完璧な私の唯一の弱点
この私、姫宮美琴が全宇宙で最も完璧な存在であることは疑いようがない事実だろう。
頭が良くて、運動神経が抜群で、黒髪黒目という日本人のスタンダードな容姿ながら誰もが振り返る美少女で、どんな分野においても即座に極められる才能の持ち主である私は世界ランキングなんてものが可視化されれば間違いなく第一位として燦然と輝いているはずなのだから。
人類の中で最も優れた生命体。
ほとんど完璧な私に敵う存在はこの世に存在しない。
そう、ほとんど。
可憐にして至高、超絶天才女子高生な私だけど、それでも完璧の前にほとんどとつけざるを得なかった。
完璧な私の唯一の弱点。
おおよそ私という美麗にして究極な存在を知っている人間ほど疑問に思うだろうけど、こればかりは仕方がない。
趣味嗜好は当人でも制御はできない。
表に出していないから世の中の人間全ては私のことを完璧美少女だと認識しているだろうけど。
私は女が好き。
こんな形で致命的に性的嗜好が『大多数』とはズレてしまっていた。
今の世の中、何やら横文字で色々と配慮されているようだから昔よりはマシなんだろうけど、それでも配慮されなきゃいけない立ち位置であることに変わりはない。
そしてどれだけ配慮されていようとも、だからこの事実が広まっても一切攻撃されないとは限らない。
人間というのは自分よりも恵まれている存在を引き摺り下ろすことに快楽さえ感じる。そこらのゴシップ雑誌に有名人が晒されたら我先にと群がって攻撃するように、私のような森羅万象の頂点に君臨している完璧美少女を責め立てられると周囲の人間は湧き上がるに決まっている。
同性が好きだなんてのはそういう立ち位置の感情で、だからこそこの事実は隠しておくに越したことはない。自分から弱点を晒して有象無象を調子に乗らせる理由もないのだから。
……理解が得られずに冷たい目で見られることが嫌なわけじゃない。そんなことは別に気にならない。単純に劣りに劣りまくっている連中が調子に乗るのが嫌なだけ。
だからこそ。
私にはこの女の行動は理解できなかった。
「へい、姫っち。今日も綺麗だねっ! 大好きだよ!!」
隣の席の宇佐川雪音は同性への好意を隠そうともしていなかった。そう、当たり前のように女が好きだと公言している。
金に染めた髪に青のカラーコンタクト。雪音という名前に似合わず白という要素のない派手な──ギャルとでもいうべき人種の軽口だからこそ見逃されているだけだということを忘れてはいけない。
宇佐川雪音は無駄に多いお友達全員に同じことを言っている。
そして無駄に多いお友達全員がその好きを真面目には受け取っていない。不真面目なギャルの言葉だからこそ。
私とは決定的に違う。
飛びついたら最後、いらぬ不利益を被るのは明白なのだから。
「……好きなのは私がではなく、女が、ですよね」
「? まあ女の子は好きだけどさ。あたしは──」
「今日も相変わらずなようで何よりです」
本当に。
「んうー? へいへーい。よくわからないけど今日も姫っちはお堅い感じかあ? つーか雪音でいいんだぜ、べいべー」
「宇佐川さん」
「カチコチだねえ。まあ、そんな意地っ張りなところも好きだから別にいいけど」
「はぁ」
露骨に呆れたように額に手をやってため息をついても宇佐川雪音は機嫌良さそうに笑うだけだった。
(私が完璧すぎるから仕方ないけど)何でも華麗にそつなくこなしていく私は周囲から浮いていてほとんどの生徒は遠巻きに見ているだけなのに、唯一全然まったく一切合切これっぽっちも遠慮がない宇佐川雪音が今更この程度でどうにかなるわけもないけど。
「眉根を寄せたそんなお姿もかわいい姫っちは今日の放課後はお暇かにゃ?」
「完璧な私の人生に暇な時間などありません」
「お暇みたいだねっ」
姫宮美琴という私の名前、そこから姫みたいにかわいいからお似合いだと安直に姫っちなどと呼ぶようになった女にはとにかく遠慮がなかった。
軽やかに笑いながら宇佐川雪音はこう提案してきた。
「今日さ、放課後デートしない?」
「お断りします」
……と、確かに私は断ったはずだった。
それなのにどうして放課後の今、帰り道に宇佐川雪音が私の隣に立っているわけ?
