心の内、それぞれ。
翌日、日向達が登校すると、そこには髪の毛を真っ黒にした雅が憮然とした態度で自分の席に座っていた。
あまりにも奇妙な光景に、日向はおろか前の席に座っている唯ですらもどう声を掛けていいのか躊躇っている節がある程だ。
クラスメイト達も遠目から雅を眺めては何か囁き合っているのが見える。
「雅……どうしたの、それ」
意を決して日向が声を掛けると、雅は胡乱気な視線を寄越してから、情けなく眉尻を下げた。
「それがな……」
話を聞くと、昨夜に小野寺教諭から電話があり、念の為と事の顛末を報告したらしい。
そして話を聞いた雅の父親が大急ぎで相手方の家に向かうと、着くなり早々に深々と頭を下げたという事だった。
幸いにも相手方の親も「思春期の子供達だし、お互い様なので」と苦笑いで応じてくれたらしいが、帰宅した後に雅の父が『事情はあれど安易に手を挙げた事に対してはけじめが必要』という一存の下、戒めとして雅の髪の色を黒く染め直してしまったという事だった。
「登校中に昨日の奴にもこの頭見られてよ……なんかすごい申し訳なさそうな顔されたよ……」
平和的に解決した、といえばそうなのだろう。変に拗れる事無く収束した問題ではあったが、その代償として雅はアイデンティティを差し出す事になったのだった。
「まぁ、そのぐらいで済んで良かったっていうか……小野寺先生も厳しくは言ってなかったんでしょ?」
日向が問い掛けると、雅は「あぁ……」と頷いた。
「なら、それで良かったって事にしておこうよ。下手に事が大きくなって、停学なんて事になったら修学旅行でさえ危なかったんだし」
「まぁ、そうだな……先に手を出したのは俺だからなぁ。はぁ……」
理解はしているのだろうが、気持ちが憂鬱になるのが隠し切れないと言った体の雅を前に、日向と唯は顔を見合わせて、軽く笑い合った。
そんな中、日向はこの輪の中に入っていない悠里の事を思い出し、後ろを軽く振り返った。
こんな時はいつも、誰かのフォローをしてくれる悠里の姿は、今は女子生徒に囲まれた座席の中にある。
「あぁ、あれねー。もうちょっとで班も固定になるだろうし、落ち着くとは思うんだけどさ」
日向の視線に気付いてか、唯も同じ方向に視線を向けながら、周囲を気遣ってか気持ち声量を下げて呟く。
「班決め、だっけ?」
「そう。ってもあたし達の班、悠里とあたしと、麗美と沙希の四人でやろうって話なんだけれどね。班決めって五人まで大丈夫じゃん。んで、もう大体どこの班もメンバー決まってる筈なんだけど、五人の所から抜けてあたし達の方に来たい、って子も居るんだよ」
女子界隈ならではの状況というか、男子にはいまいち理解し辛い説明に、日向は首を捻る。
「もう決まってるなら、それでいいんじゃないの?」
もっともな日向の意見に、唯は首を振る。次いで、何故か雅も同じく首を横に振っている。
「あのね、修学旅行で一緒になるでしょ? そうしたら、写真とか一杯撮るでしょ。そういう時に、悠里や沙希みたいに華がある子と一緒に撮りたい、って子が割と居るのよ」
「そういうものなのか……」
「そりゃ仲が良い友達、っていうのがベターなんだけれど、悠里の場合は大概誰とも仲良いし、それに加えて行動派の沙希が居るからねぇ。沙希の場合、部屋での話題とかに期待しちゃうんだろうけれど……あの子の情報網、すっごいから」
唯はくるくると指先を回してから、窓際の席で数人の友人達と談笑する沙希へとその指先を向ける。
確かに、日向が最初に沙希達と話す時、悠里との仲を疑われていた。あの頃は、逆に普段誰とも話さない日向が悠里のような目立つ女子と話しているのが目立ったのだろうと日向は思っていたが、喜々として首を突っ込んで来たのは沙希だけだった。
「そこまで分かってるなら、恵那さんが助け舟出してあげればいいのでは」
目の前でしたり顔のまま座っている唯に日向が指摘すると、唯は肩を竦めて困ったような表情をした。
