終局に向けて。
「30-0」
日和の身体が弓のように反り返り、パンッ! と鋭い音を立ててサーブが打たれる。
球速は流石に日向程の速度ではないものの、スライス回転が加わった打球は日向のリターンを万全な体勢で打たせないように左右自在に振り分けて放たれている。
「ふっ!」
バウンドで軌道が変わるそのサーブを、日向は無理をせずに堅実なリターンで返す。
確実に返るように、しかし浅く返球すれば日和の機動力によって一気にネット際に詰められ、手の届かない位置までボールを運ばれる。
日和がサーブを持つ第二ゲーム、日向はここまで二本ともリターンを抑えられてからの速攻でポイントを取られていた。
「はいっ!」
パァン! と小気味の良い音を立てて、日和から更にストロークが飛んでくる。全身をバネのように使って繰り出す日和のテニス、その最大の武器は日和の無尽蔵かと思える程のスタミナだ。
小柄な身体が体力の消耗を抑えるのか、長期戦になればなるほど、日和の動きに付いていくのが厳しくなる。当然、日和は自分の武器を目一杯生かそうと相手を左右に走らせる。
(走り込みをしていた、とは言え……なんだろう、この展開……っく!)
サーブからの展開に一切隙が無く、イニシアチブを取れないまま左右の深い場所へと打ち込まれる為、日向はなかなか強打に踏み切れないでいた。
かと言ってこのまま押し込まれ続けても、再び日和のポイントになるだけだ。そう判断した日向は、一度日和の脚を止める為、スライスの回転を与えて滞空時間の長いボールを打つ。
「…………むっ!」
突然軌道の変わったボールに対し、日和が予定通り足を止め、タイミングを計る。
(よし、緩急織り交ぜて織り交ぜて……)
浮き方が弱いスライスの打球は、身長の低い日和にとっては強打し辛い球だろう。
ネットを超える為にドライブ回転を強めてくれば、日向は高いバウンドを利用して一気に押し返す事も出来る。
しかし、日和の選択はまた別のものだった。
「ふっ……」
ふわっ、とラケットでボールを撫でるように触ると、ボールが更に遅い速度でふわふわとした軌道でネットをギリギリ超えてくる。
(こ、ここでドロップって……!)
素早く反応した日向は、かろうじてラケットを伸ばしてローボレーする。そのままネット際に張り付いて、逆にストローク対ボレーの状況に持ち込んだ日向は、しかし。
「はいっ!」
(ロブ……いや、これは……トップスピンロブ!?)
頭上を大きく飛び越えていく打球を、今度は全力で回り込みながらストロークで返す。
横の移動が無くなったと思ったら、次は前後。あくまでも日和は自分を走り回らせるつもりらしい。
(ゲーム展開としては正しいかもしれないけど、何故だろう)
日向の返球に対し、まるで刀を構えるように両手でバックハンドを引いた日和が、微かに笑っているのが分かった。
(もの凄い別の執念を感じる……!)
逆サイドへと大きく打ち分けられる打球を追いながら、日向は背中に寒気が走るのを感じていた。
◆
「……まるで働き蜂と女王蜂のようだ」
「年下女上司と新入社員の部下じゃない?」
二階の観戦席にて、先程よりも幾分すっきりした気持ちで試合を見届ける唯と雅は、眼前の試合をそう評価した。
「日和ちゃんから黒い何かが立ち昇っている気がする」
「あたし、てっきりもっと感動的な試合になるのかもしれない、とかちょっと思ってたんだけど」
「奇遇だな、俺もそう思ってた。日向がちゃんとした試合やるのなんて久し振りだから、俺も感傷的な気分にでもなるのかな……みたいにな。しかし、これはなんというか……」
引き攣った笑いの唯に返答しつつ、雅は手元のペットボトルのキャップを開け、中身を一口だけ飲む。
ごくり、と口腔内を潤してキャップを締め直すと。ちらりと隣で静かに観戦している悠里の横顔を盗み見た。
「…………よーしっ! いいぞ日和ちゃーん! そのまま、そのまま! どんどん走らせちゃいましょ! その人、走るの好きみたいだからーーー!!」
「お、おにーちゃん! がんばって、がんばってー!」
また日和の得点が入る展開になると、悠里が立ち上がって拳をグッと握った。
隣では蕾が悠里に負けじと兄に対して精一杯のエールを送っている。
「混沌しか生まれてねぇ……」
頭を抱え始めた雅の横で、蕾が隣に居る悠里へと両手を振り上げて抗議を始めた。
蕾は応援して身体が火照ったのか、じんわりと額が汗ばんでおり、赤らんだ顔で頬をぷくっ、と膨らませている。
「ゆうりちゃん、ひーどーい! おにいちゃんにもがんばって、っていってー!」
「あっ……御免ね蕾ちゃん、つい……」
(おっ……天使の一声で日向にも再び声援が)
流石に悠里も、蕾の前であまりにも日向を蔑ろにし過ぎた事に反省したのか、と雅は感心した気持ちで顔を上げた。
「でもね、これは日向君の為なんだよ。日向君、沢山たっくさん、運動したかったみたいだから、今は日和ちゃんが手伝ってあげてるの。だからこれは、日和ちゃんを応援する方が日向君の為なんだよ……」
悠里がにっこりと笑って蕾を見ると、蕾は「そ、そうなんだ……」と両手を下ろしてどちらを応援するかを考え始めてしまった。
(日向ぁぁッ!)
