学校祭、始めました(改稿版101話)
本人が思うより、余程人目を引く容姿の日和が日向の袖を掴んで歩く姿は、時折ちらほらと視線を向けられる事があった。それでも尚、ここまで日向の袖を離さなかったのは目立つ事を好かない日和にしては、やはりそれなりの勇気が必要だったのだろう。道中、ほんのりと顔を赤くして歩く日和の表情には『遂に目立つ場所でやってしまった』的な動揺が見て取れた。
日向も日向でそこそこに周囲の視線が気にはなったが、ここで自分まで動揺してはマズいとばかりに努めて気にしない風を装って歩く。
「日和、そろそろ……」
校門を抜ける頃合いになると、周囲の人影はぐっと多くなる。流石にここから先も同じ体勢のままで進むと、色々とあらぬ噂を立てられるだろう。
日向の一声に、日和はハッとなって手を離す。
「ご、ごめんなさい……!」
何を謝る事があるのだろうと思うけれど、とりあえず気にしていない事を示す為に日向が笑顔で首を振る。
「それより、今日から日和達も準備でしょ。頑張って面白い物を作ってね、見に行くから」
「そうですねー……私達一年は初めての学校祭なので、皆張り切ってます。あかりなんて……」
言い掛けた日和は、その続きを口にする事はせず、ただ何か面白い事を思い付いた、という様にほんの少しだけ口角を上げて笑った。
「牧瀬さん? 張り切ってるの?」
「んー、張り切ってると言えば、張り切ってます。後は、その後のお楽しみで」
「え、なにそれ……凄い気になるんだけど……」
日向の追及をひらりとかわし、日和は自分の下足箱方面へと足を向ける。
「ふふ……それでは、私はこれで。恥ずかしかったけれど充電たっぷりなので、今日は一日頑張れそうです」
ぴっ、と敬礼の様なポーズを取って日和が駆け出す。去り際に見せた笑顔は破格のもので、いつもあんな笑顔を向けていたら周囲の男子陣はそれだけで日和を特別扱いするだろう、そのぐらいのものだった。
「おう、新垣、おはよう」
「うん。おはよう」
教室に着いた日向へと真っ先に挨拶して来たのは、入口付近で他生徒と雑談をしていた秀平だった。日向も秀平と、そして傍に居るクラスメイトに軽めの挨拶をして席に向かう。
最初こそ戸惑っていた変化だったが、流石に何日か続くと慣れてくるものがある。そもそも日向は元からコミュニケーション能力に難があって一人で居た訳では無いので、ある種正常な状態に戻ったとも言えた。
気持ちの良い挨拶を終え、席に着こうとした日向の背中をバシッと衝撃が襲う。
「いった……っ!」
「おっはよー新垣君! 今日から戦闘準備だよ、もっと気合入れていくよー!」
後ろを振り返ると、唯が掌を日向に向けて笑っていた。
その後ろでは、一緒に登校して来たのであろう悠里が顔を引き攣らせながらも日向に手を振っている。見ている側からでも十分な勢いだったらしい。
「おはよう日向君、背中大丈夫? 凄い音がしたけど……」
「お、おはよう……悠里……」
「止められなくてごめんね……日向君の背中を見付けた瞬間に、唯が腕を振りかぶったから……」
虫が居たから思わず払った、みたいな言い方をされて少々傷付く。勘違いだったらどうするつもりなのか気になったが、勘違いだったとしても舌をペロリと出して終わるだろう。
「いや、いいよ……恵那さんの行動を先読み出来る人間は、多分この学校には居ないから……」
もしもそんな人間が存在したとしたら、きっとその人は思慮深く、そして寛大な人間に違いない。
日向が心の中でそう呟くのが聞こえた訳では無いだろうが、唯が一瞬だけ日向の隣の席を見たのに気付く人間は居なかった。
「日向君にしては、今日はちょっとゆっくりだね。朝は忙しかったの?」
言われて時計を見ると、いつもより十分程は遅いだろうか。誤差の範囲と思うかは微妙な所だろう。悠里の疑問に、日向は何と答えればいいのかと一瞬迷う。
けれどその答えを出す前に、唯が日向に向かってクンクンと鼻を鳴らして寄って来ていた。
「女」
「………え?」
「……女の匂いがする」
冗談だろ、と日向が戦慄していると、唯は更に鼻を近付ける。
そしてゆらりと顔を上げると、口角を上げてニヤリとした顔で日向を見た。
「幼馴染同士で仲良く御登校したのですね? 日和ちゃんの服と同じ匂いがしますなぁ……」
「匂い、覚えてるんだ!? っていうか分かるんだ……」
ここまで来ると、もう冗談でも何でも無く、そして女の勘だとかそういう次元でも無い。
