前兆
シーン切替が多いので、★マークを付けてみました。
翌朝、日向が教室に着くより少し前の事。
「………なんだね、これは」
雅が呆れながら目の前に突っ伏す海藻……もとい、長い髪の毛をだらりと机一面に広げる悠里を見て、若干引き気味の声を出した。
「自業自得みたいだから放っておいていいんじゃない?」
隣に立つ唯もまた、ピクリとも動かない悠里を見て、何とも言えない表情をする。
朝方に一緒に登校してきた唯と悠里だったが、合流してから今まで幽鬼の如く歩く悠里に、朝からなんと景気が悪いのかと業を煮やして問い詰めた所、触りの部分だけだが話して貰えたのだ。
「……一体何があったよ?」
「若気の至り、かな」
こそりと耳打ちするように尋ねる雅へ、唯が半笑いで答える。
「まぁ、詳しい事は新垣君が来たら問い詰めるとしましょうかね」
「成程、日向関係か」
その名前が出た途端、悠里がガバッと起き上がった。同時に、散った髪の毛が綺麗に一つの束になる。
「おお、昆布が収穫された……」
「誰が昆布よ!」
唯が感心する声を出すと同時、悠里は顔を真っ赤にして言い返す。
けれども、別にこれは昆布という単語に怒って赤くなっているのではない、という事は流石に分かる。
「ひ、ひひひ、日向君もう来たの……?!」
今度は肩を小さくして縮こまりながら、視線をキョロキョロと教室の中を見渡し始める。
あからさま過ぎる態度に、雅と唯は顔を見合わせて肩を竦めた。
「まだ来てないけどさ。あんた、そんな状態で今日一日大丈夫なの?」
授業中は顔を合わせる事は無いし、休み時間も同性の友人達と行動する事でやり過ごす事は出来るだろう。
けれど、今は学校祭の準備期間中なのだ。代表である日向とそれを支える悠里達三人は、否応無しに日向と接触しなければならない。
「だ、大丈夫……」
「ほんとにぃ? それじゃあさ、さっきからあんたの後ろに居る新垣君に、いい加減挨拶したら?」
「………え!?」
突然過ぎる唯の指摘に、悠里が背筋を一瞬でビッ、と伸ばして後ろへ振り返る。
「ひ、ひなったっ……く、ん……じゃ、ない?」
そこに居たのは日向では無く、偶然通りがかって自分の席に向かう途中の寺本望だった。
「おっ!? おおおおっ、おはよう芹沢……!」
「あー……うん、おはよ……」
急に振り向かれた望が驚いて反射的に悠里へと挨拶をするが、悠里は望の姿を確認すると、急に萎れた様に肩の力を抜いて望へ挨拶を返す。
「……居ないじゃない」
「いやぁ見間違えたかなぁ! あたしとした事がなぁ!」
正面を向いて酷く平坦な声を出す悠里に睨まれても唯は気にした様子も無く、いつも通りの笑顔を浮かべる。
言うまでも無いが、わざとである。
心なしか先程よりも足取りが軽くなっている望の後姿を見送りつつ、雅は両手で顔を覆い隠しながら心の中で涙を流した。
「やめてあげて、男子の純情な感情を弄ばないで……」
「大丈夫だって、本人にとっては御褒美でしょ。まぁそれにしたって今のだけであんなになるなら、本人目の前にしたらヤバいんじゃない? 仕事になんないでしょ」
隣で「なんて惨い……」と呟く雅を無視して、唯は悠里へ再び呆れた視線を向ける。
「だ、大丈夫だって……別に喧嘩とかじゃないし、多分日向君は何も気にしてないと思うし……」
「まぁあんたが大丈夫ってんなら、いいんだけどさ……それにしたって、ねぇ。今更ねぇ……」
「今更ってなによー……」
「言葉の通りなんだけど。ま、後は自分で何とかしなさいよ。ね、新垣君」
「………またそうやって」
何度も同じ手を喰らうものか、と悠里が唯を睨み付けた時だった。
「えっと、何の話……?」
背後から聞き慣れた声がして、悠里が顔色を青くしながら振り返る。
そして相手の顔を確認して、口をぽかんと広げた。
「………はえ?」
「……蠅?」
室内に入って来たばかりなのか、僅かに外気を纏った日向が其処に居た。
「日向君?」
「うん、おはよう、悠里」
「………………」
「悠里?」
カチン、と固まる悠里を見ながら、唯が『言わんこっちゃない』と言いたげな表情を浮かべた。
日向は日向で反応が鈍い悠里に対し、どこか具合が悪いのかと不安になって目の前で手を振ったり屈んで目線を合わせようとしていた。
そして、日向の顔が椅子に座る悠里と同じ高さになった瞬間、悠里の顔が青から赤色へと瞬時に変化する。
「………い、いやあぁぁぁ!」
ガタンッ! と音を立てて椅子が傾くと同時、悠里が立ち上がって廊下に走って行った。
「えぇ?! な、なんで……?」
今度は日向が泣きそうな表情で唯と雅を交互に見るものの、唯はお腹を抱えて笑い続け、雅はただ黙って頷くだけだった。
