二人の休日
翌日の日曜日。
日向は着替えを済ませ身支度を整えると、リビングに向かった。今日は朝から筋肉痛が酷く、動きは普段より緩慢だった。それでも体力を振り絞り、朝方から蕾と一緒にアニメを観て家の周りを散歩したり、可能な限り蕾と居る時間を作ったのは、この後にある予定に蕾を連れて行く事は出来ないからだった。
リビングでは仁と蕾が仲良くソファーに座ってテレビを観ながら、蕾の様々な質問に仁が一つ一つ回答している所だった。
「お、蕾……ほら、来たぞ……あれが可愛い妹を差し置いて女の子とデートしに行く男の顔だ、よく覚えておくといい。いつか役に立つ日が来る……いや、来なくていいな」
「それが娘に対して父親が言うセリフなのか……」
やぁねぇ、と気持ち悪い声を出しながら、まるで近所の噂好きの主婦みたいに口元に手を当てては思いっきり眉尻を下げて笑っている。
「可愛い女の子とデートなんだからよ、このぐらいの嫌味は受け流すのが男気ってもんだろ」
「ぐ……」
「ほらほら、最近全然構えてなくて寂しがってる蕾の視線に耐えながら、一人寂しく家を出る感想はどうだ? どんな気持ち? ねぇどんな気持ち?」
(う、うざったい……! 自分がいっつもそういう立場だからって……!)
にやにやと笑い顔を向けてくる仁に対し、コメカミに血管を浮き上がらせながら、日向は昨夜の事を思い出していた。
試合が終わった昨日の夜、日向は日和と出掛ける約束をした。いつもならば蕾も一緒に連れて行ってあげる事を真っ先に考えるのだが、今回ばかりはそれは出来ない。
この試合が終わったら、全部を話す。その約束を果たす以上、蕾にだけは聞いて欲しくない内容でもあったからだ。両親には、日和と二人で出掛ける、という事だけを伝えてある。
連日の多忙により、蕾との時間を削っている日向としては非常に後ろめたい気持ちではあったが、蕾にも同じ事を伝えた。その時の蕾は、一瞬だけ寂しそうな表情をしたものの。
「だいじょうぶ! いってきてー! つぼみはね、おとうさんがさみしがらないように、おかあさんといっしょにあそんでてあげることにするから!」
と親指を立ててにかりと笑ってくれた。
寂しくも嬉しい妹の成長と同時、日向が段々と父親のヒエラルキーが家庭内で急降下している事実を目の当たりにした瞬間だった。
腕時計を締めてリビングの時計を確認すると、約束の時間までは後三十分。まだ雪が降らないとはいえ、寒い時期だ。日和が先に到着していた時の事を考え、早めに出た方がいいだろうと判断してリビングから出る。
後ろをタッタッと駆けてくる足音と共に、蕾が一度だけぎゅっと腰に抱き着いて来た。
「いってらっしゃい!」
「行ってきます。あまり遅くならないように帰るから」
言いながら靴を履くと、背後でもう一人の気配と共に、何からゴショゴショと呟きが聴こえて来た。
振り向くと、仁が蕾の耳元で何かを囁いている。
「……お、おにーちゃん! わたしと、そのおんなのひとと、どっちがだいじなのー!」
「……は?」
日向が眉毛をハの字にして問い返すと、仁が再び蕾の耳元で何かを吹き込んでいた。
「きょ、きょうはみのがしてあげるけど、おとこならせいいをみせなさい! せいい! ……うん? うん、くろ……え? わぎゅー? ……うん! かえりに、くろげわぎゅーさーろいんをかってきなさい!」
「いや、高校生に集るなよ、父さん」
「待ちなさい、日向」
そのまま玄関のドアを開けて外に出ようとすると、仁の声が日向を呼び止めた。先程までふざけていたとは思えない、真剣な声だった。思わず足を止め、日向もじっと仁を見る。
「……どうしたの? 父さん」
「俺はいつ孫が出来てもいいがなるべくならそつぎょ―――」 バタンッ! と勢いよくドアが閉まった。
