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埜雅佳

 埜雅佳と言う人を知っていますか。知らない。そうでしょう。その人は大変美しかったと記録にあります。

 といっても、この物語がその記録。ほかにその人について記したものはありません。


 埜雅佳が生きた時代について、少しお話しましょう。


 昔、祖王という人が東の三角地帯に国をつくりました。都を若都と言います。それから百五十年下り、祖王から数えて五代目の王が成人をします。王には王名がなく、暫定的に陽極帝と呼ばれていました。陽極には妻がありませんが、后がねはありました。

 二歳年下のその娘も、十三歳のこの年成人をしました。楽星といいます。成人する時を待って、都近くの仮宮で幼い頃から生活しています。見目麗しいとの噂は、都中の人が知っています。

 しかし最近、都の人たちは「もっと美しい女がいる」と噂をしていました。

 これを知った陽極は、「後宮が欲しい。妻を迎えるのだから、女官がもっと必要だ。国中から美人を集めよ」と、下心の見え隠れするおふれを発したのでございます。


 それを受けて、若き内吏・龍は出世を夢見て美女を捜し歩いていました。西の山岳地帯に美女がいると聞いた彼は、黒都と呼ばれる城郭都市にたどり着きました。

 龍はまず酒場に行って情報を集めますが、そこで思いもかけないことを聞きました。

「なに? その娘は、今晩城主に妾入りすると?」

 なぜか酒場の者たちは悲しそうです。

 というのも、その娘は薬師で、よく酒場に来て悪酔いして倒れた者を助けてくれていたのだという。

「優しい子だったよ。さみしくなる」

「それで、いま、その娘はどこにいるんだ」

「たぶん水浴びに出ているんじゃないかな。妾入りするのだから」

「わかった、助かる」

「おい、その官服を脱いでけ。領主に見つかれば、若都の者は殺される」

「なぜ」

「この都が黒都と呼ばれるのは、城壁が真っ黒だからだ。なんども王に焼かれて、な」

「王に焼かれた? ああ、そうか」

 龍は官服をばさりと脱ぐ。

「ここは、反乱軍がおさめているのだったな」

 

 かつてこの国に、何秦王の妻で和秦女王という方がいました。何秦王亡き後、孤独に王位をついだ彼女を支えたのが、摂政の秀弓です。二人は協力して国を治めました。

 しかしそれに疑心を抱いたのが楽星の父、楽章でした。彼は臣をまとめ、秀弓を追い落としました。

 それに怒った者たちが兵を挙げたのが反乱軍の始まりです。

 いまでは、制圧され黒都も静かですが、休火山のようなものであることを誰もが知っていました。


 龍は人に訊ねながら、池までたどり着きました。

 木の枝に、裳がかかっています。水音がします。どうやら、今、誰かが浴びているようでした。

 きっと例の女に違いない。

 そうっと、好奇心に負けて茂みからのぞくと、長い髪の女性の後ろ姿が見えました。

 線の細い姿に、おもわず「折れそうな」と呟く龍。白い背中が、暗い池の水面に映えています。しんと静まり返り、木の葉だけが水面を滑ります。

「あ!」

 水蛇が女性の背後に忍び寄ってます。とっさに、龍は飛び出して女性に叫びます。

「あぶない!」

 そのとき。

 女性はばっと振り向くとぎっと龍をにらみ、そうかと思うと怪しく微笑んで、蛇にかんざしを投げつけました。鮮血が水を赤く染めます。女性はすとんとした胸をさらし、それからかんざしを引き抜くと、黒く重そうな髪をまとめあげました。

