天は二物を与えず。
連絡会の会場でもある視聴覚室には既に二十名程の生徒が詰めており、正面の黒板からコの字に整列した机は、各学年毎に座席の位置が決められていた。恐らくは発表等を踏まえ、順番に行う為の措置だろう。
日向は自分のクラス札が書かれた座席に着席すると、軽く周囲を見渡した。
顔見知りなのか、隣の座席の者と話す生徒。日向と同じ様にじっと開始を待つ生徒など様々だ。
その中で一人、日向が座った座席より右手側に見知った顔を見付けた。向こうは既に気付いていたのか、日向と目が合うとにこりと笑って手を軽く振ってくる。
「………牧瀬さん?」
遠くて声までは届かないが、口元で『お久し振りです!』と言っているのが分かったので、日向も軽く手を振り返しておく。
(成程、牧瀬さんが頑張ってるって、こういう事か……言ってくれればいいのに)
ともあれ、一人でも知り合いが居るというのは心強い。むしろ後輩の女子、幼馴染の親友とあれば格好悪い所は見せられないな、と日向は気合を入れ直して第一回目の連絡会に臨んだ。
連絡会そのものの内容は思っていたよりも普通で、淡々と各クラスの出店内容と、それに伴う運営委員会の指摘が続き、時折生徒会から予算の扱い方について指導が入るという形で進む。
発表は一年生から順番に行われていたので、既にひかりは発表を終えている。
(日和達の出し物はホットドッグとドリンクの飲食系……ホットドッグか、良いチョイスだなぁ)
調理そのものが簡単で、万人受けし易い。かつ保温する機材さえあればストックも置き易い。
その他にも、持ち歩きし易い、手軽に食べられるので小腹を満たすのに丁度良い等々。一年生が初めて高校で行う模擬店の内容として考えると、かなり手堅いのでは無いだろうかと思えた。
そうこう考えている内に、日向の発表まで順番が回ってきたので思考を一時中断すると、日向も他の生徒達と同様、手元の進捗表を片手に立ち上がったのだった。
三年生まで全てのクラスが発表を終え、連絡会は恙なく終了時刻を迎える。
「それでは、第一回の連絡会はこれにて終了致します。次回は金曜になりますので、委員より指摘のあった部分は実施策と共に期日までには提出しておいて下さい」
恐らくは生徒会の役員であろう女子生徒の言葉と共に、室内に居る生徒達は一斉に立ち上がった。
窓から外を眺めると既に暗く、陽が落ちる時間が早くなった事を実感させられる。そのまま入口の混雑を避ける様にして少々待ってから立ち上がると、ひかりが日向の傍へと寄ってくる。
「日向先輩、お久し振りです!」
「牧瀬さん、久し振り。………委員だったんだね」
「はい! 日和から、何も聞いてませんでした?」
口振りから察するに、やはりひかりは日和から、日向も委員だという事を既に伝えられていたのだろう。
「牧瀬さんが張り切ってる、っていうのは聞いたけど、そこまでは教えてくれなかった……」
ぼやく様に呟いた日向の言葉に、ひかりが「あー」と何か納得した様に頷き、そして笑い出した。
「それ、内心きっと妬いてるからです」
「妬いてる? 誰に?」
「私にですよ。現にこうして、私は日向先輩と一緒に居る時間が作れてる訳ですし。それに日向先輩に、私も委員だって事を教えて、日向先輩が良い反応したら日和ちゃんにとっては面白く無いでしょうからね」
ひかりの指摘に納得すると共に、冷や汗が流れた。一体この子は、自分と日和の事を何処まで知っているのだろう。日和は昔より人当たりが良くなったとは言え、元々が人見知りの為に相談出来る友人も多いとは思えない。相談相手として真っ先に選択されるのが、目の前のひかりではないだろうか。
さてどういう反応をしようかと困っている日向へ、ひかりは呆れた様に笑った。
「……見てれば分かりますよ? 詳しくは聞いてませんけれど……」
「そ、そう……」
