とげ
(若林のN)「何故出さなかったのだろう?そうだ、
その頃の日記を見てみれば分かるはずだ」
ノートをめくる音。
(杏子)「切手を貼ってこれでよし、と」
階下で電話の音。音止む。
(下宿のおばさん)「杏子ちゃん!電話!」
テレビの音が聞こえている。
(杏子)「(階上から)はーい」
階段を下りる音。足音奥へ。
(杏子)「(奥で)もしもし・・えっ、分かりました」
足早に足音近づく。
(杏子)「(不安げに)おばさん」
(おばさん)「どないしたん?」
(杏子)「母が倒れたので今すぐ広島へ帰ります」
(おばさん)「そりゃたいへんや。はよかえり」
発車のベルの音。
(駅のアナウンス)「三番線より広島行き夜間特急宮島が発車いたします」
夜行列車の単調な音が続く。
(杏子のN)「資格てなんでしょう。人と人とのふれあいの中で、
資格って何なのですか?人を好きになったり愛したり、あるいは
愛されたりするのに資格がいるのでしょうか?私に会う資格がない
とおしゃるのは、きっと若林さん自身のプライドとの戦いなので
しょうね?よく考えてみればあまり大した事のない些細なことでも、
その人にしてみれば大きな大きなとげなのでしょうね。時が来れば
とげは跡形もなく嘘のように消滅してしまうかもしれません。最近、
私の心と体の中の小さなとげに気付かされました。小さなとげなら
そのうち自然に消えていく。悪いとげなら、もしかして毒を持った
とげなら、必ず私を食いつぶしてしまう。このとげを持った人間には
人を愛する資格も人に愛される資格もないのでしょうか?いつか
若林さんに確認してみよう」
踏み切りの音。列車の音がずっと続いている。
(車内アナウンス)「まもなく終点広島です。山陽本線くだりは
1番ホームから岩国行き・・・・・」
アナウンスの声遠ざかり消える。
(若林のN)「杏子は母親が退院するまでの1ヶ月間広島にいた。
父の食事の世話をしながら毎日看病に通った。結局その年の暮れも
正月も杏子は広島にいたのだ。だから、手紙はそのままになったのか」
近づく足音。ノックの音。
(杏子)「はい」
(婦長)「柴山さん、ご機嫌いかがですか?今日退院ですよ」
(杏子と母)「ありがとうございます」
(婦長)「もりもり食べてもっと元気になってください」
(母)「はい、もりもり食べます」
みんなの笑い声。