修学旅行編⑨:二人と二人。
学年のおよそ半数の生徒達がひしめく中、日向は悠里の姿を探し回った。
それほど広く無いとは言え、全員が制服で一か所に集まっている為に遠くから見分けを付けるのは困難で、通り過ぎる女子生徒を片っ端からチェックしていた日向は、突然横合いから誰かに腕を掴まれて思わず声が出そうになった。
「っ……悠里?」
「日向君、こっちこっち」
悠里に腕を引かれて集団から少し離れた位置へと誘導される。広場の外周、公道に近い場所で二人はようやく人混みから解放されて息を吐いた。
「ふぅ……良かった、探してた。あの、自由時間だから……お土産、お願いしようかと思って」
「うん、私も。どこか分かり易い場所で集合にすれば良かったね」
悠里と顔を合わせ、二人でどちらからともなく笑い合う。いつもよりも悠里の距離が近いと思った日向は、まだ悠里に手首の辺りを掴まれているままである事を思い出し、少しだけ気恥ずかしくなった。
「さて、それじゃあ時間もそんなに沢山は無いし、気合入れてお土産を見繕いましょうか!」
「そうだね……ガラスは此処じゃなくても売っている所はあるみたいだけど、やっぱり現地からが一番いいと思うし。……あの、それで、悠里……手を」
「うん? ……おっ、とっとっと」
日向の指摘を受けて悠里が視線を下に移し……一瞬にして赤面した後、不思議な掛け声と共に手をパッと離した。
「ご、御免なさい……痛かった?」
「いや、痛くは無かったよ。ありがとう」
素直に日向が御礼を言うと、悠里は気にしないでという風に首を横に振った。
そのまま二人で連れ立って館内に戻ると、二号館の中を眺めて歩く。
「日向君、ちゃんと目星は付けられた?」
「い、一応は……なんだけど。えーっと、こっちの方に……」
先程訪れた時よりも人が疎らになった二号館の中を、記憶を頼りに歩いて行く。
食器や置物等の比較的大きな物を陳列している棚を通り過ぎて、辿り着いたのは小物が置いてある一角の、やや目立たない隅のブースだった。
「この辺り、どうかな。さっき通った時に、偶然目に入ったんだけど……」
「あ、小物だね。……結構実用的なのがあるね、こういうのとか……えっと、文鎮?」
「ぶっ……」
悠里が指差した先を見ると、白紙のルーズリーフが風で飛ばないようにガラス細工によって押さえられている物だった。
それを見た悠里のまさかの発言に、日向は反射的に噴き出しそうになる。
「ゆ、悠里……これはね、ペーパーウェイトって言って……うーん、でも文鎮と言えば文鎮か……」
「そ、そうだよねペーパーウェイト! うん、知ってたよ知ってた! ただほら、いきなり出てこない時ってあるじゃない?!」
「うんうん、あるある。このぶんち……ペーパーウェイトも綺麗だね」
「わざとでしょう!」
何かを言いかけた日向の腕を、悠里が顔を真っ赤にして軽く小突いた。
流石にこれ以上からかうのは可哀想なので、日向も全体を見渡して目ぼしい物を見繕ってみる事にする。
「あ……これ。これ、いいな」
日向が手に取ったのは、淡い赤と緑で配色されたチューリップ型のペン立てで、シンプルではあるものの、丁寧な造りはリアリティとデフォルメがバランス良く両立されており、子供にも大人にも受けそうな品だった。
まだ若干唇を尖らせていた悠里も、渋々と言った感じで日向の手元を覗き込むと、おっ、と顔を輝かせる。
「あ、いいね! これ可愛い! 他の花もあるけど、蕾ちゃんはチューリップが好きなの?」
「ううん、そういう訳じゃないんだけれど……なんか、これのイメージだったから」
日向がそう言うと、悠里は少し考え込んだ。
「蕾ちゃんって、元気で明るいから……向日葵とか、そういうイメージあったかも」
「あぁ、普段の姿を見ているとそっちの方が近いかもしれない」
手元にあるチューリップを少し傾けて天窓から入る日射しに翳すと、光が反射して日向の顔を細かく照らす。
日向は元の位置までチューリップを下げると、悠里の方を向いた。
「いつか、こんな風に花開きますように、って」
胎児のように丸くなり、花開く時を待つ蕾のように。
日向のイメージは、シーズンを前にして円錐のような形でじっと時を耐えるチューリップ畑の、その風景だった。
「ただのお土産に、そこまでメッセージ性を籠めるな、って話なんだけど」
照れたように日向は苦笑いすると「やっぱりもうちょっと、分かり易い方がいいかな」と手に持ったチューリップを元の位置に戻そうとした。お土産一つで何をこんなに熱くなってしまっているのだろうと急に恥ずかしくなったのだ。むしろ蕾ぐらいの年齢なら、こういった小物よりも食べ物の方がいいかもしれない、ならば予算はそちらに多く使おうとした日向を、悠里が止めた。
