寸劇「はっぴー☆ばれんたいん」⑦最終回
「それで、私もご一緒してしまっていいのかしら……」
「もちろんです、レイナ! お茶会は人数が多いほうが楽しいですから。少年もそう思いますよね?」
「あ、ああ……エルシェの言う通りだ、ははははは……」
俺は引きつった笑いを浮かべつつ、テーブルの上に並んだ三つのティーカップに順番に紅茶を注いでいく。真ん中のお皿にはエルシェが調達してきたお菓子やチョコが並べられ、俺の部屋は今やちょっとしたパーティー会場に様変わりしていた。
「フッ、まだまだね」
俺の注いだ紅茶を一口含み、レイナがどことなく勝ち誇ったような笑みを浮かべる。くっ、こいつ人の淹れたもんに厳しい……!! さすがは“紅茶狂い”、そのこだわりっぷりも尋常ではないということか。ところで俺はいつレイナの紅茶を飲ませてもらえるんですかね?
「では、私もいただきます」
レイナに続き、エルシェがおずおずとティーカップを傾ける。すると彼女はぱっと表情を明るくして俺に笑いかけてきた。
「あ、でも美味しいですよこれ! 少年、意外な才能があるかもしれませんね」
「ありがとう……ありがとうエルシェ……」
ズタズタにされた傷心に、エルシェの優しさと紅茶の渋みが染み渡る。甘さと苦さ──どちらも上等な味を演出するためには、なくてはならない要素。
甘すぎてもダメだし、苦すぎてもダメ。その両者が均衡を保ち存在するからこそ、紅茶の美味しさが引き立つのだ。
「俺にとっての甘さと苦さってのは、案外両極端なお前らで成り立ってるのかもな……」
紅茶と彼女らをどことなく重ね、しみじみとこぼす。すると二人は頭に疑問符を浮かべ、ほぼ同時に首を捻った。
「どういう事よ」
「どういう事ですか?」
「別に。こっちの話だよ、気にすんな。ほら紅茶飲め」
「む、そう言われるとますます気になります。気になっちゃいます」
「騎士さんに概ね同意見ね」
「いや……大したことじゃないよ。ほんと、どうでもいい話」
俺は二人からの無言の圧力に気が付かないフリをしながら、とりあえずソフィアから貰ったチョコマフィンを頂く。チョコマフィンの香り高い上品な甘さが口いっぱいに広がり、思わず「ん、うまい」と感想をこぼしてしまった。
「ラスタの大好物っていうのも頷けるな。なんというか、高級で洒落た大人のチョコマフィンって感じだ。おいしい」
「もっと他に言い方があるでしょう……一国の王女が手づから作ったマフィンだなんて、値段が付けられないほど高級よ。香りからして、食材も最高級のモノを使っているようだし」
こめかみに手を当てながらレイナが呟く。
「んむ、お前匂い嗅いだだけで食材のランクまでわかるのか? グルメなんだな」
「別に。こんなの一般常識の範疇に過ぎないわ」
「けれど、最高級の食材の匂いがわかるなんてレイナはすごいですね! 過去に食べたことがあるんですか?」
「……まぁ、色々と」
素っ気なく返すレイナに対し、エルシェが羨望の眼差しで彼女を見上げる。そんなエルシェにどこか気まずいのか、レイナはそっぽを向いてからティーカップを傾けた。
「じゃあ次はラスタのチョコだな。おわっ、ずっしりとした重さを感じる……ラスタらしいや」
ラスタから貰ったチョコはまるで岩のような風貌と重みをしている。おそらく、大食い娘な彼女のことだ。食べる人のことを第一に考えて満足感とボリュームを重視したのだろう。
手に持っただけで伝わる重みに思わず食べるのを躊躇するが、せっかく彼女がきっと手作りしたであろうチョコレートだ。ここで食わねば男の恥!
覚悟を決めてガブリと噛みつくと、チョコで歯が折れそうになった。か、硬いッ!
