修学旅行編③:真の仲間。
天気は快晴。しかし気温は既に氷点下三度を下回る中、生徒達は最初、リフトを使わずにある程度の高さまで自力でスキーを担いで登る。ここから大まかにスキーの経験者、未経験者を分けて研修を開始する為だ。
日向達が待機する場所の更に上には教師が二名程待機している。その内の一人は、日向達のクラス担任でもある小野寺修二だった。
生徒達の前に出た学年主任の教師が「これから初心者用のボーゲンと経験者用のパラレル、二通りで滑りるシーンを見せます。頭の中にイメージとして覚えておいて下さい」とアナウンスすると、上に居る教師に向かってストックを振り上げた。
その合図が向こうに伝わると同時、上から一人の女性教師がスキー板をハの字にして滑り降りて来る。
「あれが初心者用……そんなにスピード出ないみたいで、良かったぁ……日向君、スキーは経験あるの?」
日向の傍で同じく上を見ていた悠里は、そわそわとした面持ちで日向へと僅かに顔を寄せて訊いてきた。
「ううん、全然。俺もボーゲンでゆっくり降りる予定だよ」
「あ、そうなんだ。じゃあ一緒の班になりそうだよね。……他の皆はどうなんだろうね」
「何人かは経験者が居て、聞いた話だと仁科さんは凄いらしいけど……あ、悠里。小野寺先生が滑るよ」
一人目が到着すると、学年主任が再びストックを坂の上に向けて振り上げてみせる。
担任が滑るとあっては教え子達も気になるのか、雑談しながらもその視線はしっかりと担任へ向けられていた。
「あ、スタートしたね。……うっわ、小野寺先生速っ!」
隣から、悠里の驚く声が聴こえると同時、周囲からも軽いどよめきが起こった。
勢いよくストックを突いて加速した小野寺教諭は、そのまま先程の女性教師よりも小さなシュプールを細かく描きながら、ジャッジャッと鋭いターンと共に斜面を降りてくる。
遠目から見ても、上半身が全くブレておらず、逆に膝と股関節が柔らかく動いているのが分かる。
「なんでも出来そうな先生だと思っていたけれど、本当に何でも出来るな……」
素人目に見ても、明らかに上手い。日向達のような学生とは別にスキーを楽しんでいる一般スキーヤー達の中にも上級者のような滑りをする者が多々居たが、小野寺教諭のスキーはそれに匹敵するか、下手をするとそれ以上のものだろう。
細かい技術の部分は日向には分からなかったが、とにかく安定感が抜群にあるのだ。
近くまで滑り降りて来た小野寺教諭は最後に一際大きいシュプールを描くと、雪をカーテンのように舞い上げ停止する。そしてストックを斜面に刺すと空いた手でゴーグルを外した。
生徒達から歓声と拍手が巻き起こるが、本人は涼しい顔というよりも呼吸一つ乱れている気配が無い。完全に『ちょっと散歩してきた』ぐらいの感覚なのだろう。
「はぁ、凄いな……あれだけ上手に滑る事が出来るなら、スキーも満喫できるんだろうけど……俺はあんな事出来ないし、今日は基本練習だけで精一杯になりそうだなぁ」
周りに合わせて手袋の上から拍手をしつつ日向が言うと、隣で悠里もうんうんと激しく頷いている。
「この通り、小野寺先生は指導員資格も持つ一級のスキーヤーです。経験者で特に滑りが上手いものはAクラスに配備しますので、存分に小野寺先生からスキーの面白さを学んで下さいね!」
学年主任が拍手と共に生徒達に向けて言うと、一部の生徒達の目つきが先程よりも更に真剣な物に変わった。
それとは反対に、隣からは雅が疲れたような表情で周囲を見渡している。
「おいおい、修学旅行のスキーだろ、もうちょっと肩の力を抜いてやろうぜ……」
「一瞬にして強化合宿に来たみたいになっちゃったね。雅はどの程度?」
「俺は全然。家族旅行でスキーは何度も行ってるんだが、足が痛くなるから好きじゃねぇんだ。それよりも日向、知ってるか……小野寺先生、奥さんとスキー旅行に行く為にかなり練習した事があるらしいぜ。あの腕前は奥さんへの愛の深さって事だなぁ」
