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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【四章 結実の冬、足跡を残して。】
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修学旅行⑩:ここからが、本当の修学旅行。

「あぁ、疲れたぁ……昨日のスキーから全身痛くて仕方ないや……」


 ガラス館を出た一行はその足で天狗山をロープウェイで登って観光、降りて小樽市内金融資料館の観光を経て夕方過ぎ。

 本日の宿泊先である旅館へチェックインして部屋に入るなり、日向は荷物に寄り掛かるようにして座り込んだ。

 見れば他の面々も同じように床に腰を下ろし、雅に至っては仰向けに寝そべってしまっている有様だ。

 スケジュールだけを見ればそこまで詰め込まれたものでもないのだが、昨日のスキーで散々酷使した身体が重なるバス移動で悲鳴を上げているのだ。


「身体が痛ぇよ……明日の札幌、歩き回る自信ねぇや……」

「でもこの後、夕食を食べたら夜の運河観光にも行けるみたいだよ。希望者集めてバスを出すから、一時間ぐらいは周れるんだって」


 ぼやく雅に壮馬がこの後のスケジュールを思い出しながら呟くと、雅が一層顔を顰めてみせる。


「運河かぁ、やっぱり小樽といえばそれだよなぁ。皆は行くのか?」

「うん、俺は一応行こうと思ってる。写真撮りたいし」


 雅の問い掛けに日向が答え、同じように秀平と壮馬も頷いた。


「マジか……なら、一人で留守番してても仕方ねぇか、俺も行くかね……」

「体力的に辛い人も居る事を想定済みで、先生達も希望者だけにしたのかもね」


 小樽運河は昼間でも観光名所だが、夜にライトアップされた姿は昼間とはまた違う一面を見せる。基本的に夜間の外出には通常かなりの制限があるのだが、この修学旅行で唯一夜間外出が出来る事を考えても、それだけの価値を教師陣が見出しているのかもしれない。

 そうであれば日向の答えは一つ、蕾の為に写真を撮って帰る以外の選択肢は無かった。


(俺自身も楽しみではあるけれど……)


 昼間のガラス館といい、非日常的な風景の数々は蕾の事を差し引いても一見の価値がある。煌めく夜の街灯が運河を照らす様は、想像するに美しいのだろう。


「さて、そうと決まれば先ずは飯だな。腹が減っては何とやら、だ」

「雅の事だから、食べ過ぎて眠くなるに一票」

「寝ちまっても日向が起こしてくれるから問題無いに一票だな」


 雅と二人、軽口を叩き合っていると、秀平の溜息と壮馬の苦笑いが交互に聴こえてくる。

 遠方であっても変わらぬやり取りをしながら、お互いに疲れた体を小突きあうようにして食事会場へと向かった。


 食事を終えて部屋に戻り、外出用の装いへと再び戻る。

 北海道に来てから生徒達が夜に出歩くのはこれが初めてなのだが、必ず防寒具の類を身に付けるようにとお達しがあったのだ。その理由は一歩外に出れば、恐らくは誰でも気付く事が出来るだろう。


「最低気温……うっへ、氷点下八度!?」

「流石は北海道、一味違うね……」


 スマートフォンを使って小樽の気温を確認していた雅が上げた悲鳴に、日向をはじめ班員達はげっそりとした顔をすると、黙って手袋を鞄の中から取り出した。

 日向達の住む街でも雪は降るので、最低気温が氷点下を下回る事は稀ではない。

 けれど今、日向達が感じているのは日中の日光がある中の気温ではなく、大気すらも凍てつくと思ってしまいそうな程の深々とした寒波だ。

 見れば誰もが寒さに耐え忍ぶようにして身体を縮こまらせている。そうした中、流石に夜半外出に制服では寒さを凌ぎ切れないと判断したのか、男女共に私服の着用を許可されたのが救いだった。


