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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【四章 結実の冬、足跡を残して。】
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私は、ラプンツェルじゃない。

 一時限目が始まっている時間帯、学生の姿が一切見えない通学路を歩くというのは新鮮だった。

 日向は悠里の付き添いを受けながら、体力を消耗しないように時間を掛けて自宅に辿り着いた。


「日向君、階段上がれる? 冷やせる物とか薬があれば、私それ用意して持って行くから……」


 靴を脱いだ悠里が、日向から鞄を預かりつつ尋ねる。


「あ、えっと……アイスジェル枕が、冷凍庫に入ってた筈……薬は、電話が置いてある棚の引き出しに」

「冷凍庫ね、分かった。勝手に開けちゃうけど、いい?」

「うん、気にしないで……悠里、ごめ……ありがとう」


 謝罪の言葉を言い掛けて御礼の言葉に言い直す。それを聞いた悠里が、良く出来ました、と言うように表情を和らげた。


 階段を上がって一度制服を脱ぐと、寝易い部屋着に着替えてベッドに腰掛ける。

 程無くして、ドアをノックする音が聞こえた。


「日向君、もう着替えとか終わった? 入ってもいい?」

「うん、どうぞ」


 日向が返答しても、ドアが開く気配が無かった。どうしたのかと日向が一瞬怪訝に思うと同時、ドアの向こうから申し訳無さそうな悠里の声が聞こえた。


「……ご、ごめんー! 手が塞がってて、ドアが開けられない……!」

「ぷっ……」


 薬と枕を同時に持って来たのであろう。ドアの前で立ち尽くす悠里を想像して、日向は笑いを堪え切れずに噴き出してしまった。

 足腰に力を入れて歩き、そっとドアを開ける。


「お、御手数お掛け致しまして……薬は机の上に置いておくね」

「いえいえ、こちらこそ。ありがとう、助かったよ」

「ううん、後は大丈夫だから、日向君は横になってて? あ、先に薬飲んじゃった方がいいかも」


 促されるまま、日向は薬を口に含むと、悠里が一緒に持ってきてくれた水と共に流し込む。

 その後、タオルに巻かれたアイスジェル枕を敷いて横になる。

 悠里は椅子をベッドの傍らに移動して、そこに座りながら日向の布団を掛け直した。


「……どう?」

「うん、平気……横になってれば、大分楽かな……」


 予想外に体力を消耗していたのか、一度横になってしまえば、もう暫くは立ち上がれそうになかった。

 気持ちが緩んで、ついそんな本音が出てしまう。日向の言葉を聞いた悠里が、眉を寄せた。


「いつから悪かったの?」

「えっと……昨日の夜に、ちょっと喉が痛いなぁ、って思ってて」

「一気に悪くなったのね……」

「……の前に、一昨日ぐらいから、そこそこだるいなぁ、って感じがあって」


 悠里の表情が無になった。


「洗いざらい吐いておいた方がいいよ?」

「ね、寝不足があったから、それの所為かなと……夜に、進捗表とかの書き込みやったりしてたから……」

「そんなに沢山書く事あったんだ……?」

「いや、量は大した事無いんだけど、その。帰宅後は、ちょっとだけ蕾の相手もしてて……ほら、最近俺の帰り遅いから、寝かし付けるのだけは俺がやろうって思って」


 あの日、蕾が日向の布団に入って来て以来、日向は毎晩蕾を寝かせる役目を果たしていた。

 入浴や食事は仕方ないとしても、せめてそれだけはしてあげたかったのだ。


「それから、授業の復習とか宿題とかやって……進捗表を」


 日向が全てを言い終わる頃には、悠里は完全に頭を抱えて唸っていた。


「そうよね、そりゃそうよね。日向君、そういう所は手を抜かないもんね……」

「その顛末がこれだから、もうほんと、すみません……」


 いつもより一日の予定が多くなったからといって、体調を崩して良い言い訳にはならない。

 むしろ大事な時期だからこそ、自身の体調管理は万全を期すべきだった。

 そんな事は、現役選手だった頃には当たり前にやっていて、十分過ぎる程に身に染みている筈だったのだ。

 片腕で目元を覆い隠した日向に、悠里は首を横に振った。


「悪い事をした訳じゃないでしょ? ただ、頑張り過ぎただけだと思う。蕾ちゃんの為に、ちゃんと一緒に居る時間も作ってあげて、私達の為に、夜も一生懸命……色んな事、考えてくれて。ここまで大きなトラブル無しでこれたのは、日向君の指揮があったからだよ」


