杏子の父
ゆっくりと歩き出す音。
(宮本)「私のかってな決めつけじゃないわ。
彼女が入院した時お父様から若林君の居所
分かりませんか?連絡つきませんかと訊ねられたの。
あなたの実家にも連絡して秋口に海外へ飛び出したきり
全く連絡がつきませんとのことだったわ。ねえ児玉君?」
(児玉)「ほうよ。ほんまじゃのー。会いたがっとったんじゃのー」
(宮本)「そうよ。ほんとに会いたがっていたのよ」
(若林)「分かった。どうも俺が悪かったような気がしてきた。
それで、なにかな?杏子は何をいおうとしたのだろうか?」
(宮本)「若林君、あなたってほんとに鈍感ね。言うんじゃなくて、
言って欲しかったのよ。たった一言」
(若林)「ひとこと?」
(宮本)「そうよ。好きだって」
(若林)「そんなこと。(おどけて)いくらだって言えるよ。
好きだ。好きだ。好きだ。ほら?」
(宮本)「そうじゃなくて。心を込めて。一言でいいのよ」
(若林)「よくわからないなあ」
(宮本)「だから男は鈍感って言うのよ」
足音がつづいている。
(児玉)「あ、この寺がそうじゃ」
砂利道の足音。
水道、手桶に水を入れる音。
(児玉)「宮本さん花もってえや。若林、この手桶、ほれ。
わしゃ線香に火点けるけえの。右の一番奥のとこらへんじゃ。
柴山て書いてあろう」
砂利の足音。手桶の音。
(若林)「あれ、この新しいの違うみたいや」
(児玉)「ああけむた。その新しいのんは去年亡くなった
お母さんのじゃろう。真ん中が杏子の墓。一番奥のんが
兄さんのじゃろうて」
(宮本)「そうよ。今はもうお父さん、お店を閉めて
お一人で暮らしておられるそうよ」
墓石に水をかける音。
(児玉)「さあ三人で祈ろうか」
(若林)「ああ」
(宮本)「ええ」
小鳥のさえずり。
静寂が続く。
砂利をふむ弱々しい足音が近づいてくる。
足音止まる。
(杏子の父)「こんにちわ」
(若林のN)「男の人の声に振り向いて驚いた。
そこには今にも倒れそうな白髪の老人が、重そう
な包みを持って立っていた」
(三人)「こんにちわ」
(杏子の父)「よく来てくれました。あなたが若林さん
でしょう?これを渡さないかんかったのです。娘の
形見ではありますが、この日記と手紙だけはあなたに
お渡します。どうか、受け取ってください」
包みを渡す音。
(若林)「え、あ、はい」