「放課後デートならお断りしたはずだけど?」
「まあまあ。たまには一緒に遊ぼうよ。あたしたち友達なんだしさ」
「友達?」
「わおっ、そこで首を傾げられたら流石のあたしも傷つくよう!!」
そんなことを言っておきながら宇佐川雪音はわざとらしく傷ついたふりをするだけで口元の笑みを隠せていなかった。
ふふん、この完璧な私の目に嘘は通用しないと知りなさい!
……まあ、ちょっと言いすぎたかもだったから傷ついていないようでよかった、うん。あくまで完璧なこの私に比べればか弱いその他の人類全てに対して偉大なる者としての慈悲深さを忘れてはいけないというだけだけど。それ以上も以下もない、はず。
「わーん、ぐすぐす」
「…………、」
「う、ふぐっえぐ、うええーん!」
「…………、」
「ふぎゃああ、びえええええええんっ!!」
「同級生の号泣とか私はこれをどう処理すればいいのですか……っ!?」
ギャルというのは校則を破り内申点を犠牲にしてでも着飾る生き物のはず。それだけ見た目を気にしているくせに思い切りが良すぎません!?
いやまあ十中八九嘘泣きにしても、実際に顔をぐしゃぐしゃにしているのには変わりないのですから!!
「遊んでくれなきゃ泣き止まないよう!!」
ああ、宇佐川雪音が露骨な要求を口にしている間にも帰宅途中の通行人の目が集まっています!
このままでは完璧な人生を歩んできた私に『同級生を泣かせた』という汚点が刻まれてしまうのだけど!?
「分かりました、遊びますから今すぐ泣き止んで!!」
「デート」
「こ、この、これ幸いと……ッ! はぁ。もうデートでいいですよ」
「やったあ!! 姫っちとデートだあ!!」
さっきまでの泣きべそっぷりはどこへやら、満面の笑みで飛び跳ねる宇佐川雪音。あからさまに嘘泣きだったから当たり前だけど、逆に言えば嘘泣きならその事実を強気に突き詰めてやめさせてもよかった。
それなのに、そうしなかったのは……。
「……、ふん。私の完璧なまでの慈悲深さに感謝することですね」
「うんそうだね姫っちは完璧だね」
「適当に流していませんか?」
「あっはっはっ!!」
「笑って誤魔化していませんか!?」
「そんなことよりデートだよデートっ!!」
こんなのは女友達との遊びを茶化してデートだと呼称しているに過ぎない。完璧な私はもちろんそんなことはわかっている。
わかっていて、それでも不覚にも頬が微かに震えるのを自覚してしまった。
ーーー☆ーーー
その直後、宇佐川雪音が遠慮なく手を掴んできたせいで頬が致命的に動いてしまった気がしないでもないが、そんなのは気のせいに決まっていた。
ーーー☆ーーー
根本的に私と宇佐川雪音は違う生き物なのだと思う。
遊ぶという一言にしても中身が驚くほど異なるのだから。
「生クリームは正義っ。盛れば盛るだけ幸せになれるよねっ!!」
「クレープが生クリームではち切れそうなのですが、流石に胸焼けしません?」
「正義だから問題なし!!」
「太りますよ?」
「女子高生にその文言は禁句だよう!!」
半泣きでそれでも生クリームたっぷりなクレープを頬張って幸せそうに笑う宇佐川雪音。無防備にその口元を白く汚して。意外と天然が入っているのか、それとも今時のギャルはこれくらいあざといのか。
もちろん指で拭って舐めるとか恋人のようなキザな真似はしない。とはいっても流石に放っておくわけにもいかず、ハンカチで口元を拭ってあげることに。
『んーっ』とされるがままの宇佐川雪音はぼそりと一言。
「前から思っていたけど、姫っちって優しいね」
「……、私にそんなことを言うのは宇佐川さんくらいですよ」
私は自分が疎まれている自覚くらいはある。
私に対する周囲の嫉妬なんてものは完璧であるからこその弊害、有名税のように避けられない。
こういった態度もまた疎まれる原因なのだとわかってはいても、だから猫撫で声をあげて媚を売るような生き方をするくらいなら私は一人でいい。
そう思っていたのに……。
「そう? だったらみんな姫っちの良さがわかってないんだね! ちょっぴり優越感があるかも」
「ふん。何を言っているのやら」
