神々の気まぐれ~選ばれし男~
「大丈夫だ・・・。大丈夫。僕は選ばれた男・・・。神に選ばれた男なんだ・・・。こんなところ失敗する訳ないんだ!」
N男はT大学へと続く街路樹をゆっくりと歩みながら、そう自分へと言い聞かせた。
今日はT大学の合格発表日。最難関と言われるこの大学の入学試験を突破することは並大抵のことではない。試験合格だけを考え続け、それ以外のほぼ全てのことを犠牲にして勉強に打ち込んできたN男にとっても、簡単なことではない。全国から同じように情熱を注ぎ込んできた猛者たちが集まる試験なわけで、その日のちょっとした状態、雰囲気などでも結果が変わってしまうような、ハイレベルな争いが行われるのだ。自分の解答結果には充分満足しているが、他の試験者が多数それを上回ってくれば、合格はおぼつかなくなってしまう。自分の受験番号を合格発表で確認するまでは、決して安心できないのだ。
そうは言っても、N男は自分が合格している事に対して揺るがない自信があった。いや、確信といってもいいかもしれない。自分は神に選ばれた男。T大学入学も必然のことなのだ、と・・・。
別に何かの宗教にかぶれてしまっているわけではない。こう思うようになったのには理由がある。これまでの人生の中で、何か決断しなくてはいけない時、神秘的な存在を感じ、良い方向へ導かれていると感じることが度々あったのだ。
最初に感じたのは小学校1年生の時だった。学校から家まで歩いて40分強の長い道程。友達とふざけて遊びながら帰るのは楽しかったが、帰宅途中で便意に襲われた時などは最悪だった。そう、腹でも下そうものなら・・・。その日N男はたまたま1人で帰宅していた(そのことがそもそも神の導きだったのかもしれない)。道半ばまで来た時に猛烈な便意に襲われた。近くに公衆トイレはないし、知らない家でトイレを借りる度胸などない。家までなんてとてももたない。どこか目立たない場所で放出してしまうしか手はないが、ここは通学路、周りに帰宅する子供の姿はないが、いつ飛び出してくるかわからない。いや、それよりもう我慢できない。どうしよう・・・頭が真っ白になりお腹の力も抜けてしまいそうな時に、その声は聞こえたような気がする。
「その木の陰だ!」
5メートル程離れた道路脇に大きな杉の木が1本立っており、その後ならかろうじて人目を避けられそうだった。聞こえた(ような)声に後押しされるように木陰に駆け込み、腹痛の原因を思いっきり発射した。後始末を手早く済ませ、何食わぬ顔で道に戻る。角を曲がって3人の女の子が楽しそうにおしゃべりしながら姿を現したが、大丈夫気付かれてはいない。セーフ!危なかった!学校帰りの道端で野グ○なんてしたことが知れたら。格好のイジメネタを提供してしまう。間一髪のところでそれを回避できたのは、突如聞こえた(頭の中に浮かんだ)声のおかげだ。何だかよくわからないが、何かに守られている気がした・・・。あまり人に言えるエピソードではないが、これが最初の体験だった。
その後も、大事な局面でしばしば同じようなことが起こった。学校で先生に怒られそうになった時、街で不良に絡まれた時、車に轢かるのを危うく避けられた事もあった。いつしかN男は確信した。自分は選ばれた人間、与えられた何かの目的を果たすために神様が導いてくれているのだ、と。ただN男は取り立てて才能があるとは思えない平凡な子供だった。強いて言えば学校の成績がやや良いくらいで、それでも中の上といったところか。他に取り柄はない。きっと、もっともっと勉強して偉くなることが自分に与えられた使命なのだと思い込んだ。そして、その勉強にN男は心血を注いだ。他の全てを犠牲にして勉強に打ち込んだ。自分が選ばれた人間だということをひたすら信じて、勉強漬けの毎日を送った。そうした中でも、要所要所であの声が聞こえ、正しい方向へ導かれていると感じた。N男は益々勉強に集中し、そして超難関T大学の入学試験を受け、本日の合格発表を迎えたのだった。
「僕が落ちているなんてありえない!」
そうは思っていても、T大学の赤い門が見えてくると、N男の胸の鼓動はかつてない程のアップテンポで暴れだした。全身からいやな汗が噴き出してくる。
「大丈夫・・・。大丈夫だ。僕には与えられた使命があるんだ・・・。ここで失敗なんてするはずない!」
ともすれば早足になってしまうのを、懸命に抑えながら、できるだけゆっくり赤門をくぐる。そのまま少し歩くと人だかりが見えてきた。合格者が張り出された掲示板前だ。
一歩また一歩と掲示板に近づきながら、N男はいやな予感を押さえ切れない。今までなら、こういった大事な場面では、あの声が聞こえてきて「大丈夫だ!」とか、「心配するな!」とか言ってくれたのだが、今日に限って音沙汰なしなのだ。
「まさか・・・ね。」
不安を感じながらも掲示板の前に辿りついたN男。意を決して掲示板に目を向ける。
飛び込んできたのは「822」の数字。N男の受験番号だ!