 その流れが、一様に異様でした。

 龍は蛇に飲み込まれてしまったように、ぴくりとも動けずにいます。

「見かけない顔の人ね。悪いのだけど、ちょっとだけ後ろをむいてくださる? 服が着れないわ」

 優しい声に、龍の胸がざわつきます。さっきまでの迫力は、どこに行ってしまったのかと。

 言われた通りにしていると、後ろで衣擦れの音がする。着替えているのだとおもうと、振り向きたくなったが我慢する。

 しかし耐えられなくなって、彼は彼女の手を掴みました。冷たい手でしたが、柔らかいので、いよいよ気持ちに収まりがつきません。血をみて少し、興奮しているようでした。

「なにをなさいます」

「何を——」

 はっとする龍。そう、王の後宮に入れる為に来たのだった。手を出せば殺されてしまう。

 龍は内心舌打ちをして、女性の手を離した。

「後宮に入ってもらうのだ」

「後宮に?」

 女性はころころと笑う。

「どうしてもなの?」

「もちろん」

「でもねえ」

「王命だ」

「——わかったわ」

 女はクスッと笑った。

 濡れた髪が、風に煽られて女の顔に張り付く。

 龍は必死だった。一風変わってはいるが、この娘なら寵愛を受けることがあってもおかしくない。むしろそれが必然と言わしめるだけの器量と美貌を持っているように思えます。なにより、宮廷で生き抜く冷酷さを、彼女は持っていると、そう、思えたのです。

 この娘を献上すれば、出世は間違いない。

 龍はうっとりと、娘を見つめます。

「名は?」

「雅佳」

 少女は、静かに微笑むのでした。


「雅佳はどこだ!!」

 急にどやどや声がして、近づいて来ます。

「亥虞修理さまがお待ちだぞ。さあ、こい」

 城主・亥虞修理の手の者たちでした。彼らは武器を持っています。

「どうしましょう」

「しかかたない」

 びしっと官服を来て、龍は王命である、と叫んだ。

「おうめい?」

「ばかね、そんなことをしたら、殺されるわ」

「しるか。王の威光が分からない者たちにもわからせるのが仕事だ」

 頭を押さえる雅佳でございます。

「なんでもいい、亥虞修理様のところへ引っ立てよう」

「なにをする」

「官府の人間なんて、くそくらえだよ」

 なす術なくとらえられ、二人は荷車に乗せられ、亥虞修理に屋敷へと運ばれて行くのでした。

 


 亥虞修理の屋敷は黒都の北にあります。荷車が通ると、一斉に屋根の鳥が飛び立ちました。

 門があき、龍は庭へ放られ、雅佳は居間に通されました。

「亥虞修理様、お連れいたしました」

 家人が言うと、奥からまぶたの肉と唇の薄い男がやって来ます。亥虞修理は部屋の戸を開け放つと、庭にいる龍をみました。

「よく、みておけ」

「な、何を……!?」

 狼狽する龍の目の前で、亥虞修理が雅佳の着物をはいで行くではありませんか。

「おやめくださいまし」

「変態!」

「なにをいう」

 最後の一枚をはいだ時、龍はあっと叫びました。

「やはり。そなた」

「男……?」

「恥ずかしゅうございます」

「女男?」

「ちがう」

 亥虞修理はまた着物を着せてやると、口を吸いました。

「ひ」

「わしの暗示が聞いているのだ」

「暗示?」

「この者はさる方の御子。生きていると知れれば殺される。だからわしは遠い昔、術師に頼んでこの者に暗示をかけた。女子である、と」

「さるお方?」

「そこの内吏よ。この者を宮中にあげよ」

「むりだ、男じゃないか」

「無理なものか、お前もだまされただろう」

「しかし」

「さもなくば、この場で殺す」

 龍は考え込んでしまった。

 男じゃないか、無理に決まっている。

 でも、この美貌。うまくすればお手がつく。そうでなくても、女官として出世するかもしれない。

 そうだ。出世するかもしれないのだ。

「わかった。いいだろう」

 取り繕って、龍が咳払いをします。

「そのかわり、何かあったらお助け願いますよ」

「野心家め」

「あなたこそ、なぜこの者を後宮に入れたいのですか」

「それはな、復讐じゃ」

「復讐?」

「この者は必ずいつか術から目覚める。その時、王の命はなくなるだろう」

「王の命が、亡くなる?」

「もうこれ以上話すことはない。もうじき夜だ。一晩泊まったならば、去るがいい」


 埜雅佳は、頼りなげに月を見上げるのだった。

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