「うん、でも口の中で溶かしていくとどんどん甘みが出てくるな」
これはこれでおいしい。ちょっとずつ食べていく感じのチョコなんだな。
「ラスタも料理が上手なのでしょうか? 私も機会があれば、あの子の手作り料理を食べてみたいですね。あの子と一緒にご飯を食べたことは何度もありますが、あの子のご飯を食べたことはありませんから」
「これは王宮の給仕さんやメイドさんと一緒に協力しながら作ったみたいだな。そういえば隠し味はコーヒーだとかなんだとか」
「ええっ、コーヒーですか!? なるほど……大胆ですね。では私も今度、お菓子を作るときは対抗して紅茶を混ぜてみましょうか」
「騎士さん、それはやめましょう。やめなさい」
暴走しかけるエルシェを優しく静止するレイナだったが、紅茶狂いとしてのプライドが出てきたのか後半は命令口調になっていた。
そんな彼女らを横目に俺はラスタチョコをガリガリかじっていく。これ、思いっきり振り下ろせば釘とか打てるのではないだろうか。
しかしながら如何せんそのボリュームと硬度が凄まじい。食べきるまでには、幾ばくかの時間を有した。そんなわけで数分後。
「お次はレイナさんからのチョコだ。もう今後百年間は二度と見れるか分からない超貴重品だな。絵でも描いて残しとこうか?」
「今の発言で今後百年間私が貴方にチョコを渡すことはないと確定したわね、お疲れ様」
「ごめんって。……それで、レイナ」
軽口で少々場を和ませてから、俺は彼女に目配せする。普段めったに現れない彼女が、どうして俺の部屋に出向いてきたのか──その理由は、容易に想像がつく。
レイナは「フン、わかってるわよ」とぶっきらぼうに答え、小さく息を吸ってエルシェに向き合った。
「騎士さん」
「えっ? な、なんですかレイナ? そんなに改まって……」
「その、貴女にも、渡したいものがあるのだけど。でも、大したものではないのよ」
レイナはまっすぐエルシェを見据えたまま、しかしぎこちなく言葉を区切る。緊張しているのだろうか。俺がアイコンタクトで彼女に『頑張れ!』と訴えかけると、すぐさま蛇のような瞳で睨み返された。『私のやることに手を出すな』とか、『私の騎士さんに手を出すな』とか、そんな意味なのだろう。ひどい。
レイナは前髪を指でつまみ、吐息を漏らす。それから、少し沈黙したのちに──。
「これを受け取ってもらえるかしら」と、俺に渡したものと同じ小箱を差し出した。
「私に、ですか……? これは、一体」
「チョコレートよ。でも、勘違いしないで。別に今日が2月14日だからといって、セルビオーテに伝わるバレンタインとやらの風習に則ったものではないわ。ただエンブリアの街を歩いているときに見かけたから……その、貴女には借りがあるでしょう。別にこのチョコで借りを返すつもりはないけれど、気持ちとして受け取ってもらえれば」
視線を彷徨わせながら、レイナはやっぱり早口になって続ける。彼女の表情は変わらずの鉄仮面ではあったけれど──頬は、いつもより赤く染まっているような気がした。
陽の当たり方の問題でそう見えるだけの錯覚に過ぎないかもしれない。
目に見えるものだけが万全不変たる世界の真実ではない。
だが、だがしかし──レイナのそれだけは、今見えているものこそが本物だと思いたかった。それは冷酷な殺戮兵器ではない、人間としての、少女としてのレイナの側面を今回目にすることができたからこその俺のエゴにも近い願いだ。
エルシェはレイナから差し出されたチョコレートに目を見開き、その表情に驚愕の色を灯す。だが、次第に自らが言われたことを理解していくと同時に──レイナの顔を見つめ、わなわなと震えだした。それから、溜めた感情を一気に決壊させるように。
「レイナーーーーーーーッ!!」
と、思いっきり彼女に飛びついたのだった。
「ちょっ、騎士さん!? いきなり、チョコが危な……っ!?」
レイナは珍しく血相を変えて、照れと焦りが入り混じった表情で飛びついてきたエルシェをなだめる。エルシェはニコニコ笑いながらレイナに抱きつき、レイナは困惑しながらも悪く感じてはいなさそうだ。それから二人はしばしじゃれ合いチョコを食べ合い、彼女らの周りには花が咲いている──ように見えたのだった。
そんなレイナとエルシェを若干遠くから眺め、俺はレイナからもらったチョコの袋を開けて中身を見てみる。見た目はなんだかとても黒いチョコだった。豆の濃度が高いのだろうか?
