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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【四章 結実の冬、足跡を残して。】
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日向の有言実行

 日和との試合がある当日の朝、支度を整えている日向の傍らには、冬物のコートを着込む蕾の姿があった。

 万が一誰も友人達が来ない状況なのであれば、家で両親と一緒に居て貰った方がいいのだが、今の状況であれば連れて行っても安全だろうとの判断だった。

 何より、自分が前のように運動に励む姿を蕾にも見て欲しいと思うのだ。自分がやりたい事を目一杯やって、負い目など抱かせないように。それは晴香と霧子の二人を見て、日向の中に新しく芽生えた目標の一つでもある。


「準備良し、行こうか」


「はーい!」


 スニーカーを履いて立ち上がり、蕾と手を繋ぐ。このラケットバッグを持って家を出る時はいつも一人で、ずっとそうなのだろうと思っていた。

 今は、二つの事が同時に出来る。大事なものを沢山抱えても、支えてくれる人達が居る。

 新たな気持ちで日向は出発の言葉を口にした。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい、日向、蕾」


 明吏が微笑みながら手を振る。その後ろで、仁がこっそりとリビングの中から顔を出しているのが分かった。……蕾の事だけかと思ったら、案外この二人は長男に対しても子煩悩だったらしい。



 テニススクールに着くと、日向は玄関の横にある小窓から顔を覗かせる。その先は事務所になっており、日向が在籍していた頃からの顔見知りである事務員とコーチが数人、パソコンに向かって仕事をしていた。

 その中に恩師の姿を見付けると、向こうも日向に気付いたようで歩み寄ってくる。


「おはよう御座います、結城さん。日和達はもう着てますか?」


「あぁ、日和ちゃんはもうアップ始めてるよ。他はまだだな、来たら呼んでやるから、それまでは準備していろ」


「すみません、宜しくお願いします……蕾、行こうか」


 勝手知ったる場所なので、日向も遠慮せずに靴を仕舞ってから中に入ると、蕾と共に更衣室がある方向へと歩き出す。蕾は物珍しさからか、辺りをきょろきょろと見渡しながら日向の後を付いて回った。


 着替えと言っても、まさかユニフォームに着替える訳でもないので、服装はハーフパンツとTシャツだ。午前中の館内は冷えるので、身体が温まるまでの間はウォームアップ用の上着を着ているつもりだったが、既に暖房が効いているのか思ったよりも暖かい。


「蕾、寒くない?」


「うん、へいきだよー。ここ、すごいねーひろいねー」


 幾つもロッカーが並ぶ更衣室は、今は誰もおらず、がらんとしている。スクールが始まれば賑わう筈のこの場所も、今はただ日向が扉を開閉する際の金属音しか鳴らしていない。


 日向と蕾は手荷物を纏め終えると、蕾の私物等が入った鞄だけを持ち、更衣室を出てそのままコートのある競技場を覗いた。手前側のコート、そのネットポストの傍で日和が屈んでいるのが見える。ネットの高さを調整しているのだろう。