「それにしようよ」
ほっそりとした悠里の手が、日向の手の甲に触れている。思いの外に熱い掌の体温に、日向の方が驚いた。声色もどこかきっぱりと、何か強い意志を感じる。
「それにしよう、日向君」
同じ事を、悠里が繰り返す。その気持ちは断じて間違っていないと、日向の萎んでしまいそうな気持を奮い立たせるように。日向はこういう風になる悠里を、これまでに何度か見て来た事がある。
それはいつだって、日向が足を一歩先へ踏み出すのに躊躇した時や、迷いを見せた時だった。
「蕾ちゃんは絶対喜んでくれるから。お土産なんだから、なんて言わないでさ……お土産にも全力投球するのが、日向君らしいよ」
言うや否や、悠里はチューリップのガラス細工を持った日向の腕をぐいっと引っ張ると、そのままレジのある方へと足を進める。
まるで腕を組んでいるような体勢になり、当たり前だが他の生徒達からの視線が日向と悠里へと集まるのが分かり、日向は若干焦ったような声を出した。
「ゆ、悠里! 歩ける、歩けるから、ちゃんと持っていくから平気だって!」
「だめ。日向君って変な所でヘタレるから、ちゃんと送り状を書く所まで見届けます」
「いやいや、周りの視線、視線がね……!」
小声で訴える日向の言葉の意味に、悠里も気付いていた。けれど、そんな事でこの腕を離すつもりは毛頭なかった。
日向が蕾の事を考える時の柔らかな表情の、その横顔を見てしまった時から、ぐんぐんと体温が上がっている。僅かな時間でも稼がなければ、日向にその横顔を見られてしまうだろう。ならば、自分が日向の前を歩くしかないと、悠里は動揺したままの思考で結論付けた。
周りの人間に何か変に思われるぐらい、日向に勘付かれるよりはよっぽどいいのだと。
日向と悠里のどたばたとした一幕を、唯は遠目からちらりと覗き見ていた。
(ごめん、ちょっと日向君と蕾ちゃんのお土産を選んでくるから!)
そう言った悠里を、自分は自然な笑みで見送られただろうか。今更になって、その事について自信が無くなってきている。
それでも、あの日に誓った決意の一つを揺るがす程ではない。ざわつく胸の中には、あの二人の仲睦まじい姿を見る事に対して、温かな気持ちがある事も確かなのだ。
異性として一番好きな相手と、同性として一番好きな相手が、一緒に笑い合っている。
その現実を不幸なものだとは、絶対に思わない。
「……さって、パパとママには何を買って行こうかねぇ」
無理矢理に気持ちを切り替えると、ガラス食器の置いてある棚に視線を走らせた。
両親は共に理系というか、考え方が基本的に実務思考なので恐らくお土産もそういった物の方がいいだろう。しかし父親は割とロマンチストな一面もあるので、多少はアートな作品を選んだ方がいいのだろうか。
しゃがんで顎に手を添えて悩む唯の傍に、不意に人影が差した。
「純基さんのプレゼントか」
「む……出たな、妖怪一人にさせてくれない奴……」
「意味の分からん返しをするなや……というかその様子だと、一人にさせて欲しい何かがあったって事だな」
唯としては、雅のこういう所は基本的に気に入らない。一番日向の傍に居る事の多い人物なのだから、今何が起こっているのか当たり前のように知っている筈なのだ。
「純基さんなら、奥さんと二人で使うペア系の食器があると喜ぶ気がするんだが」
「……なんであんたがウチの父親の嗜好を知った顔して語るのよ」
「そりゃお前の父ちゃんが聞いても居ないのにペラペラと勝手に喋ってるからだよ……」
雅の指摘が的を得過ぎていて、唯は反論する口を紡いだ。確かに、あの父親であれば娘の同級生相手にも愛妻の事を飽きるまで話す事もあるかもしれない。
「で、あんたは家族に何も買わないの?」
「どうしようかな、ってな。綺麗だとは思うが、ガラス細工でうっとりするような奴は俺の家系に居ないんだよ。名物の食い物でも買って行った方が良さそうだ」
雅の家の事は聞いた事が無かったが、なんとなく活発な家系なのだろうな、と唯に想像がついた。自分の家みたいな学業系の家風ではなく、体育会系だろう。
そんな雅の両親がどういう人となりなのかを考えた所で、ふと唯は何気ない疑問に思い至った。
「あんた、新垣君と一緒の中学だったって事は、日和ちゃんとも一緒だったんでしょ? そんな女の子にお土産の一つでも買って行ってあげよう、ぐらいの気概は無いの?」
