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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【四章 結実の冬、足跡を残して。】
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影法師、水面には映らず。

 日和が先ず最初に日向を連れ出した先は、駅から徒歩十分程で辿り着く、大型のスポーツ量販店だった。過去に何度か来た事がある場所だったので、道の途中で見た景色が懐かしい記憶を呼び起こし、道中は自然と当時の想い出が蘇る。


「この道、久し振りかも。よく部活帰りに自転車で通ってた」


「ですよね。ガットを張るのはいつも商店街でしたけど、こっちでしか買えない物もありましたから」


 同じ景色を見ながら、日和も懐かしそうに頷いた。駅からずっと手は繋いだままで、日和は先導するようにぐいぐいと日向を引っ張って歩く。

 道の横合いには川が流れ、下流に行けば自分達が住む街がある。地続きになっているのに、いつもと違う場所を歩いているというだけで、何処か別の世界に来たようだ。

 もしくはそう錯覚するぐらい、この景色から自分は離れていたのだろうかと思い、日向は視界に入る店舗の外観を眺めた。


「映画とか、ボウリングとか……そういう、遊びみたいのも考えたんですけど。やっぱり此処かなぁ、って……あっちの方が良かったですか?」


「いや、日和らしいというか。……違うね、俺達らしい」


「なんですか、それ。まぁ、でも……そうですね。私達らしい、です」


 店舗入り口前にある大きな階段の手前で立ち止まると、日和は日向の返答に、掌で口を隠しながら笑った。



 二人が真っ先に向かったのは、意外にもテニス用品店ではなく、入口付近に展開されていたアウトドアグッズのコーナーだった。

 季節柄、こういうものは規模が縮小されていると思ったのだが、予想に反して大体的に宣伝されているのが却って興味を抱かせた。


「ウィンターキャンプ……そんなのあるんですね、私達が行った夏のキャンプと違うんでしょうか」


 敷物やテントの生地を確認しながら日和が眉を顰めると、日向は商品に付けられているタグを確認して別の意味で眉を顰めた。


「違うね、何が違うってほら、価格が違い過ぎる……」


「うぇっ……こ、これが六万円……?!」


 二人程寝られそうな大きさのテントの、その値段に日和は息を呑む。アウトドアグッズの相場はそこまで詳しい訳でもないが、このサイズならばもう少し安いのではないかと予想していた分、予想外の金額に後退りしてしまう。


「冬季仕様になってる分、保温性とかに優れてるんだろうけど、凄い差があるな……」


「でも、ちょっと興味ありますね。冬のキャンプ……雪の中でやるなんて、幻想的な感じがします」


 傍の宣伝用ポスターでは、ウェアを着込んだモデルが真っ白い雪原で湯気の立つコーヒーを飲みながら、炭火の前で星の夜空を見上げている。

 冬は大気が凍てついて空気中の埃等が無くなり、景色が良く見えるという話を聞いた事のある日和は、その光景を夢想すると心が躍った。


「高校生の身では手が出ないけどね、まぁやってみたい気持ちはあるけど、多分すぐに帰りたくなりそうだ……風邪引きそう」


「若者が何を言いますか、体力バカの日向先輩なんてそうそうに風邪引くわけ……ありましたね」


 先日の騒動に続く今の状況を思い出し、日和は肩を落とした。日向自身、昔から体調を崩す事は滅多にないのだが、何かしら熱中する事が出来た時、ガソリンが切れるまでぶっ続けで集中してしまい最終的にダウンするというような事が過去にもあり、日和の脳裏にはそういった想い出が幾つか蓄積されている。


(熱中する事……熱中。してくれたのかな、私との試合は……)


 ランタンやコンロのタグを見ながら唸る日向の背中を眺めつつ、日和は薄く微笑んだ。



「そろそろ二階に行く? テニス用品、あっちだったよね」


 持っているタグから手を離すと、日向はフロアの中央にあるエスカレーターを指差した。もっと色んな物を見て回りたい気もするが、いざ近くに来るとどうしても浮足立ってしまう。