試しに一口かじってみると、黒チョコ(仮称)のほろ苦さがじんわりと舌に広がっていく。
「なかなか苦いな……ん?」
しかしよく味わってみると苦いだけではない。その中にはしっかりと甘さが存在していることに気づく。いや、むしろ全体が苦いからこそ秘められた甘さがより一層際立ち、その主張を激しくしているのだ。
黒く、苦く、けれども甘いチョコレート。
そんなチョコの味に誰かさんの面影を感じつつ、感謝しながら俺はチョコを平らげたのだった。
閑話休題。
「ん、待てよ? レイナ、俺にチョコ渡すときは選択肢が二つあるから選ばせてやるとか言ってたよな? あれはどうしたんだよ、ベスタの眼球と臓器セットは。エルシェには選ばせてやらないのか?」
二人のじゃれ合いが一段落した頃を見計らって声をかけると、レイナは怪訝な表情で眉をひそめる。
「貴方は何を言っているの、悪趣味にも程があるでしょう。ベスタの眼球と臓器セットなんて始めからそんなの存在しないわよ。奴らの屍体の一部だなんて気持ち悪いから持ち歩きたくないし」
「ないのかよ……じゃあなんで俺の時はあんなこと言ったんだ?」
「特に深い理由はないわ。強いて言うなら、そうね。嫌がらせかしら?」
「嫌がらせかよ……」
悪びれる様子もなくあっけらかんとそう言い放つレイナに思わずため息が出る。前から思っていたのだがこの女、俺とエルシェとで露骨に接し方が違う。
俺に対しては妙に攻撃的、排他的である。まぁ、もう慣れちゃったからいいんですけどね……別に。
「じゃあ、そろそろ最後のチョコ食べるか。お腹ももう腹八分だ」
「あら、じゃあ胃を切り裂いて満腹感を感じないようにしてあげましょうか?」
「お前が言うと冗談に聞こえないから一番怖いんだよ!」
「最後のチョコは私の作ったチョコですね! これは私たち皆で食べましょう」
エルシェが勢いよく挙手し、テーブルの中央に置かれた皿に彼女お手製のチョコを並べていく。可愛らしい小さな丸形のチョコは形が一つ一つ整っており、表面もなめらかだった。
「これ、お前の手作りなのか?」
「ふふふ、その通りですよ。よくぞ聞いてくれましたね少年! そう! これはこの私が丹精込めて手づから作り上げた特製チョコ──いわば“騎士チョコ”です!」
「騎士チョコ……やっぱりそのまんまの名前だな」
「安直」
「レイナまでひどい!?」
「ん、でもうまそうだなこのチョコ。食べてみてもいいか?」
「ええ、皆で一緒に食べましょう!」
エルシェの許可を取ってから、俺たちはそれぞれ一個ずつチョコを手に取る。そしてお互いに視線を交差させてタイミングを合わせると、ほぼ同時に口に放り込んだ。
もぐもぐ。
「どうですかっ!? おいしいですかっ!?」
エルシェが目を輝かせながら聞いてくる。俺とレイナはチョコをしっかり味わい、咀嚼し終えてから順番に感想を述べた。
「ええ、濃厚な味わいでとてもおいしかったわ。砕いたナッツが入っているから食感もよかったし、騎士さんは料理が上手なのね」
「本当ですか!? よ、よかったぁ……レイナの口に合うかどうかは心配だったのですが、気に入ってもらえたようで一安心しました」
ホッと胸を撫で下ろすエルシェ。あのレイナが、ここまで棘なく素直に他人を褒めることは珍しい。それこそ最初レーヴェにいた頃からは想像も付かないほどだ。
レイナからの高評価に満足したらしく、エルシェは今度は俺の方を向いて味の感想を促す。その瞳はますます輝きを増しており、まるで撫でられるのを今か今かと待っている子犬のようだった。俺は紅茶で喉を湿らせると、彼女に頷く。
「おいしいですか? うまいですか? どっちですか!?」
お前は何処ぞのガキ大将かよ……と思わずツッコミを入れたくなるが、そこをぐっと堪えて俺は親指を立てる。
「──ああ、超うまいぞ! 流石だな、エルシェ!」
「うぅ~~~~やりましたっ!!」
喜びを全身で噛みしめるようにわなわな震えてから、エルシェは大きく飛び上がり、両手を高く掲げてジャンプする。
「やっぱり料理上手いよな、エルシェ」
「ふっふっふ、伊達に《騎士団》で育ってきていませんからね。《騎士団》で人並みに料理ができるのは私と団長だけだったので、団長が失踪してからは専ら私がご飯担当でした。まぁ、少年とレイナが来る数ヶ月前からは農作業が忙しかったのもあって手頃なもので済ませていましたが」