「ちなみに、今日の日和ちゃんは輝いてました。朝から凄く良い笑顔で……なのに時々、凄く色っぽく溜息吐いたり、真剣な表情になったり、お蔭様でクラスの男子陣はそわそわしてました。日向先輩と何かあったのかな、って思ったんですけど、あってます?」
「…………………」
申し訳なさと恥ずかしさが渦巻く。
「愛されてますね、日向先輩!」
「……この辺で勘弁して下さい」
顔に手を当てて頭を下げる。これ以上言われ続けると、頭が沸騰しそうだった。
「それはそうと、牧瀬さん達のクラスはホットドッグなんだ、いい案だね」
「はい! 食べ物でヤキソバとかたこ焼きなんかも挙がったんですけど、あの辺りって激戦区なので……」
日向の露骨な話題変更にも、ひかりはしつこく食い下がる事無く返答してくれる。歳相応に恋愛話に興味があるだけで、根は素直でいい子なのだ。
「日向先輩達のお店も面白そうですよね、ミステリーホラー喫茶! しかもその店名で麺類とかお好み焼きが主食って、テーマが混沌としてますね……」
「欲張り過ぎたかな、とは自分でも思ってる……」
「主犯は先輩ですか?」
「………半分はね?」
改めて他者から自分達の店について訊かれると物凄く違和感がある。なのにクラスで作業していると、もう既にこれ以外に無いという程に馴染んでいるので、場の雰囲気とは恐ろしいものだった。
「当日は私も遊びに行きますので、其の時は知り合い価格にしてくれると嬉しいです!」
割とちゃっかりしていた。出会った当初の、少し儚い感じとは大違いで、きっとひかりにもまだまだ日向の知らない一面があるのだろう。
「分かった、俺が居る時ならそうさせて貰うよ」
きっとその時には、割り引いた分は日向の財布から出る事になるのだろうけれど。
幼馴染に寄り添って共に歩んできた相手への謝礼と考えれば、まだまだ安過ぎるぐらいだ。
日向の返答に満足したのか、ひかりは「それでは、私も帰宅しますね」と一言残して去って行く。
その背中を見送ってから、日向も自分の教室へと足を向けた。
★
途中の廊下を歩いていても、連絡会が始まる前の喧騒は既に消え去っている。
自分と同じく数人のクラス委員達が鞄を持って玄関側へ歩くのをちらほらと見掛ける他は、時折教室の中で雑談に耽る数人の生徒達の声が時折響く程度だ。
だから、日向が自分の教室に着いてドアを開けた時、ガラスから洩れる光も同じく、誰か居残りの生徒達が雑談に耽っているものだと思い込んでいた。
「あ、おかえり。日向君」
普段の楚々とした佇まいの彼女からはあまり想像が出来ない、窓際の誰かの席……そこにある机の上に、教室の中で一人、足をぶらぶらと振りながら座っているのが悠里だと気付くのに、少しだけ時間が掛かった。
「悠里……帰ってなかったの?」
驚いた日向が声を上げると、悠里は少しだけ気まずそうな顔をしてみせた。
「え、いや……帰ろうと思ったんだけど、その」
悠里がもごもごと口籠りながら、バツが悪そうに日向を見る
「………待っててくれたの?」
「う、うん。そろそろかなぁ、って思ってたから、良かったよ。一人で教室に居るの、ちょっと怖かったぁ……」
「外、もう真っ暗になってるからね」
教室の中とはいえ、この時間だ。空調は切られ、室内に充満していた暖気も薄くなっている。
じっと待っていると体温が奪われていくだろう。
すらりと伸びた悠里の脚は今は黒いストッキングで覆われているのだが、それでも十分とは思えない。
「もう夏場じゃないんだから、風邪引いちゃうよ……」
「うん、ごめんね……でも」
机から降りながら、軽く「んぅ!」と一度身体を伸ばして、悠里が日向に向き合った。
「日向君を一人にするのが、何となく嫌だったから……」
ただ、それだけの理由で、待っていたのだと。
「教室を出て行く時、背中がそんなに寂しそうに見えたかな」
日向には珍しく、つい照れ隠しの混じった捻くれた回答をしてしまう。
悠里はそんな日向の言葉に目を丸くすると、にっ、と口角を上げて微笑んだ。どうやら照れたのがバレてしまっているらしい、今日は悉く女性に翻弄される一日だ。