「日和、おはよう。手伝う?」


 驚かせないように遠目から声を掛けると、日和はハッとした表情で顔を上げ、軽く一礼した後に首を振った。


「いえ、もう終わりましたから。二人とも、おはようございます。つっつ、今日は私、お兄ちゃんやっつけちゃうけど、嫌いにならないでね?」


 屈んで蕾と目線を合わせた日和が、にっこりと笑いながら蕾の頭を撫でながら言うと、蕾は困惑したように日向を見上げた。


「お、おにーちゃん……ひよりちゃんに、やっつけられちゃうの?」


「さぁ、どうかなぁ。それは始まってからのお楽しみかな……蕾は兄ちゃんと日和と、どっち応援したい?」


 少し意地悪な質問をぶつけると、蕾は唸りながら二人を交互に見る。そして迷いに迷って、結局は日向の手を握った。


「流石はお兄ちゃんですね、家族愛にはまだ勝てないかぁ……」


「で、でもひよりちゃんもね、がんばってね!」


 慌てて日和をフォローする蕾を見て日向と日和は声を殺して笑い合っていると、入口の方から日向を呼ぶ結城の声がしたので、日向達は三人で観客の出迎えに行った。



「はぁ、こういう所って初めて入ったけど、凄いね……床がカーペットになってる」


「屋内テニス用の施設だからね。でもフットサルなんかも出来るんだよ」


 館内に入って来た悠里達へと、日向が軽く説明しながら二階へ続く階段へと案内する。

 競技中の観戦は基本的に二階から覗き込めるようになっている為、これから蕾を含めた四人には暫しその場所で見守って貰う事になる。


「飲み物は大丈夫だけど、何か食べる場合には此処じゃなくて、そっちの休憩室を使って。自販機もあるし」


「おぉ、至れり尽くせり……ここ、合宿とかも出来そうだねぇ……」


「シャワー室もあるしな。本当、テニスするには最適な施設だよなぁ……羨ましい」


 施設内を好奇心旺盛に見て回る唯に、雅も後ろからあちこちを見ながら感嘆とした息を洩らした。運動部の二人にとっては、こんな立派な施設で運動するというのは、正に夢のような状況に映るらしい。実際、日向自身もこのスクールに所属していた時には何不自由なく練習に集中出来たので、その感覚は同意出来る。


「それじゃあ、俺と日和は下に降りるから。蕾を宜しくね」


「うん、大丈夫、任せて。二人とも……頑張ってね」


「おにーちゃん、がんばってー! ひよりちゃんも、がんばってー!」


 悠里へと蕾を預けると、日向と日和は蕾からの声援を背にしてその場を後にする。

 並んで階段を降りる間に会話は無く、けれどもその沈黙は嫌な時間では無かった。


 コートの中に入ると、先ずはお互いにそれぞれのベンチへとラケットバッグを置いてラケットを取り出す。

 日向は今日の為に買っておいた新品のボールが入った缶を一緒に取り出し、プルタブを引く。

 プシュッ、と音が鳴らしてから蓋を取ると、なんとも言えない内部のガス臭がした。


「さて、それじゃあ軽くアップから?」


「そうですね……ボレーからストロークに下がって、最後にサーブで」


 日和の返事を合図に、それぞれネットを挟んで向かい合う。


「公園の時、以来ですね。この感じ……久し振りです」


「お手柔らかにどうぞ」


 シュルッ、と手の中でグリップを回し、握りを確かめる。何度も何度も行った反復動作は、意識せずとも最適な状態にグリップを調整してくれる。


 トトン、と素早く地面にボールをバウンドさせ、日和をちらりと見ると頷き返される。それを合図にして、二人の練習は開始された。



「おお、新垣君のテニス姿……や、公園で多少凄い所は見てたけど、こうして改めて見ると感慨深いものがあるね……あれが我がクラスの帰宅部代表、永世帰宅名人とは思えないよ、あたしには」


「その大変不名誉なレッテルは止めて差し上げろ……」


「ぼーるがぱーん、ぱーんってうごいてる。はやーいねー」


「うん……凄いね」


 日向達の練習を二階から眺め、横から聞こえてくる蕾の声に頷きながらも悠里の視線は眼下でテニスボールを打ち合う二人に注がれていた。

 これから見る事になるのは、自分の知らない日向の姿。恐らくは、あの日……偶然見つけたインターネットの記事の内容から続く、その先だ。


(これが、日向君の居た日常。あの日から止まったままの、彼の時間)