どうして宇佐川雪音だけは離れていくどころかぐいぐいと距離を詰めてくるのか完璧な私でもさっぱりわからないけど、少なくとも嫌ではない。
ーーー☆ーーー
「やっぱりプリクラは欠かせないよねっ。盛っていこうぜっ!」
「……、なぜ私たちの目がこんなにも巨大化しているのですか?」
「そういうものだからだよ」
「なぜそんなにキラキラしたものを散りばめているのですか?」
「そういうものだからだよ!」
「なっなぜそうも軽々しく大好きとか書くのですか!?」
「そういうものだからだよ!!」
そうやって宇佐川雪音は深く考えずに書いた好きという言葉が私にとっては全然軽くないことに気づくこともなく。
女が好き。
そう公言できる彼女には遠慮がない。
距離感はバグっているように近くて、だからこそ私のような人間にも近づいてくるのだろう。
「ねえねえ、今すれ違った女の子かわいくなかった!?」
「…………、」
「わひゅう!? ど、どうしていきなり脇腹をつついたの!?」
宇佐川雪音はそうやって気兼ねなく好意を表に出せる。完璧なはずの私にもできないことが簡単にできる。
「ねえ、宇佐川さん」
「はいはい、なにかな?」
「貴女は女の人が好きなのですよね?」
「まあね」
「どうしてそうやって本音を隠すことなく生きられるのですか?」
気がつけばそんなことを問いかけていた。
嫉妬混じりであると、そんなことが理解できてしまう私の完璧さが今は憎くさえある。
「周囲は冗談や軽口という風に受け取っていますけど、宇佐川さんは本気で女の人が好きでしょう?」
「そうだね」
その答えは私が完璧であるからこそ気づけた、というよりも、私と同じだからこそ気づけたと言うべき。
それにしてもここまできても隠すことなく、当たり前のように肯定できるだなんて。
そんな貴女の生き方が私は……。
「どうしてそうもさらけ出せるのですか? 確かに今の世の中は昔に比べたらそういう方々も受け入れるべきという風潮はあります。横文字を並べて配慮するべきだと言われています。ですけど、それが? 社会全体がどうだろうとも個人の感情は別です。理屈ではなく感情が優先される、それが人間という生き物です! どんな綺麗事が世界に横たわっていても気に入らない、それだけで攻撃されるリスクはあります!! 気持ち悪いとそんな理由でクラスから学校から爪弾きにされるかもしれないのですよ!? それなのにどうして宇佐川さんは『それ』をさらけ出せるのですか!?」
「うーん」
私の感情に任せた、完璧とは程遠い言葉を受けて、それでも宇佐川雪音は普段のおちゃらけた空気を崩さない。
唇の下に指を当てて、しばし言葉を選ぶように視線を彷徨わせて、そしてこう告げたのです。
「理屈ではなく感情が優先されるから、かな」
それは。
私が感情のままに吐き出した言葉の中の一つで……。
「そりゃあ理屈じゃ隠すべきなんだろうね。今は、まあ、私がこんなだからみんな真剣に取り合っていないけど、私が本気で女が好きだとわかったらどんな反応されるかわからないし。もしかしたら結構キツい目にあうかもだね」
「ッ! それなら……ッ!!」
「それでも」
宇佐川雪音は言う。
迷うことなく、当たり前のように。
「どれだけ理屈で封じ込めようとしても好きという感情は消えてなくなったりしない。自分の感情を押し殺して生きられるほど私は器用じゃないだけだよ」
そこまで言って、宇佐川雪音は軽やかに笑って、
「とまあ、そういうわけだねっ。姫っちの納得いく答えだったかにゃー?」
「……、そうですね。宇佐川さんらしい答えでした」
「なんか含みのある言い方だね。頭の中空っぽなお前には理屈に則って賢く生きるとかハナッから無理だとでも? その通りなんだけどね、あっはっはっ!!」
…………。
…………。
…………。
「宇佐川さん」
「んー?」
「私も、女の人が好きなんです」
その一言を言えたのは相手が宇佐川雪音だったからだろう。
理屈ではなく感情から。
私も人間だった。いくら完璧を気取っていても理屈『だけ』で生きていくのは無理だった。
とはいっても唯一の弱点をさらけ出せる相手は限られているけど。
