真相を暴く。
(あり得ない……この短期間で……っ!)
動揺を隠せない日和の内心を嘲笑うかのように、日向が二度目のトスを上げる。
再びふわり、とボールが舞うと同時、日向のモーションが急加速するのを見て、日和は重心を一気に引き下げる。ほぼ同時に、日向のラケットからは先程と同じ破砕音にも似た音が聴こえた。
「ふっ!」
コースは全く同じセンターの最短距離。フォアサイドから打ち込まれた先程のサーブは、日和のバックハンド側へ突き刺さった為に反応すら難しかったが、右利き同士の試合において、バックサイドからセンターへのサーブは反応するだけなら容易い。
その為、本来ならば角度を付けたワイドに打って相手の射程圏外まで逃がす事が多いのだが。
(力押しするつもりですか!?)
バウンドした瞬間に球の軌道を予測し、ブロックリターンをする為にラケットを構える。
一瞬の間の攻防は、日和にラケットをテイクバックする暇を全く与えてはくれない。ラケットを引いた瞬間、日向のサーブは再び後方の壁に激突するだろう。
日向の打ったサーブの軌道上に完璧とも言える位置取りで置かれた日和のラケットだが、それがボールに当たった瞬間。
「うぁっ……!」
ずりっ、と鈍い音が響くのを、日和は掌で感じた。
フラットサーブ特有の球の重さ、そして地を抉り取るようなバウンド軌道。その二つを制御しきれなかった日和のリターンは、半端な形でボールを打ち上げてしまう。
まずい、と思った時には既に日向が頭上を仰いでラケットを担ぐ姿勢に入っていた。
いつも日和が心奪われる、日向の涼し気な横顔が、今だけは底知れぬもの何かを感じさせる。
そして日和が追い付けないオープンスペースへ、日向のスマッシュが叩き込まれた。
◆
最初の一撃で、誰もが言葉を失った。
続く二撃目で、それが異様な光景である事に気付いた。
「は、速すぎ……ない……?」
しん、と静まり返った二階の観戦席で、離れた位置にいるスクールの生徒が呟く声すら、悠里達に届く。
普段からテニスの試合なんて見る機会が無い悠里だが、夏の試合見た日和のプレーは今も記憶に新しい。あの試合の中で、日和は絶対的な強者としてコートの上に君臨していた。
その日和が、一方的に打ち負かされる光景にも驚いたものだが、それを実現しているのが日向であるという事実を現実として呑み込むには、時間が掛かりそうであった。
「すっご……」
唯の呆然とした声が横から聞こえる。知らず知らずに握ってしまった掌を緩めると、思った以上に身体が強張っている事に気付いて、息を吐いた。
隣を見ると、唯だけではなく、雅すらも口を広げてその光景を眺めているだけだった。
「おにーちゃんすごいー! かっこいいー!」
唯一、状況をただ純粋に楽しむ蕾の声が、館内に鳴り響く。
声が届いたのか、日向が二階へ振り向いてラケットを掲げた。騒音厳禁のマナーも、身内が集まるこの場ならば子供ぐらいは許されて然るべきだろうし、何よりもその明るい声が無ければ雰囲気に押し潰されてしまいそうだと悠里は思った。
「はえー……新垣君ってブランクあるんだよね、テニスってあんまりブランク関係無いの?」
「分からんけど、ラケット競技とか道具を使うスポーツって、感覚的なものが大事って聞くからな……むしろ大きい気がするんだが、なぁ……ここまでやれるとは、俺も思ってなかった」
雅は神妙な顔で顎を擦ると、視線の先でラケットを構える日向を見据えて、目を細めた。
「なーんかしてやがったな、あいつ」
◆
再びフォアサイドになり、日向がラケットを構える。全て先程までの焼き直しのように一連の動作は繰り出された。
日和は乱れた思考を正し、ただ日向の動作だけに注目する。このままセンターをこじ開け続けてくるのか、ワイドに打つのか。
どの道、フラットサーブが打てる状況の日向を相手にするのならば、とリターンのポジションを後方へと下げる。距離を稼いで、反応する時間を作らなければならない。
「ふぅ……っ!」
日向がトスを先程よりも随分と高い位置に上げ、ラケットを深く深く引いた。
(……ファーストじゃなくて、セカンド……スライス?」
モーションを読み取って、ワイド方向へと若干意識を集中させる。少なくとも、フラットサーブが打てる状態ではない。