★
「もう……死にたい」
「何てこと言い出すのよこの娘は」
昼休みの時間になり、教室に居るとポンコツ化してしまう悠里を唯は教室の外へと連れ出した。
場所は売店に近い位置にあるベンチで、およそ雑談には不向きな場所だった。
今も売店には人だかりが出来ており、生徒同士の仁義なき戦いが繰り広げられている。
けれど静かな場所で話すより、むしろこういう場所の方があまり人に聞かせたくない話であれば都合が良い事もあるのだ。
何より、この状態の悠里と静かな場所で話すと、唯までどんよりとしてしまう気がしたのだ。
「今日、全然話せてない……」
「そりゃ、あんたがいちいち発狂するからでしょ」
朝の一件以来、日向も悠里を気遣っているのか、無理に話し掛けようとはしていなかった。
多分今頃は、教室で雅や秀平達と昼食を摂っている事だろう。
「まぁ大丈夫だって、放課後になれば嫌でも話す事になるんだから。それとも何か、あんたは教室の中で伝令でも飛ばすつもり?」
唯は日向と悠里が、僅か数メートルの距離で会話をするのに誰かに伝言を託す姿を想像する。
シュール過ぎていっそ見てみたい気持ちがあるが、伝令に使われるのが自分である可能性を考えて唯は即座に却下する。
「朝方の新垣君の反応見た感じ、あんまり気にしてないじゃん。あんたがどんだけの事やったか、あたしは見てないから分からないけどさ。そんな大した事じゃないんでしょ?」
唯が悠里から聞いた話は単純に『嫉妬を言い当てられた』というだけだった。
身体を密着させたり、色々と管を巻くみたいに愚痴ったりもしてしまったのだが、恥ずかしさで悠里もそこまでは唯に言う事が出来なかった。
「それはそれで、なんか……納得いかない」
「め、面倒くさっ……! まぁ、気持ちは分からんでもないけどね」
言いながら唯は立ち上がると、スカートの皺を軽く手で伸ばす。
そろそろ戻らねば、昼休みも終わってしまう。
「大丈夫だって。あんたらの事だから、そん時が来たら勝手にいつも通りになるってば」
「そうかなぁ……」
「大体、一緒に帰るだなんて大それた事したんだから、普通は誰だって『この子、自分の事好きなんじゃないか』ぐらい思うってば」
「う………」
「そこまでしといて、気持ちを気取られそうになったら逃げるって。結局どうしたいのよ、って思う訳よ」
厳しい物言いだけれど、事実だった。
唯の本心としては、悠里を応援したい。その為に自分は身を引いたと言っても過言では無い。
しかしそれ以上に、親友として、親友だからこそ悠里にはちゃんと向き合った言葉を掛けてあげたかった。
「そんな半端な気持ちでぶつかるなら……。………。日和ちゃんにあげちゃいな」
真っ直ぐに悠里を見る。唯の口からそんな厳しい言葉が出るとは思っていなかったのだろう、悠里の瞳の中には僅かな怯えが伺えた。
日和ちゃんに。その言葉の前に出掛かった言葉は、ぐっと飲み込んで。
「あんたは自分から誰かに自分の気持ちを伝えるのが、伝わるのが怖いんだろうけどね。そういうのが初めてだろうから、その気持ちは分かるよ。伝わってしまえば決定的だもん。後は答えが二つに一つ、必ずどっちかになる。けどね、悠里。日和ちゃんは、そのぐらいの事はきっと飛び越えてくるよ」
或いは、もう既に飛び越えてしまっているか。
言外に含ませた言葉の意味に気付いたのか、ハッとなった悠里の顔に、徐々に意志が灯る。
微かに笑いそうになる口角を引き締めながら、唯は続ける。
「それに、さ」
唯が悠里に手を伸ばす。いつまでもうじうじと座っている親友の姿など、唯はこれ以上見ていたくなかった。
「あんたは、そういうキャラじゃないでしょ。大人しそうな見た目の癖に、微妙に強引で……若干強気で、割と我侭で、頭も悪くない癖に、肝心な所は考え無しで。だから、新垣君の事が放っておけなかったんでしょ。あんたが新垣君を好きになったのは、言っちゃえば物のついで、なんだよ。あんたのやりたかった事は何? 新垣君の彼女になる事?」
「ち、ちが……違わない、かもしれないけど、そうじゃなくて……あと微妙に褒められてるのか貶されてるのか分かんない……!」
彼女、という単語に悠里が反応し、再び顔が赤くなる。
けれども今は、そこでいちいち話を中断されてる場合では無いとばかりに唯は真剣な表情で悠里を見据えた。
「そうだよ。違わないけど、正解じゃない。あんたはラプンツェルじゃない。助けを待って大人しくなんてしてるから、そんな状態になるんだよ」
引き上げると同時、悠里がよろけながらも立ち上がる。