 なるべく平静を装って訊いてみたのだが、相手が悪かったのだろう。日和は立ち上がって日向の傍に来ると、仕方ないとばかりに苦笑いを洩らした。


 二階に昇ると、四隅のフロアの内、その一角が丸々とテニス用品で埋め尽くされているブースがあった。ラケットの試打が出来るコーナーがあり、二人は早速気になっているラケットを手に取って検分を始め出す。


「日向先輩のラケットも、もうかなり長い事使ってますよね。フレーム欠けたりしてないんですか?」


「うん。二本とも無事だし、買い替えるとお金掛かるし、公式試合に出るつもりは当分無いから……まぁ、一本あれば十分かなぁって」


 片手で新品のラケットをクルクルと回し、軽く上下に振ってウェイトを確かめる。日向が手に取っているのは、今現在使っているラケットの最新型だった。


「確かに、新しいのに変えると慣れるのにも時間掛かりますしね……。うーん、やっぱり私にはこのモデルはちょっと重いです」


「試し打ちしてみたら? 割と打てるかもしれない」


 面白半分で日向が提案すると、日和は「んー……まぁ、やってみるだけなら」と渋々ながら了承し、近くの女性店員を呼び寄せた。


「あの、このラケットで軽く打ってみたいんですけど。……はい、そこの人も一緒に」


 日和の言葉に、売り場の店員は「畏まりました。試打スペースにはお一人ずつしか入れませんので、交代でお願い致します」と恭しく頭を下げ、二人を案内し始めた。

 その後ろを歩きながら、日向が軽く日和を横目で見る。


「いや……俺は別に良かったんだけど。買うつもりもないのに試打するのって、ただの冷やかしにならない?」


「気にし過ぎですよ。最初は買うつもりなくても、試打してみたら買う気になっちゃうかもしれないでしょ? こういうのは、試食と同じで試して貰う事に価値があるんです。誰も試打してないより、誰かがやってた方が賑わう訳ですから」


 そういうもんか、と日向は半分納得した顔で日和の隣に付いて歩く。そして試打スペースに着いた二人は、先に日和が店員からラケットを受け取り、内部に蜘蛛の巣の如く二重のネットが張られた部屋の中へと入っていった。中はテニスコートを丁度半分にした内装となっており、壁には白いラインが張られている。あれが仮想ネットになっているのだ。つまり、壁打ちと同じ仕様である。


「試打は十六球となっております。左右の機械からそれぞれ八球ずつ球が来ますので。それでは開始致しますねー」


 間延びした店員の声と共にブザーが鳴り、部屋の隅……丁度日和が居る場所から斜め右前方に立っている機材から、テニスボールが放物線を描いて発射された。


「……ふっ!」


 キュロットスカートとセーターという、およそ運動する服装ではない日和だったが、ラケットを振る姿は流石の一言で、ボールは鋭いドライブを描いて壁のライン、その真上に激しく衝突した。

 続いて七球を連続で打ち込み、今度は左側から来たボールをダブルハンドでストレート、クロスの交互に返していく。

 後半の三球程はやや高めに打ちあげてしまう形になったが、綺麗なフォームでボールを打つ日和の姿は可憐な容姿からは想像出来ない程に活力に満ちていた。


「……か、彼女さん、凄い綺麗なフォームですね……実業団か何かですか?」


 試打の邪魔にならないよう配慮しつつも好奇心が勝ったのか、店員が日向へと話し掛けてくる。


「いえ、高校のテニス部ですよ、後輩なんです。凄く頑張ってる子なので、実力もかなり」


「あ、失礼しました。お客様もテニス部でしたか? お詳しいように見受けられましたが……」


「あぁいえいえ、俺は帰宅部ですよ、昔ちょっと齧っただけでして……」


 店員と話していると、試打を終えた日和がスペースの外に出てくる。「ふぅ……」と息を整え、手に持ったラケットを日向へと差し出して来た。


「はい、先輩の番ですよ。空振りしないように気を付けて下さいね」


「善処します……」


 傍から見れば、テニス上手な後輩に引き摺り回されている学校の先輩みたいに思っていただろう店員は、交代でスペースに入って来る日向へと拳を握り「頑張って下さいね!」と同情めいた言葉を掛けてきた。