ジュッ、と強く擦れる音と共に放たれたサーブは、今までの二球とは違いミスショットとすら思える程、球速が落ちている。
案の定、スライスでワイドに逃がすのだと判断した日和は、予測通りの展開に今までよりもずっと早く反応し、今度こそ完全にそれを捉える筈だった。
「っぁ……!?」
打球は、日和の予想を上回るバウンドを見せ、またしてもスイートスポットを外してしまう。
再び打ち上がってしまったリターンを、日向だけは巻き戻し再生のように再びスマッシュを逆サイドへと打ち込んだ。
「……キックサーブ、ですか。本当……なんでもありですね」
立て続けにフラットを二本入れて強く印象付け、その後に堅実にポイントを取ろうとセカンドサーブのスライス……を打つと思わせて、キックサーブで軌道を変える。
変幻自在どころの話ではない。少なくとも、この年代の一般的なテニスプレーヤーが兼ね備える老獪さですらない。
日和も、まさか開始早々、三本のサーブに対してまともに返球すらさせてくれないとは、流石に思っていなかった。
「本当に、どんな手品を使ったんですか……」
「手品というより、地道な努力と言って欲しいな」
足元に転がって来たボールをラケットで掬い上げ、日向へと返す。
つい口から洩れてしまった質問に、審判席に居る結城が試合中の雑談を叱るかと思い視線をちらりと向けたが、彼は何も言わずにただ黙って事の成り行きを見守っている。
とりあえずお咎めは無しらしいと、いつも通りの平和そうな表情をする結城に安堵して、リターンポジションへと戻ろうとした。
(……?)
何か引っ掛かる気がして、もう一度だけ周囲を見渡す。
違和感、何がだろうか。
日向が予想を大幅に上回るプレーを見せている事か。
(違う、それは確かに予想外だったけど、私の想像が弱かっただけ)
ならば、何が……そう思った所で、気付く。それはあまりにも普通にこの風景に溶け込んでいた為に、今まで気付く事が出来なかった。
(……そうですか、そういう事ですか)
この場で、誰よりも日向の復帰を待ち望んでいたのは自分だっただろう。それは自信を持って言えるし、それだけ強い気持ちを持っていた。
けれど、例えば雅もまた、日向の復帰を望んでいた一人でもある。彼も今頃、二階の観戦席からこの試合を見て驚いている事だろう。
(そして、この場にはもう一人だけ、同じ願望を抱いてた人が居る……!)
「結城コーチ……貴方の、仕業ですね」
そこに居た、たった一人だけ状況に対して驚きすらしていない人物へと、日和は答えを突き付けた。
そしてその回答は、コートの反対方向から飛んできた。
「壁打ちじゃ、とてもじゃないけど日和には勝てないからさ」
「それでも、たった一週間でここまでとは、驚きを通り越して呆れています」
学校祭が終わってから今日まで、一体どれ程の集中力を見せればここまでやれるようになるのか。
かつての恩師と教え子とはいえ、結城にも仕事やプライベートがある。
けれど、その日和の予想は、次の結城の一言でまたしても覆される事になった。
「いや、二週間ぐらいじゃないか?」
「それは結城さんが俺にメニューを出してからですよ。マンツーだったのは一週間……ちょっと?」
「メニューだけに限るなら、一ヶ月分ぐらい出してなかったか?」
「それは試合が決まる前の、俺のリハビリメニューです。試合用を頼んだのは二週間前、地獄の特訓が始まったのが一週間前です。殺されるかと思いました」
「はっはっは! お前は相変わらず予想以上に応えてくれるもんだから、俺も張り切っちまってよ」
館内に響く快活な笑いに、日和は口をあんぐりと開けて呆けた声を出した。
「……日向先輩、もしかして……学校祭の準備期間も、練習してたん……ですか」
答えは、いつも通りの困ったような笑い顔だけだった。
意図的に学校祭編では日向の夜の行動をぼかしていましたが、どこかで矛盾があるかも。
あると思う、きっとあります、おいおい何とかするので生暖かい視線でお願いします(五体投地)
体調を崩したのも、準備+練習で体力を限界まで使っていたから、ですね、きっと。
真面目が過ぎると馬鹿になり、この後はきっと真相をバラされて折檻される(主に悠里に)コースかと思います。