二人で立つと、悠里の方が背が高く、唯は僅かに悠里を見上げる形になる。
「あんたが最初に新垣君にしてあげたかった事は、なに?」
「私が……」
「誰かを羨んで、誰かに妬いて、構って欲しくて半端にちょっかい出して、それで拗ねてこんな場所に居る事なの? これからまだまだ忙しくなる新垣君を放っておいて、自分の感情だけを優先して、これからも同じ事を繰り返すつもり?」
唯の言葉には、静かな迫力があった。
僅かな心の痛みでさえ、今の唯には心地良く感じられる。
(ほんっと、手間が掛かる……)
いつもは思いも寄らぬ所で大胆な癖に、些細な事で心を乱す。
だからこそ、いつも唯は悠里を放っておけないのだった。
「私が、日向君にしてあげたかった事……」
弱々しく握られていた手が、次第に力強くなってくる。
「あんただけにしか出来ない事が、あるでしょ」
日向の手を引いて前に進む事。
それは紛れもない、悠里だからこそ出来た事で、悠里の実績の一つだ。
歩み続ける事は日向の意志だが、切欠を作ったのは誰でもない悠里だった。
「忘れないで。あんたは、あんたに出来る戦いをしなさい」
「………うん、うん」
「さて、それじゃ戻るよ」
「……うん」
ウィンクして先を促す唯と手を繋いだまま、悠里は教室へと向かった。
★
放課後になると、教室の中は昨日と似た光景が繰り広げられる事となった。
むしろ初期の買い出しが終わって各班が作業に取り掛かれる分、行程自体は複雑になっている。
結局、昼休み以降もこの時間帯まで悠里は日向と会話らしい会話をするタイミングを逸して、時間だけが過ぎていた。
作業の為、机を全て教室後方へ押しやり開けたスペースを作ると、それぞれの作業を開始する為に日向は各班長達と打ち合わせに入る。
「内装班は先に飾り付けを。大道具班、看板の制作を美術員中心でお願いします。衣装班は……えっと、これは俺、よく分からないから、ごめん…任せる」
「あ、内装買い出し追加しまーす。予算内には収まりそうだけど、もしかしたら追加お願いしちゃうかも……」
「衣装班の予算が想定より余りそうだから、こっちの予算削っても大丈夫そう! あーでももうちょい待ってくれると助かる!」
一度の報告で連鎖的に情報が舞い込む。日向はそれを一つ一つ、漏れる事が無いようにメモを取る。
悠里はその光景を見ながら胸に手を当て、きゅっと唇を引き締めた。
隣に立つ唯が、悠里の肩をそっと押す。
「ほら、行きな。書記でも伝令でも、何だっていいんだから。あたし達もやれる事をやるから、あんたは新垣君の隣で支えてやりなさいよ」
「……そうだね、こんな事ぐらいで……立ち止まっていられないよね。唯、ありがとう」
唯に振り返った悠里が、力強く頷いて日向の元へと歩き出した。
やがて日向の元に辿り着いた悠里が、日向と一言二言話すのが見える。
一瞬だけ、二人の間にぎこちない空気が流れたのが分かったけれど、すぐにいつも通りのやり取りをしているのが分かった。
空いてしまった唯の隣に、雅が立つ。
「いい発破掛けるなぁ。流石親友、面目躍如か」
雅はあえて日向の事には触れてこなかった。
その気遣いが、唯には今は心地良い。
「成瀬、あたしさぁ。新垣君も好きだけど、やっぱり悠里も好きだわ」
唯が両手の親指と人差し指で、四角形のファインダーを作って、その中に二人を収める。
いつからだろう、この光景を見るのが好きになっていた。
「……お前等が日向の友人になってくれて、良かったと思うよ」
「でっしょ。超優良物件でしょ、あたし達」
少しだけ真面目なトーンで出た雅の言葉を、思わず茶化してしまう。
そんな唯の内心を見透かしたように、雅は唯の頭を一度だけポン、と叩いた。
「ほら、俺等も行くぞ。一応は準責任者みたいなもんだし、仕事だ仕事」
そう言って先に歩き出す雅の背中を、唯は叩かれた頭を抑えながら見送った。
「あんたは、それでいいんだよ。余計な事は考えないで……ただ真っ直ぐに、新垣君の手を引っ張ってやるんだよ。あんたは引っ張られる側の人間じゃない、引っ張って歩き出せる人間なんだ」
俯いて、誰にも聞かれない言葉を呟いて、唯も顔を上げた。
そうして、学校祭の準備も順調に一週間が過ぎて、工程の半分が終わり。
最終チェックと試運転、最後の連絡会を控えた矢先。
日向は、高熱を出して学校を休んだ。
視点が唯寄りとなっていました(事後報告)
ダラダラになりそうな感じでしたが、書きたい事は書けたので、駆け抜けます。
そして今回、日向の出番少なめになってましたね……書いてから気付いてしまったけど、女子同士の会話中心にしたかったので、仕方なし……。