 労わるように悠里が言うけれど、日向は素直に頷く事が出来なかった。


「だから今は、ちゃんと休んで……身体を治して。……ね」


 自身の腕で目元を隠しているので視界は塞がっている日向は、悠里がほんの少しだけ椅子を動かした音を聞き取る。

 その直後、日向の頬にひんやりとした手が触れた。


「……熱いね」


 そしてその手は頬を離れると、少し下……丁度、日向の胸の辺りに置かれる。

 布団越しにでも分かる悠里の掌の重さが、やがてゆっくりとした拍子を刻みながら、トン……トンと音を立てる。


「悠里……学校、戻らないと……」


 薬が効き始めてきたのか、日向は次第に強くなる眠気を堪えながら言った。

 このままでは、悠里が家を出る前に眠ってしまいそうだった。


「大丈夫、小野寺先生が言ってたでしょ。三時限目以降の遅刻は、って。まだ一時限目も終わってないよ。……日向君がちゃんと寝るまでは、ここに居るから」


 囁くような悠里の声が、日向の耳元に心地よく響く。

 相変わらず頭はぼうっとしており、一度閉じかかった瞼をもう一度開くのが困難になってくる。


「悠里……あの、薬……ちゃんと悠里も飲んで。……うつると、まずいから……」

「うん、大丈夫。ちゃんとするから、平気」

「……それから、ごめん、お昼頃には起きると思うけど……もし寝てたら、昼休みにでも……電話で起こして欲しい……雅に、ちゃんと伝えないと……」

「うん、それも、大丈夫。電話するね」


 睡魔に抗いながら、他にも何か伝える事は無いかと頭を巡らせる日向を、悠里は傍で見守り続ける。

 やがて日向の口から洩れる呼吸が落ち着くと、悠里は一度手を止めた。


「……日向君、寝た?」


 表情を確認する為に、少し前屈みになって日向の顔を覗き込む。

 熱の為か呼吸は少々苦しそうではあったが、悠里の言葉にも反応しない所を見ると、しっかり就寝したのだろう。


 悠里は部屋にある時計を確認すると、まだ時刻は九時半を過ぎたばかり。

 三時限目の開始までは十分に間に合う。もう少しだけ、此処に居ても大丈夫そうだった。


「さて、クラスの皆には、なんて説明しよっかなぁ……」


 椅子に座り直した悠里は、膝に肘を立てて頬杖を突く。

 日向が熱を出して早退した、だけならば話はそれだけの事だった。

 問題は、その後に自分が一緒に付き添って日向を自宅まで送り届けている現状だ。


「おまけに、小野寺先生に嘘まで吐いちゃった……でもあれ、十中八九バレてるよね……」


 なにせ、当事者である日向自身が驚いていたのだ。隣で二人をつぶさに観察していた小野寺教諭からすれば、悠里の発言が建前を作る口八丁だとすぐに看破しただろう。

 もしくは、それ以上に……悠里が抱く感情までも看破してみせたか。


「うわぁぁ……私、なんて事を……!」


 今更ながらに頭を抱えたくなる。他の人間を巻き込んで勉強会まで行って、噂話の撲滅を企てたのに、それが全て泡と帰す。


「絶対これ噂になってるってばぁ……前よりもっと凄い事になってそう……!」


 どうか、教室に残った唯と雅が上手く説明してくれれば良いのだが、一抹の不安を抱かずにはいられない。

 しかし、あの状況で日向を一人で帰すという事はしたくなかった。

 そしてそれ以上に、別の人間に日向を送り届ける役割を任せたくはなかった。

 例え相手が、日向の親友である雅相手だとしても。


「なんで私はこう、変な所で考え無しなのよ……唯に言われたばっかりなのにぃ……!」


 うわぁ、と頭を抱えて唸っていると、日向が「ん……」と声を上げて身動ぎした。

 その拍子に、手が布団の外へと出てしまう。

 一人で騒ぎ過ぎた、と悠里が口をバッと押さえるが、日向が起き出す気配はない。


「……………」


 内心でホッと安堵しつつ、布団の外に出てしまった日向の手を中に戻そうと両手で掴む。


「………………」


 何となく、手を握ってみる。握り返される事は無かったが、日向の体温を感じる事は出来た。

 掌の中に幾つか硬い箇所があり、なんだろう……と観察すると、そこにあったのは大きな手マメだった。


「これ、テニスラケットで出来たのかな……」


 悠里はラケットを握った事が無かったので、それがどのように出来たかを想像するしかなかった。

 けれど、こんな場所に出来るのなら、間違いないと思われた。


「あ、こっちはペンダコだ、ふふ……これは分かるよ」


 シャーペンやボールペンで沢山文字を書いた時に、悠里自身も出来た事がある。

 日向の場合は、もっとはっきりと。


(掌一つでも、こんなに沢山、日向君の生活を見る事が出来る)


 この中には、例えば包丁を握った時の痕跡もあるかもしれない。

 そうして毎日毎日、何かを積み上げながら、彼は昨日も今日も、そして明日も時間を刻んでいくのだろう。

 日向の手を布団の中へと戻す。


 カチ、カチ、と秒針が鳴らす音と、日向の呼吸音が支配する世界を、悠里は穏やかに漂っている。

 けれど、いつまでもこうしている訳にはいかない。

 日向はやるべき事をやった。

 だからこそ、悠里もやるべき事をやるのだ。日向が託した想いを、形にする為に。


 立ち上がり、日向の顔を覗き込む。

 改めて見る日向の寝顔は、普段の大人っぽい日向とは違って、ただの同い年の男子のものだった。


 よくある少女漫画のシチュエーションなんかでは、こういう時……ヒロインの女の子が、こっそりキスするのを見た事がある。

 そんな事を思い出して赤面してしまう悠里だが、軽く首を横に振って想像を打ち消した。


「今は、違うよね。風邪……うつっちゃったら、日向君が自分を責めちゃうだろうし」


 それに、やるなら正々堂々だ。

 真正面からぶつかると、決めたのだ。

 その決意と共に、悠里は足元に置いた鞄を持ち上げた。


「後は、任せて」


 去り際の一言に全てを籠めて、悠里は日向の部屋を後にした。

十二月中に学校祭編終わるって言ってた奴が居るらしいですよ……!(土下座)

あと、1つか2つだと思いますから、平に……。

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