「あった・・・。」
しばし呆然と掲示板を見つめていたN男だったが、じわじわと喜びが込み上げてきた。
「やった!やったぞ!僕は受かったんだ!」
在校生と思われる集団が寄ってきて、合格祝に胴上げをしようと話しかけてくるのを、曖昧に断りながら、N男はその場を離れた。確かに合格はした。だが、僕の目的は合格じゃない。その先にある「何か」を為し得るために、僕はT大学に入学するんだ。むしろこれからが大事なんだ。そんなことを考えながら、駅に向かってもと来た道を引き返す。そうは言ってもこれまでの苦労がひとまず報われたのだ。喜びは隠し切れない。駅に向かう途中の横断歩道で、前から何か考え事をしながら歩いて来たぼさぼさ頭のおやじにぶつかられたが、そんなことは些細なことだ。おやじははっとしたが謝りもせず、そそくさと立ち去ってしまったが、今ならどんなことでも優しく受け入れられる気がする。N男は合格を確認するまでの極度の緊張から開放され、軽やかな足取りで家路についた。明日から新しく始まる、与えられた使命を果たすための輝かしい日々を信じて。
しかし、N男に輝かしい未来は来なかった。布団の中で冷たくなっているN男が発見されたのは、合格発表の翌日夕方だった。外傷や争った形跡もなく、かといって自ら命を絶ったとも思えない。結局、警察は自然死と断定・処理されたが、立ち会ったアパートの管理人によると、口元に微笑を浮かべたその姿は、ただ気持ちよく眠っているだけのように安らかで、何かを成し遂げた後のような満足感にあふれたものであり、役目を果たし終えたものが、まさに眠るように天に召された、といった印象だったという。
時は流れて十数年後、超高級ホテルの一番大きなホールにおいて、記者会見が行われていた。数多くの記者・カメラマンが集まっており、その熱気でホール内の熱気はすさまじいものになっていた。それもそのはず、ある学者が時間の概念を覆す画期的な公式を発見し、その公式に基いて試行錯誤を重ねた結果、ついにタイムマシンを完成させることに成功したのだ。きょうはその発表日で、全世界が注目するイベントなのだ。主人公の学者はぼさぼさ頭の初老の男性で、よれよれスーツを着て、ぼそぼそとしゃべるその姿は、とても世紀の大発明を発表する人物とは思えなかったが、会見場にいる誰もが彼の発言を一言も聞き逃すまいと、全神経を集中させていた。会見はタイムマシンのシステム概要の説明が終了し、質疑応答が行われていた。そこかしこから質問を求める声が飛び交い、まだまだ会見は終わりそうもない。
「博士!このタイムマシンを完成される基になった画期的な公式、この公式を導き出した経緯についてお聞かせ下さい!」
「経緯ですか・・・。これはそう、忘れもしません。今から15年ほど前のことですが・・・。この公式のことはそれ以前からずっと、それこそ学生の頃から頭の中にはぼんやりとあったのですが、どうしても結論を導き出せない。考えても考えても答えには辿りつけず、月日ばかりが過ぎていきました。あの日もこのことを考えながら、街をふらふらと歩き廻っておりました。私は考え事をする時によくそうするんです。ただいつも、この公式の答えにはどうしても辿りつけない。苦しんで、苦しんで、いつものように考えるのを止めようとしたその時、前方から歩いて来た学生さんと正面からぶつかってしまったのです。
その時です。その時なんです。本当に、本当に湧き出るように答えが頭の中に浮かんだのは・・・。私は研究所に飛んで帰り、公式を完成させました。その後もタイムマシン完成までには様々な苦労がありましたが、公式を導き出すまでの苦労に比べたら、なんてことはありませんでした。あの時、あの学生さんにぶつからなければ、或いは公式は完成せず、タイムマシンも出来上がってはいなかったかも知れません。あの場所でぶつかることは、神様のお導きか、またはあの学生さん自身が神様の使いだったのではないかと、信仰心をそれほど持ち合わせていない私でも考えざるを得ません。それだけあの時の学生さんには深く深く感謝しております・・・。」
遥か上空でこの記者会見を見下ろしながら、2人の天使がほっとしたように話している。
「タイムマシン、やっと完成したね。」
「そうだな。いろいろと紆余曲折あったが、エンディングまで辿り着けて何よりだ。人間どもが思うように動いてくれず、一時はどうなることかと思ったが・・・。」
「せっかく色々教えてあげてるのに、ちゃんと聞こえてるのかな?」
「耳で聞いてるわけじゃなく、心で感じているものだからな。全てが伝わっていなくても仕方がない。」
「はっきりと教えてあげたほうがいいのに。」
「人間が自らの意思で動き、考え、生きているように見せる、というのが、神が創ったルールだからな。我々はそれに従うまでだ。」
「でも、こっちの声が聞こえていた人間もいたよ。」
「あいつか・・・。極まれにやつのような、こちらの声を聞くことが出来る人間が出てくるのだ。不思議なものだな。」
「それは神様がわざとやっているの?」
「さあな。ただ本人は満足なんじゃないのか?事の大小はあれ、必ず一つは役目を与えられているのにそうと気付かず、ただ漠然と生きている人間どもが大半の中、重要な役目を持っているかのように我々の声を聞き、導かれていることを実感できていたのだからな・・・。」
理想とするのは、星新一先生です。
そんなことを言うレベルでは到底ありませんが、ご一読後に感想等いただければ幸いです。