決戦前日。
「皆さんは一体何をしているんですか……」
下駄箱前へと移動した辺りで、四人は日和の酷く冷めた視線に晒される事となった。
悠里と唯が逃げ回る日向の襟元や裾を掴んで、引き摺るようにして歩いていた矢先の事である。
「俺は無関係なんだけど。むしろ存在を忘れられてたんだけど」
「その場に居たので同罪です。存在感の無さも罪であると思って下さい」
それはともかく、と日和は泣き崩れる雅を放置して日向達へと向き直った。
そして二人の女子生徒に衣服を掴まれたままの日向を見て、一層不機嫌な表情を覗かせる、明らかにご機嫌斜めだった。
「日和ちゃんがおこだ!」
バッ、と手を離す唯に釣られて悠里も手を離す。二人で揃って両手を挙げ、ホールドアップ状態になってようやく日和は息を吐いた。
「まぁいいです、日向先輩を探してたので……帰宅済かどうかを確認する所だったので、ラッキーでした」
「下駄箱で相手が帰ってるかどうかを判断するって、探偵みたいだね!」
探偵は探偵でも、調査対象の浮気現場を抑えたみたいな状況になっている事について、日向は一瞬だけ考えを巡らせ、その方向で物事を考えるのは色々とドツボに嵌りそうなので放棄した。
「それで、話って……此処でいいの?」
「はい、私は構いませんけど……先輩は、大丈夫ですか?」
日和からこのタイミングで何か話題を持ち掛けられるとしたら、思い当たる事は一つしかない。
気遣ってくれるのは、その話題を他の友人達の前で話してしまっていいのか迷っているのだろう。
「なになになに! 二人で秘密の相談とか超怪しい! 気になるなぁー、ねー悠里!」
「わ、私は……別に」
目の前に話題という名の餌がぶら下がれば、当たり前のように噛みついてみせる唯が、ここぞとばかりに悠里を巻き込んで事情を訊き出しに来る。
さして隠す事でもないので、日向はそのまま日和に内容の確認を取る。
「明日の試合の事だよね。場所と時間はメッセージで送った通りだけど、もしかして都合悪くなった?」
「いえ、そっちは大丈夫です。なんですが……その、そっちの関係で結城コーチからご相談を受けていて。日向先輩の方にも聞いておくって言ってましたが、何か連絡来てませんか?」
「結城さんから?」
日和に送ったメッセージには、明日の土曜日の午前十時から、日向達の古巣である結城がヘッドコーチを務めるスクールの室内コートを一面借りられる旨を入れてある。
そういう経緯があったので、結城には日向と日和が練習試合をする事は既に伝えてある。
話を通したのは日向なので、何か問題があれば日向の方へと連絡が来る筈なのだが……。
そういえば今日は一日を通して、昼休みもスマートフォンを見ていなかった。
眠気が強過ぎて気が回らず、普段からそこまで通知を確認する事もしていなかったのが災いしたのだろう。
ポケットからスマートフォンを取り出して画面を表示させると、確かにそこには一通の通知があった。
「あー……来てるっぽい。何の用なんだろ……って、えぇー……」
結城からのメッセージは端的で、明日の試合をスクールの生徒数人にも見学させられないか、という事らしい。
「スクールの受講生、今は大会とかなくて……ちょっとモチベーション下がってるって。だから同世代の試合を見せれば、刺激になるから……って。どうしましょう?」
「んー、結城さんには場所も借りてるし、色々と無茶を聞いて貰ったから、俺は構わないけど……俺等でいいのかな、って感じにはなるよね」
控え目な日向の態度に、日和は逆に「そうですかね?」と人差し指を口元に携えた。妙に色っぽい仕草ではあるが、その視線は学校祭の終わりに見た時と同じ、鋭いものになっている。
「結城コーチが何の意味も無く、こんな事を言い出す訳は無いと思います。恐らく、私達は試金石にされるのではないでしょうか」
「試金石とは……」
「私のは兎も角、日向先輩のプレイを見て心が躍らない選手なら、その時点で詰みます。……あの人は、私達の試合で次の育成選手を決めるつもりでしょうね」
大袈裟な、と思ったものの、結城の指導者としての姿を一番知るのは間違いなく日向だ。その日向が、日和の指摘を完全には否定出来ないでいる。
「もっとも、その為には……全盛期の八割程度でも出して貰わないといけない訳ですが。……期待されてますね?」
探るような日和の視線に、日向は曖昧に笑って返す。学校祭の後から、どうにも日和は日向へと事あるごとにプレッシャーを掛けてくる。
けれどそれは不快なものではなく、どちらかというと日和がワクワクし過ぎて抑えきれないが故の、といった感じでもあった。
