ベナレス
鼓動と衝撃音が大きくなり少し早まる。
(杏子のN)「12月に入りました。きっと手紙が来ます。
絶対来ます!私は直感で分かるのです。えいっと指を鳴らすと
ポストに手紙が入って輝いているんですよ」
鼓動と衝撃音さらに早まる。
(杏子のN)「手紙はまだでしょうか?間違って京都に
送ったのでは?広島の住所は知ってるはずなのに」
鼓動と衝撃音急激に高まる。
(杏子のN)「もうだめ!私死ぬ。手紙はまだですか?
必ず来ます。絶対来る!父に噛み付きました」
鼓動と衝撃音、最高に達する。
(杏子のN)「ああ、もうだめ。何がなんだか分からない。
手紙来てるはずよ!お父さん見てきて!」
鼓動と衝撃音ぴたりと止む。
遠くから駆ける足音が近づいてくる。
声が近づく。
(父)「(大声で)杏子!若林さんからの手紙が来てたぞ!」
手紙を開ける音。
(父)「ほら、若林さんからの航空便だ!」
(若林のN)「父に支えられ必死に起き上がる杏子。もう視点が定まらない。
手に持とうとするが持ちきれない。父、しっかりと封筒を杏子の手に握らせ、
手紙を読み始める。杏子は無表情で耳を傾けている」
(父のN)「杏子さんお元気ですか?僕は今インドのベナレスにいます。
ヒンズーの人々は朝早くから沐浴し祈りをささげています」
(若林のN)「父が杏子に分かるかと確認している。
杏子はかすかにうなずいた」
ボートのオールと波の音が単調に続く。
遠くで烏の声。
インド人たちの祈る声が聞こえる。
(若林のN)「杏子さんお元気ですか?僕は今インドのベナレスにいます。
ヒンズーの人々は朝早くから沐浴し祈りをささげています。12月でも30度
を越える蒸し暑さです。昨日この河を上る観光ボートに乗ってみました。
濃い深緑色を帯びた流れは非常にゆったりとしていて、どこまでも神秘的で
奥深いガンジス河そのものでした。ボートから見えるガートと呼ばれる階段は
所々途切れていて白い砂地になっています。何ヶ所か木組みの上に死者を白い
布に包んで荼毘に付しています。中にはとても小さいのもあります。
淡い煙が曇天の空に昇っていきます。