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アスターテール~今日から半分、神になったらしいですが~  作者: 小鳥遊一
寸劇「はっぴー☆ばれんたいん」
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寸劇「はっぴー☆ばれんたいん」⑤ 魔獣殺しは気まぐれ

「ぶへぇッ──!?」

 カーペットの柔らかい触感を、顔の右全体でダイナミックに感じる。まるで床に殴られたような感覚を感じつつ、俺は身体を起こして悶える。

「ぐああ、顔面が──!?」

「大丈夫よ、安心して。なんの問題もないわ──だって元から汚れているもの」

「大ありだわ! 誰のせいでこうなったと思ってんだ! なんだお前!」

「なんだお前、とはご挨拶ね。三日ぶりの再会だというのにもう私の顔を忘れてしまったのかしら? 冴えた記憶力だわ、鳥並みにはね」

 再び、単調な声で皮肉が聞こえてくる。頬を押さえながら恨めしげに振り向くと、そこにはよく見知った、しかし、なぜだか随分と懐かしいように感じる顔があった。

 首周りから脚の先まで、露出を極限まで無くした黒一色の衣装。

 肩より少し長い程度に切り揃えられた短めの黒髪。

 見る者全てを見下すかのような、鮮血の如く赤い瞳。

「いたのかよ……レイナ」

「ええ、いたわ。私がこの宮殿にいて何か不都合でも?」

 俺の恩人第二号にして旅の道連れ、ベスタ専門の殺し屋、そして連邦随一の紅茶狂い──《魔獣殺し》のレイナ。

 彼女は相も変わらず、一切の感情の片鱗をも伺わせない無表情で俺を見下ろしていた。

 俯瞰すれば敵対されている以外の何にも受け取れない構図だ。だが、別段俺は彼女に嫌われているわけではない。この紅茶狂いは誰に対してもこうなのだ。

「三日ぶりか? なんでか知らんが、お前と会うのはだいぶ久しぶりな気がするな」

「奇遇ね、私も同じことを思っていたわ。きっと、あなたの印象があまりにも薄すぎて三日顔を見ないだけで忘れかけていたのだと思うけれど」

「……変わらないな、お前は。むしろ安心したぜ、元気そうで」

 変わらずのっけから皮肉言ってくるあたりとか得にな。

「私は変わらないわ。変われないのよ、いつまでも。……それで? 貴方はここで何をしていたのかしら。今さっき、鼻歌混じりでご機嫌にスキップしていたわよね」

「うげ、やっぱり見られてたのかよ。いきなり声かけるのはやめてくれよ、びっくりするから。相手がお前だと尚更」

「あら、失礼。驚かせてしまったのなら謹んで謝罪するわ。別にそんなつもりはなかったのだけど、あまりにも貴方が呆けた表情で浮かれていたものだから違法薬物でも盛られたのかと心配になったのよ。申し訳なかったわ」

「いまだかつてここまで謝意の伝わらない謝罪が連邦に存在しただろうか……というか、お前から見た俺は薬物中毒を疑われるレベルで呆けていたのか!? そこまでか!?」

「ああ、誤解しないで。別に貴方がどうなろうと私の知ったことではないのだけど、万が一貴方の身に何かあったら騎士さんが青ざめてしまうから、気を使っただけ。決して貴方自身を慮ったわけではないの。そこだけ理解して貰えると助かるわ」

「その誰も幸せにならない訂正はやめろ、というか傷つくから。主に俺が」

「私は胸が傷まないからいいのよ」

 相変わらず暴君が過ぎる、触れる者傷つける全方位ジャックナイフ系女子のレイナさんはこれでも至って平常運転である。二度目になるが、決して俺が彼女に嫌われているわけではないのだ。……ねぇ、俺嫌われてないよね? 大丈夫だよね? なんだか心配になってきた。

 レイナは腕を組み換え、ため息混じりに続ける。こちらを見下ろしたポジションは変わらないままだ。俺を見下し続けていたいのか、動くのが億劫なのか。後者だと信じたい。

「それで? 話を戻すけど、どうして貴方がここにいるのよ」

「そりゃこっちの台詞だぞ、レイナ。俺はただ部屋に戻ろうとしてただけで、むしろお前はなんでここにいるんだよ。お前が宮殿に、しかも昼間からいるなんて普段ほぼあり得ないことだろ。実際俺は三日ぶりにお前と会ったわけだし、全然顔見せないじゃないか」

