10『太陽死考察』
目が覚める、悲鳴と共に。
目が覚める、痛みと共に。
目が覚める、脂汗と共に。
生物の理に従って『眠る』こと。それがこのほど大変だとは、幼い頃の私にはとても想像がつかなかった。
夢に見る葦原も何もかも、脳の生理現象と一蹴してしまえばそれまでで、そうなのだけど、生理現象ならそれなりに、言いたいことがあるのだろう。分かんないけど……目を覚ます太陽はやめておけ?みたいな?分からんけど。
葦原はきっと終わる事など無いのだろう。大人になったら夢を見なくなるなんて嘘だ。なろうでめちゃくちゃ評価される夢を見るし、いろんなとこで失敗した夢見るし、葦原をふらつく夢を見る。
夢日記をつけていたら気が狂うとか言うのもあって(明晰夢が見やすくなるから確かにそう)、でもやっぱり珍しいことがあったら書きたくなる物書きの性を抑え切る事は無理で、ここまで書いた。
あの後紅茶狂人がほろりと言ったことには、『夢も現実も変わらないのだから、両方とも正気でいたらいいんじゃないか』ということだった。
周りで聞いていた老若男女は口々にいろいろ言っていたが、なるほどそれは確かにと私は思った。今起きている世界が現実で、眠っている世界が夢なのだと誰が証明出来るのだろう。
大前提、観測して世界が成り立つのなら夢も現実も一緒だ。変なことさえしなければいい。正気も狂気も変わらない。人が持つ性質だ。
現代人にある程度共通して夢だと分かる方法は一つある。夢にはスマートフォンが無いことだ。ある?ならなんか別の探して。
私の場合は指を鳴らすこと。フィンガースナップ!高校から練習しているのだけれど、全く上手くいかない。
中指と親指を擦れば、バチン!という音が響いた。
……おやおや、これはこれは。現実だと思っていたら夢だったらしい。バスを待っているベンチで音楽を聞きながらこれを携帯に打っていたのだけれど、こりゃ起きて書き直しかな。──おっと、早速『夢の中にはスマートフォンが出てこない』の反証が現れた。
そんな訳で、私は夢と現実の区別が付いていない。ただもう些細なことだ。何であろうと、私が書き続ける観察者であることは変わらない。
極楽のような幸福も奈落の様な不幸も、全て書き留めていきたい。書くことはやはり、私のことだから。
子供が近寄ってきた。鳴らし方を教えて欲しいらしい。イヤホンを外して私は笑う。
「何で鳴ってるんだろうねぇ」
夢日記増えたらまた書くかも。