真横で行われる容赦の無い後方支援への爆撃を、雅はただ戦慄と共に受け入れ、せめて自分だけは赦してやろうと思ったのだった。
◆
試合はその後もお互いがお互いのサービスゲームをキープし合う展開が続き、ゲームカウントは5-4。次の日和のサービスゲームを日向がブレイクに成功すれば、そのまま日向の勝利となる形勢となった。
「そろそろ……かなり、バテて来たんじゃない、ですか……先輩? はっ、はっ……」
チェンジコートの合間、汗を拭いながら日和が日向に語り掛ける。そう告げる日和もまた、決して楽な状態ではなさそうだった。
「しょ……正直……、普段やってる走り込みより、ずっとしんどい……けど」
ベンチに置いてあるドリンクを数回に分けて飲みつつ、日向は日和へと微かに笑いかけた。
「まぁ、でも……楽しいから、これはこれで、いいかな。心は折れそうだけど……!」
「ふふ……まさか、芹沢先輩達が反旗を翻すとは私も思っていませんでしたけど……先輩には、良いお薬になったのではないでしょうか」
「試合が終わった後が怖い……」
日和と共に二階を見上げた日向は、ここまで来てようやく静まってくれた応援席の友人と妹の姿を見ながら苦笑いを零した。
ブーイングを受けたのは想定外だったが、形はどうあれ見守ってくれている事には変わりない。
とりあえず終わったらすぐに全員に頭を下げた方が良さそうな気配である。
「あら、もう終わった時の事を考えてるんですか。なら、私が勝った時の御褒美を考えておいて下さいね?」
そう告げる日和の負けん気の強さは、日向にとって清々しさすら感じるものだった。
乱れた髪と汗に濡れるシャツは、健康的だが蠱惑的な魅力すら兼ね備えている。こうした日和を、日向はずっと傍で見て来たのだ。
今日のゲームは悪くない、思ったよりも別の方向でエキサイトしている感はあるが、悪くない。
けれど、まだ一つ足りないものがあるのだ。かつての日和が持ち得たもので、今は見失っているものが。
日向が奪ってしまったと言ってもいいぐらい、大きなものが。
きっとこれは日向の我儘で、日和にとっては大きなお世話かもしれない。
それでも、日向はもう一度だけ彼女に輝いて欲しいと心の底から思うのだ。
「そうだね、喜んで貰えるかは、非常に微妙としか言いようがないのだけど……まぁ、それはおいおい」
汗を拭い、立ち上がる。もう一度二階を見上げると、日向達の動向に注目している友人達と、少しだけ不安そうにこちらを見ている蕾の姿があった。
軽く手を振って、元気である事をアピールすると、蕾が手を振り返してくれる。
「帰ったら、ホットケーキでも焼いてあげようかなぁ……」
「私の分もお願いします」
「……六人分、必要になりそうだね」
皆でホットプレートを囲んで何枚も焼いて重なり合ったホットケーキを想像すると、自然と笑みが零れた。
次ぐらい、でスポ根は終わる予定です。
あと、活動報告で近況書いてきますね、ご報告があるので!