「そうね、たしかに私はあまり昼には貴方たちとは会わないわ。でも今日はたまたま日中に何の予定もなかったから、少し街を散策して休むために戻ってきたのよ」

「へぇ、そういうことか。そういやお前、昼間はなんか仕事やってんだっけ? お疲れ」

 連邦を割拠する異形の怪物、魔獣──ベスタ。巷では《魔獣殺し》という物騒な二つ名を頂戴している彼女は、理由はわからないがベスタに尋常ではない殺意と執着心を抱いている。彼女曰く、普段昼間はその情報収集に出向いているとのことだ。

「にしても、お前も街を散策とかするんだな。意外だ」

「……心外ね。私を何だと思っているのかしら」

「誤解を恐れず述べるのなら、ベスタ絶対許さない系の人間殺戮兵器かな」

「その刃先がベスタ以外にも向くのかどうか、今ここで試してみるのも一興ね」

「待って、ストップ! ごめん、俺が悪かったから! だからその得物しまってくれ! 怖いから!」

 視線だけでこちらを射抜き殺さんとする圧力と同時に、腰から黒光りする刃を抜き放つレイナ。その口元がほんのり笑っているように見えるのは気のせいでしょうか? おやめください、怖いですレイナさん。

「はぁ、全く……いい? 私だってただの人間よ。別に感情や道徳を失ってるわけじゃない。不躾などこかの神様もどきは、私を単なる殺戮兵器だと思っているようだけれど」

「そんなことを言う奴は一体どこのどいつなんでしょうね……」

「生憎と、私は人並みの情緒も倫理も持ち合わせているのよ。気が向けば、風情に溢れる古都の町並みを歩きながら楽しむことだってあるわ」

「……驚いたな」

「そんなに意外? 私が街を歩く程度のことが」

「なんというか、あまりにも普通の感性すぎてお前らしくないというか。いまいちイメージできなかったから」

「気が向けば、気にいらない男の皮を剥ぐことだってあるわ」

「人並みの倫理どこいったの?」

 つい数秒前に口にした情緒と倫理とやらが全く感じられない少女に思わずぽかんと口を開く。やっぱりこの女、殺戮兵器ではないのだろうか。

「というか、今日のレイナさんはいつになく喋るような気がするな」

 レーヴェにいた頃、最初の三日間はまるで口も聞いてもらえず無視されていたことを思えばえらい違いだ。降って湧いた休日(?)に機嫌が良いのだろうか。あるいは、二人きりの時はこうして皮肉と冗談と殺害予告の愉快な応酬程度ではあるものの、一応話してくれる程度には気を許してくれたと考えるべきだろうか。

 首を傾げつつレイナの方を見ると、彼女は鉄仮面の如き無表情のままかすかに横を向く。

「……普段と変わらないわよ。それとも貴方は私に無視してほしかったの? ならご期待に沿ってあげるのもやぶさかではないけれど」

「別にそういうわけじゃないさ。ただ、《騎士団》の建物で同じ部屋を使ってた頃に比べると口数が多くなったなって思っただけだ」

「そうね、たしかにあの時と比べれば貴方とは口をきく機会が多くなったかもしれないわ」

「俺たちの間でここまで会話が続くのも珍しいしな。基本的にお前、エルシェの前だと俺のこと無視すること多いし。あれ、どうしてなんだ?」

 そういえば何故なのだろう? 例えば《神格》のトレーニングで二人でいる時なんかは、レイナは俺との会話に付き合ってくれる。だが、そこにエルシェも加えて三人でいる時はどういう訳か無視されることが多い。エルシェ自身はレイナから無視されることはあまりないものの、この違いは何なのか。

「まさかエルシェに人見知りしてる……なんてことはない、よな?」

「私は別に人見知りではないわ。騎士さんに対しても怯えてるわけじゃないし、別け隔てなく貴方と同じように接しているつもりよ。ただ──そうね。貴方に比べると、騎士さんを相手にするのは、少しやりづらいかもしれないわね」

