学校祭と蕾の来訪
学校祭の開催に伴い、全校集会が開かれて校長先生がありがたいお話を十分近くも披露する。
いつもは苦痛でしかないこの時間も、今日に限ってはこの後に待ち受けるイベントで頭が一杯の生徒達には最初から無いも同然だった。
色とりどりの飾りによって鮮やかに装飾された廊下から体育館、そして教室を歩いていると、それだけで心が躍るものがある。
これら一つ一つが、この学校に居る生徒全員によって形作られた時間の結晶だ。
暗幕で日差しが遮られ、暗闇の中でスポットライトが当たる吹奏楽部がオープニングセレモニーを披露し、大きな拍手と共に歓声が巻き起こる。
この学校の生徒はこんなにも元気だったのかと今更ながらに思ってしまった日向は、圧倒されつつも隣で手拍子をしながら笑顔になる悠里と顔を見合わせ笑い合い、唯に強引にハイタッチさせられたり、まるで激流の中を泳いでいるような時間を過ごした。
教室に戻って、一同は男女別にそれぞれの更衣室で着替えを済ませると、教室に集まって最終ミーティングを行う。
生徒達は実に様々な衣装に身を包み、窓に施した暗幕とカラーセロハンによって不思議な光が射し込む教室に、若干ソースの香りが漂っている。
「さて、それじゃ……いよいよ本番の訳だが、新垣。最後に一発、いい開始の号令を頼む」
先ずはクラスの統率に慣れている秀平が皆に話し掛けると、注目が集まった所で日向へとバトンを渡す。
全員が期待に満ちた目で日向に視線を向けると、日向は一瞬だけ怯んでしまったが、しっかりと足に力を入れて一歩前に出た。
「先ず、ここまで……皆、本当に凄いよ。俺の無茶な要求や提案を聞いてくれて、助け合って。大きなトラブルが起きると思ったら、俺が風邪引いちゃって、一番大事な時に休むっていう大ポカやらかして」
「いやほんとだよお前……!」
「新垣が心配で俺はキャベツの千切りに集中出来なかった、賠償を求める」
気恥ずかしさから少しだけおどけて言うと、周りからは笑い声と野次が飛んでくる。
その一つ一つに日向は手を挙げて頭を下げながら、もう一度前に向き直った。
「後は、まぁ……なんだろ。ここまで来ちゃったら、この後のトラブルもオマケみたいなものだと思うし、楽しもう」
日向の一言に、円を描いて立つクラスメイト達は頷き、同時に頭上のスピーカーから放送部のアナウンスがBGMと共に流れる。
長かった準備期間は完全に終わり、この瞬間から学校祭は本番体制へと移行した。
★
「二番テーブルにお好み焼き一つ、タコ焼きも一皿ー!」
「いらっしゃいませー、ミステリーホラー喫茶へようこそー!」
「こちら、当店自慢の暗号文になりまーす! もし解けたら、こっそりと店員までお知らせ下さい。正解した場合にはミニケーキがプレゼントされまーす!」
開場直後から校内には次々と人が入り、三十分も経つ頃には生徒よりも外部から来た人間の方が目に付くようになる。
至る所で客引きの声が鳴り響き、スピーカーからは常時BGMが垂れ流されていて、普段の学校と同じ場所に居るとは思えない程、異質な空間が出来上がっていた。
「こ、こんなに人が来るとは思って無かったね!」
忙しなく動き回りながら、空いた紙皿やコップ、割り箸をゴミ袋へと詰めている悠里は、二つのホットプレートの前で生地と焼きそばを焼いている日向へと焦った表情で向き直った。
教室の一角を調理場にしている現状、外から仕切りで見えなくしている為に熱気が籠ってしまうその場所は、周囲と比べて少し暑い程だった。
家庭科室に行けば調理場があるのだが、そちらは水道を使えるという理由から、材料等を刻む際に使うのと、後はもう一つのメニュー……タコ焼きの用意もあり、スペース的に手一杯だったのだ。