「ちょ、ちょっとちょっと! 二人で話を進めないで混ぜてよー!」
その場に同席していた他の者達は呆然と話題を聞いていたが、遂に堪え切れなくなった唯が割り込んでくる。
悠里も同じく、訊きたい事が山ほどあるといった面持ちで日向と日和を交互に見た。
「し……試合するの? 日向君と、日和ちゃんが……」
「うん。前に約束して……今度こそ、ちゃんと試合しようか、って」
「そう……なんだ」
朗らかに答える日向を見て、悠里が少しだけ顔を伏せる。その横顔を見た唯は、思わず口から出そうになった言葉を引っ込めて悠里の言葉を待った。
「あ、あの……! その試合、私も見に行ったら駄目かな?!」
だから、その言葉を聞いた時にはほんの少し胸が痛んだし、同時に予想よりもずっと早く聞けた事に安堵するのだ。
「私は、別に構わないと思いますけど、日向先輩はどうです?」
「勿論、俺も構わないよ。結城さんに言っておけば、そのぐらいは許してくれるだろうし。向こうにも観戦者がいるなら、こっちから連れて行っても問題無さそうだし」
日向と日和が頷いて悠里を見ると、悠里はほっとした表情になった。
「はいはーい! 勿論あたしも行くよ! 新垣君と日和ちゃんの試合とか、絶対面白そうだし!」
「だと思ってたから、大丈夫だよ、ちゃんと頭数に入ってる」
「ただし、試合中は騒音厳禁でお願いしますね、恵那先輩」
手を挙げてアピールする唯に日向は苦笑いで返し、日和は目を細くして軽く釘を刺す。
そして最後に残る一人へとお伺いを立てようとした所、向こうから先に声が掛かった。
「俺も行く」
いつもよりも力強い言葉と、どこか不機嫌そうな声色の雅が日向を見ている。
きっと、このタイミングまで知らされていなかった事に少しだけ腹を立てているのだろう。
「うん」
日向もまた、短い返事だけを返す。
「っていうか、そういう事は早く言え。俺の予定が埋まってたらどうしてくれたんだよ」
「色々と集中してて、すっかり忘れてた。けど、雅なら直前に言っても来てくれるかなって」
実の所、この三人には前もってこの話をしておくつもりはあった。
言い訳にもならないが、ここ最近の日向は疲労が強く、夜に連絡しようとして眠ってしまい、それがずるずると続いていたのだ。
「この二人で信頼し合ってる感、酷くむかつきますね」
「日和ちゃん、分かる」
いつの間にか顔を寄せ合っている悠里と日和がこそこそと耳打ちし合っている。一体何が彼女達の不興を買ったというのか。
そうして話がひと段落した一行は、そのまま五人で下校を始めた。
今週に関しては学校祭の後片付け等もあり、部活動が休みになっている。こうして五人で一斉に帰る事が出来たのは、前はいつの事だっただろうか。
纏まって歩く五人の中、一人だけやや後方を歩く日和の隣へ、雅が寄ってくる。
「決めたんだな」
「はい。……これで、最後です。私と日向先輩の間にある空白は、これで最後……」
「気張り過ぎるなや。ここで下手打って怪我でもすると、今度はあいつが慌てふためくからな」
「んー、介抱されるのもいいですよね、足首捻ったら、おんぶとかして貰えそうですし」
日和の表情はおどけているものの、声が少し震えている事に雅はとっくに気付いている。
けれどそれを気遣う事はしなかった。
「俺には、ついに出来なかった。もう一度、日向を元の場所に引っ張り出す事は、出来なかった」
前方を歩く三人の姿を眺めながら、雅は拳を握り込んだ。
これまでずっと、日向の傍に居ながらも、此処に居る誰よりも日向に対して影響を与えられてはいない。親友と自分は言うが、本当に自分にその資格はあるのだろうか。
その問いは、雅の中で燻っていた本音でもあった。
「情けねぇ。後輩の女の子に頼りきりなんてなぁ」
「仕方ないですよ。日向先輩と蕾ちゃんを見ていたら、あのままにしておいてあげたくなるじゃないですか。成瀬先輩は成瀬先輩らしく、ちゃんと役目を守ったんですよ」
それは日和にしては珍しい雅への気遣いの言葉だったが、日和の雅への感謝もまた、本音だった。
「此処から先は、私がやります。日向先輩の為じゃなくて、私の為に。私が日向先輩を好きだから」
「おぉ、頑張れ頑張れ。俺はその姿を一等席のポテチコーラで観戦する」
空気を解そうとした雅なりの冗談は、尻に勢いよく叩き込まれた日和の足技によって強制終了された。
や、やれば出来んじゃんって褒めて下さい(更新速度)
やはり学校祭が情報量多過ぎて書き辛かったんだそうだったんだ……。