「やりづらい、というと?」

「……私とあまりにも違いすぎるから、かしら。あの子は、いつでも明るくて優しいから。だから、時折私なんかが関わって良いのかわからなくなる。……私が、あの子に悪い影響を与えてしまうかもしれないことに躊躇いを感じる、というべきかしら。綺麗で、純粋で、曇りのない瞳と向き合うと、私のような人間は怯んでしまうのよ」

「あー、なんとなくわかる、ような気がする」

 エルシェ。彼女の故郷であるレーヴェ、そしてこの連邦全土に平和と正義をもたらす“騎士”を自称する少女。誰よりも幼く──否、若く、まっすぐに澄んだ心の持ち主。

 俺はレイナのことを深くは知らない。彼女がどこで生まれ、どんな道のりの人生を歩んだ果てにベスタへの憎悪を抱くこととなったのか。この黒ずくめの少女について俺が知っていることが現状ほとんどないのだ。

 だが、彼女の話や人柄などの欠片からそれらをつなぎ合わせ、シルエットを掴み推測することはできる。

 レイナという人間は、きっとこれまでエルシェのような人間に会ったことがなかったのだろう。エルシェはおそらく、連邦の中でも珍しいまでに純粋で優しい少女だ。だから、戸惑っているのだ。人間関係はいつの時代も難しい。

「でも、あいつはお前ともっと仲良くしたがってるぜ。知ってるか? あいつ、毎朝俺を起こしに来るんだけど」

「貴方、毎朝騎士さんに自分を起こさせているの? まさか、毎日部屋に引きずり込んで……」

「おい、その怪訝な目をやめてくれ。俺が強制してるわけじゃなくて、あっちからなぜか毎朝起こしに来るんだよ。それも時間帯はバラバラ。ときには早朝だったり、お昼前だったり……特に用もないのに起こしてくるんだが。……ほんと、メイドさんに起こしてもらったって説明した日からなぜだか起こしてくるんだが。いや、話が逸れたな。本題はそっちじゃないんだ」

 理由もなく日の出前に叩き起こされた日のことを思い出しげっそりしてしまうが、ゴホンと咳払いすることで無理やり話を切り替える。

「本題はこっちだ。知ってるか? あいつ──俺を起こしに来る前に、必ずお前を探してるんだ」

「……騎士さんが、私を?」

 レイナは怪訝な表情のまま、形の整った眉をさらにひそめて訝しむ。その目の色がわずかに困惑を浮かべているように思えた。俺は頷き、続ける。

「そうだ。毎日『今日もレイナはどこにもいませんでした』って、しょんぼりしながら言ってくるよ。多分宮殿のあちこちを走り回ってから来てるんだろうな。だいたいお前が朝はいないことも勿論知ってるんだが、それでも諦めないで探し回ってるみたいだ」

「……」

 何も言わず、レイナは床を見つめる。

 そう。エルシェの毎朝の日課──それは俺を起こすことと、レイナを探すこと。

 彼女は毎朝、俺に報告してきていた。今日はレイナがいない、今日もいない、見つからなかった──と。レイナが見つかったことなど一度もないにも関わらず、彼女は決まってこう付け加えるのだ。きっと、明日はいますよねと。

「……そうだったの。知らなかった」

「ああ。だからさ、たまには朝食の席に顔見せてやってくれよ。きっとあいつ、顔色変えて喜ぶだろ。満面の笑みではしゃぐだろうな。あいつは俺とお前にとって共通の恩人だ。恩も俺たちで少しずつ返していこうぜ」

 俺が微笑みながらそう述べると、レイナは視線を動かさず、こちらに一瞥もくれないままやがてぽつりとこぼした。

「……そうね、考えておくわ。前向きに」

「そっか。……いや、待てよ?お前が俺からの助言に同意するなんてますます珍しいな。こりゃ、明日は大雨でも降りそうだな」

「血の雨だったら今すぐ降らせてあげるわよ?」

「悪いが遠慮しとくよ。だから刃はしまってくれ、危ないからなそれ。怪我しちゃうから。むしろ怪我で済めばいいけど」

 肩をすくめながら、いつも通り物騒なレイナさんをなだめる。すると彼女は「はぁ……」と呆れたようにため息をつき、それから俺に手を差し伸べた。

「え? えっと、これは?」

「見てわからない? いつまでそこに死んだ動物みたいに倒れてるつもりなのよ。いい加減に立ちなさい。手貸してあげるから」

「あ、ああ……」

 言われてようやく、そういえば自分がカーペットにつまづいて顔面から倒れ込み、上半身だけを起こした姿勢のままでいたことに気がつく。おそるおそる差し出されたレイナの手を掴むと、彼女はそのまま腕をぐいっと引き上げて俺を立たせてくれた。