「このペースだと作り置きが心配になるね、お昼のピークで切れちゃうと思う。コンスタントに作り続けておこう、どうせ余っても勿体ないし、そうなればクラスの皆のお腹に収まるだけだから」
「冷静な意見をありがとう……!」
意外な事に、この状況で最も平静で居られたのが日向だった。
黒いマントを羽織り、頭には厚紙で作ったシルクハットを載せているにも関わらず、全くもっていつも通りの口調でホットプレートを睨みつけている。
「冷静に見えるけど、こいつが冷静なのは別の所だからな」
隣で焼きそばの準備をしている雅が言うと、悠里が首を傾げた。その際に、悠里の頭に付いている猫の耳みたいなヘアバンドが微かに揺れる。
「別の所?」
「この後に蕾ちゃんが来る。蕾ちゃんが来ると、この店の何かを食べる。その際に半生だったらお腹を壊すだろ」
「………あぁー。あー……、成程ね……」
「シスコン型バタフライエフェクトと、俺はそう呼んでいる。あらゆる場所で発揮されるからな」
雅の説明に悠里が微妙な表情で頷くと、日向の表情が微妙に紅潮して頬がピクリと動いていた。
どうやら図星らしい。なんだか久し振りに、日向と蕾の関係性を目の当たりにした感じがして、そういえば蕾と最後に会ったのはいつだったろう、と悠里は思う。
「そーれよりー。ほーら新垣君、あたし達の姿を見て、何か一言無いの?」
ぴょん、と仕切りの向こうから悠里と共に接客に当たっていたのであろう唯が飛び出して来る。
唯も悠里も、下は制服のスカートだが上着はブレザーの代わりにエプロンドレスを着用している。手作りの為に作りそのものはシンプルだが、だからこそ身に着ける二人の魅力が際立って見えた。
二人の違いはエプロンドレスの色合いと頭の上のヘアバンドで、唯は黒いエプロンドレスにヘアバンドもフリル状になっており、悠里の場合は青いエプロンドレスと猫の耳だ。
「うん、二人とも凄い可愛いと思うよ。思うけど……」
「あれま、割とすんなり可愛いって言わせちゃった。でも、けどってなにさ?」
「………ホラーでミステリーなの? メイドさんとかにしか見えないけど」
改めて二人の格好を見る。衣装も小道具も、二人に似合っていて可愛いのだ。そして、一切怖くないのだ。怖がらせる事が目的ではないのだが、果たしてこの衣装のテーマはなんなのだろうと日向は疑問に思ったが、それには悠里が答えてくれた。
「これはね、シルキーなんだって」
「シルキー……って、イギリス系の妖精だっけ」
「そう、おうちの掃除とか、料理とか……いろんなお手伝いをしてくれる妖精で。一番人前に出るから、動きやすさと可愛さを両立してみたんだって」
ホラーを謳う喫茶店だが、特殊メイクみたいに恐ろし気なものでは子供相手に怖がらせてしまう。そして基本的に飲食なので、血の後を想起させると食欲が失せてしまう。
議論を重ねた結果、衣装班&メイク陣が奮闘し、この『古今東西妖怪喫茶店』みたいなものになっているのだ。言われてみると、日向自身の格好も吸血鬼という割には血糊や牙みたいに、恐ろしいものは使われていない。
「眼福で御座いました……」
日向が片手にヘラを持ったまま、目の前で手を合わせて二人を拝む。素直な賞賛の言葉に、悠里と唯は顔を見合わせて照れたように笑い合った。
「して、雅のは一体なんなの、それ」
「雷親父」
「あ……そう。うん、似合ってるよ……」
返答のち、無言で顔を背けた雅の格好は、鉢巻に腹巻、股引に下駄という出で立ちだった。
多分、自分が着る事になってたら休んでいたかもしれないその姿に、日向はそっと心の中で雅に敬礼した。
★
開始から一時間が経ち校内が益々活気付く中、その時は急に訪れた。
「おにーーーちゃーーーん!」