「はぁ、ようやく足元が暖か……く、はないけれど、大分マシだね……」

「最初から私服で出歩きたいもんだねぇ」


 バスの乗車口前に集まっていた一同の中、悠里と唯の二人が私服姿で言葉を交わし合う。

 これで私服もスカートだったら詰みの状態だったのだが、幸いにも二人が着用していたのはスカートではなく、悠里はスキニーで唯はワイドパンツという安定のチョイスだった。


「恵那さんの、生地が薄そうだから寒そう」

「でっしょ。可愛いかなーって思って持ってきたらさ、想像以上に寒いの……新垣君あっためて、あっためてよー!」

「残念ながら当社ではそのようなサービスは一切受け付けておりません……っ! は、離れて、離れて!」


 うりうりと悪戯っぽい笑みを浮かべながら自分を追い駆け回して来る唯に対し、日向は逃げ惑うようにして悠里の周囲をぐるぐると回る。

 困ったように笑う悠里と、一向に止まる事のない気配の二人に業を煮やしたのは雅と秀平で。


「お前等、子供じゃねぇんだから」

「騒ぐな」


 ぐえっ、と日向と唯の口から同時に声が漏れる。見れば唯は雅に、日向は秀平に襟首を掴まれるようにして静止させられていた。


「な、なんで俺まで叱られるの……」

「いや、新垣を叱るなんてあんまり無さそうな体験だったので、ついな……」


秀平が手を離して日向が解放される傍ら、唯もまた雅から解放されるとおどけたように笑ってみせる。


「ふへへ……ごめんちゃい……」

「ったく……」


 まだ出発すらしていない状況だったのだが、結果的に身体が温まったので良しとするかは各々の判断に委ねられ、ようやくやってきた大型バスに乗り込むまで騒がしさは続いた。


 バスは十分もしない内に目的地へ到着し、いよいよ夜の小樽運河がお披露目となる。

 降車前の窓越しから見える景色にバスの中では歓声が上がり、その声を諫めるように小野寺教諭からの注意事項が通達された。

 制服ではないという事もあり、トラブルに巻き込まれないよう注意する事。また決められた範囲外までの観光は行わない事。必ず班単位など二人以上で行動する事を告げられた。



 小野寺教諭の説明を聞きながら、唯の頭の中には一つの閃きが生まれる。

 目前に広がる小樽運河、それも夜景。シチュエーションとしてはこれ以上無いぐらいのものだろう。

 夜景といってもまだ午後の七時、観光客の数が多いというのは懸念が残るが、逆に言えば人混みに紛れて生徒達もまた相手を判別し辛いという事でもある。


 この中にあの二人……日向と悠里を放り込めば、雰囲気が出る事は間違いなし。

 あわよくば悠里が押しの一手を進められるかもしれない。

 もう既に日和には一歩も二歩も先に行かれているであろう現状、ここで悠里の背中を押さない手はない。


「後は適当に理由をでっちあげて……無理矢理にでもあの二人を一緒に行動させられる手段、手段かぁ。む、むぅーん! こんな事なら仕込みおみくじでも作っておけばよかったわ……」


 じゃんけんであいこ同士を組ませるか、いやそれだと完全に運任せの部分が多過ぎる。せめて自分か日向と一緒になれば後から交代する事は可能だが、今は秀平に壮馬というイレギュラーが混ざっている。怪しまれてしまえば悠里のプライバシーに関わる為、唯からも迂闊にアプローチは出来ない。