 ……さらっと片腕だけで俺のほぼ全体重を引き上げてしまうあたり、さすがのレイナさんである。こえー。

「ありがとな」と礼を述べつつ、転んだ拍子に服に付いた埃を叩き払っていると。

「じゃあ、選ばせてあげるわ」

「え?」

 これまた唐突にレイナが続ける。驚きながら顔を上げると、レイナは腕を組んでジト目を浮かべつつ俺を見ていた。

「何を間の抜けた声を出しているのかしら。私から贈り物をもらえる機会なんて滅多にないのだから、ありがたく受け取りなさい」

「え? いや、急になんだよ。選ばせてあげる? 贈り物? 何をだよ。いきなりすぎて何もわかんねぇよ」

「話は最後まで聞きなさい、アなんちゃら」

「だからアオイだっつってんだろ! いつになったら俺の名前覚えんだよお前!」

「そう、そんな名前だったわね。アなんちゃら、これから貴方に贈り物をあげる。二つの選択肢があるけれど、もらえるのは一つだけよ。だから、二つの中から好きな方を選びなさい」

「名前教えたんだからせめて訂正してくれ……てか、つまりお前が俺になんかくれるってことでいいのか?」

「そういうことよ」

 絶句。驚愕のあまり、喉から言葉が出てこない。

 まさか、まさかこのレイナが。人を遠ざけ、関わりを絶ち、俺に対しても向けてくる言葉の優に八割異常が罵倒と皮肉と脅迫のこのレイナが──俺に、贈り物を? 

 昨日までの自分に言っても決して信じなかっただろう。エルシェに話しても、あるいは信じてもらえないかもしれない。まるで天変地異、逆に怖いレベルの出来事である。

「レイナから贈り物を貰える日が来るとは思わなかった……人生、長く生きてみるもんだな」

「たかだが十数年の人生観で何を言っているのよ」

 吐き捨てるようにレイナが述べる。たしかに言われてみれば、俺は多分そのくらいしか生きていないのだろう。記憶がないので真実のほどは定かではないが。

「んで、何を選ばせてくれるんだ。何が来てもありがたく受け取るよ、せっかくの貴重なレイナからの贈り物だからな」

「まずは魔獣の眼球と臓器のセットよ」

「すみません高らかに前言撤回させてください」

「あら、ベスタの眼球と臓器は華翠あたりでは漢方の材料として人気が高い高級品よ。連邦では飲む人はいないけどね」

「華翠? 聞いたことない地名だな。いや、飛行船の中でエルシェの話の中で出てきたっけか」

「華翠は連邦からは遠く離れた東桜の隣国よ」

「へぇ、そうなのか。……いや、そうじゃなくてだな。ともかく眼球と臓器のセットを俺が有効活用するのは難しいから遠慮したい。もう一つ選択肢があるんだよな? たしか。それは何なのか教えてもらってもいいか」

 図らずしも見知らぬ異国の情報を仕入れたところで、ひとまずベスタの眼球臓器セットは丁重にお断りさせてもらう。さすがに俺にはどうしようもない。

 消去法で俺が受け取るのはもう一つの“贈り物”になる。待て、まさかこの分だともう一つの方もまさかベスタの生首とか剥製とか出てこないよな? 若干後退りしながら、俺はレイナに問いかけた。

 レイナは別段ショックを受けた様子もなく「そう、なら仕方がないわね」とだけ呟き、今度はコートの中をまさぐり始める。そして、手のひらサイズの小箱を取り出すと俺に見せてきた。