「や、だってさ、そんな二人と最初から一緒の班に居るあたしなんかが、他の子達に何か言ってご覧よ。あっという間にやっかみの嵐だよ。麗美は麗美で、悠里に次いで女の子らしいし、物腰が柔らかい分、周りの視線も穏やかなんだけどねぇ。あたしの場合、自分勝手だし……気分屋だし、女子界隈じゃ敵とまでは言わないけれど、相互不干渉の人間だっているもんよ」
唯の口から出る日向の知らない交友関係は、それこそ日向とは無縁の世界の出来事のようだった。
当然、それに対して何か具体的なアドバイスなど出来る筈も無かったが、唯がそれほど敵を作るようなタイプにも思えなかった。
「でも……」
「んー?」
「恵那さんと一緒に居ると楽しいし、恵那さんの居る班に入りたい、って人もきっと居ると思う」
気分屋で、いつも何をしでかすかとハラハラさせられる事の多い唯だが、その源泉は決して自己中心的な思考からではなく、他者を思うが故のもの、そう感じるのも事実なのだ。
「だから、悠里達が、って事じゃなくて……悠里達と、恵那さんが居る班に入りたいんじゃないかな。俺だったらそう思う」
もしも自分が女子だったとしたら、真っ先に友達になりたい子は誰だろうかと考えて、きっとそれは唯みたいな子なんだろうと思った日向は、臆する事無くそれを伝える。
そしてそれが誤った選択ではない事を、悠里が毎日のように証明してくれているのだ。
「………………へ」
「恵那さんと居ると、毎日楽しそうだしね。修学旅行なら、尚更じゃないかな?」
「……え、いや、いや、いや。いやいやいやいや……。え、えへへ……何それ照れる……」
いそいそと前髪をいじりだした唯が、ブレザーの裾で表情を隠すようにして前を向いてしまう。
時計を見ると、そろそろ教師が教室にやってきそうな気配があり、雑談もどうやらここまでのようだ。
それにしても、もう少し切れ味の良い返しをしてくるかと思いきや、思いの外に唯が照れてしまったのは日向にとっても意外だった。
自覚ないままに何かまずい事を言ってしまったのかと隣を見ると、今のやり取りがよっぽど面白かったのか、頬が緩んだままの雅がいて。
「そこがお前の悪い所でもあり、同時に良い所でもある」
「伸ばすべきか治すべきか、判断に困るコメントをありがとう……」
結論も出ないまま、小野寺教諭が教室に入って来た姿が見えて、そのまま打ち切りとなった。
放課後、挨拶もそこそこに日向は荷物を纏めて立ち上がる。
充実してきた学校生活とはいえ、可愛い妹が待っている時間がそれで減る訳ではない。
加えて、この先の修学旅行で暫く兄だけが友達と旅行するという事実は、蕾にとって羨ましい以外の何物でもなく、最近何かと目線で訴えられる事が多くなっているのだ。
(出発する三日前ぐらいからは、夕飯は少し気合を入れよう……)
食べ物で機嫌を直してくれるかは不明だが、努力する姿勢は見せなければならないと意気込んでいると。
「あ、待って待って、日向君!」
廊下に出る直前、悠里が追い付いてきて、日向のブレザーの裾を軽く掴んだ。
「悠里」
挨拶以外でこうして話す事は久し振りの悠里を振り返り、日向は小首を傾げる。
「友達は大丈夫なの?」
そのまま悠里の肩越しに教室の奥を覗くと、そこには先程まで悠里と談笑していたであろう女子が数名、こちらを見ていた。
視線が少しだけニヤついている気がするが、気のせいだと思いたかった。
「うん、今日はもう平気。それより、ちょっと話したい事があるから、帰りながら話しましょ」
そう言うなり、悠里が自分のスマートフォンをすっと掲げる。
画面にはメッセージアプリが起動されており、そこには『日和ちゃん』の文字がある。
「聞きたい事がたっぷりあるから、覚悟していてね」
「……はい」
一体自分は何をしでかしたのか、日和が一体悠里に何を言ったのか。
何故か冷や汗が止まらないまま、日向は悠里と共に生徒用玄関へと向かった。
大変お待たせしました、再開致します。
(GW中に書けると思いましたが、気のせいでした)