 十分後、十六回程の轟音が鳴り響き終わったフロアの一角で、店員が引き攣った笑顔と共に去って行く二人の男女を見送った。



「昨日の今日で、こんなに身体を動かすもんじゃないね……筋肉痛が酷くて、身体が痛いよ……」


「そう思うなら、軽く流せば良かったんですよ。ラケットを持つとテンションが変わるなんて、子供みたいですね」


「思いの外いい音が出ちゃって……あれは確かに、試打すると買いたくなるね」


「でしょう? 同じ原理が試着や試食で起きる訳ですから、やっておいて損はないって事です。お店の方々も、その方が仕事してるって感じが出ていいでしょうし」


「クレバーな考え方をする」


「物は試しって事です。買う時の選択肢を選ぶ基準にもなりますから」


 その後、日向と日和は店舗内を見て回り、一時間程して外に出た。

 空を見上げると入った時と変わらずに晴れ渡っており、午前中よりは大分暖かい気温になっていた。駅に戻るのかと思いきや、日和は日向を引っ張って近場の輸入雑貨の店へと入っていく。

 特に何を買うでもなく、二人で商品を眺めていると、日和が思い出したように声を上げた。


「あ、そういえば、もうすぐつっつの誕生日!」


「覚えててくれたんだ。うん、もうすぐ六歳だから、来年には小学校かぁ。早いなぁ」


「ですよねぇ、不思議。あんなに小さかったのに、気付けば小学生になっちゃうなんて……」


 手に取った小さな海外の人形を眺めて、日和は感慨深く目を閉じた。


「節目の誕生日ですし、盛大にお祝いしてあげたいな」


「やりましょうよ、誕生会。芹沢先輩達も、きっと来てくれます。あ、でも高校生だらけだと、ちょっと変かもしれませんね」


「いいさ。いつもは家族だけでやるんだから、他の人が来てくれるだけでもありがたいよ」


 言いながら、日向は皆で一つのテーブルを囲んで、飾り付けたケーキの蝋燭に向かって息を吹き掛ける蕾を想像した。

 


 そこから出ると、日和が一休みしたいと言い出したので、通りにあった全国チェーンの喫茶店に入って二人で温かいコーヒーを注文した。

 会話の中心は、他愛のない学校の話と、またテニスの話と、そして学校祭の事。日和は共有していない時間を埋めるかのように、日向に色々な質問をぶつけ、日向がそれに答える事の方が多かった。

 けれどその中で、お互いに決して触れない話題があった。


 やがて、話題が収まった頃に日和が窓越しに外の風景を眺めて、そっと深呼吸する。

 その横顔に、遂にその時間がやって来たのだろうと日向は残ったコーヒーを全て飲み干した。


「……出ましょうか」


 静かな日和の声に、日向も「うん」とだけ返事をして、伝票を持ち立ち上がる。

 二人で連れ立って外に出て、先程と同じ川沿いの道まで横断歩道を渡って移動すると、日和は駅とは逆方向を眺めてから、日向の顔を見た。


「この道を歩けば、私達の街に帰れるね」


「自転車で通った事はあったけど、歩いて帰るのは初めてかもしれないなぁ……ずっと一直線だから、迷う心配は要らないのが救いだよね」


 普通に歩けば三十分、ゆっくり歩けば一時間は掛かるだろうか。

 どちらにせよ、まだ日が落ちるまでには十分時間がある。もう少し経てば、早くなった日没を知らせるような、夕焼けで綺麗に彩られた水面を眺める事が出来るだろう。


「そう、迷う事は無いだろうから、きっと話しながらでも大丈夫。だから、日向君の昔話を、聞かせて欲しい」


 そうして握られた自分の右手の感触を確かめた日向は、日和の手から伝わる僅かな震えを感じながら歩き始めた。

ようやく辿り着けた……次ぐらいから日向の過去に遡る話になりそうです。

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また、第二巻が令和元年、2019年7月1日より発売となりました、ありがとう御座います。(下記画像クリックで公式ページへとジャンプします)

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