「あー、たしかにロアさんは料理できなさそうだもんな……や、死ぬほど失礼なのは重々承知なんだが」
「ええ、実際に副団長は全くできません……」
頭に浮かぶのは、太い葉巻を咥えてげっそりした顔で不健康そうな笑みを浮かべるダウナー美人──《騎士団》が副団長、ロア・リッツァルテの姿だ。
言われてみれば騎士団は女所帯だった。まだ見ぬ団長とやらの性別は定かではないが、やはりエルシェの家庭力というか生活力は相当に高い。おそらくは俺たち三人の中で最も料理に精通しているのもエルシェが断トツで首位だろう。
ふとエルシェの方を見ると、彼女は苦い思い出を思い出しているのか額にシワを寄せて唸っていた。ロアさんのことを想起しているらしい。
「全く、あの人はどうして絶対にレシピに従わないんでしょうか……本に書いてある通りに作れれば普通においしく出来上がるのですが、いつも必ず途中で『こんなのは手間だ』とか言って工程を省いたり、『隠し味だ』とか言って自己流のアレンジを加えたり……特に枯れ葉と松ぼっくりの入ったカレーを食べたときは、ううっ……!」
「なるほどな。そういうタイプの料理下手か……」
どうも過去のトラウマを呼び覚ましてしまったらしく、途端に顔色を変えて横に倒れるエルシェを優しくレイナが受け止める。エルシェの話を聞きながら、俺はうんうんとロアさんの顔を思い浮かべた。
察するにロアさん、真面目に作れば上手いのに、なぜか遊び心が働いてしまい料理を台無しにしてしまうタイプだ。連邦に来てからあまり自炊した経験はないもの、俺とどちらかと言えばこのタイプに近い気がする。
「そういや、レイナは料理できんのか? このチョコは市販だって言ってたけど。たまには自炊したりとかするの?」
「ハッ、失礼ね。私を誰だと思っているのかしら。料理くらいできるに決まっているでしょう? いくらでもできるわよ、肉を切って焼くくらいなら」
「それは一般的に料理ができない人間の言い方なんだけど……」
ははぁ、なるほど。多分こいつは焼くだけ、煮るだけみたいな一工程しかできないタイプか。顎に手を当てて見透かしたように笑っていると、その視線に気づいたレイナはムッとした顔になる。
「そもそも、肉なんて火を通せばなんだって食べられるでしょう。複雑な工程なんか踏まずとも、焼いたらその時点で完成よ」
お前は原始人か。そしてなぜかレイナの回答に、感動している様子のエルシェ。なぜ?
「おお、ワイルドですね! なるほど、肉は焼くだけ……かっこいい騎士を目指すための参考になります!」
「個人的な見解から言わせてもらうとあんまりこの人は参考にしない方がいいと思うぞ、俺は……」
「何なら、焼かなくてもいいでしょう。時間がない時はそのまま食べたらいいわ。熱を通すことで雑菌は殺せるけれど、一緒に一部も栄養分も殺してしまうもの」
「待て、せめて必要最低限のステップは踏めよ! 生食は腹壊すぞ!」
「私は問題ないわ」
息を付きながらクールに前髪を掻き上げるレイナ。レイナさん、あなた本当に人間なんでしょうか? 生で肉を貪っている彼女の姿を想像し、その絵面の強さに思わず即倒しそうになった。レイナは「フン」と鼻で息をつくと、俺の顔を見つめた。
「興味があるならご馳走してあげてもいいけれど、生肉」
「参考までに聞くがそれはなんの肉なんだ? 普通に鳥とか豚だよな? まさかベスタだとかいくらなんでも言わないよな」
「安心しなさい、大丈夫よ。──意識しなければきっと美味しく食べられるから」
「ちょっと待って、お前は俺に何を食わせるつもりなの? 怖いよ? 正体が分からないのが一番怖いんだよ?」
「きっと、天国に行けるわよ」
「この状況下でその台詞には主に二つの意味が生じることになるんだが、主にどっちなんだそれは。美味すぎて天国に行けるって意味か? それとも冗談抜きで死ぬってことか?」
「……」
「黙るな! ここで急に黙るな! 怖いから! それで真顔でこっち見るな! 意図が読めないから、意図が!」
「もし貴方がお望みなら、今すぐ天国に行くこともできるけど」
「エルシェー! 助けてー! この人怖い! 怖いよーこの人!」
「よしよし、少年は怖がりさんですねー」
ちょっと待って? 俺は今どういう経緯でエルシェに抱かれているんだ?
