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ステロイドの猛禽 世界J・ウエルター級王者 アーロン・プライアー(1955-2016)

作者: 滝 城太郎
掲載日:2025/10/13

一見ドタバタして不器用そうに見えるが、いかなる相手にも対応できる柔軟性があり、ステディなボクサーを変則的な攻撃で仕留める巧さは際立っていた。メイウェザーが数あるビッグネームの中からプライアーを上位に選んだのは、同じ階級で戦える相手だけに、自分ならどう戦うかシミュレートした結果、しっくりくる答えが出なかったからかもしれない。'80年代中量級スターウォーズの中では最軽量だったがゆえにビッグマッチに恵まれず、レナード、デュラン、ハグラーらより格下に見られがちだったが、同じ体重なら、私はプライアーをNo1に推す。

 「ホーク(鷹)」の名で恐れられたアーロン・プライアーは、一九八〇年代の四角いジャングルに舞い降り、並み居る対戦者たちを血祭りにあげた「リングの猛禽」だった。

 モントリオール・オリンピックの選考にこそ漏れたものの、アマチュア時代からプロ向きの好戦的なファイターとしてその名を全米に轟かせていたプライアーは、同時期のライバル、シュガー・レイ・レナードより九ヶ月遅く、トーマス・ハーンズとは全く同じ日に世界王座にたどり着いた一九八〇年代の中量級を代表するスーパースターである。

 プライアーの特徴は三百戦を越える豊富なアマチュア歴があるにもかかわらず、ストリートファイトのような無骨なボクシングに徹していることで、スピードを生かしたハイセンスなボクシングを身上とするレナードやハーンズとは一線を画していた。

 一七〇cm足らずのプライアーは、胴長短足で中量級ボクサーにしては小柄である。尻を突き出すようにして相手を追い回す姿はいかにもドタバタしていて、一見すると隙だらけのようだが、オープンワイドで次々と繰り出されるフルスイングはパワフルかつワイルドで、当たらなくとも相手に恐怖感を与えるほどの迫力があった。


 レナードやハーンズはプロではウエルター級でスタートしたうえ、随時階級を上げていったため、J・ウエルター級のプライアーとはプロでは対戦の機会がなかったが、アマチュア時代にそれぞれ一度手合わせしたことがある。もっとも、レナードとはスパーリングだけだったが(一九七五年)、両者とも相譲らぬ素晴らしいファイトだったらしい。

 一方、ハーンズとは公式戦で対決している。

 当時は二人ともライト級で、ハーンズは十五センチほど上背が高くリーチも比較にならなかったが、体を揺すりながらベタ足で接近するプライアーは、トリッキーな動きでハーンズのジャブを巧みにかいくぐり、あっという間に距離を詰めてしまう。フットワークのいいハーンズは、ガードを固めて右に左にステップを踏みながら、体を入れ替えようとするが、頭から飛び込みざま、振り子のように繰り出されるプライアーのフックは、長身のハーンズが仰け反るようにスウェーしても、側頭部を捉えるほど伸びがあった。

 ショートレンジでの打ち合いになると長い腕を持て余し気味のハーンズは、回転の速い連打をボディと頭に打ち分けるプライアーから顎を守るのが精一杯で、単発のカウンターではとてもラッシュを防ぎ切れない。

 とにかく打たれ強く、空振りしてもほとんどスタミナの消耗が見られないプライアーの肉弾アタックには、さしものハーンズも完全に腰が引けていた。アマチュアにしてはもったいないほどの黄金カードはスタンディングダウンを奪ったプライアーの圧勝だったが、もしこれがアマチュア用の十オンスでなくプロ用の八オンスグローブであれば、ハーンズはKOされていただろう。プライアーの戦い方は上背のない選手が長身のジャバーを攻略する模範演技のようだった。


 プロ入り後のプライアーは、檻から解き放たれた猛獣のように凄まじいパワーで対戦相手を次々とキャンバスに沈めていった。衝撃度が違うプロのグローブでプライアーのパンチを浴びればこうなるのは陽を見るより明らかだった。ライバルのハーンズが二十八戦全勝(二十六KO)という驚異的なレコードで世界戦にたどりつけば、プライアーも二十四戦全勝(二十二KO)と負けてはいない。

 一九八〇年八月二日、WBA世界J・ウエルター級タイトルマッチでプライアーと対戦するのは、“キッド・パンベレ(大木の腕白坊主)”の異名を取るオールラウンド型のボクサーファイター、アントニオ・セルバンテス(コロンビア)だった。

