修学旅行編⑧:硝子の館
※水族館に向かわせようと思いましたが、水族館なんて全国何処にでもあるしなぁ、という事で水族館はパスしました。これに伴い、前のエピソードの水族館という単語を排除致します。
小樽に到着して日向達がバスを降りると、目の前には不思議な建物が聳え立っていた。
建物自体は時代を感じられる程に古めかしいが、その倉庫のような外観は威厳に満ち溢れており、どこか非現実的な印象を与えてくる。
「ここが……ガラス館」
「日向、小野寺センセが呼んでる、行こうぜ」
思わず建物を見上げたまま見入ってしまっていると、前方から雅が手招きしていたので、慌ててそちらに向かう。
クラス単位で集められた生徒達に、それぞれのクラス担任が注意事項等を細かく説明するらしい。
特に難しい事ではなく、館内はそれほど大きくは無いので十分に気を付けて歩く事。手で触れる事は破損の関係上、今回は禁止するが購入希望者に限っては、近くの店員に言えば可能である事。そして、購入した際には自宅へ郵送する事が望ましい事……などの内容だった。
「……壊した場合って弁償だよね、あたし触らないでおく。絶対ママに引っ叩かれる」
小野寺教諭の説明を一通り聞き終えた唯は、腕を組んだ姿勢のまま神妙な顔で頷いた。
こういう場所で取り扱うガラス工芸品というのは、恐らくそれなりに値が張るのだろう。
教師陣の念押しに影響されて腰が引けてしまった唯に、傍に居た悠里が励ますような声を出した。
「大丈夫だってば、ゆっくり歩けばいいんだし……それに、確かこういうのって何か保険に入ってるんじゃなかったっけ?」
「うーん、そういう話も聞いた事があるけれど……どうだろう。入ってたとしても、それを聞いて安心すると油断しちゃうから、小野寺先生の性格上……教えてくれない気がする」
「あー、うん、なんか分かる……。と、とりあえず気を付ければいいのよ、うん」
そうこうしている内に、前方の方で動きがあり入場が始まる。先程の注意事項で生徒達は身が引き締まったのか、整然と並んだままゆっくりと歩き、ふざけている様子の者はいなかった。だが普段とは違う景色にやはり浮足立つのか、期待を堪え切れずといった感じで周囲からは楽しそうな会話が聞こえてくる。
同級生のざわめきと共にレンガで出来た薄暗い通路を歩いて行くと、その先にある本館への入り口があった。
「……映画みたいだ」
誰にともなく日向は呟く。明るい外から薄暗い通路を通り、非日常の世界へと赴く。
幼い頃、学校から家に帰るまでの間に、普段通らない道を使って帰宅する事があった。
何年も暮らしてすっかり覚えていた筈の町内が、一つ道を挟むだけで景色を変える……それは小さな自分にとって、興奮と不安を同時に与えてくれる不思議な体験だった。
全く別の場所で味わう既視感に心を躍らせながら、本館への入り口を超える。
開けた視界の先にあったのは、光の世界だった。
「……………」
周りから歓声が聞こえている筈なのに、そんな事はどうでもいいと思ってしまうぐらいの、圧倒的な幻想がそこにあった。
夕暮れ時を少し過ぎて、薄暗くなった住宅街に燈る灯りの、そのオレンジにも似た。
暖かい光が、あちらこちらに輝いて。
いつか見た星空のように静かな光ではなく、包み込まれるような安心感。
驚きと共に視線を周囲へ向けると、悠里と唯、そして雅や秀平たちもまた、その景色に目を見開いていた。
「綺麗……」
「ふはー、凄いわ……」
うっとりとした悠里と唯の声を傍で聞きながら、日向は進んだ列に遅れないよう足を進める。壁一面に飾られたガラス細工には中に火が灯っており、それがこの光の正体なのだろう。
ゆっくりと本館内を周回するように歩いていると、前方を歩いていた悠里が少し歩調を落として日向の隣へと寄って来た。
そして、周囲のざわめきに掻き消されないよう、そっと顔を寄せる。
「……これなら、きっと蕾ちゃんも日和ちゃんも、喜んでくれるよね」
「そう……だといいな。案外、蕾は食べ物の方が反応するかもしれないけれど」
「ふふ……それならそれでいいじゃない。健康に育ってる証でしょ?」
悠里の返答に笑って頷くと、壁面以外にも点在するテーブルに目を向けた。広い本館ホールの中は通路がテーブルによって区切られており、そこには様々な形のガラス工芸品が展示販売されていた。
動物を形どったものから、グラスや箸置きなどの日用品に至るまで、形も用途も全て違うそれらは、けれど全てが等しく煌びやかに光を反射している。
「一通り回ったら、此処で自由時間があるらしいから……その時に、選びましょうか」
「それはつまり、一周するまでの間に目星を付けておけ、って事だね」
「あら、別にそんな事しなくても日向君のセンスがあれば時間内に決められると思うけど?」
「……目星、付けておきます」
悠里の笑顔に含まれた意味を感じ取り、日向は背筋を伸ばした。