「レーヴェに帰ったらやってみますかね、生肉のステーキとか」
それはもう料理として成立していないだろう。ただ切って皿の上に乗せただけの生肉だろう。
「そうね、ここにちょうど食材があるわよ」
そして何故レイナは俺への殺意がこんなに高いの? 怖いよ?俺なんかやっちゃいました?
いよいよ身の危険を感じ始めたので隠れるようにエルシェの後ろに回ると、彼女は俺を庇うかのようにずいっと一歩前に進み出た。おお、かっこいい!
「少年を食べるだなんて、そんなことできません!」
言い切ったエルシェの言葉に、思わず目頭が熱くなる。ああ、こいつはやっぱり騎士だ。いつもはうるさいしちんちくりんだが、その精神は自らを挺して他人を守るという間違いなく誇り高き騎士のそれだ。レイナにいじめられた(?)反動もあり、今はエルシェの存在がいつにも増して輝いて見える。
「あ、でも、食べるという言葉の意味次第では少年を食べてしまうのも……あ、ええっ!? ──っ! いったい何を考えているんですか、この不埒者――――――ッ!?」
「あ痛――――――ッ!? なんで!? なんで今叩かれたの俺!? さすがに俺がやられる要素あった!?」
「騎士さん、流石にそれは……」
レイナまでもが薄い同情の眼差しで俺を見る。エルシェはなぜだか顔を真っ赤にしてふうふう息を吐いていた。え、マジでなんで俺叩かれたの? 今。
「なぁレイナ、今の、俺悪くなかったよな? なんで叩かれたのか理由とかわかる?」
「……そうね。状況と騎士さんの様子から判断するに、おそらく今騎士さんは『食べる』という言葉の意味を──」
「わーーーーーっ!? そ、そ、そういえばまだチョコが残ってますよ! 溶けたらもったいないですし早く食べきりましょう、少年、レイナ! ね! ね!」
いきなり俺とレイナの間に突進してきて割り込んだエルシェが、袖を千切らんばかりの勢いで引っ張りながら皿のチョコを指差す。
「え? いや、理由を知りたいから。もし俺の落ち度だったらもう繰り替えなさいようにしないといけないし、だからレイナ。今の続きを──」
「わ、わーーーーーーっ!!」
「あだーーーーーっ!?」
錯乱した様子のエルシェに再度頭をはたかれた。
「だから痛いって! 何すんだよ、理由を教えてくれってば! 俺が何したんだよ!」
「何もしてませんよ!」
「何にもしてないなら叩くなよ!?」
エルシェにしては珍しく理解不能な言動である。チョコに酒でも入ってたのか? でも、特にアルコールの匂いは感じなかったしな。エルシェさん、謎のご乱心。
「ひ、酷すぎる……理不尽にも程があるだろう。俺が何したわけでもないのに……」
「ふんだ、知りません! 少年は反省してください! じっくりと!」
ぼくは何を反省すればいいのでしょうか? 誰か教えてください。
「そうよ、責任を取って半殺しよ」
「お前はマジでなんなの? その俺に対する殺意はどこからきてるの?」
「だいたい少年には前からずーっと、言いたいことがあったんですよ! 毎日毎日起こしに来てあげてるのに、どうして私を邪険に扱うんですか!? こんなにも正義で、誇り高くて、慈愛精神に溢れた騎士は私以外にいないというのに! 少年は私への感謝が足りないと思います!」
勢いで怒りが関係のないとこにまで燃え広がってしまったのか、ついには日常の不満を漏らし始めるエルシェ。おい、これ酒入ってないよな?