 同級王座を通算で十六度も防衛しているセルバンテスは、長身から放たれる正確無比な右ストレートとカウンターの左フックで数々の強豪を撃退してきた「戦うチャンピオン」で、一時期はパウンド・フォー・パウンド最強の声もあった。

 日本の誇る“ハンマーパンチ”の藤猛を左手一本でさばいてみせた“アンタッチャブル”ニコリノ・ローチェ(アルゼンチン)でさえも、セルバンテスの執拗なジャブで目尻を切り裂かれ、プロで唯一のTKO負け(負傷による棄権)を喫しているほどだ。

 一ラウンドから猛ラッシュを見せるプライアーに対し、セルバンテスは鞭のようにしなる左で攻撃をさばきつつ、懐に入ろうとしたところに絶妙のカウンターを浴びせ、早くもダウンを奪った。

「やはり、セルバンテスは巧い」試合の序盤は観衆の誰もが、その卓越した技巧に酔いしれていた。

 ところがタフなプライアーは、かわされてもかわされても攻撃の手を緩めようとはしない。それどころかパンチの回転数をぐんぐん上げてセルバンテスを追い回し始めた。

 懐の深いセルバンテスは、序盤こそ長いリーチとフットワークを使って胡散臭げに突進をかわしていたが、低い体勢から体ごとぶつかってくるようなプライアーのボディブローを浴びているうちに次第に足元がおぼつかなくなってきた。

 四ラウンド、ロープに詰められたセルバンテスは大振りの右フックを避け切れず、コーナーに横倒しになるように崩れ落ちると、そのままカウントアウトされ王座から転落した。


 その後、連勝を三十まで伸ばしたプライアーは五度目の防衛戦で亀田昭雄と対戦する(一九八二年七月四日)。

 この時、プライアーは二十連続KO勝利中とノリにノっていたが、ガードの甘さは相変わらずで、これといった技術的進歩も見られないことから過小評価されていた。そのため、アマエリートからプロ入りした長身強打者の亀田は、あの程度の技術ならば勝てると考え、プライアーを対戦相手に選んだのである。

 一ラウンドから無防備に突っかけてくるプライアーに対し、冷静な亀田がいきなりカウンターでダウンを奪ったところまではよかったが、そこからKOを狙って打ち合いに応じたのが失敗だった。回復力の早いプライアーは、早くも二ラウンドにダウンを奪い返して流れを一気に手繰りよせると、あとは格下相手にレッスンを施しているかのように、余裕の試合運びを見せた。さらに二度のダウンを追加された亀田は、六ラウンドに精根尽き果て、プライアーの軍門に下った。


 プライアーのボクサー人生のハイライトといえば、何と言っても“三冠王”アレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)との二連戦に尽きる。

 日本のリングでもお馴染みのアルゲリョは、二十二歳でフェザー級チャンピオンになったのを皮切りに、J・ライト級、ライト級と階級を上げるごとに王座に就き、世界戦は七年間無敗、十九連勝中という掛け値なしの一級品である。パンチは左右とも強くどちらでも倒せるが、とりわけ左リードの使い方が素晴らしく、大抵の相手は左一本でもあしらってしまう。同時代の中量級では、レナードの閃光のようなジャブやハーンズの右ストレート並みの破壊力を秘めたフリッカージャブも素晴らしいが、ジャブ、ストレート、アッパー、フックと変幻自在のパンチを繰り出せるアルゲリョの左は、パワーだけでなく芸術的な美しさすら感じてしまう。その左を主体としたコンビネーションブローは、連打のスピードこそレナードに劣るものの、正確さと破壊力では明らかに勝っていた。

 アルゲリョの立場からすれば、プライアーはこれまで戦ったいかなるボクサーよりもタフで、長身でディフェンスに長けたボクサーも苦にすることなくマットに沈めてきた難敵だが、アルゲリョほどの強打者との対戦経験がなくガードの甘いプライアーにしてみれば、パンチのバリエーションが豊富なうえ、いずれのパンチもフィニッシュブローになりうるアルゲリョは最も警戒を要する挑戦者だったに違いない。

 多くのファンもプライアーの突進力は認めるものの、それはあくまでも一本調子であって、鉄壁のガードとクレバーさを兼ね備えたアルゲリョには通用しないと見ていた。勝ち続けても人気が出ず、ファイトマネーも上がらなかったのはその証だが、実直でボクサー仲間からも尊敬されるアルゲリョと比べると、前妻との離婚や家庭内暴力が原因で二番目の妻から発砲されるなど、トラブル続きのプライアーは“リングの問題児”でもあった。

