9『ダンテによる『神曲』の考察』
五、六年前からほぼ毎夜 夢を見ている。私はこれを半分の三年間と知覚しているが、そうでもしないと気が狂う。
五、六年前の私は最強だった。無敵だった。無限に夢想的で、無双していた。今に比べれば、という観点においてだから、その当時から見れば大したことは無かったのかもしれない。
どうかこれを若気の至りだと許して欲しい。私は(今もそうだが)誰よりも『特別』でいたかった。だから夢の世界でくらい、人生を緩やかにしたかった。だから異世界を望んだ。
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どうかこれを、若気の至りだと許して欲しい。(それを今は間違いだと知っている)
その異世界は──案内人である黒いモヤが言うには──生きている人々が一番行きやすい場所、死後の世界と呼ばれるところだった。人は死ぬと、草っ原に設置されたエスカレーターからこの世界に降りてくるらしい。
そこからもう少し歩いたところに寂れた駅があって、駅名は覚えていない。(後でたまたまその日につけていた夢日記を見返したところ『芦原駅』というらしい。久しくあの駅には行っていない)一時間に一本、四両編成で、420円で都市部に行ける。
凡そ一時間電車に揺られると、霧の向こうにその名の通り芦原があって、建物が見える。
死後の世界は『天国(真の善人が向かう。笑顔以外の表情を認めない世界。ここには少しトラウマがあって、二度と向かわないと決めている))』『芦原の中つ国(普通の人生を送ったものが向かう)』『地獄(犯罪者が行くところ。どこまでも灼熱で、骨と皮しか落ちていない)』がある。
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私はこの、『芦原の中つ国』を永遠に歩いている。
雨しか降らない、曇天しかならない空を憎んだ。それだけで済んだら良かったのに。肉を割くか裂かれるかを選ばされ、末恐ろしくなって逃げた先には、輪廻転生を待ち続ける狂った人間(まともな人間もいるにはいるが、数は少ない)しかいなかった。
黒いモヤが言うには、私達がいる世界と死後の世界は鏡合わせらしい。だから抜けることが出来るのだという。
鏡合わせであるから、景色はこの世界と似ていて非なるものだ。想像力と記憶で賄われているこの世界でも、ファンタジー建築を維持する為の精神はもたなかったらしい。
私はたった一つだけ恐れていることがある。
ずっとずっと、歩いている。恐らく私は国の中心に向かっているのだろう。だが、国の中心を見たとて、何になる?そこに何かあってもなくても、私には何も出来ない。関係ない。
夢はどんどん長くなる。黒いモヤと何かを約束してこの世界に来てしまった。その約束を果たさなければ、私は出られないのではないか?
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その約束だけを、ずっと恐れている。
内容は忘れた。覚えていない。大事なところは塗り潰されて、何も聞こえなかった。だが、目を瞑った私は約束した。それが私に成し得ることだったことは覚えている。
ずっと黒い影が誰かは分からず、それに騙され続けてきた。しかし、今その正体が分かった。私だ。私自身が、私と約束をしたのだ。私は何を約束したのだろう。
────────起床────────
しかし批判もある。あれは人の範疇を超えた力を持っている。残念ながら私は空も飛べないし姿を消せない。神通力地味たことを、あれはする。
あれは何なのだろう。あれが自分自身であったとて、私は何を願って、何を承諾したのか。
夢の世界は命題が通用しない。対偶を取らない。方向を取らない。私がそうだと知ったとて、結果は永遠に変わらない。
この夢は、出られない。悟っている。諦めている。逃げている。目を閉じている。夢の世界が多重に重なって、眠っている。故に、目が覚めても目が覚めても永遠に夢。それを知っている。
であれば、どの世界も夢として知覚する私はもう狂っているのか。それともこの世界も夢にしてしまうのか。
どうかどうか、いつかこの夢を抜ける私に。
その夢は現実であることを。
その現実は夢であることを。
貴方は狂っていることを。
私は狂っていないことを。
その夢を抜ける、『約束』の手立てを教えて欲しいと。
そしてどうか、夢を抜けることを。
ずっとずっと願っていると、伝えて欲しい。
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