 一瞬の内に無駄にハイスペックな頭脳を駆使して状況をシミュレートし、タスクを実行可能と不可能なものに分けていく。

 考え過ぎて顔に出ていたのか、雅と目が合う。怪訝な顔をした雅がゆっくりと近付いてくるのを見て、唯は「うげっ……」と声を出して後退った。


「ただならぬ気配を感じるんだが」

「こんな可憐な女子に向かってなんて暴言を吐くのよ。せめてフローラルな気配と言いなさいよ」

「そりゃ香水の匂いだろ……またなんか変な事しようとしてたろ」

「……別に、変な事じゃないし」


 他の面々から距離を取って話を聞かれないようにしつつ、雅と唯は横目だけで視線を合わせて会話を続けた。


「まぁ、良い場所だしな。応援の一つや二つ、してやりたくなるのも分かる」

「なら黙ってあたしの手腕を見ていなさい」


 不貞腐れたように言う唯に、雅はしかし静かな声で諭すような声を出した。


「お前さ、この旅行中……ずっとそんな事ばっかり考えてるだろ。普通に楽しめよ、普通に。いいんだよ、別に無理にくっつけようとしなくたって」

「……無理に、じゃない」


 無理にではない。それは唯の本心であり、決して間違えてはいけない部分でもある。

 確かに自分は日向へと恋心を持っているが、悠里に対しての友情も本物だ。どちらかを選べと言われれば、唯は迷わず悠里の背中を押す。


「分かってるよ、そういう事も。ただ、な。日向がそれを望むのかっていうのは、別の話だろうよ」

「新垣君が望むものって……それって、悠里との時間を作る事を、新垣君が望まないって事?」


 それが事実であれば、残酷だろうと唯が雅へと追及しようと思った矢先、雅は静かに首を横に振った。


「そうじゃない。日向も、芹沢も。そりゃ写真の一枚ぐらいは二人だけの想い出を作るのもいいだろうよ。でも、あの二人がずっとそうなる状況を望むかって事だ」

「……どういう事よ、それ」

「いやいや、そこは分かれよ……お前、本当に日向と芹沢の事になると視野が狭くなるな」

「勿体ぶらずに言いなさいってば!」


 いっ、と歯を見せながら睨む唯に、雅は一つ溜息を吐くと真っ直ぐに唯の顔を見た。


「俺達全員なんだよ」

「……?」

「だからな、きっと。あの二人が望むのは、二人だけの世界なんてものじゃない。俺達全員が揃って写真に収まる風景なんだよ」


 言われた瞬間、唯の脳裏には微かな電気のようなものがピッ、と一筋走った。

 それは当たり前にこれまであった、例えば新垣家での一幕や、それ以外のあらゆる場面。全員が揃って一枚のファインダーに収まる風景を目の前に突き付けられたかのような錯覚だった。


「だからな、お前が裏方に回っても仕方ねぇんだ。俺も、お前も、それ以外の奴等も。全員揃って帰らないと意味が無いんだよ」

「あ……」

「まぁ、それに関しては俺も多少、お前に変な気を遣った事があるのは認めるが……」


 日向との時間を作る、という名目で唯と取引した事を思い出し、雅は苦い顔をする。

 あれに関しては雅だけが悪いという訳でもなく、唯もまたバツの悪そうな顔をした。


「だから、なぁ。あの二人の事を真剣に考えるなら、先ずは俺達があの輪に入っていかないといけないんだよ。だってお前、日向と芹沢だぞ。俺達みたいに自分勝手な奴等とは違うだろ、どう考えても自分より他人優先にするだろ」

「うっ……」


 雅の言う事は尤もで、確かにあの二人であれば、その考えに行き着く事も容易に想像出来る。何よりも、悠里はこれまでの間で無理に日向と二人きりになる時間を作ろうとは思っていなかったのがその証拠でもあった。


「恵那、あの二人が一番やりたい事、もしくは望む事とはなんだ」


 もう一度問い直され、唯は即答を控えて思考を巡らせる。

 落ち着いて考えてみれば、唯が本来持つ俯瞰的な視線と思考はすぐに答えを導く事が出来た。


「つ、蕾ちゃんに喜んで貰う事……」

「分かっているじゃないか。という事はだ、逆説的に蕾ちゃんが喜ぶ事とはなんだ?」

「新垣君が楽しむ事……あと悠里も……」

「そうだ。そしてきっと、俺達も楽しいと蕾ちゃんも楽しい。なら俺達がやるべき事はなんだ?」

「……私達も楽しむ事」


 何やら滅茶苦茶な理論展開になっているが、対悠里&日向用となれば何故か理屈としては筋が通っている気がする。

 言い含められていくにつれ、段々と自分のやっている事はエゴでしかないのかと思い始めて気を落とす唯の肩を、雅はポンと軽く叩いた。


「いつまでそんな難しい顔してんだ。ほら、そろそろ散策の時間だ、行くぞ」

「……うぃ」


 気付けば周りは共に行動する友人に声を掛け、グループを作り始めている者達ばかりだった。そして、多少話し込んでしまったにも関わらず、視線の先には当たり前のように自分を待つ日向と悠里の姿があった。


「……馬鹿だなぁ」


 何が相手の為になるのかなんて事は、相手の立場に立たないと分からない。そんな当たり前の事だけれど、いつの間にか唯の視界は雅の言う通りに曇り、狭くなっていたのだろう。