「もう一つはこれよ」

「ん、これはなんだ? 見たとこ普通のお菓子みたいに思えるけど」

「普通のお菓子よ。チョコレート」

「へっ? チョコレート?」

「ああ……チョコレートというのは豆を原料とするお菓子で」

「いや、そうじゃなくてだな……チョコ?」

「他に何があるのよ。別に、毒だって入ってないわ。ただの市販のチョコレートよ」

「これを……くれるのか? 俺に」

「そうね、貴方がこっちを選ぶならそういうことになるわ」

 無言で宙を見やる。宮殿の天井はとてつもなく高いが、青い空は見えない。しかし、今の俺には天がありありと見えていた。

「本当に……くれるのか……お前が……?」

「不愉快ね、やっぱりやめようかしら」

「雰囲気を壊すな、雰囲気を。でもレイナからチョコを貰えるとは本当に思ってなかった。正直今めちゃくちゃ同様してる。あれか? バレンタインデーだからくれるのか?」

「勘違いしないでもらいたいのだけど──セルビオーテに伝わる製菓商会の陰謀によって根付いた反吐が出るような甘ったるい風習とこのチョコとは一切関係がないわ。だから決して私は貴方に親愛だとか、感謝だとか、そういう感情を込めてこれを渡すわけではないの」製菓商会の陰謀ってめちゃくちゃ悪く言うな、お前バレンタイン嫌いなのかよ……。

「でも、だったらどうして? 理由もなくチョコをくれるなんてあり得ないだろ」

「たまたまエンブリアを散策していたら、特価で安くなっていたのを見かけたのよ。騎士さんは甘いモノがきっと好きでしょう? あの子は子供っぽ……いえ、可愛らしいから、チョコも好きだろうと」

「ああ、たしかにエルシェは好きそうだよな。チョコとか、お菓子とか好きそうだよな」

 外見、そして言動からして実際に彼女は俺とレイナよりも年齢が低いのだろう。幼い……というと烈火の如く怒られそうだが、少なくとも中身は完全に相応の少女なのだ。

「それであの子にあげようとチョコを買ったのよ。けれど、騎士さんのことだからきっとチョコをあげたら貴方と一緒に食べるんじゃないかと思って。だったら最初から貴方の分もあった方が結果的に騎士さんにあげられるチョコの量も多くなるでしょう」

 心なしかやや早口で、そして小声で続けた後、レイナは箱を俺に突きつけてきた。

「だから行きがけの駄賃で、これ。溶ける前にさっさと食べきってしまいなさい。あの子と一緒にね」

「……あ、ありがとう」

 説明されて経緯は理解できたものの、正直まだレイナがチョコをくれたという現実を受け止めきれず呆然となっている自分がいる。しかしいつまでも突っ立っているわけにもいかないので、レイナの手から小箱を受け取る。すると彼女はすぐさま手を引っ込め、コートの裾で手を拭いた。

 ……俺が汚いってことですか? レイナさん。そういうことなんですかえ?

「そうだ、エルシェの分はどうする? もし面と向かって渡すのが恥ずかしいって言うんだったら俺が代理で渡しておくけれど」

「貴方に渡したら騎士さんの分まで食べてしまうでしょう。視界に入ったもの見境なく食い散らかそうとするんだから」

「そこまで食い意地張ってねぇよ? 俺。お前の中での俺は豚かなんかなの?」

「人権がないという意味では似たようなものね」

 へー、俺ってレイナの中では人権ないんだー。初めて知ったナー。

 ……頬を一筋に伝う熱の正体はきっと、涙ではない。そう決して。

「ともかく、騎士さんには後で私が責任を持って渡すわ。……毎朝、彼女には徒労をかけてしまったようだし。その謝罪もしないと」

「そうだな、久しぶりに顔見せてそのチョコ渡してやれよ。きっと喜ぶから」

「そうね。ところで、彼女は今どこにいるの? 私はてっきり、貴方を見つけ出せば彼女も付いてくると思っていたのだけど。あの子いつも貴方にくっついているから」

「ああ、そういや今日は大事な用事があるだとかで不在なんだ。珍しいよな、あいつが用事だなんて。何やってるのかは知らないけどさ」

「そう。大事な用事、ね。わかったわ。そういうことなら私はこれで失礼するわ。それじゃ、また──アオイ」

「え、今俺のこと──」

 俺が言うよりも早く、いつの間にか彼女は消えていた。

「はぁ……ほんと変わんねぇよな、あいつも」

 神出鬼没、という言葉がまさしくぴったりと当てはまる。

 勝手に現れて、勝手に消えて。いつもは顔見せないくせして、良いところでは現れる。

 全く、レイナという人間は──臆病で、けれど優しい人間なのかもしれない。

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