距離が近かったとしても、密着していた訳では無い日和の匂いを嗅ぎ分ける恵那唯という少女の規格外な部分を垣間見た気がした。
「朝、ちょっと通学路で会って、そのまま一緒に来たんだよ」
「成程、それで日和ちゃんの歩幅に合わせていたらゆっくりになったと。適当に言ってみるもんだなー」
思いっきりカマを掛けられたらしい。規格外なのは嗅覚では無くやはり頭脳、それが唯であったと認識を改める。悠里が困った顔で盛大に肩を落とした。
「唯……趣味悪いよ……」
「そんな事言って、あんただって興味津々って顔してたけど」
「そこまで顔に出てないでしょ!」
「そこまで」
「…………」
唯の追及に悠里の目が泳ぐのを見て、日向はちょっとだけ悲しい気持ちになる。完全な味方が居なくなってしまった。
けれどまぁいい感じに重要な部分を唯がミスリードしてくれていたので、日向としては少々助かった部分もある。
日和は歩幅こそ狭いが、歩く速度は速いのだ。単純に運動能力が高いのもあるのだが、本人が割と淡々と歩くのと、加えて言うなら小さい頃より日向の後ろをヒヨコの如くくっついて歩いてきたので、男子が歩く速度程度なら悠々と付いて来れる。
なので、ゆっくりになったのは日和の歩幅が小さいからではない。日和が僅かな時間を慈しむ様にゆっくりと歩いた為だ。
かと言ってこんな事をぶちまけようものなら、目の前に居る頭脳を持った虎みたいな少女の餌食となるのが目に見えている。
そのまま平穏に『この話題は終わってくれ』と日向が願うのも虚しく、唯が更に追及を深めようとした時。
「ういっす」
と、背後から雅の声が聞こえて来た。
「雅、おはよう。ギリギリだったね」
「おはよう成瀬君」
これ幸いと日向が頷いて挨拶を返すと、続いて悠里も軽く手を振って挨拶をする。
そして何故だか、唯が「ちっ……」と舌打ちをすると、先程までの威勢はどこへ行ったのか、すごすごと椅子を引いて自分の席へと腰掛けた。
「………なんだね? 話の腰を折っちゃったかね」
自分が割り込む事で微妙な雰囲気になってしまったかと雅が頭を掻く。
雅は曖昧に笑う悠里と、そして安堵した息を吐く日向を見て、最後に面白く無さそうな表情の唯を見る。
「恵那、何の話を……ぐおっ……! こいつ、脛をつま先で……!!」
「うっさいなぁ、あんたには関係無いでしょー!」
傍に寄って来た雅の疑問を、唯が文字通り片足で蹴飛ばした。
その日の授業は、どこかクラス中がそわそわとしていて、授業中の集中力もいつもより五割減といった様子で進んだ。
放課後になると一同は掃除を手早く終わらせ、机を小グループに分けて編成して各作業班毎に座る。準備といっても物が無ければ作業にはならない。今日は大半の人間が買い出しに出る事になるだろう。
教室内の装飾や衣装等、複雑過ぎない物は手作りに。小物等で安く仕入れられるものなら、百均に行けば大体の物は揃っている。
「各班で買い出し班を作成して……全員で行かずに、必ず一人は学校に残った方がいいと思う。内装作る時に教室の寸法が必要になると思うからスケールを用意しておいて下さい」
「何処に行けばいいんだ?」
「用具類については、それも買い出しで。ただ誰かの家から借りられそうなら、その方が良いと思う。その場合は無くさない様に管理を徹底して」
全体の進行、各班への基本的な注意事項や、日向なりに考えられるアドバイスを踏まえて作業工程を固めていく。
無論の事、日向に分かる範囲というのは決して多くは無いので、内容の確認と把握が第一優先となる。
「衣装班からです、何人かサイズ目安で採寸するので、呼ばれた人はご協力お願いしまーす」
「領収書って俺、書いて貰った事ねぇよー……分かる奴、一緒に来てくれ!」
衣装班、買い出し班から次々と声が飛び交い、教室の中が段々と慌ただしくなってゆく。
クラスメイト達は思った以上に行動が早く、連携も悪くない。
(流石に二年生、一年の時に大まかな流れは掴んでるから、行動に迷いがあまり無いな……)
誰それが何をして何を買うのか、作るのか。飛び交う言葉や直接日向へと報告をしてくれる班長達の言葉を、手元の進捗表に埋めていく。
途中、悠里がメモを持ったまま日向の元へと訪れた。
「日向君、テーブルは机を六つずつを計二席、四つずつを四席、二つずつを六席で用意するって。これでいい?」
「机の合計が……丁度四十か、会計やその他でも使うから全部削るとマズいかもしれない。二つずつの小テーブルは三つに、四つの中テーブルも三つにしよう。八席あれば十分対応出来ると思う」