 その光景は、どこか遠く、まるで二人が別の世界に行ってしまったかのような気さえする。

 館内に響く打球音は、最初こそ大人しかったが、段々と激しさを増し……その音に比例するかのように、日向と日和の動きは速くなっていくのが分かる。


「お、結城さんが出て来た。あの高い椅子に座るのかな。あれって審判用なんだっけ、練習試合でもちゃんと審判付くんだねぇ」


 二人の練習がひと段落したタイミングで、丁度悠里達の居る場所の真下へと結城が姿を現した。

 唯の声に釣られて真下を覗き込むと同時、今度は後方から数人の声が聴こえてくる。


「あの人達が、スクールの生徒さん達……かな?」


 いずれも、恐らくは中学生だと思われる男女が小声で会話しながら悠里達とは反対側の席へと集まる。

 彼等の視線がコート内の二人に注がれた時、その中の一人が声を上げた。


「……マジかよ。あれ、新垣日向じゃないか?」


 その名前が出た瞬間、何故だか悠里の胸がドクンと鳴った。


「え、嘘……引退したんじゃなかったの?」


「いや、引退した筈だよ。去年も今年も、高校生の大会とか全部チェックしたけど、エントリーしてるの見た事ない」


 彼等が口々に話す対象が、果たして本当に自分の知っている日向と同一人物なのだろうか。そう思うと、悠里の内心は何故だか無性に焦りばかりが募ってしまっていた。


「………なになに、新垣君って有名人なの?」


 唯が隣の雅へと耳打ちするも、雅は何とも言えない表情で唯を見る。答えたくない、というよりも、答えていいのか迷っている風だった。


「まぁ、見てりゃ分かるだろ。………多分」


「多分って何よぉ! あたし、テニスの一般的なレベルがどのぐらいなのか、なんてまだ分かんないしさー。……あ、始まるみたい?」


「あぁ、あれでサーブ権かコートを取るか決めるんだとよ。……あぁ、日向がサーブだな」


 ぼう、っとした思考になっていた悠里は、雅の一言で我を取り戻すと再び視線をコート内へと向けた。



(ボレーも、ストロークも、サーブも……練習してる感じはあったけど、普通だった。やっぱり、練習相手も居ない壁打ちなんかじゃ、まだ取り戻せてないんですね)


 自身のポジションに付きながら、日和は先程までの日向との練習を振り返る。

 プレーするには申し分のない技量ではあったものの、全盛期の日向からはまだまだ程遠い、それが率直な印象だった。

 それでも、この日の為に日向なりに頑張ってきてくれたのだろうと思う、その事は純粋に嬉しかった。

 そして、こうして日向と再びボールを打ち合える瞬間は、やはり堪らなく楽しかった。


(なんだろう、本当に……幸せだな……)


 アップも済んだ身体は火照り、四肢が驚く程軽い。

 待ち望んだ時間だというのに、公園の時とは真逆で心が澄み切っている。


 ポジションに着いて振り返ると、日向もまた、サーブのポジションに着いて日和を見ていた。


 ラケットを上げて、準備が出来た事を伝える。重心を低くしてどこに打たれても動けるよう、足を絶え間なく動かす。


 甘い場所に打ち込んでこようものなら、即座に速攻をかけ、ペースを奪い取ろう。

 ふわりと日向の手から空中へ放たれたボールに集中しつつ、頭の中で算段を整える。


(この一打目が、私と日向先輩の……リスタートだ!)


 ラケットを振りかぶる日向のモーションを焼き付けながら、全身に満遍なく神経を集中させた、次の瞬間。



 パァァァン!!


 破砕音のような轟音と共に、サービスラインのほぼ中央を、物凄い速度でボールが駆け抜けた。


「な………っ!?」


 声が漏れた直後、日和の背後でボールが激しく壁にぶつかる音が聴こえる。

 言葉を失った日和の横を、ボールはバウンドしながらネットまで舞い戻った。

 日向がそのボールを回収しようと、センターまで歩く。そして呆然としたままの日和へ、日向は笑いながら声を掛けた。


「良かった、驚いてくれたみたいで。万全で行くって言っちゃったからね、かなり頑張ったんだよ」

ちょっとだけスポコン展開になります。

大丈夫、まだ(ラブコメ展開に)慌てる時間じゃない……。

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