「見えた、って言ったらどうする?」
「………本当に」
本当に、女性に翻弄される一日だと、内心で笑うしかなかった。
教室を出る時、学校祭のスタートを切る一日目……同級生達と、これからの事を話しながら帰る道程を想像してしまい、それは凄く楽しそうだな、と思ってしまっていたから。
自分で立候補したとは言え、少しだけ寂しかった気持ちがあったのだから。
「帰ろうか、悠里」
「うん」
どうせ敵わないのなら、正直になる方がよっぽどいいのだ。
教室を出て、二人で静かな廊下を歩く。
「夏休みの前はさ、こうして歩いてると、日向君が変な事言ってきたじゃない」
「変な事……」
「そう。芹沢さんって、モテるよね? とかなんとか」
「あー、あーあぁぁ……!」
恐らくは日向が口にした言葉を、悠里は物真似を交えて伝える事で、僅かに糾弾してくる。
「ああいうの、何ていうか知ってる?」
「無神経、かな……!」
「あ、凄い。正解だよ。 日向君も成長したね?」
今度は手を伸ばして、日向の髪の毛を掌でわさわさと触り出した。
先程から、どうにも悠里のスキンシップが普段よりも多い。
「なんかテンション高いね……?」
「んー? んー、うん。高いかも」
悠里に乱された髪を、片手を使って整えながらちらりと悠里を盗み見ると、悠里は窓に映る自身と日向の姿を眺めている。
不意に、窓に映る悠里と視線が合った。
「こんな風に、二人だけで歩くのって……久し振りだよね」
「そう、だっけ」
「そうだよ。最近は本当に……」
そこまで昔の話では無いのに、二人で廊下を歩いた日が懐かしく思えた。
雅や唯の視線を掻い潜って、クラスメイトから疑惑の視線を向けられて。
「あー、あー……! 別にね、二人だけになりたかった、とか……そういうんじゃ、ないからね?」
「う、うん……」
ガラス越しの視線を外し、慌てて振り返った悠里が片手で空中を掻き回す。
やがて生徒用玄関に辿り着いて外履きに履き替えるまで、お互い無言になる。
ギィ、と僅かに金属音が軋んで玄関の開き戸が鳴り終わると、外からの澄んだ空気が肺を満たした。
すっかり暗くなってしまった通学路は、オレンジ色の街灯がポツポツと点在するだけで、人の気配も感じられない。
「もう冬だねぇ、夏場の頃はこの時間でもまだ全然明るかったのに」
はふ、と軽く息を吐いた悠里は、少し肌寒いのか肩を竦めて見せた。
「女子は大変だよね、足元とか見てるだけで寒そうなんだよなぁ……」
「そうやって日向君は冬場に女の子の脚を見るのが好きなんだ?」
「客観的な意見を述べただけなのに犯罪者にされてしまう……」
鞄で膝元を隠そうとする悠里を見ながら、日向は肩を落として溜息を吐いた。
「そういえば、最初の勉強会の時だって、唯の脚見てたよね!」
「あれは見たんじゃなくて、見せ付けられたと言えるのでは」
「すぐに思い出せるって事は、それなりに印象強く記憶してるんだねー……」
「テンションが高いっていうか、むしろ今日は追尾性能が高いよ……?!」
日向の反論に悠里は目を細くし、むすりとした表情で見据える。
けれど、その内に何故か口元が緩んでいったと思えば、次の瞬間には顔を逸らしてしまった。
「ぷ……くく、くっ……ゴメン、御免ね、なんだか日向君とこういうやり取りするの久し振りで……」
遂にはお腹を抱えて笑い出してしまうが、ここ最近、時折見かける悠里の憂い顔よりはずっといいと思えた。
「久し振り……かなぁ。でもそうか、二人だけで話すのが久し振りだからかな。悠里は人前だと、少しだけ猫を被るもんなぁ……」
「そ、そんな事無いじゃない! 日向君の方こそ、クラスでは完全に良い人ぶっちゃってさー!」
「いやいやいや……悠里なんて、最初に会った時なんてもっと強引な時あったから。ご飯を食べさせて欲しい、とか。休みの日に蕾に会いに来たりとか」