「うん、伝えてくる。……日向君、大丈夫? 私、書記やろうか?」
内装班からの伝達を日向へ伝えた悠里が、日向の手元を覗き込んで心配そうな表情を向ける。
多人数相手に相談を受け持ち、かつ手元の進行表を記入していく日向は先程から休む事が無く動き続けている。
「いや、大丈夫だよ。書きながらの方が考えが纏まるんだ。……悠里は、今みたいに内装班で纏めてくれると助かるな、男子だけで内装やるより、女子が中心になった方がデザイン的にも良さそうだ」
「そう……? なら、いいんだけど……でも手が足りなかったら、絶対に言ってね」
「うん、ありがとう。ちゃんと頼らせて貰うから、その時はお願い」
悠里と話しながらも、合間に入ってくる報告を間違える事無く手元の表に数字や内容を書き込む。日向の暗記力と注意力があってこそ成せる事だった。
「聖徳太子系男子……」
「非常に徳が高そうな役職をありがとう……でもまぁ、この通りまだ余裕はあるから、大丈夫だと思う」
「そだね……私だと書くのが遅くて逆に困らせちゃいそう。それじゃ、行ってくるね」
日向の言葉に一応の納得を見せた悠里が、持ち場へと戻っていく。
クラス委員側も、日向を除く三名は持ち場がそれぞれ決まっており、雅は小道具大道具を作る作業班、唯は食品担当班、悠里は内装班へと出向している。
衣装班には沙希や麗美、柳も雅と同じく作業班に居る為、各セクションとの連携は非常に取り易い状況ではある。
(流石に……初日が一番やる事が多いな)
テーマや内容こそ決まったものの、作業はほぼ手探りに近い。一度軌道に乗せてしませば、後は日数を掛けて作成する物や必要になる物資が分かる為、舵取りがし易い状況になる。
つまり今日を含めて数日で土台をどれだけ固められるかが、最初の勝負所だった。
気が付けば時計の針が午後の五時近くを指しており、日向はここから連絡会へ出席する為に教室を離れなければいけない。
「雅、俺はこのまま連絡会に行くから、後は御免……宜しく」
「あいよ。買い出し班戻って来たら、そのまま全員帰しちゃうか?」
「うん、スケジュールは余裕持ってるし、それぞれの家から借りられる道具とかが無いと進められない作業あるしね。今から目一杯居残りしてやる必要は無いと思う」
「そんじゃ五時半目安にして全員帰しちまうぞ。お前はどんぐらい掛かるんだ?」
雅からの問い掛けに、日向は手元の進行表に目を向ける。
「多分、三十分程度じゃ終わらないと思う。こっちは気にせず、雅達も帰宅しちゃって」
全クラスの委員と生徒会が顔を合わせ、内容の確認と進捗をチェックするとなれば恐らくは一時間は越えるだろうと予想する。
「まぁ、それもそうか。了解了解っと」
「悠里も、恵那さんもね。先に抜けちゃって悪いけど……」
出来る事ならこのままクラスで一緒に皆と初日の熱を共有したまま帰宅したい気持ちが無い訳ではなかった。
しかし、ここから先が日向の責任であり、そうである以上は友人達に後を託して勤めを果たすのが役目だ。
「……うん。日向君も連絡会頑張って」
言いながら先程と同じ様に心配そうな顔を向けて来る悠里へ、日向は笑って頷く。
大丈夫、と返事をしそうになって今朝方の蕾を思い出す。あの様子だと、帰宅した後は普段よりもべったりと甘えてくる可能性がある。
「仕事して帰ってから育児をする、世の中の働くお母さんの気持ち、少し分かったかもしれない」
「………蕾ちゃんの事?」
「朝方、ちょっとだけ拗ねてたから……帰ったら機嫌取らないと、かも」
「あー……ふふ、そういう事ね。私は蕾ちゃんの味方なので、そっちに関してはノーコメントにします」
蕾の事が絡むと話は別だ、とばかりに悠里が少しだけ意地の悪い笑みを浮かべてそっぽを向いた。
「疲れ切ったらあたしか悠里が膝枕してあげるから、存分に体力使い果たしてもいいんだよん?」
横合いから、唯が日向を挑発する様にスカートの裾を指先でちょんと摘んでわざとらしく囁く。
反射的に視線を誘導され、慌てて目線を逸らした。
「それは後々、夜道が怖くなるから遠慮したいな……」
「へへ……。まぁ本気でヘバったら、ちゃんとサポートしてあげるから。さ、我らが代表! 戦地へ赴くんだ!」
掛け声と共に背中をバシッと叩かれ、日向は生徒達の喧騒が響く教室を後にした。
掛け合いは書いてると楽しみ……。
以前投稿したものより、ちょいちょい内容を変えてお届けしております。
十二月中に終わるかな……終わらせられるといいな……。