ガラス工芸館の中は本館から二号館、三号館が続いており、日向達がバスを降りた広場を取り囲むように建てられていたらしい。
二号館は三つの建物の中で最も広く、天井がかなり高い位置にある。
天窓から日射しが入るその場所は、本館とは違い陽光によって館内の明るさが保たれていた。展示の意味合いが強かった本館と比べ、こちらは販売をメインで行っているのか棚の数も本館よりも多く見られる。
ただ、それでも商売っ気を前面に出し過ぎている感じではなく、むしろ開放的で明るい館内はカジュアルな雰囲気があり、その空気感も相まって先程よりも生徒達はリラックスして会話を楽しんでいる様子が伺える。
館内の説明を聴きながら一通りの見学を終えると、次はガラス細工体験の時間となった。
人数が多い為、学年を二つに分けて行うとの事で、日向達は先にガラス体験、後半に自由時間が割り当てられている。
三号館のフロアに設置されたテーブルに他の男子班と固まって座ると、係員が小さなグラスと何か工具箱のようなものを持って来た。
「今から、このグラスに皆さんでデザインをして頂きます。箱の中に入っているのは模様を入れる為のシールになっており、シールを貼って模様の部分だけを剥がして下さい」
係員の説明を聞いた男子生徒が箱の中のシールを手に取ると、しげしげとそれを眺め始めたので、日向もそれに倣い花の模様が付いたシールを一枚、取り出した。
「へぇ、模様の部分だけ剥がせるようになっているんだ」
「これでどうやって模様作るんだろうな」
隣に座った秀平が日向の手の中にあるシールを興味深そうに眺めて呟くと、その言葉を聞いた壮馬が得意そうな顔で会話に加わって来た。
「これ、砂を吹き掛けるんだよ。すりガラスみたいに、そこだけ砂でぼかして模様に見せるんだ」
「あぁ、なるほど。発想が逆なのか……西口、良く知っているな」
「い、いや……実は、バスの中でガラス体験が載ってるページを検索してたから……」
秀平から素直な賛美が出た事に気後れしたのか、壮馬は早々にネタをばらして照れたように笑う。
「自分達で彫ると怪我するし、時間も掛かり過ぎるから、こういう方が手軽でいいかもね」
和やかに会話をする秀平達に、日向はグラスとシールを交互に眺めて頷いた。
似たような事を家で蕾とやれないかと考えてみたけれど、洗っても取れないレベルでガラスに加工するのは、こうした場所の専用機材ではないと無理だろう。
(……でもこれは、絶対に欲しがるな)
好奇心の強い蕾の事である、これを日向が自作したと知れば高い確率で自分もやってみたいと言い出すだろう。
その時の笑顔を想像し、出来ないと言い聞かせなければいけない現実に日向は苦悶の表情を浮かべた。
「……新垣君、どうしたの?」
「放っておけ、いつもの発作だ」
「発作……」
いつの間にか黙ってしまい悶々と思考の彼方に飛ぶ日向と、それを心配して声を掛ける壮馬だが、他の人間達の反応は実に冷ややかなものだった。
作業は二十分ほどで終了し、テーブル毎に係員達が回収にやって来る。
日向は自分の作品にネームの書かれたシールを貼り、落とさないようにそっと係員の持って来た籠に入れた。
この後は砂を吹き掛ける作業があるのだが、生徒達が全員やると機材の数が足りなく、時間が膨大に掛かってしまう為に店に一任するという形を取っているらしい。
完成品に関しては、後日学校で受け取る事になっている。
「体験というには簡単過ぎるな……」
「仕方ないよ、でも自分がデザインしたグラスを貰えるのは良い想い出になると思う」
肩を回しながらぼやく雅へ日向が宥めるように応じると、「まぁなぁ」という雅の気の抜けた声が返って来た。
「俺はこう、息を吹いてガラスを膨らませるやつ……あれをやりたかったんだがなぁ。まぁそれはそれとして、ようやく自由の身か……」
両手を伸ばして凝り固まった身体を解す雅と共に、日向は三号館から一旦外に出る。
敷地内には先に自由時間を謳歌していたのだろう、他クラスの生徒達が集合してくる頃合いで、日向達は入れ違いのように敷地の空いているスペースへと先ずは腰を落ち着けた。
「日向、何か適当に見て来るか?」
「あぁ、それなんだけれど……ちょっと、俺は外してもいいかな」
「お? 別件でもあるのか」
「うん、ちょっと悠里と一緒に、お土産を買う約束していてさ……」
「っち、女か」
「言い方……!」
若干気まずそうに話す日向に、雅は仕方ないとばかりに肩を竦める。
「まぁ了解した、そんじゃ集合時間までは別行動でいいか。俺は栁あたりとふらふらしてるから、気にせずいちゃこらしてこい」
「いちゃこらって……まぁうん、分かった。御免ね、また後で」
ほいほい、と手を振って追い払うような動作をする雅だが、本心では気を遣ってくれているのだろう。深く追求する事はせずに見送ってくれる友人に背を向けて、日向は悠里を探す為に人混みの中へと再び入って行った。