「ええ……? なんかエルシェの様子がおかしいぞ。レイナ、なんか俺たちのチョコに盛ってたりしないよな」
「バカ言わないで、さすがの私もそこまではしないわよ。仮に盛るとしても、それは貴方にだけよ」
俺には盛るのかよ。盛るな。
「って違う違う、そうじゃない! とにかく、なんも変な材料がチョコに混じってたなんてオチもなさそうだし……じゃあエルシェはなんでこんなことになっちまってるんだ」
「貴方のせいよ」
「そうです!!」
「俺のせいなのか……?」
しかしエルシェの訴えているらしい内容を聞くに、彼女の不満はたしかに俺に向けられているものらしい。うーむ、要は『私をもっと褒めろ!!』ということだろうか?
「少年はもっと私を褒めるべきだと思います!!」
「あ、そうなのね……」
答え合わせは爆速で終わった。ええ、エルシェを褒めればいいのかな? 何にせよ、戦局を打開する一手を打たねば彼女の怒りは収まらないのは確実だろう。俺は困惑しながらも、ごほんと咳払いをする。
「まぁ、その、いつも感謝はしてるよ。返しきれないくらいの恩があるのもわかってる」
「……」
エルシェは数秒沈黙するが、やがてまたぷんぷん怒りはじめた。
「そ、そんなんじゃ、全然足りませんよ! もっと、言葉にしてください!」
「ええー……」
「ほら、早く!」
「……わかったよ。エルシェは騎士で、お節介な部分はあるが誰でも優しいし、いつも元気で明るい。だからそこが良いと思う」
「……」
「これでいいか?」
「良いって……どういう意味ですか」
「そりゃ人間として尊敬できる、美徳を持ってるすごい人だと思ってるって意味だよ」
「じ、じゃあ少年は私のことどう思ってるんですか?」
「うーん、大切な人?」
「へぁッ!?」
途端にエルシェが妙な声をあげる。な、なんだ?
「た、たたた大切な人っていうのは、つまり……その」
「ん? ああ、なんせ俺の命の恩人だからな。めちゃくちゃ大切な人だと思ってるぞ」
「あぁ、恩人としてですか……」
エルシェはなぜかがっくりと肩を落とし、意気消沈する。だがすぐに立ち直り、
「いえ、しかし大切な人ではあると……なら、悪くは」
それから、ふむ、と瞠目して腕を組んだ。審議中らしい。
「──まぁ、わかりました。今回は大目に見て、良しとしましょう。私の寛大な処置に感謝してください!」
「いや、だから俺にはお前が怒った理由も機嫌を治してくれた理由もわからないんだけど……なぁレイナ、お前ならわかるか? 教えてくれよ」
「あーーーーーーーっ! ちょっ、やめてください! 少年が自分で考えてください!」
「な、なんだよ急に」
「はぁ……そうね。まぁ、仲が良いのは良いことだと思うわよ。これ以上は言わないでおくわ」
「?」
頼みの綱であるレイナの回答もいまいち的を得ないものであり、腑に落ちない。俺はこれ以上はどうしようもないなと解決を諦め、ふっと息をこぼしながら肩をすくめた。
「全ての理由はいつか分かりますよ、きっと」
そんな俺にエルシェは居住まいを正し、瞳を正面から見据える。青く透き通った瞳の中に俺を映し、しかしその感情が何なのかは決して悟らせず。
どこか吹っ切れたような、そして気合を入れ直したかのような表情で、彼女は笑った。
「──いいえ、分かってもらいます。そうさせてみせます。覚悟してくださいね、少年!」
こうして俺の、俺たちの人生初のバレンタインデーは幕を閉じた。
エルシェの“理由”と、それからレイナの本当の想い。
俺がこの二つを、真に理解するのは──これからずっと、ずっと先の話だ。
《完》
【あとがき】
お久しぶりです。今回はバレンタインデーということで久しぶりに濃度の高いアステをじっくりコトコト書きました。そして書きすぎました。この文章を書いている今、PCから目を背けてふとカレンダーに目をやればそこには2月20日だとか書かれているわけですが、それはきっと見間違いかどこかの神を自称する少女のお茶目によってちょっぴり時空が歪められてしまっただけでしょう。
時系列としては2章後半~2.5章の間になりますが、本編世界にバレンタインデーという語彙は存在しないので半分パラレルワールドです。本編と相互作用するギャグ時空だと思っていただければ。あと小鳥遊くんは一体いつになったら3章を書くのでしょうか。2章刻みすぎだろ、もう実質4章じゃねぇかというツッコミは聞こえません。同情するならブクマとレビューをくれッ! ということでまた会う日までさようなら!




