が始まり、思い思いの時間を過ごす。写真を撮り続ける者、寒さを凌ぐようにあちこち移動しては見慣れぬ景色に歓声を上げ、他のクラスメイト達とすれ違い様に歓談する者。
小樽の夜は、少しずつ更けていった。
「……戻るか、そろそろ」
「そうねぇ、早くお風呂に入って温まりたくなってきたわ……」
秀平が時計を確認すると、既に集合時間が間近に迫る時刻になっている。
誰ともなく足をバスが停車する方向へと向けた時だった。タイミング悪く、団体の観光客が日向達の真横を通り過ぎる。
それによって、丁度日向と悠里だけが団体の列によって分断されてしまう形になった。
「日向、こっち来れるか!?」
「少し掛かりそう! 先に行ってていいよ!」
「了解、急げよ!」
人垣を超えて届くように、日向と雅は声を張り上げてお互いの状況を確認する。
微かに見える雅の顔に向けて手を挙げると、雅も手を挙げ返してきて、そのまま彼等はバスの方へと向かったようだった。
「悠里、大丈夫? 橋から落ちないようにね」
「柵もあるし平気だってば……あっ!」
「っと……!」
話して居る最中、悠里が観光客の一人とぶつかってしまい、体勢を崩す。
咄嗟に日向が悠里を正面から支え、持っているコーヒーも落とさないようにと手を添えた。
「……落ちないようにね?」
「今のは私のせいじゃないもん……」
頬を膨らませる悠里だが、若干不安になったのか、体重を日向に預けたままになっている。
日向としても、むしろこの方が悠里の安全を確保出来るので、特に何も言わずにそのまま悠里を支え続けた。
結果として、正面から抱き合うような形になってしまっている事には、お互いあえて追及しない。
じっと二人で団体が通り過ぎるのを待つ。
時折、団体客の中の人がそんな姿勢のままの日向と悠里を見て何を思ったのか、ウィンクしたり親指を立ててくる。
「……多分、盛大に勘違いされている気がする」
「あは、あはは……そう、かも、ね」
夜景の見える橋で正面から抱き合う男女二人というシチュエーションは、知らない人が見れば恋人同士だと思うのも仕方ないだろう。
時間が経つ程に赤くなり、顔を伏せている悠里の頭上で日向が団体の一角に目を向けた。
そこに居たのは、丁度日向と同じぐらいの青年が小さな女の子と二人で手を繋いで笑顔で歩いていた。
前を歩く壮年の男女は両親だろうか、後ろを振り返ってはしきりに二人へ何か話しかけ、カメラをあちこちに向けている。
女の子は、兄と思われる青年の手を握り締め、笑顔で何事かを呟きぴょんぴょんと跳ねており、青年がそれを困った顔で頷いて返す。
珍しい事でもない、街中を歩けばよく見られる風景の一つ。
それを眺めて、日向がふっ、と顔を綻ばせる。
「……あの子達も、良い想い出が出来るといいよね。沢山、出来るといいね」
「うん……きっと出来ているよ」
いつの間にか日向と同じ方向を向いていた悠里の声に、日向は頷いて返す。
「日向君、もしかして蕾ちゃんに会えなくて寂しいんでしょ? あの子達を見て思い出しちゃった?」
「蕾の事は考えていたし、ちょっと寂しいけど……」
一旦言葉を区切ってから、日向は遠ざかる兄妹の後ろ姿を見送る。
きっと、遠い異国の地でもあの少女に不安等無く、帰る頃には沢山の想い出を抱えている事だろう。
「だからって俺が楽しまないのを、蕾はきっと喜ばないだろうから。今は、きっとこれでいいんだ」
そして、帰ったら蕾にこの旅行の話を沢山してあげて。
いつか、もう一度此処に。この景色と同じものを見せてあげよう。
隣で庇護するだけでは護れないものもあると魔女は言った。
遠くても繋がれる家族になれると、あの小さな勇者が言った。
いつでも目の前には同じ世界が広がっていると、父の友人が言った。
色んな大人達が、日向に進んで来た道を語り、導いてくれた。
ならば、自分はどんな大人になり、蕾にどんな道を見せてあげられるのだろうか。
「隣を歩いているだけじゃあ、一緒に悩んであげる事は出来るけど、導いてあげる事は出来ないから」
「日向君……」
「蕾が成長しているのに、俺だけ同じままってのは、兄貴としては情けないし」
はは、と力なく笑う日向を見ながら。
悠里は、そっと両手を日向の頬に添えた。
書き直す事、何度……でしょうか。
最初とは随分と違った様子になりました。