 悠里と目が合う。当たり前のようにこちらへと駆け寄って来ると、二の腕をぐいっと引っ張られた。


「唯、もしかしてまだ眠いの? でもほら、夜景凄い綺麗だよ! これは観ていかないと損でしょ!」


 親友の口から出たのは、今の唯が何に悩んでいるのかを全く分かっていない、見当違いな言葉で、唯は思わず腹の底から笑いが漏れてくるのを止められなかった。


「……ぷっ、くふふ……ふっふふふ……」


 これではまるきり、立場が逆ではないか。

 いつもの自分は、周りを引っ掻き回して、この親友を困らせて、その温かさに甘えていた。

 同じ人を好きになって、でも彼女には幸せになって欲しくて。

 忘れようと思っていたのに、いつかその事に没頭して、本来の自分を見失っていた。

 でもそんな事は。


「後から考えれば、まぁいっかぁ」


 その時が来たら、きっとその時なのだろう。

 どんな結末になろうとも、この時間やこれまでの時間が嘘になる訳ではない。

 いや、どんな結果が待ち受けていようとも、絶対に。


(あたしが、皆を笑わせてあげよう)


 悲愴な決意は、もう捨てようと思った。雅の言う通り、本当に仲間の為を思うのならば、そんな気持ちで皆に接していては到底届かないのだ。


(あたしは、悠里が好き。そして、あたしは。……新垣君が、好き。それだけじゃない、蕾ちゃんも、日和ちゃんも、まぁ成瀬も。他の皆も、全員好きだ)


 前を向くと、きらきらと光る街灯が眼前に広がる。

 天を仰げば、初めて皆と一緒に行ったキャンプの時と同じような星空も瞬いているのだろう。

 見ようとしなければ、それらはきっと見えはしない。

 けれど、いつだって空には星があり、昼も夜も、その事実は決して変わりはしない。

 ポケットに忍ばせたデジカメを起動すると、メモリは十分に残っていた。余力は十分、むしろ今までがセーブし過ぎていると、そう暗に示すかのように。


 すっ、と息を吸うと、深く澄んだ空気が肺を満たす。

 ひんやりとした感覚は、じくじくと溶岩のように蠢いていた胸の中の靄を晴らしてくれるようだった。


「……眠い訳あるかー! この景色、余すところなく全部撮って持ち帰るわよ!」

「ひゃ!」


 突如としてエンジンが掛かったように雄叫びを上げる唯に、近くに居た悠里だけではなく離れた場所に居る日向も驚いて唯を見た。

 その姿を確認すると、唯は素早く日向の傍へと駆け寄り、思い切りその片腕を抱き締めて身を寄せた。


「はーい先ずは一枚、いっただきぃ!」

「あ、ちょ、ちょっと唯! ちか、近っ……!」

「えぇー? いいじゃんいいじゃん、あたしと新垣君の仲だもん。ねー、いいよねー?」


 唯の行動を見て狼狽える悠里に見せつけるように、唯が意地の悪い笑みを浮かべる。

 背中を押してもあまり意味がないのなら、日向を餌にして悠里の行動を釣り続ければいいのだ。その内、業を煮やして自分からアプローチを仕掛けてくるだろう。


「え、恵那さん……あ、あの、凄く言い辛いんだけど……!」

「なーに? あっれー新垣君ってばちょっと赤くなっちゃってなーい? うひー、何その反応! 超面白いんだけど!」

「い、いや……その、ほら、腕をね、あまり締め付けられると……苦しいというか、その」

「うーん? 何よ、なんか当たって嬉しいものでもあった?」

「……分かっててやってるでしょ?」


 ようやく唯にからかわれていると気付いた日向は少し落ち着いたのか、冷静さを取り戻した視線を向けて来る。


「むふ。これはほら、あの有名な言葉があるでしょ……当ててんのよ」

「唯! こらー! いい加減にしなさいよ! 日向君困っているでしょうが!」

「だそうですけど、困ってる?」

「正直困ってます……」


 悠里が唯を引き剥がそうと、横合いから胴に両手を回して引っ張ってくる。

 唯は負けじと日向の腕を引き寄せ、更に密着を高める。

 日向はもうどうしていいのか分からずに、ひたすら無心で時が過ぎるのを待った。


「……いや、極端過ぎるだろ」


 ただ一人、雅だけがその光景を呆れた顔で眺めていた。

漆黒のヴィランズ良かった……。

あ、二巻の購入報告や感想、ありがとう御座います!

一つ一つ、ちゃんと全部読んで居ます!


どうやったらこの方向に持って行けるのか、唯との会議が長引きました。(脳内)

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