 戦前の賭け率が十二対五で挑戦者が断然有利と出ていたのも、アルゲリョのボクサーとしての卓越性だけでなく、人間性も含めた総合評価の結果だったのだろう。

 一九八二年十一月十二日、アルゲリョは史上初の四冠を賭けてプライアーに挑んだ。

 一ラウンドからプライアーは、クリーンヒットを何発も浴びせ主導権を握った。アルゲリョの左リードにキレがなく、フェイントを交えたプライアーの速い動きに全く反応出来ない。ようやくアルゲリョらしさが出始めたのは五ラウンドからである。ところが打ち合いに応じるかと思われたプライアーは意外にも足を使ったアウトボクシングに転じ、強引には仕掛けてゆかない。

 十一ラウンドから十三ラウンドにかけてアルゲリョは勝負に出た。長丁場の経験がないプライアーのスタミナ切れを想定しての後半勝負だったが、いくらクリーンヒットを浴びてもプライアーは倒れない。明らかにダメージを受けているにもかかわらず、少しでも休めば盲滅法にパンチを繰り出してくるプライアーを前に、アルゲリョの目には戸惑いの色がありありと伺えた。

 終盤のラッシュで体力を使い切ったアルゲリョは、続く十四ラウンドにプライアーの連打でロープに釘付けになったところでレフェリーストップ。半ば意識を失っていたのだろう。レフェリーが二人の間に入った直後に、跪くようにその場に崩れ落ちた。

 

 一九八三年九月九日、誇り高きアルゲリョは、引退を賭けて再戦に臨んだ。前回の敗戦の原因をトレーナーの作戦ミスと決め付け、長年の知恵袋だったエディ・ファッチを解雇したが、これは大きな誤りだった。

 前回の完勝で賭け率も五対二と優位に立ったプライアーは自信に満ちていた。決して華麗なフットワークとはいえないものの、ベタ足のアルゲリョを左右に振っては斜角からガードの隙間にロングフックをねじ込んでくる。正攻法のアルゲリョはプライアーの変則的な動きが全く読めず、一ラウンドからダウンを喫する最悪の出だしだった。

 四ラウンドにもダウンを喫したアルゲリョは、この回のピンチをしのぐと次第に調子を上げ、八ラウンドにはプライアーをロープに釘付けにするが、ボディブローが低く反則を取られてしまう。中盤以降は単発ながら腰の入った右強打でプライアーをふらつかせるシーンも見られたが、一気に詰めようにも、すぐさま打ち返してくるため連打が出ない。逆にプライアーのコンビネーションはガードごと粉砕してしまうかのように強烈で、その衝撃の強さゆえにカウンターを狙うタイミングが計れない。

 十ラウンド、ロープ際で足が止まったアルゲリョにプライアーの集中砲火が降り注ぐ。思わずしゃがみこんだアルゲリョの意識はしっかりしていたが、すでに戦意を喪失しており膝を抱いたままテンカウントを聞いた。

「もし立ち上がったら、殺されるかもしれないと思った」

 あのアルゲリョを心底怯えさせるほど、プライアーの波状攻撃の圧力は凄まじかったのだ。


 全盛期のプライアーは、公式の場でレナードに挑戦したことがあるが、その時はデュランやハーンズとの対戦を計画中であったことを理由にレナードの方が拒否している。

 当時のファンの多くは、プライアーはレナードのスピードに追いつけず、とても勝ち目がないと見ていた。

 ところが二十一世紀のスーパースター、フロイド・メイウェザー・ジュニアが「プライアーの方がレナードよりグッドファイターだ」と発言しているように、プライアーの変則的ラッシュ攻撃を食い止め、なおかつ力でねじ伏せられそうな同時代のファイターと言えば、マービン・ハグラーくらいしか思いつかない。

 荒々しさが売りのファン・ドミンゴ・ロルダンや「野獣」ジョン・ムガビをじっくりと時間をかけて料理したハグラーの詰めの巧さにかかっては、プライアーといえども持久戦に持ち込まれたあげくにキャンバスを舐めるのがオチのような気がする。もっともミドル級に増量したプライアーでは、パワーが違い過ぎて勝負にならないかもしれないが。


 プライアーはアルゲリョとの第二戦までの八度の防衛戦を全てKOで片付け、二十六連続KO勝ちという脅威のレコードを残したまま一度引退を表明するが、翌年に撤回。看板選手が欲しかった新興団体のIBFからのオファーに応じてJ・ウエルター級王座決定戦に出場した。

