8『海を越えた夢』
こんな夢を見た。ここは満州かどこかだろうか。モンペを履いてやつれた顔を持つ女が、酸っぱい匂いのする惣菜の前でくたびれた笑顔を見せて座っている。頬は痩せこけて土気色、当分食えていない様だった。女の前に置いてある惣菜はこの辺の朝市じゃ見かけないほど量が多く、異質なくらいだった。
「えらく羽振りがいいね」
私の家族はこの辺ではまだ食えていた方なので、呟いた。気に触ることを言った自覚はあったが、そんなことを気にしている余裕はこの辺りの人間にはいなかった。
「少しね」
静かに女は返した。答えるつもりは無いらしい。そうだろう。誰が食い扶持なんぞ教えるか。その日は惣菜を買って引き返した。陽の当たる所に置いてあったからか、少し腐っていた。
次の日。また女の所へ言った。虚ろに笑っていて気味が悪い。ここのところ日照り続きで雨が降る気配がない青空もまた、気色が悪かった。適当にやり過ごそうとしている天道が許せないと思った。
「えらく羽振りがいいね」
屋台に鶏肉が並んでいたから、また同じことを言った。
「みんな金がない。売れるのかい」
返答を食らう前に畳み掛けた。女の笑みはそのままだ。黙って何も言わない。
いつものが欲しいという前に手を引かれて裏路地に連れていかれた。あんまり私がしつこいから、とうとう殺されるのかと思った。
「秘密だよ」
「何がだ」
「肉の秘密だよ。あんたも分かってるんだろう。奇妙だと思ってるんだろう」
確かに思ってはいた。ここでは蛇を鶏肉だと言って売る。そんな類だと思っていた。
「人だよ。人を売ってんのさ」
「売れるのかい」
言うことはそれだけだった。蛇よりも邪悪な代物だったが、飢饉があった里では変なことでは無かった。
「売れる。食ったそばから皆死ぬからね」
なるほど。上手い商売だと思った。死んだ人間をまた売っているのか。
「よく惣菜を買っていってくれるからね。あんたにもくれてやる」
女は肉を渡してきた。渡すと彼女は店番に戻って、後には私だけ残された。肉など当分食べていない。竹皮の中には乳児の左腕が入っていた。
適当を言って家族に食わせた。臭みを心配して香辛料で味付けしたが、肉の臭みというよりかは油臭くて叶わない。家族は何も言わなかったが薄々察して食べるのを辞めた。
代わりに腐りかけた惣菜を食べていた。当の私はと言うと、無駄に硬い骨に勝ち当たって食べるのを止めた。
全体に黄身がかった肉と、絵の具のように広がる血管が不気味だった。肉にへばりついた脂肪の穴の一つ一つが私を嗤っている。妖怪の百目鬼のようだった。ヒトの身体に鬼は宿るらしい。
骨に身を残して食べ終えた。食べ終わった後に病気になるんじゃないかとか考えたが後の祭りだったし飢饉で死ぬかだし、考えるのを止めた。それでも人肉を吐き戻して生ゴミに捨てた。
……早朝。憲兵が来た。私に聞きたいことがあるらしい。朝市のあの女が人肉を売っていた件で、何か知らないかと言われた。懇意にしていたのだろうと。
「分かりました。お話します。ですが憲兵さん、お腹が空いているのでは」
私は艶やかな握り飯を見せた。それ以降憲兵は黙ってしまって、売っていた肉は女の子供だったことを告げて家から去って行った。昼頃に公開処刑するから来いと言われた。口の中がまだ人肉で粘ついている。
昼頃天井が抜けた倉庫の中に入った。断末魔が聞こえる。ここは処刑場で、蜂蜜が床一面に敷き詰められている。足が時々白い石ころにあたった。
中央まで行くと女の周りにたくさん人が集まっていた。各々石を投げて罵声を浴びている。
「騙したな」「卑怯者」「卑劣なやつだ」「見下げ果てた母親」「狂人」「鬼女」……
酷い言葉を言うなぁと思った。女は喚き散らしている。
「お前達は私のおかげで生き延びられたのにこんな仕打ちは何事だ」「私も赤子もにぎり飯一つに負けるのか」
女は私を視界に捉えて、憲兵に抑えられながらすがるように言った。
「なぁ。あんただけは助けてくれるだろう。あんたにはよくしてやったじゃないか」
大衆は石を投げる手を止めてじっと私を見た。私が女のそばに行けばにぎり飯は一つ増えるし、女は一人で死ななくて済む。衆人環視の中、私は真っ直ぐ指をさしてこう答えた。
「私は騙された。この女はペテン師だ」
絶望した顔は石によって握りつぶされ、しばらくするとミツバチでぱんぱんになった姿だけ残った。その様子をただ、白い綺麗なにぎり飯を頬張りながら見ていた。どことなく甘く感じる。
ぼんやり見ているだけでも拷問をされている男が何人かいた。手伝いをするのは子供だ。ここにいれば蜂蜜を舐めれるし配給がある。手が刺されるのが嫌だと愚痴を言っている子供もいた。
「邪魔だよ」
足元に座っていた男児が言った。私はすまないと言ってそこをどくと、子供が口に何かを含んでいることに気付いた。
「何食べてるの」
「関係ないだろ」
「どいたんだから教えてよ」
こんな場所に希望などはなく、私がなぜ小さい口の中に一縷の希望を見いだしたのかは分からない。渋々子供は口を開いた。純白の塊がある。
「骨だよ。蜂蜜につけて舐めると飴みたいで美味いんだ。分かったんならどっか行け」
その子供から離れると、私は天井を見上げた。太陽が憎たらしい笑顔でこちらをずっと見ている。
握り飯の最後の一口を放りこんだ。女は人肉を喰ったそばから死ぬと言った。正しく女はそうだった。であれば次は私なのだろうか。
周囲を見渡したが、この公開処刑場で人肉を食っていないものなどいなさそうだった。私はモンペで適当に手を拭くと、倉庫を後にした。