同類だからというのもあるだろうけど、何よりも目の前にいるのが宇佐川雪音だったからこそ。
……正直に言ったら絶対に調子に乗るので内緒だけど。
「へえ、お揃いだねっ」
「…………、」
「ん? なに???」
「それだけですか? 人が精一杯の勇気を振り絞ったというのに軽く流すとはあんまりではありませんか!?」
「ええっ? そう言われても人の好みは人それぞれで別にどうこう言うべきもんでもなくない?」
「そうですけど、そうではなくて、ああもう!!」
思わず完璧な私らしくもなく頭を抱えて地団駄を踏んでしまった。
調子が狂う。
宇佐川雪音の前では完璧な私ではいられない。
「私は女の人が大好きなんです!!」
「え、うん。それはさっき聞いたよ」
「……っ!!」
「わひゅ、脇腹をつつくのはやめっ、うひゅう!?」
本当に完璧な私の唯一にして致命的な弱点だと思い知らされる。
こればっかりは私にどれほどの才能があっても制御できずに振り回されてしまうのだから。
それくらい私は雪音のことが──
「んっむううっ!!」
「ちょっ脇腹ひゃふっ集中砲火やめてよう!!」
完璧な私だっていきなり全部をさらけ出すのは無理。
ですからもう少しだけ待っていてくださいね。
これまで誰にも隙を見せるわけにはいかないと隠してきた感情に素直になれるまで。
「ん? うっわ、そこの女の子アイドルにそっくりじゃん! かわいい!! 大好き!!」
「…………、」
「あれ? 姫っち顔が怖いよ。待ってまっひえっ、ふひっ、そんなに脇腹をつつかれたら抉れちゃうってえ!! ふっひゅう!?」
お願いですから私が素直になれるまで待っていてくださいね!!
ーーー☆ーーー
姫宮美琴。
どうして平均的な公立高校に通っているのかわからないくらいには規格外の女である。
天才、という言葉は彼女のためにあるのだと、そう思わせるほどに。
美少女、とはすなわち姫宮美琴を示すのだと、誰もが即答するほどに。
だからこそ気に食わない者もいれば、だからこそ畏れ多くて話しかけることもできない者もいる。
姫宮美琴の分析ほどには疎んでいる者は少ないが、それはそれとして尊敬や好意から遠巻きに見つめるのが精一杯なのが大半だった。
そんな生徒たちの中でただ一人、宇佐川雪音だけは姫宮美琴と距離を詰めていった。
『何か用ですか』、とひどく冷たい言葉を浴びせられたが、それも別に拒絶ではなく彼女らしくもなく緊張していたのだと今の宇佐川雪音は察している。
……当時は完全に嫌われていると落ち込んだものだが。
それでも宇佐川雪音は遠慮なくぶつかっていった。仲良くなりたいと、それだけを願って。
理由?
これまで出会った人の中でとびっきりに綺麗な女の子と仲良くなりたい、それ以上の理由がどこにあるというのか!!
宇佐川雪音は女の子が好きだ。
綺麗なのもかわいいのも大きいのも小さいのも細いのもぼっちゃりなのもとにかく物心ついた時には好きだったのだ。
だから遠慮なんてしない。
こんなにも綺麗な人を間近で見ていられるポジションは誰にも譲らない。
好きだから。
友愛とか親愛とかどう分類していいかわからないが、少なくとも一番好きだと断言できるから。
完璧を自称するにふさわしい才覚も、自信が溢れてちょっと嫌味っぽくなるところも、困っている人がいれば完璧な私には朝飯前だからとか暇潰しでしかないとか口では何と言いながらも助けてあげる優しいところも、どんな芸術作品よりも美しいその姿も、いつもは冷たい氷像のように表情を変えないくせに宇佐川雪音を見つけたらほんのわずかに頬を緩めてくれるところも、他にも些細なところも全部ひっくるめて好きなのだ。
特別なきっかけなんて何もなく、気がつけばこうなっていた。だけどこの好きだけは絶対なのだと宇佐川雪音は胸を張って言える。
「でっへへ」
「何ですか、そのだらしのない笑い声は?」
「いやあ、改めて考えてみると、私って姫っちのこと大好きだなーって」
「宇佐川雪音は女の人が好きですものね」
「まあ女の子も好きだけどさ」
この好きを分類するにはもう少し時間がかかりそうだ。
だから宇佐川雪音はこう言うのだ。
「私は姫っちが大好きなんだよ」