「あ? そりゃ日向がやるからいいだろ、日和ちゃんだって俺から貰っても気味悪いだろうしな」
「……あんたさ、もしかしてその、日和ちゃんの事が好きだった時期とか、なかった?」
「ない」
会話の合間にさり気なく差し込んだ質問に、雅は表情一つ変える事無く答えた。
「即答とかめっちゃ怪しい……」
訝し気に眉を寄せる唯に、雅も眉を寄せて難しい表情……もとい、面倒臭そうな表情をした。
「いや、それはマジで無い。即答出来るのは、そういう事を聞かれるのが初めてじゃないからだ。日和ちゃんは本人が嫌でも目立つような子だろ? で、大体その近くに居たのは日向と、日向と一緒に居る事の多い俺ぐらいなもんだったからな」
そういう異性と一緒に居る時間を誰かに目撃されれば、噂の一つ二つは立てられるものだ。雅の場合も、ただ一緒に居る所を見られただけで雅が日和へ好意を寄せていると勘繰られる事もあったのだろう。
「まぁ、明らかに日向と日和ちゃんの雰囲気は他と違ったから、噂になるのは大体そっちだけどな。その余波で多少って所だ……負け戦の将とも呼ばれた」
「大分エグい言い方だけど、的確だわ……」
中学の頃の日和を知らぬ唯ではあるが、もしあの態度を当時から一貫して取っていたのなら、男子生徒が誰も勝ち目がない事は自明の理だっただろう。
「綺麗な子だな、とは思ってるんだがなぁ。変な言い方じゃねぇけど、日和ちゃんも俺の事は先輩として……まぁ日向とは違うベクトルで慕ってくれているのは分かる。なんだろうなぁ……遠い親戚の子、みたいな印象なんだよ」
異性として意識していない訳ではないのだろう。けれど、それが恋愛に昇華する事は無いと本人が自覚しきっている節があった。
「全く違う出会いだったりするなら、分からんけどな。まぁ、もしらばの話はしても意味がねぇや。俺にとってあの二人は……」
一旦言葉を止めて、雅が適当なガラス細工を一つ手に取った。ガラスで出来た小物入れに色彩豊かなグラデーションが施されている。
眺めれば綺麗なそれは、床に落とすとたちまち砕けてしまうだろう。
「聖域だったんだよ」
「……聖域」
何人も立ち入る事の出来ない、完成された二人の空間。背中合わせのそれは、お互いが視界に入って居なくても確かに存在を感じられるだろう。
「けれど、多分それは俺のエゴというか、穿った見方だったんだよな」
ずっと日向の傍に居たのに、雅には出来ない事が幾つもあった。見守る事が最善だと言い聞かせて、これまで変わらぬ友人として過ごして来た。
けれどそこに、悠里という存在が入ってきたのだ。
「俺は日向と日和ちゃんを、ガラス細工みたいに扱っていた。ガラス細工みたいに罅が入って、下手に何かをすれば壊れて元に戻らなくなるんじゃないか、ってな」
時間が経てばそれは自然にくっつくのかもしれないと、あるかもしれない可能性に賭ける事で精一杯だった雅は、その事に関して今も後悔しているのだろう。
「だけど違うな、と思ったよ。あの二人はガラスじゃない、鋼だ。火にくべてやれば元の形に戻る事も、もっと純度を上げる事も出来る。俺はそれに、気付けなかった」
「新垣君は兎も角として、日和ちゃんまで鋼扱いとは、あんた女の子に掛ける言葉ってのを知らないの?」
「お前、もうちょっと俺に良い事言ってる気分味わわせろよ……」
「良い事を言っていると思ったから茶々入れたのよ」
べ、と舌を出す唯を見ると、雅は肩を落として手に持ったガラス細工を元の場所へと戻した。
「まぁ、問題は、その火が芹沢だったって事なんだけれどな」
「そして勃発する、新垣君争奪戦なのであった……って、いいの? この状況。聞いてる感じはあんた、やっぱり日和ちゃん寄りな感じがするんだけれど」
「だから言っただろ、俺は芹沢にも日和ちゃんにも付かねぇよ。俺は日向寄りだ、日向が良いと思った事を応援するつもりだし、あいつが出来そうにない事を俺がやる」
「これが今、巷で流行りのBLと」
「お前もう黙れ……」
じっとりとした視線で睨まれるが、唯は気にする事無くへらへらと笑った。
取り留めのない話になってしまったが、先程よりは随分と気持ちが楽になっている。
そういう意味では、事情を知っているこの男が雑談をしに来てくれたのは、案外と良い事だったのではないかと思うが、決して口には出さない。
お互いに親友の幸せを願う者同士、その共通点があればいいと思った。
早いもので、あと3日ぐらいで二巻が発売です。
二巻は読後感に徹底的に拘ったので、こういう変化で来たかぁ、と楽しんで貰えたらいいなーと。
あ、修学旅行編は、後三つか四つぐらいで終わる予定です(予定)