◆
仁の戯言を頭の隅に追いやりながら歩き続ける事、およそ十分。
日和が待ち合わせ場所に指定したのは、いつもの駅前モール……ではなく、隣の駅だった。
久し振りに切符を買って電車に乗り、揺れる事およそ五分。夏場ならば自転車で十分に走れる距離も、この時期となると風が冷たく、出来れば避けたいと思うようになってくる。
改札を出ると、丁度スマートフォンが震えたので画面を開く。そこには、日和からのメッセージで『今乗りましたので、もうすぐ着きます。改札を出た所で待っていますね』という文章が綴られていた。
それから十分もしない内に改札奥から日和の姿が見えたので、日向は視界に入るように移動する。やがて改札口を通る際に日向の姿に気付いた日和が、驚いた顔で駆け寄って来た。
「つ、着いてるならそうと教えてくれれば良かったのに……」
「そう思ったんだけど、実は隠れて驚かそうと思ってて」
「子供ですか……」
「そんな感じで怒られそうだから、大人しく出て来ました」
はぁ、と溜息を吐く日和に頭を下げて謝ると、日向は改めてその姿を見て感嘆とした息を洩らした。
白地のタートルネックセーターに、赤いキュロットスカート、流石に素足では寒いのか黒タイツを履いている。秋用のコートが手に抱えられているのは、電車の中では暑かったからだろうか。
「大人っぽい……」
「それは、普段から子供っぽい背丈だから余計にそう見える、と解釈した方が宜しいですか?」
「穿ち過ぎな見解であるからにして……」
満面の笑みを浮かべる日和に、慌てて両手を挙げて許しを請う。素直に褒めたつもりが、日和にとっては少し不満だったらしい。
「ちょっと頑張ってみました、どうですか?」
「え、だから大人っぽい……」
「ど・う・で・す・か?」
「……可愛いです」
勇気を出して振り絞った言葉で、ようやく日和は頷いてくれた。
兎にも角にも、人の流れが多い改札口付近でいつまでも二人で並んで立っている訳にはいかない。南北にある出口の内、どちらへ向かおうか考えていた日向の腕を、日和がそっと掴んで来た。
「こっちです。行きたい場所があるので」
そのまま、するりと腕から掌へ、日和の手が絡みついてくる。ひんやりとした駅の空気の中で、その掌から伝わる温度だけはとても熱く感じた。
「そういえば、なんでわざわざ隣駅……?」
少しだけ動揺した日向が、その心中を押し隠すようにしながら日和へと質問する。その間も、日和はぐいぐいと日向の手を引っ張るようにして前に歩き続け、首だけを捻って日向を横目に見た。
「なんで、って。今日は二人で出掛ける日ですから……それとも、普通に向こうの駅前とかで歩いてて、誰かに見られたりしても平気なんですか?」
半ば呆れながら言う日和は、自分の言葉で気付いたように「あぁ!」と声をあげる日向に苦笑いを洩らした。
「それに、お話だけして終わりも勿体ないです。折角の日曜日ですから、少しは付き合って下さい。色々頑張った私に、御褒美くれたっていいじゃないですか」
「それもそうだね。分かった、とことん付き合うよ……あれ、でも御褒美って俺に勝ったらって言ったような気がするんだけど。試合に勝ったのは俺だよね?」
「もーほんっと変に負けず嫌いですよね! あれはもう事故みたいなものじゃないですか! それともここから先、二人で昨日の傷を抉り合いますか?!」
駅構内の喧噪に負けじと言い争いを始めた二人は、何の為にわざわざ隣の駅へと移動してきたかをすっぽりと忘れ、周りから思いっきり注目を浴びながら出口に向かう階段を降りて行った。
ぼちぼちと、投稿が遅くなるかもしれません、出来れば3日以内更新は続けていきたいのですが
二巻の原稿と並行していくので、遅くなったら『あ、こいつテンパってるな』と温かく見守って下さい。