教室内に響く、耳に馴染んだ声に日向が顔を上げると、そこには両親に付き添われながら、教室の入り口で日向に手を振る蕾の姿があった。
周囲の人間達は突然の大声に何事かと一瞬たじろぐものの、声の主が幼い少女だと悟ると表情を和らげて各々、食事と団欒に戻っていく。
視線を一身に浴びた蕾は、いけない事をしてしまったのかと口元を両手で塞いでいる。その背後からは、明吏が笑いながら周りの生徒に頭を下げていた。
「あ、蕾ちゃん! いらっしゃーい!」
日向より早く、教室内で注文を取っていた悠里が蕾の元へと駆け寄る。屈んでから蕾の頭を撫でると、二人は揃って掌を合わせた。
「ゆうりちゃん、かわいい! それすごい! みみ、みみはえてるよ!」
「ふふ、ありがとー! これはね、麗美ちゃん達が作ってくれたんだよ。蕾ちゃんもおめかししてる、可愛いねー!」
普段の動き易い恰好とは違い、寒くても平気なようにと明吏が気を遣ったのだろう。白くもこもことしたフード付きのパーカーに、七分丈のニットデニムと長靴下を履いた蕾は、肩から袈裟懸けにした鞄の紐を握りしめてはにかんでみせた。
「………いらっしゃい」
悠里に遅れてゆっくりと蕾に寄って行った日向は、微妙な表情で蕾と、そして後ろに控える両親へと声を掛ける。
そう、蕾が来るという事はつまり、この両親も共にやって来るというのは自明の理で、日向はそれをすっかりと忘れてしまっていたのだ。
案の定、明吏は日向の格好を見てから、なんとも言えない生暖かい視線を向けてくるし、仁はむしろ笑いを隠そうともせずに口元を片手で抑えながら日向を指差している。
「おま、お前……それ、それっ……ぐ、ぶっは、似合ってる、似合ってるぞ」
「明日からの夕飯に気をつけろよ、親父……」
日向が仁を睨みつけた直後、明吏の右腕が一瞬だけ動く。すると、間髪置かずに仁は身体をくの字に捩じらせて悶絶し始めた。母は強い。
「お父さん、此処に置いてても間違いなく貴方達の邪魔になるだろうから、蕾を任せておいてもいい? 私達は適当に見て回ろうと思うんだけど」
「あ、分かった。こっちで見ておくよ。ありがとう母さん」
「いいのよ。蕾もそれで平気? お兄ちゃん達と一緒に居られる?」
明吏の問い掛けに蕾は頷いて、そのまま悠里の腰元へとしがみ付いた。
「へーきー、みんなといっしょにいるー!」
「なら三十分ぐらいで戻るから、それまでは此処に居てね。悠里ちゃん、御免なさいね。蕾と日向の事、宜しくお願い致します」
仁の襟首を掴んだまま明吏が悠里へ一礼すると、悠里も慌てて頭を下げる。
「あ、いえ! こちらこそ! お疲れになりましたら、休憩にいらして下さい!」
悠里の言葉に明吏は笑顔で頷くと、そのまま廊下の奥へと去っていった。
蕾を奥の席、空いている二人掛けのテーブルへと座らせると、周囲の生徒達が交互に様子を窺いに傍に寄っている光景が見えた。
やはり相手が子供となると女子達は色めき立つのか、蕾のテーブルの周囲には既に数人の女子が寄り集まっている状況となる。
「これ子が生の蕾ちゃんかぁ、可愛いー!」
「もこもこしてる、ぬいぐるみみたい。こーんにちはー!」
「…………」
周りを年上の知らない女性達に囲まれて、蕾は首を忙しなく動かす。そして傍に控えている悠里と唯を確認しては、ほっと安堵するという事を繰り返していた。
「なるほど、あれが新垣をシスコンにさせてしまった妹ちゃんか」
「確かに、保護欲をそそられるというか。あんなに可愛い子なら、お兄ちゃんと呼ばれれば一発で堕ちてしまう気がする」
「新垣が道を外すのも道理よ」
周囲の男子陣がしたり顔で頷いて囁くのを小耳に挟みながら、日向はこの短期間でどっと疲れてしまった精神を癒す為、蕾のテーブルへと足を向けた。