「あーまだその事を言うんだ! わ、私だって男子の家に行くなんて初めてだったから、あの時は勇気出したのに!」
若干ヒートアップした悠里が、顔を赤くして日向に肩をぶつける様に体当たりをする。
「それからもさぁ、名前で呼んでって言った時なんて、恥ずかしがって全然呼んでくれないし……そのくせ日和ちゃんとは最初っから名前で呼び合ってるし……まぁそれは、仕方無い事だと思ってるけど!」
二度三度と肩をぶつけてくる悠里だが、回数を重ねる度に勢いが弱くなり、仕舞いには肩口を日向に擦り付ける様な感じになってしまっている。
「今日だって朝から日和ちゃんと二人で登校して来た、なんて言ったりさー……蕾ちゃんの事か、日和ちゃんの事かーみたいになってるし……」
その言葉と行動に、もしかしてと思い至る。
(もしかして、これは……嫉妬、されてるんだろうか……)
これまでも何度か悠里が不機嫌になる事はあったが、それは先程の悠里の言葉通り、日向の無神経さが呼び込んだものがほとんどだと思っていた。
けれど、その不機嫌だった内容をもう少し詳しく整理してみれば、日向にも理解出来たかもしれない。
悠里がちょっと拗ねる時は、つまりそういう場面でもあるという事を。
いや、まさか、とは思う。日向にとって、女子の心は未知の領域だ。
五歳の妹相手ならば、感情が手に取る様に分かる。しかし残念ながら、妹をサンプルにするには後十歳程度は育って貰わなければいけない。
実際に中学時代、遡れば小学校の時代には日向へ好意を向ける女子は存在したのだけれど、その時の日向にはテニスという一番大事なものがあって、日和が居た。
そして日向へ好意を向けた異性は、日向の傍に居る上月日和という少女を前にして、その想いを淡い憧れ程度に留めておくしか出来なかったのだ。丁度、恵那唯という少女がそうした様に。
詰まる所。
日向は、そんな環境で真っ直ぐに育ち、異性からの好意というものは、およそ日和から受けたものぐらいで。
小学校からこの高校二年が終わろうかという時期まで、およそ時間の殆ど全てを球を打つか妹に費やすかしてた人間である。
「……また何か別の事考えてるでしょ」
(悠里が、俺に……いや、むしろ日和に嫉妬、って。あるのか、それは。いやいやでも、悠里が俺に色々と構ってくれるのは、蕾の事があるからで……でもそれを抜きにしても、割と普段から話したり出掛けたりしている様な)
「日向君! 返事!」
「は、はい!」
「そうやって人と話してる時に! 大体は蕾ちゃんの事を考えてるんだろうけど、そ……それはまぁ、日向君の美点でもあるからいいんだけど! とにかく、人と話してる時にぼんやりしない!」
「はい!」
悠里の剣幕に、思わず背筋を伸ばして返答する。
宜しい、と悠里が頷いてから、首を傾げる。
「それで、何を考えてたの? 昼間に話してた蕾ちゃんの事?」
「あ、いや。今は違うかな」
「じゃあ、なに?」
「えっと」
可能性一つ浮かんだだけで、頭が混乱しているのが分かる。
「悠里が、妬いてくれてるのかなって思って」
素直に吐いてしまった。
「……………………」
「……………………………えっと」
こきん、と音がしたのかと錯覚する程に、悠里が固まる。ついでに日向も固まった。
みるみる内に、悠里の顔が沸騰した様に赤くなりだした。
「い……」
「い?」
「いやぁぁあああああ!」
ブォン、と風を切る音と共に、両手持ちされた悠里の鞄が日向の胴体側面へ打ち込まれた。
「あぐっふ……」
衝撃を受けて変な吐息が漏れた日向が顔を前に戻すと、悠里が走り去っていく背中が見えた。
どうやら、素直に言い過ぎて、また悠里を怒らせてしまったらしい。
「……明日、謝ろう」
じんじんと痛む腕を擦りながら、日向はとぼとぼと家に向かって歩き始めた。
僅かな動悸を自覚しながら。
なんかラブコメっぽくなってきました、ちゃんとラブコメしてる気がする、しません……?(今更)