一体どこからそんな情報を仕入れて来るのか、雅は嬉々として担任の個人情報を話し始めた。
「俺も蕾の前だったら、もうちょっと上手く滑れる気がする」
愛情の深さならば、日向も負けてはいられないとばかりに意気込む。
隣から返って来たのは、いつも通りの呆れたような視線だけだった。
そこから班決めの為に各クラスで纏まり、一名ずつ順番に斜面を下って担任から実力に見合った班に配属される事となる。
先に女子が全員滑り終わった所で男子の番となり、一人ずつ減っていく中で遂に日向が滑る順番が訪れた。
やや緊張した面持ちで日向は前任者が完全に滑り終わるのを待っている中、後ろからトントンと肩を叩かれる。
「気楽にいけよ。B班かC班になって、緩く遊びながら滑ろうぜ。下に居る連中の様子を見るに、芹沢や恵那もB班だろ」
「C班になる可能性の方が高いから、一緒にならなかったら二人に謝っておいてね」
苦笑いを零すと同時、下から小野寺教諭のストックが振り上げられ、日向は息を整えるとゆっくりとした動作で滑り始めた。
特に大きな失敗も無く斜面を滑り降りると、ゴール地点に立っている小野寺教諭が日向の顔を見て一度頷く。
「新垣か。流石に運動神経はいいな、堅実な滑りだ。真面目にやるお前ならすぐに上達するだろう、B班に」
小野寺教諭が背後の班を指差すと、その手の向こうに居る集団の中で見守っていた悠里と唯が笑顔で手招きしてくれていた。どうやら無事に三人ともが同じ班になれたらしい。
「ありがとう御座います。俺も妹に笑われないように、先生みたいに頑張って練習しますね」
安堵感から、少しだけ冗談めかして言った矢先、小野寺教諭の眉がピクりと動いた。
「……新垣。私みたいに、とは一体どういう事か」
あっ、と日向が気付いた頃にはもう遅く、小野寺教諭はまだ滑り終えていない斜面上の集団に目を向けると、溜息を一つ吐いた。
「成程……成瀬だな、分かった。行っていいぞ」
念の為に言い訳しておいた方がいいだろうかと日向は思ったが、小野寺教諭は既にストックを振り上げており、ここに居ては滑走の邪魔になるだけなので日向は止むを得ず悠里達が居るB班の集合場所へと足を運んだ。
進む傍ら、背後から今しがた滑り終えてきた生徒と担任の会話が聞こえてくる。
「はぁー……。あ、先生。どっすか、こんなもんスよ、俺。あんまりスキー得意じゃなくて」
「成瀬、A班」
「……え?」
「明らかに手を抜いていたな。実力のある者がサボるとは腑抜けている。私の班で鍛え直してやるから、移動しておくように」
「えぇぇえ!? ちょ、ちょっと待ってくれよセンセ! 俺は別にスキーそんなに好きじゃなくて!」
ストックから手を離して半泣きで雅が小野寺教諭に問い詰めるも、小野寺教諭の視線は既に斜面に注がれていた。
食い下がる雅の元に、A班から二人の男女がやって来ると、それぞれ左右から雅の腕を抱える。秀平と麗美だった。
「はいはい成瀬くん、私達と一緒に、小野寺先生から凄い指導受けようね。あの滑り見たよね、私……柄になく燃えてるの……頑張るよ」
「進行の邪魔になるから退け退け。お前も俺と一緒に地獄へ堕ちるんだよ。あとつまらんダジャレは止めろ、余計に寒くなる」
「シャレじゃねぇよ! 本当に好んでやる事なんかねーんだって! ひ、日向あぁぁぁ!」
少数精鋭のA班に連行される雅を、日向達はただ黙って眺めているしかなく、やがて雅の姿が集団の中に掻き消えて姿が見えなくなると、唯がようやく口を開いた。
「……雉も鳴かずば撃たれまいにねぇ」
「ごめん、雅……俺達の平和は、雅の犠牲の上に成り立っているよ……」
「二人とも、優しいのか厳しいのか分からないね……」
唯と日向がそれぞれの手向けの言葉を雅が居るであろう方向へ述べると、悠里が苦笑いしながら静かにそう一言だけ零したのだった。
こうして、世界の平和は護られるのであった。
サンキュー雅、いつかまた、強い相手と戦う日まで!(亀仙人ボイス)