 この試合、ニッキー・フラーノから開始早々二度のダウンを奪う上々の滑り出しだった。最初のダウンは回り込まれてバランスを崩したプライアーが、その体勢から伸び上がるようにして叩き付けた左フックがフラーノの死角から飛び込んできたもので、ダメージも深かったが、その後は攻撃が一本調子で十五ラウンドかかってもとどめをさすことが出来なかった。

 王座に復帰したとはいえ、試合が判定にまで持ち込まれるのは七年ぶりであり、タフな彼にしては試合後半の詰めが甘いところが妙に気にかかる一戦だった。

 翌年、ゲーリー・ヒントンとの二度目の防衛戦直後に二度目の引退を宣言する。この試合はアルゲリョ戦の時のスピードが見る影もなく衰え、ただフェイントとトリッキーなパンチでポイントを重ねるだけのダルファイトだった。


 一九八七年八月八日、二年ぶりにリングに戻ってきたプライアーは全く別人のようだった。

 二線級のボビー・ジョー・ヤングのパンチを避けられず、打ち返すパンチも弱々しかった。またたく間に顔面は腫れあがり、息をするのも苦しそうなプライアーは七ラウンド開始早々、ヤングの飛び込みざま

の右フックをよけようと体を入れ替えた瞬間、相手の肩で顔面を強打したような感じでいきなりキャンバスに尻餅を着いてしまった。

 一旦は起き上がりレフェリーの指示を聞いているように見えたが、何故か祈るようなポーズで片膝を着くと、そのまま立ち上がろうとせずカウントアウト。何とも不可解なKO負けだった。

 往年のライバルのあまりに無様な姿に言葉を失った解説席のアルゲリョは、試合後ドレッシングルームにプライアーを訪ねると、「もうこれ以上ファイトするのはやめた方がいい」と懇願したという。

 すでにプライアーはコカイン中毒だったのである。


 遡れば、アルゲリョ戦の頃からプライアーはステロイド使用の疑惑が持たれていた。アルゲリョの会心のブローを浴びながら、平然としていたばかりか、終盤激しく打ち合ったにもかかわらず、次のラウンドが始まるとそれがファーストラウンドかのようにぴんぴんしていたからだ。いくらプライアーがタフといっても、その姿には確かに違和感があった。

 一九八〇年代は東欧のオリンピックアスリートたちを中心にスポーツの世界にドラッグが蔓延した時期でもあった。男子百メートルのベン・ジョンソンや女子百メートルのフローレンス・ジョイナーが打ち立てた信じられないような世界記録はいずれもステロイド使用によるものだった。

 ただし、違法薬物の種類が限定されていた時期だけに、ジョンソンは記録の抹消と選手資格の剥奪という厳罰に処されながら、ジョイナーの使用した薬物はこの時点では禁止されていなかったため、いまだに世界記録は有効のままであるといった不公平も生じている(その後、ジョイナーは薬物使用による心臓疾患が原因で急死している)。

 ヤング戦の前もドレッシングルームでハイになったプライアーの姿が目撃されていることから、かなり中毒症状は深刻だったと考えられるが、この時点でのドーピング検査には引っかからなかったのだろう。 

 一時期は体重が四十キロ台にまで落ち込んでいたという噂もあったプライアーは、短期間で体を作り上げて試合に間に合わせたものの、あくまでも見かけだけで筋力までは元に戻らなかった。

 同時期のスーパースター、シュガー・レイ・レナードでさえも、一九八二~一九八六年までコカインを摂取していたことを後に告白したが、薬を絶ってからマービン・ハグラーを攻略している。

 その後も離婚などで財政的に苦しくなり再起を繰り返すが、一九九一年にコカイン売買の罪で有罪判決を受け、永久にキャリアを閉ざされてしまった。

プライアーの異常なまでのタフネスは禁止薬物のおかげかもしれないが、アルゲリョを攻め落とした時の果断なきラッシュをさばけるボクサーは現代でもいないだろう。個人的には、クリーンヒットを浴びてダメージが残っているはずの次のラウンドにケロっとした顔でいきなりラッシュをかけてくる姿が好きだった。「さっきは効いたふりをしてただけだよーん。ダメージなんてあるわけねーだろバーカ」と言わんばかりの形相のプライアーの姿に、優勢なはずの相手ボクサーが心なしか青ざめ、恐怖を感じているかのようなコントラストにゾクゾクしたものだ。

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